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1877年 〜 1912

1912年 〜 1926

1926年 〜 1989

1989年 〜 2019

2019年〜

1877年 〜 1912

1877年
西日本新聞の源流・筑紫新聞刊行
1878年
めさまし新聞創刊
1879年
めさまし新聞を筑紫新報と改題
1880年
4月17日新会社福岡日日新聞を設立
1887年
ライバル紙、福陵新報創刊
1898年
福陵新報が九州日報と改題
1911年
10月24日付で10000号。編集長に菊竹六皷を抜擢
1916年
九州学生武道大会開催。金鷲旗、玉竜旗のルーツ
1918年
第3回九州陸上大運動会でリレーレース導入。九州一周駅伝のルーツ
1926年
正倉院の校倉造りを模した新社屋が完成。博多っ子の話題を呼ぶ
1929年
北九州、山口、朝鮮半島の読者に関門毎夕新聞を配布
1932年
「五・一五事件」に対し、憲政擁護の立場から軍部テロを指弾。菊竹六皷編集局長の代表社説「敢て国民の覚悟を促す」に、軍部の威嚇が続いた
1942年
九州日報と合併。8月10日付から「西日本新聞」となる
1945年
終戦。8月6日の広島原爆投下で広島支局の記者と事務員が殉職。同9日の長崎原爆投下でも記者が殉職。他紙が長崎市外に避難する中で、西日本新聞は被災地にどまって報道を続けた結果、長崎県下でも第一紙になった
1949年
プロ野球球団「西日本パイレーツ」発足。翌年春のセ・リーグトーナメントでは優勝したが、公式戦は8球団中6位に終わる
1950年
西日本新聞、中部日本新聞、北海道新聞の新聞三社連合が発足
1951年
パ・リーグの西鉄クリッパーズと合併。「西鉄ライオンズ」誕生
1952年
数多くの五輪マラソン選手を生み出した西日本各県対抗九州一周駅伝競走大会始まる
1955年
西日本スポーツを創刊
1959年
昭和26年の西日本高等学校柔道大会などの流れを受けて「金鷲旗争奪高校柔道大会」「玉竜旗争奪高校剣道大会」を開催
1966年
福岡大博覧会を開催
1968年
第1回西日本美術展を開催
1975年
西日本新聞会館が完工
福岡大博覧会を福岡県、市と共催
1990年
雲仙普賢岳噴火。異例の長期大量動員体制での取材が続いた
1994年
11月27日、紙齢40000号
1995年
本社ホームページ開設
1997年
創刊120周年。2月:再開発ビル「エルガーラ」が完成
1998年
"新聞編集製作システム「新CTS」が98年度新聞協会賞技術部門を受賞
▼ダイエーのサイン盗疑惑報道をスクープ。大反響を呼ぶ。奮起したダイエーは翌年初優勝
1999年
九州国立博物館(仮称)の早期建設などを支援する募金キャンペーンを実施
2000年
1月:台北支局を開設
8月:本社内に国際部を設置、アジア報道を強化
2001年
10月:福岡市で新聞大会
11月:50回目の九州一周駅伝競走大会開催。第60回西日本文化賞授与式
2002年
創刊125周年
3月:韓国・釜山日報と記者交換制度がスタート
2005年
6月:博多まちなか支局を開設
7月:博多祗園山笠に初めて飾り山を奉納し、地域密着路線をさらに強化
2006年
10月:水俣病公式確認50年のシリーズ報道で2006年度新聞協会賞を受賞
2007年
創刊130周年
10月:新編集システム全面稼動で2007年新聞協会賞を受賞
2009年
1月7日:紙齢45,000号に到達
2010年
10月:北九州支社を本社に格上げし、福岡市と北九州市の2本社制がスタート
2016年
7月:金鷲旗・玉竜旗高校柔剣道大会創設100周年
10月:西日本新聞「電子版」創刊
2017年
創刊140周年
10月:博多金塊事件と捜査情報漏えいのスクープで2017年度新聞協会賞(ニュース部門)を受賞
2018年
1月:インターネットの会員制交流サイト(SNS)とも連動し、暮らしの疑問から困り事、不正の告発まで、課題解決型の調査報道で読者の要請に応える「あなたの特命取材班」がスタート
4月:人事部に人権啓発室を設置。10月には西日本新聞社人権方針を制定
2019年
9月:紙の新聞とデジタル媒体を同等に位置づけ、多メディア発信する「統合編集」がスタート
2020年
4月:適法・適正な業務を推進するためにコンプライアンス委員会を設置
2021年
2月:課金型オンラインメディア「西日本新聞me」創刊(4月にはスマートフォン用アプリをリリース)
10月:「愛知県知事リコール署名大量偽造事件のスクープと一連の報道」で中日新聞社とともに2021年度新聞協会賞(ニュース部門)を受賞
2022年
4月:西日本新聞社の一部業務とグループ5社を統合した(株)西日本新聞プロダクツが本格稼働