西日本政経懇話会

北九州第605回 知られざるモンゴル抑留/嘆願書を提出した日本人の勇姿/ジャーナリスト 井手裕彦氏が講演

井手裕彦 北九州.jpg 西日本政経懇話会4月例会が24日、小倉北区のJR九州ステーションホテル小倉であり、元読売新聞大阪本社論説委員でジャーナリストの井手裕彦氏が「戦後80年 知られざるモンゴル・シベリア抑留の物語」と題して講演した。要旨は次の通り。
 戦後80年となる今年7月、天皇、皇后両陛下がモンゴルを公式訪問し、戦後の抑留中に亡くなった日本人の慰霊碑を訪れるとみられる。
 シベリア抑留は広く知られているが、モンゴルでも約1万4千人が抑留され、約1700人が亡くなった事実を知る人は少ない。
 なぜモンゴル抑留が起きたのか。ソ連が満州侵攻した際にモンゴルも参戦。その見返りとしてソ連が日本人捕虜を労働力として提供した。兵士だけでは足りず民間人も連行し、抑留者の1割を占めた。
 モンゴル外務省中央公文書館に3人の日本人が書いた、モンゴル当局宛ての嘆願書が9通収められていた。そのうち、久保昇さんの嘆願書では「民間人の抑留は国際法違反だ」と早期帰国を求めた。提出後は一部処遇改善があったものの、早期帰国は実現しなかった。
 日本人は、国際舞台で自らの考えを理路整然と主張するのが苦手だと思われているが、抑留という極めて不利な状況下でも自らの危険を顧みず行動を起こした日本人がいた。ビジネスや危機管理の場で、彼らの話を思い出してほしい。 (瓜生毬乃)

2025年(令和7年)04月26日(土)

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