西日本新聞社RECRUITMENT2019 西日本新聞社RECRUITMENT2019

東京から九州を見る
そんな記者の面白さ

東京支社報道部下村 ゆかり

2006年入社

※所属部署は取材当時のものです。

01現在どんな仕事をしていますか?

 日銀、東京証券取引所、金融庁、財界や東京五輪組織委員会などを担当しています。日銀では金融政策運営を審議・決定する金融政策決定会合や黒田総裁の会見、3カ月に1度発表される短観に加え、随時複数の幹部に取材し、記事化していきます。また週に何度か開催されるアナリストによる勉強会などにも参加し、日米の金融政策や経済・財政の見通しなどについて知識を吸収するのも大事な仕事です。日銀や金融庁は専門用語や独特な言い回しも多いのですが、「結局、私たちの生活にどんな影響があるの?」とかみ砕いて理解、記事化できるよう心がけています。東証では株価の変動やその背景も含めて各企業や業界の動向を見るようにしています。

 また2021年に延期された東京五輪も注目が高いイベントです。すべてが「異例」となった大会やその裏舞台を最後までしっかり見届けたいです。

02一番面白かった仕事、経験は?

 入社して十数年が経過しました。福岡県飯塚市とその周辺自治体をカバーする筑豊総局や経済部、東京と、さまざまな取材をし、どれが一番面白かったかは難しいのですが、この仕事のいいところは「結局、どの部署に行ってもおもしろい」ことです。

 新人時代に赴任した筑豊総局では、警察や地検、裁判所担当からはじまり、行政やスポーツなどを取材する中で、その地域が抱えるごみ問題から甲子園で江川卓氏と対戦した元高校球児など、さまざまな人や事象との出会いがありました。その地域に住み、地域の方々と衣食住をともにするからこそ得られる人間関係や信頼があると気づきましたし、その積み重ねこそが我々ブロック紙の武器だと思います。

 経済部への転勤が決まったときは「経済=数字」のイメージが強く、「難しそう。つまらなさそう」と思い込んでいたのですが、実際取材をすると、大企業でも中小零細企業でもそれぞれに商品やサービスにかける工夫や熱意があり、結局私たちが取材するのはその「人」であり、「数字」は後から付いてくるものだと気づきました。九州発で全国のスタンダードになっていく商品やサービスを見ると、誇らしく思いますし、この現場や人々、それにかける情熱を取材できることは幸せだな、と感じます。

 東京では国会や霞が関、日銀の動きをじかに取材できることで、政治や経済がどのようにリンクして動き、それがどう九州の政治や経済につながっているのかの表裏を勉強できます。さまざまな事象の裏側までを覗き、それを伝えられることはこの仕事の醍醐味です。

03入社してからの最大の試練や失敗は?
それをどう乗り越えましたか?

 上司や先輩に怒られたことは数え切れないほどですが、新人の頃、一番悩んだのは「何がニュースか分からない」ことでした。1年365日のうち、大々的な事件事故が起こる日は限られていますが、何も発表モノが無い日でも新聞は毎日発行されます。毎日「何かないか」とひたすら探す中で、ある日、道ばたのアスファルトの隙間から生えているスイカを発見。「ど根性スイカ」として写真と記事を掲載しました。翌日も見に行くと誰かに踏み潰されて、スイカはぐちゃぐちゃに。その夜、仕事終わりに世間話のつもりで「あのスイカ割られてましたよ。黄色い実でした」とのんきにデスクに話すと、「悪意で割られてたなら、それがニュースだろうが!」と諭されました。「そうか、これもニュースなのか」と目からうろこが落ち、それからはどんなに些細なことでも、自分が「マジで?」「聞いて聞いて!」と思うようなことはすべてニュースじゃないか、と気をつけています。

 経済部に異動してからは、優秀な先輩に囲まれる中で、夜討ち朝駆けでも「特ダネ」がなかなか取れないことに悩みました。とにかく回数が大事だ、と考えていたのですが、出産後は時間が限られる中で「ぜったいにこのやりとりで裏を取ってみせる!」と、ある意味、取材先への遠慮が無くなり、夜討ち朝駆け1回1回の密度が濃くなって結果にもつながるようになりました。それでも今も失敗はつきません。しっかり反省したら、あとは寝て忘れましょう。私ができる唯一のアドバイスです。

ある日のスケジュール

7:00
Eテレの0655に合わせて起床。各紙の速報メールや電子版をチェック。
9:00
9~10時には日銀や証券会社のレクがはじまるので、それに合わせて始業します。
11:00
株価の動きをチェックしながら、必要に応じて、アナリストなどに取材のアポを入れます。
13:00
昼食。同業他社さんや取材先と食事することもあれば、1人の時は午後3~4時にずれ込むことも。丸の内や日本橋、東京駅周辺で食べることが多いです。
14:00
午後もレクや会見に合わせて東証や日銀を行き来。その日の出稿予定をデスクに連絡します。
18:00
仕事がある程度片付いたら、その日の朝刊、夕刊を必要に応じてスクラップ。今後の記事にもつながるので地味に重要です。
21:00
コロナの影響で減ってしまいましたが、取材先との懇談や必要に応じて夜回りに行きます。

休日の過ごし方

 現在は東京で単身赴任中のため、月に1~2回は週末を利用して福岡に帰るようにしています。福岡に帰った時は5歳、3歳の息子たちとご飯を食べたり、近所の公園に行ったりして、お母さん業を楽しんでいます。社内結婚した夫が日々、家事育児仕事と奮闘してくれていることに感謝です。東京では東京でしか楽しめないものを体験しようと、先日は劇団四季の「アラジン」を観に行きました。落語や寄席、宝塚なども見てみたいですし、春になったら関東近辺の山登りに行きたいと考えています。東京の街中を歩いていると「これは福岡にもできてほしいな」という施設や、逆に「これは人口が多い東京じゃないと成り立たないな」というお店など、福岡や九州とは違う街づくりや再開発の現場を見ることができて勉強になります。駅ビルから鉄道車両1つとっても、九州との人口、経済力の違いを感じますし、逆にその中でも九州の事業者が工夫してきたからこそ、九州独自の魅力が育ってきたのだと考えさせられます。

西日本新聞社って
こんなところ

 社内外からよく言われるのは「自由な会社」です。東京に来て全国紙やテレビ局などたくさんの記者さんとも一緒に仕事をする機会が増えましたが、「デスクやキャップに言われた通りにコメントを取ってくるだけ」の記者と「何が問題点で、記事化にはどんな取材が必要か自分で判断する」記者の差をものすごく感じます。西日本新聞は明らかに後者の記者を育てる社風です。そして担当の枠にとらわれず、記者が追いたいテーマがあればどこまでも取材し、記事化できる風土があります。その一方で何かあった時には、同じように担当の枠を超えて一致団結して情報を取り、1本の原稿を仕立て上げていく。チームプレーと個人プレー、どちらも楽しめるし、仕事に対する満足度は高い会社だと思います。

「 その地域に住み、地域の方々と衣食住をともにするからこそ
得られる人間関係や信頼がある 」

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