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報道センター
(取材記者:本社編集局)
本田 彩子

2009年入社

※所属部署は取材当時のものです。

※この社員紹介ページは26年春入社予定の内定者が社員にインタビューし、その内容をまとめ、構成、レイアウトなどを考えて作成しました(ページ内の肩書はすべて作成当時のもの)。

悩みながら進んだ16年間

01夜回りのリアル

 本田さんは入社4年目に福岡県警を担当しました。この時、毎日の夜回りが辛すぎて何度も心が折れそうになったと言います。

夜回りとは
情報を持っている人(警察官や自治体幹部、経済人など)の家に行き、情報を引き出すため相手が帰ってくる時間を狙ってひたすら待つというもの。

 相手(警察官)にも嫌がられる。何時間待っても会えないこともざら。会えても怒られる時もある。何日も続くこともある。休みの日も行かないといけない時がある…。「コスパもタイパも悪いのに、それがさらに形にならないことが多い」と本田さんは夜回りのリアルを赤裸々に明かしてくれました。
 ただ、「本当は(情報を)喋っちゃいけない人が喋るのが夜回り」。大きな事件が起きた時だけ行っても話してもらえない。日頃から地道に通うことで「あなたになら」と情報を教えてくれることがあるそうです。そこで得た情報から、本田さんは世の中には見えていない側面があることを感じたと言います。犯罪の背景には社会的な事情があったり、見えていない部分が差別や偏見につながっていたりすることを再認識し、大事なことを学び直す機会になったと教えてくれました。
 「だけど、」最後に本田さんは笑いながら付け足しました。「当時はやっぱり辛くて、ひたすら耐えていたというのが正しいかもしれないけどね」と。

02育児と仕事

 本田さんはこれまでに3人のお子さんを出産し、3回育休を取得しました。育児と仕事の両立は…と質問すると「全然できていない」とキッパリ。「中途半端だな、と悩みながらやっている」と正直に話してくれました。
 2016年4月、熊本地震発生時。本田さんは第二子妊娠中、夫は単身赴任でした。社会部の記者は突発的に発生したことに対応することが大事なのに、被災地に入れない、泊まることもできない。「損失といえば損失。何かが起きたら現場に行きたいのが記者なので、そこに行けない苦しみはすごくあった」と本田さん。それでも――。豪雨や地震など災害が起きた時は、現場は大混乱に陥り、情報が錯そうします。各記者が現場で得た断片的な情報を本社で吸い上げ、整理したりメモを原稿にしたりする役割も重要になってきます。それをすすんで担い、自分が今置かれた立場で記者としてやっていこうと必死にこなしていったそうです。
 また、出産したことで記者としての問題意識、関心にも変化があったと言います。育児において女性の負担が大きいこと、壁にぶつかったときに仕事を辞めるのはいつも女性であること。これは当事者となったことで強く意識するようになりました。さらに、「子供を産んだらすべての子がいとおしく見える」と笑う本田さん。生まれた環境、親によって子どもの人生が決まってしまう、そんな世の中はおかしい、という思いが現在の取材活動に繋がっています。

03テーマを持つこと

 本田さんは遊軍記者としても活動していました。

遊軍記者とは
記者クラブなどには所属せず、関心のあるテーマを掘り下げながら、事件事故、災害、流行など日々のニュースを追い、突発事案に対応する。いわば、新聞社の「何でも屋」

 本田さんは遊軍記者として大事な心構えを教えてくれました。それは自分の取材テーマや問題意識を持つことです。それを聞いて、インタビューをしていた私はつい「実は、記者として内定をもらった今でも、自分が何に対して興味があるのかぼんやりとしていて…」と悩みを口走ってしまいました。本田さんはうんうんと受け止めてくださり、次のようにさまざまな可能性を示してくれました。「身近な人や友人の身の回りで起きた『これってどうなんだろう、おかしいな』と思うことがきっかけになることもある。初任地で向き合ったテーマにぐっと入り込みたくなることもある」。働きながら自分のテーマが固まっていくこともあるのだと、勇気づけられました。

0416年頑張れた理由

 出産を経て強く意識するようになった子どもの福祉について、児童養護施設や福岡市の里親家庭の取材などをしていると「現場で直接支える側になりたい」と何度も思ったと打ち明けてくれました。しかし、現場の人から「問題があることを広げてくれる人がいないと活動は成り立たない」と言われ、やり方や役割が違うだけで社会をよりよくするために同じように貢献できているんだと気が付いたと言います。
 キャリアの中でたくさん迷ったり、立ち止まったりしながら、それでも15年間を駆け抜けてきた本田さん。新聞記者の先輩に言われた「『書きたい!取材したい!』って気持ちがなくなったら記者じゃなくなる」という言葉を引き合いに出し、こう話してくれました。「記者を辞めたいと思ったことは何度もあるけど、『これ書きたい』が尽きたことはない」。日々取材をし、多くの人と出会うと、自然と気になることや問題点が芋づる式に出てくるそうです。表に出ない、弱い立場の人の小さな声を届けるのが新聞記者の仕事。そのモットーを胸に、今後も本田さんは情熱的に記者として取り組んでいくのだと感じました。

「記者を辞めたいと思ったことは何度もあるけど、『これ書きたい』が尽きたことはない」

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