内定者の声
※肩書や内容は2025年10月時点のものです
池上 あかり
阿部 つづみ
岡本 和樹
能海 皓平
松本 弦樹
01 記者を目指したきっかけは?
松本
文章を書く仕事が楽しそうというのと、例えば何か事件が起こった時、第一線で働きたいという思いが記者目指した最初のきっかけかな。
岡本
大学で歴史研究をしていたから、アーカイブで昔の新聞記事を探すことがあるんですけど、研究で70年前の新聞記事に触れると、ありがたみを実感するんです。そうやって自分が書いた記事が50年後も誰かに読まれるかもしれない。後世に残せるってすごいことだなと思ったことがきっかけですね。
阿部
私も文章を書くのが結構好きだったから、仕事にしたいと率直に思ったことがきっかけ。情報が溢れる今の時代、何が正しいかわからない中で、正しい情報がいかに大事かを思い知らされる。新聞って記事の裏付けもきちんとあるから信頼性、信憑性もある。そこから「新聞記者になりたい」に辿りつきましたね。
池上
私は競輪選手だから、もともと「記者になりたい」ではなく途中からだった。就活の時点では様々な業種や会社を見て、それが刺激的でとても楽しかったんです。記者になったら、今まで触れてこなかった人たちとも出会えて、話す機会も増えるし、自分の知識も広がる。それってすごく楽しそうだな!と思えたことがきっかけです。
能海
最初は教員を目指して大学に入ったから、記者は大学入学後に意識し始めたんです。新聞記者の仕事、想像はつくけど具体像がわからなかったから、就活生向けのイベントに積極的に参加するようにして徐々に自分のベクトルが、記者職へと向いていきました。
02西日本新聞社への入社の決め手は?
阿部
私は九州・福岡で記者になりたかったので、それが何よりの決め手になりました。
松本
そうだね、僕も同じ。ぶっちゃけて話すと、最初に自分を拾ってくれたっていうのが1番だけど、面接の時の雰囲気も大きいかな。最終面接の時は、時には厳しい質問もありつつ、フランクな質問もあって、リラックスして自分らしさを出せた。メリハリがついているのがいいな、これが社風なのかなって感じた点です。
岡本
これは決意した理由というより、後日談なんですけど、「西日本新聞社に決めました」と周囲に報告したら、バイト先のパートのおばちゃんとかの評判がめちゃくちゃ良くて。地域に根付いているなっていうのをすごく実感したんです。少し後になってからですけど、改めてこの会社に決めて良かったなと思いました。
池上
それは本当、私も思った!私も決まった後に周りに言ったら、同じような反応で。新聞って時代とともに読者が減っている、薄れつつあるとか言うけど、地元ではみんなが西日本新聞のことを知ってるし、長い間地域に根付いてるのがすごいなって。そして何より、面接が楽しかった!(笑)こちらの話を聞こう、引き出そうとする気持ちが伝わってきて、リラックスして自分らしさを出して話せたので、最終的にここに決めたかなって感じです。
能海
読者の手元に届くまでの手法の一つをとっても、活発に挑戦し続けているのが西日本新聞社だったので、いろんな新聞社を見た中で選びました。限られた地域かもしれないけど、地元や地域からの信頼もあって、それがすごく伝わってきたので、入社の決め手にしましたね。
03時事対策どうしていた?
岡本
業界研究も兼ねて、各紙、普段読まないところも読んでみようかなと思って読み比べしました。もともと昔から家で新聞購読していた習慣もあって、大学で暇な時に図書館でよく見てたんですけど、エントリーすると決めてからは、全国紙の国際面や1面と地方紙を比較したり、西日本新聞と地方紙を読み比べしたりしていました。
松本
僕は普段、東京にいるから西日本新聞が見られなくて。新聞社受けるなら新聞読まないと話にならないと思って、全国の地方紙を取り寄せるサービス「全販」を契約して、取り寄せるようにしました。新聞社によって書き方が違うとか、他のとこには書いてない福岡の話が載っているから、そこを比べて読んで勉強してましたね。
能海
僕は子供の頃、実家で購読していたけど、習慣的に読めてはいなかったから、新聞記者を将来の職業として目指そうと思い始めた時に、かさ張らない電子版を契約したんです。「西日本新聞me」も読みつつ、他の新聞社さんの電子版とも比較しました。自分は2社取ってたんですけど、そこでうまく比較したことで業界研究にも繋がったかな、と思います。
阿部
私は読んでわからないことがあったり、思うことがあったりすると、同じメディア系の業界を目指す友達と語り合うようにしてました。アウトプットすることで、自然とニュースに対しての理解や考えが深まって、自分の考えとかが持てたので、振り返ってもやって良かったなと。
池上
私も、必ず時事問題について聞かれるから、ニュースを見ては両親や友人と、感想や意見を言い合うようにしてました。そうすることで、面接でも自然と自分の言葉で意見を言うことができたかなと思います。面接の場でいきなり自分の考えを言語化するのって難しいから。
04 みんなの「ガクチカ」聞かせてください。
能海
教育に携わりたかったので、塾のアルバイトを4年間続けて来ました。中学高校受験を目指す子に向けて授業するんですけど、親御さんとも関わるんですね。子どもたちの目指す教育感と親御さんの想い、その距離感をどう保つか、バランスがすごく難しくて。試行錯誤しながら頑張って、ある時期に親御さんから評価される制度があったんです。子供たちから率直に声を聞いてアプリで評価する仕組みなんですけど、1回とても良い評価をいただけて、北九州で3番目ぐらいになったんですよ。それがものすごく嬉しくて。大変でも継続して頑張ったら結果に現れるんだなと実感したし、やりがいになっていました。
松本
ゼミで歴史を研究しています。第1次世界大戦時の1915年、日本が中国に対して「二十一か条要求」という外交要求を行ったのですが、当時の日本国内の世論を新聞の社説を使って比較する研究です。全国紙だとデジタルアーカイブで閲覧したり、地方紙は国会図書館へ行って閲覧したりしました。100年前の記事が今も残ってる、そこに新聞記事の魅力を感じて、志望動機にも繋げていましたね。そもそも、歴史研究は資料がないとできないんです。「二十一か条要求」の資料はほとんど残っていなくて、このテーマで研究をやりたいと教授に伝えた時、「その資料は残ってないから厳しいよ」と言われてしまった。諦めかけたけど、過去の新聞から研究する手法を思いついたんです。これまで誰もやってないことをやれるのではないかと発案しました。2年の最初からゼミ研究を始めていたので、就活では2年分の成果を話しましたね。
岡本
同じく、一つはゼミ活動ですね。熊本県の人吉ハリストス正教会(ロシア正教会)のフィールドワークを行いました。信者の方々から話を訊く中で、「公」ではない歴史が九州にはたくさんあることを学んだんです。松本くんとも似てるけど、水俣病について研究する際には1970年代当時の新聞アーカイブを通して、チッソや行政、医学界の対応について確認していたので、そのあたりを志望動機に絡めていましたね。あとは部員90名程度の軽音サークルの副部長を務めていたことです。主にライブのブッキングなどを行っていましたが、会計業務の属人的な運営に危機感を覚えたので、ルールを設けて改善したんです。課題の解決に向けた実行力が伝わるように、具体的に話しました。
阿部
私は、大学でオーケストラ部に初心者で入って、ビオラを弾くことになったんです。周りは経験者ばかりで、当然最初の1年ぐらいは出してもらえなかったんですが、悔しくて。毎日2時間コツコツ地道に練習を続けたことで、最終的には定期演奏会のステージに出してもらえるまでに上達したんです。目標のために努力を重ねられる自分のことを証明する具体的なエピソードの一つとして話してました。
池上
私は元々、自転車競技の一つであるロードレースをしていました。大学2年の時、コロナ禍であったこともあり、将来を考えた時に競輪選手になろう!と思い立ったんです。そこで、1年間休学して、選手になるために静岡県の山奥にある養成所に10か月籠って、ひたすらトレーニングを積み試験を受けました。無事に選手になった後、復学もしたので、大学生活と競輪選手を両立していたんですね。そこから大学院に行くための試験勉強もしました。そうしたなかなかない、私にしか話せない経験談を話していました。今も現役選手で、来年の3月の引退まで走り抜けます!
05入社後に取材したいテーマは?
岡本
地域の根深い課題や問題を取材したいですね。他には、行政の不祥事も取り上げたいです。いつどこの地域で起きてもおかしくない問題ですし、ブロック紙である西日本新聞だからこそ、地域間のチェック機能であったり、協力、ネットワークづくり、課題解決ができるんじゃないかなと思ってます。
阿部
私の祖父が農業を営んでるんですが、高齢になるにつれて腰を悪くしてお米を育てる畑が小さくなったり、後継者もいなかったり、そうした農業の問題って身近だったんです。そういう問題の解決の糸口になるような、小さな声を拾う取材をやりたいですね。ただ、いろいろな話を聞けば聞くほど、いろんなことに興味が出てくる。新聞を読んで、こんな問題があるんだと思ったら、深掘りしたくなる。だから、どうだろう?入社したら全然違うことしてるかもしれないです。
池上
例えば、男性がバスに乗車しようとした際に、乗降扉に手を挟まれたままバスが発進して転倒、バスに引きずられて両足を骨折する重傷を負ったというニュースがありました。運転手は事故に気づいていなかったとありましたが、この場合に、バスの運転手側の主張と男性側の主張は、両者両論あると思ったんです。様々な事件事故の加害者と被害者もしかり、記事を書く上では、その両方の側面を掘り下げる記事を書きたいな、と思いますね。
能海
一度は教師になろうと思っていたこともあるので、やはり教育ですね。例えばネグレクトとか、子どもたちのための支援をできたらなと思います。教育実習などで、教育現場へ行く機会が多くて、先生たちの話を聞いてみると、とにかく業務が多すぎたり、部活を個人宅で行っていたり、先生たちのやるべきことが過多になっていて。教育の無償化に伴う高校の受け皿の問題もあれば、九州地方では教員採用試験の倍率が1倍を切る自治体もあって、深刻な教員不足など、問題が山積みです。記事でそうした問題に触れることで、課題解決へ一歩でも近づけられたらと思っています。
松本
面接で、「自分のやりたいこと」を伝えるためにも、自分の軸を持っておきたいと思って、やりたいことの一つであった防災報道について自分の考えを深めようと、東日本大震災の爪痕が残る「東日本大震災・原子力災害伝承館」を見学しました。福島県福島第一原発から約3kmの距離に位置しているのですが、震災の爪痕と復興の歩みを学ぶことができ、自分なりの考えを自分の言葉で話せるように準備しました。ただ、冒頭で記者になりたかった理由は最前線に立ちたいと答えた通りで、記者は教育、政治、経済、文化、どの分野であっても、常に最前線に立って取材をすると思うんです。だからとにかく今は、なんでもやりたい!そんな気持ちでいます。全部やりたい!
池上、岡本、阿部、能海:わかる!なんでもいいってことじゃなくて、全部やりたいよね!
岡本
全てに興味関心がある。入社したら、興味の幅もどんどん変わるんだろうなって思って。今、とてもワクワクしてます。
06 転勤がありますが、正直どう思っている?
岡本
他の全国紙に比べたら、そんなにないよね。
九州だと大体北部のこのあたりって決まってるし、東京、大阪とか海外とかもあるかもしれないけど、いろんなとこ行けるし、とにかく記者になるのが楽しみかな。地域のちょっとした差がわかるのも醍醐味だと思う。筑豊と北九州の違いとか、地域の特色を知りたいなと思っていて。
能海
僕は順応にすごい時間がかかるタイプで。北九州で1人暮らしを始めた時も、若干ホームシックになりかけた。楽しみな部分もある一方で、不安も大きいから、面接でも気付かれたのか、リフレッシュ方法を聞かれた気がします。ランニングが趣味なんですけど、そうした自分の趣味を、転勤した場所でもやれると支えになるかなと思いますね。
07 社会人になったら楽しみなことは?
松本
大学から実家を出たけど、父と一緒に住んでいるので、完全に一人暮らしの経験がないんですよ。なので、社会人になると同時に初めての一人暮らしですね。親からはお前生活していけんのかって心配されてます(笑)。ただ今、車で自由に遊び行けないから、社会人になって車を持てるのが楽しみですね。
阿部
私も結構1つのことに集中しちゃうタイプだから、趣味=仕事になりそう。楽しみだな。
能海
記者になれば、そんなに休みは多くないかなと想像しているので、メリハリをつけるのがすごい楽しみですね。ライブに行くのが好きなんですが、記者になるとそう簡単には行けなくなるかもしれない。だけど、自由にライブに行ける今よりも、すごく楽しみ。目標に向けて働けるっていうのは、やっぱりモチベーションになると思うので。
岡本
年上の方と、ある程度対等な立場で話せるのが楽しみですね。学生だと、どうしても聞く側ですが、そうじゃなくて、年上の方や肩書きがある方とも、ある程度対等な立場として質問ができて、会話ができるのは社会人だからこそ、だと思うので。
池上
確かに、そうだね!私は社会人経験があるんですけど、とにかく世界が全然違う。これまでは選手だけの世界だったから、知らない世界で、いろんな人の話を聞ける仕事っていうのは純粋にすごく楽しみだなって思いますね。これまでの選手時代との違いも楽しんでいけたら。
岡本
それと、両親に自分の名前が載った記事を読んでもらうのが、すごく楽しみかも。西日本新聞は署名付きの記事が沢山載っているので。それが現実になるんだな~と思うと、今から胸が躍りますね。
08 新聞記者を目指す就活生の皆さんにメッセージを!
阿部
私は就活の時に、自分将来どうすればいいんだろうって結構思い悩んでたから、焦ったりせずに落ち着いて、自分が得意なこととか、好きなことって何かなとかいうところから、少しずつ考えてもらえたら。あまり悩みすぎないように、頑張ってください!
池上
確かに早期化が進んでいて、気持ちが焦るよね。ただ私は、みんなと同じ大学で例えるなら大学3年の1月からスタートしたことになります。とてもスタートは遅かったけど、2か月半くらいの間に20社くらいを受けまくった結果、今があります。就活って、いろんな会社を見て、知ることができるチャンスだと思うので、日々を楽しんでください。
岡本
興味あるものを1回口に出してみるっていうのは大事なのかなと思いますね。3年生の12月ぐらいに、「将来、何やるの?」って言われて。まだ就活何もしてなくて、「興味あるの新聞記者ぐらいですかね」って言ったんです。でも口に出した瞬間に、やるか!って思って、就活始めたんですね。もともと新聞読むのが習慣化してはいたんですけど、将来の仕事にするかどうかっていうのは別物なので。言葉にしたことでやる気に繋がりましたね。
松本
余裕を持ったスケジュール管理を心掛けることをお勧めします!例えば10社くらいにエントリーシートを出したら、その後の選考スケジュールが並行して動くことになります。1つ僕の例を挙げると、エントリーシートを提出期限ギリギリで準備していて、提出間際に隠れていた追加の3問に気付いたけど間に合わず、そのまま断念したということがあったんです。計画性を持って早目にやることで、誤字脱字などケアレスミスも防げます!
能海
僕は割と早めに行動した方かもしれないけど、興味関心事を常に行動に移した結果、スケジュールも詰め込んでしまって・・・なんとか今ここにいる感じなんです。記者職の採用試験に落ちたら教員になるしかないと思っていたので、教育実習の準備をしながら就職活動をしていて、実は3社ぐらいしか受けてないんですよ。自分のやりたいことへのラストチャンスと思って、準備に時間をかけました。ただ、一次面接の直前に急用が発生したため、急遽飛行機で移動しなくてはならなくなって。着陸直後に空港からオンライン面接を受けたんです。事前の準備がなかったら、多分今ここにはいないですね。なので何事も準備は入念に、時間をかけておくと後に活きてきますよ。

