東京から九州の読者に
考え抜いた記事を届ける
東京支社報道部
(取材記者:東京) 金澤 皓介
2006年入社
※所属部署は取材当時のものです。
東京支社報道部で政治取材を担当しています。私が所属する政治グループは7人おり、岸田文雄政権や国会の日々の動きを、官邸や与野党で手分けして取材しています。私は永田町にある自民党本部の記者クラブを拠点にしています。この原稿を書いている2022年11月末は、臨時国会の終盤にさしかかっており、旧統一教会の被害者救済法や防衛費の増額に関する議論が大詰めを迎えています。4カ月前の参院選で勝利した際、岸田政権は当面大型国政選挙のない「黄金の3年間」を手にしたと言われていました。しかし、旧統一教会と自民党国会議員との関係が相次いで指摘されるなど、内閣支持率は下落し、一転して岸田政権は苦境に立たされています。まさに予測の付かない政治の激動の波にもまれながら、東京から九州の読者にどんな視点の記事を届けるか、同僚たちと考えながら仕事をしています。
これまで本社、総局、1人支局とさまざまな場所で勤務してきました。一番面白かったのは、社会部時代に同僚と立ち上げた「あなたの特命取材班(あな特)」です。若年層をはじめとした新聞離れが指摘されるようになって久しいですが、私も記事を書くことに対する手応えの薄れと、本当に読者の「知りたい」にこたえられているのか、疑問を感じながら仕事をするようになっていました。あな特をスタートし、LINEでつながる「あな特通信員」の皆さんから日々さまざまな調査依頼が寄せられています。身近な困り事から不正の告発まで内容は幅広く、新聞社の課題解決力に対する期待の大きさを感じています。特に印象的だった調査依頼は、運動会を目前に控えた中学生から「異常な暑さなのに日焼け止めを塗るのは駄目と先生に言われた」というものでした。学校や教育委員会などに取材を進め、記事の掲載を中学生に報告すると「あしたの朝刊が楽しみです」と言われました。若い世代に新聞を楽しみにしてもらえたことがうれしく、とてもこの仕事へのやりがいを感じました。あな特への信頼の積み重ねが、新聞離れを食い止めることにつながると信じ、これからも1人でも多くの「知りたい」にこたえるような取材をしていきたいです。東京の政治取材をしながら、何ができるかも模索しています。
これまで数多くの失敗を重ねてきました。その中で最大のものであり、何より多くの方々にご迷惑をかけたのが、厳密には入社直前に起こした失敗です。私は、当時大学4年だった2005年に西日本新聞社に内定をいただき、入社が決まっていましたが、卒業目前に単位が足りずに留年し、内定取り消しになりました。入社前の研修を福岡県内で受けていたところ、大学の友人から卒業者のリストに自分が含まれていないことを知らされ、確認のために通っていた東京の大学に戻ることになりました。ソフトボールに興じる同期入社となるはずだった同僚を横目に、福岡空港へ急ぐときの絶望的な気持ちは忘れられません。今考えれば、私は調子に乗っており、なんとかなるだろうと高をくくり、おごりがあったのだと思います。結局、この年に卒業はできませんでした。すぐに2度目の就活を始め、きっとこんな人間を採用することはないと思いつつ、再び西日本新聞社を受験したところ、幸いにも内定をいただくことができました。5年目となった大学生活は深く反省し、自分自身をじっくりと見つめ直す機会になりました。慎重な行動を心がけるようにもなりました。会社の先輩方に多大なご迷惑をかけたという後悔と自責の念は今も消えませんが、あの失敗が無かったら、私自身が記者として取材に向き合う姿勢も違っていたかもしれません。今17年前を振り返ると、自分にとって必要な失敗だったのかもしれないと思っています。
鉄道に乗るのが大好きで、休日になると家族で出かけ、さまざまな鉄道の列車に揺られています。ぼんやりと車窓を眺めているだけで、「鉄」分が補給され、日ごろの疲れが吹っ飛びます。2022年は鉄道開業から150年。最近もJRの割引切符を使って、大宮市の鉄道博物館や岩手県の平泉を訪れました。東京支社に異動が決まった際に先輩デスクからいただいた「地球の歩き方」を片手に、東京の観光名所巡りも楽しんでいます。
良い意味で「適当」で、懐の深い会社だと思います。あまり「これやれ」「あれやれ」と言われることはなく、個人の裁量に任せてくれます。「あな特」をスタートするに当たり、交流サイト(SNS)を活用した仕組みを提案した際、これまでに前例のない取り組みでしたが、当時の上司は「とりあえずやってみよう」と面白がってくれて後押ししてくれました。オンデマンド調査報道に取り組む全国の地方メディアが連携する「JODパートナーシップ」は2022年11月時点で、北海道から沖縄まで30社33媒体に広がっています。普段の取材ではライバルにもなり得るメディアの垣根を越えて、仲間が増えていったのは、何よりも各社さんに受け入れていただいたからですが、この会社のゆるさ(柔軟さ)があってこそだとも思います。もう一点、会社の強みを挙げるとすれば、「業界衰退の危機感への感度」です。ひときわ強い危機感が、あな特の創設や「西日本新聞me」でのデジタル展開の加速など、メディアの生き残りに向けた挑戦への原動力になっていると感じます。
「 1人でも多くの『知りたい』にこたえるような取材をしていきたい 」