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北九州市
「GLAY EXPO 2001」001
開演前からGLAYの野外コンサート会場に詰めかけたファンら=2001(平成13)年8月11日、北九州市門司区「GLAY EXPO 2001」002
開演前からGLAYの野外コンサート会場に詰めかけたファンら=2001(平成13)年8月11日、北九州市門司区「GLAY EXPO 2001」003
開演前からGLAYの野外コンサート会場に詰めかけたファンら=2001(平成13)年8月11日、北九州市門司区「GLAY EXPO 2001」004
開演前からGLAYの野外コンサート会場に詰めかけたファンら=2001(平成13)年8月11日、北九州市門司区「GLAY EXPO 2001」005
開演前からGLAYの野外コンサート会場に詰めかけたファンら=2001(平成13)年8月11日、北九州市門司区「GLAY EXPO 2001」006
開演前からGLAYの野外コンサート会場に詰めかけたファンら=2001(平成13)年8月11日、北九州市門司区「GLAY EXPO 2001」007
開演前からGLAYの野外コンサート会場に詰めかけたファンら=2001(平成13)年8月11日、北九州市門司区ひびきコンテナターミナル建設地001
響灘港湾整備コンテナターミナル建設地=1996(平成8)年9月2日、北九州市若松区(本社ヘリから)ひびきコンテナターミナル建設地002
響灘港湾整備コンテナターミナル建設地=1996(平成8)年9月2日、北九州市若松区(本社ヘリから)ひびきコンテナターミナル建設地003
響灘港湾整備コンテナターミナル建設地=1996(平成8)年9月2日、北九州市若松区(本社ヘリから)ひびきコンテナターミナル建設地004
響灘港湾整備コンテナターミナル建設地=1996(平成8)年9月2日、北九州市若松区(本社ヘリから)ひびきコンテナターミナル建設地005
響灘港湾整備コンテナターミナル建設地=1996(平成8)年9月2日、北九州市若松区(本社ヘリから)ひびきコンテナターミナル建設地006
響灘港湾整備コンテナターミナル建設地=1996(平成8)年9月2日、北九州市若松区(本社ヘリから)ひびきコンテナターミナル001
4月1日に開港するひびきコンテナターミナル=2004(平成16)年12月、北九州市若松区(本社ヘリから)ひびきコンテナターミナル002
北九州市がクレーンなど施設の購入方針を発表した大水深港湾「ひびきコンテナターミナル」=2007年3月29日コムシティ001
再生計画が発表されたコムシティ=2011(平成23)年11月(本社ヘリより)コムシティ002
シンポジウム「黒崎の未来を考える」の会場となるコムシティ(中央)=2011(平成23)年11月サッポロビール九州工場001
移転するサッポロビール九州工場=1995(平成7)年12月13日、北九州市門司区(本社ヘリから)サッポロビール九州工場002
移転するサッポロビール九州工場=1995(平成7)年12月13日、北九州市門司区(本社ヘリから)サッポロビール九州工場003
移転するサッポロビール九州工場=1995(平成7)年12月13日、北九州市門司区(本社ヘリから)サッポロビール九州工場004
移転するサッポロビール九州工場=1995(平成7)年12月13日、北九州市門司区(本社ヘリから)サッポロビール九州工場005
移転するサッポロビール九州工場=1995(平成7)年12月13日、北九州市門司区(本社ヘリから)サッポロビール九州工場006
移転するサッポロビール九州工場=1995(平成7)年12月13日、北九州市門司区(本社ヘリから)スペースワールドと八幡製鉄所
スペースワールド(手前)と新日鉄八幡製鉄所(後方)=1992(平成4)年12月4日、北九州市八幡東区スペースワールド周辺
スペースワールド周辺=2006(平成18)年7月、北九州市八幡東区スペースワールド建設地001
スペースワールド建設地=1988(昭和63)年12月1日、北九州市八幡東区(本社機から)スペースワールド建設地002
スペースワールド建設地=1988(昭和63)年12月1日、北九州市八幡東区(本社機から)スペースワールド001
スペースワールド=1990(平成2)年3月16日、北九州市八幡東区(本社機から)スペースワールド002
スペースワールド=1990(平成2)年3月16日、北九州市八幡東区(本社機から)スペースワールド003
スペースワールド=1990(平成2)年3月16日、北九州市八幡東区(本社機から)スペースワールド004
スペースワールド=1990(平成2)年3月16日、北九州市八幡東区(本社機から)スペースワールド005
スペースワールド=1990(平成2)年12月28日、北九州市(本社ヘリから)スペースワールド006
スペースワールド=1990(平成2)年12月28日、北九州市(本社ヘリから)スペースワールド007
連休でにぎわうスペースワールド=1992(平成4)年5月4日、北九州市八幡東区(本社ヘリから)スペースワールド008
連休でにぎわうスペースワールド=1992(平成4)年5月4日、北九州市八幡東区(本社ヘリから)スペースワールド009
連休でにぎわうスペースワールド=1992(平成4)年5月4日、北九州市八幡東区(本社ヘリから)スペースワールド010
連休でにぎわうスペースワールド=1992(平成4)年5月4日、北九州市八幡東区(本社ヘリから)スペースワールド011
連休で満杯になったスペースワールドの駐車場=1992(平成4)年5月4日、北九州市八幡東区(本社ヘリから)スペースワールド012
好天で家族連れなどがどっと訪れたスペースワールド=1993(平成5)年5月4日、北九州市(本社機から)スペースワールド013
八幡東区のスペースワールド=1994(平成6)年2月6日、北九州市(本社ヘリから)スペースワールド014
八幡東区のスペースワールド=1994(平成6)年2月6日、北九州市(本社ヘリから)スペースワールド015
八幡東区のスペースワールド=1994(平成6)年2月6日、北九州市(本社ヘリから)スペースワールド016
八幡東区のスペースワールド=1994(平成6)年2月6日、北九州市(本社ヘリから)スペースワールド017
スペースワールド=1995(平成7)年12月13日、北九州市八幡東区(本社ヘリから)スペースワールド018
スペースワールド=1995(平成7)年12月13日、北九州市八幡東区(本社ヘリから)スペースワールド019
北九州市のスペースワールド=2004(平成16)年12月スペースワールド020
地元密着の経営戦略が成果を見せ始めたスペースワールド=2006(平成18)年7月15日、北九州市八幡東区リーガロイヤルホテル小倉001
工事中で姿を現した九州一の高さを誇るリーガロイヤルホテル小倉=1992(平成4)年12月(本社ヘリから)リーガロイヤルホテル小倉002
リーガロイヤルホテル小倉=1994(平成6)年2月6日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)リーガロイヤルホテル小倉003
リーガロイヤルホテル小倉=1994(平成6)年2月6日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)リーガロイヤルホテル小倉004
リーガロイヤルホテル小倉=1994(平成6)年2月6日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)リーガロイヤルホテル小倉005
リーガロイヤルホテル小倉=1994(平成6)年2月6日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)リーガロイヤルホテル小倉006
リーガロイヤルホテル小倉=1994(平成6)年2月6日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)三井コークス001
三井鉱山コークス工業=1998(平成10)年3月3日、北九州市若松区(本社ヘリから)三井コークス002
三井鉱山コークス工業=1998(平成10)年3月3日、北九州市若松区(本社ヘリから)三井コークス003
三井鉱山コークス工業=1998(平成10)年3月3日、北九州市若松区(本社ヘリから)三菱化成黒崎001
三菱化成工業黒崎工場=1980(昭和55)年12月、北九州市八幡西区(本社機から)三菱化成黒崎002
三菱化成黒崎=1991(平成3)年10月4日、北九州市(本社ヘリから)三菱化成黒崎003
三菱化成黒崎=1991(平成3)年10月4日、北九州市(本社ヘリから)下関市街と関門海峡
上空から見た下関市街と右は門司=1963(昭和38)年6月中国貿易展
中国貿易展会場=1966(昭和41)年10月1日、北九州(本社機から)九国大周辺
九州国際大周辺=2007(平成19)年2月、北九州市八幡東区九州共立大学
九州共立大学(福原学園)周辺=2007(平成19)年2月、北九州市八幡西区九州工業大学(九工大)
九州工業大学=1959(昭和34)年、北九州・戸畑(本社機から)九州歯科大001
小倉北区の九州歯科大学(中央)周辺一帯=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)九州歯科大002
小倉北区の九州歯科大学(中央)周辺一帯=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)九州自動車道 新門司
九州自動車道の裏門司の工事=1980(昭和55)年12月、北九州市門司区(本社機から)八幡区市街
北九州市・市街(八幡区)・下上津役上空から黒畑地区を望む=1964(昭和39)年5月八幡大(九州国際大)
八幡大学=1964(昭和39)年3月19日、八幡市(北九州)(本社機から)八幡市(八幡区)001
八幡市=1960(昭和35)年1月15日、福岡県・北九州(本社機から)八幡市(八幡区)002
八幡市=1960(昭和35)年1月15日、福岡県・北九州(本社機から)八幡市(八幡区)003
八幡市=1960(昭和35)年1月15日、福岡県・北九州(本社機から)八幡市(八幡区)004
八幡市=1960(昭和35)年1月15日、福岡県・北九州(本社機から)八幡製鉄所
空から見た八幡製鉄=1965(昭和40)年9月八幡製鉄所 マンモス鉱石運搬船
八幡製鉄戸畑港に着岸したリベリアのマンモス貨物船「シンクレア・ペトロロア号」=1960年1月15日八幡製鉄所建設用地
八幡製鉄所戸畑工場建設用地の埋立て=1956(昭和31)年8月9日、戸畑市(北九州)(本社機から)八幡製鉄所戸畑工場001
八幡製鉄所戸畑工場=1959(昭和34)年8月21日、北九州(本社機から)八幡製鉄所戸畑工場002
八幡製鉄所戸畑工場=1959(昭和34)年8月21日、北九州(本社機から)八幡製鉄所戸畑工場003
八幡製鉄戸畑工場=撮影日不明、北九州(本社機から)八幡製鉄所(新日鉄)001
八幡製鉄所(中央)、右下は皿倉山=1961(昭和36)年7月、八幡市(北九州)(本社機から)八幡製鉄所(新日鉄)002
八幡製鉄所=1961(昭和36)年7月、八幡市(北九州)(本社機から)八幡製鉄所(新日鉄)003
八幡製鉄所=1961(昭和36)年7月、八幡市(北九州)(本社機から)八幡製鉄所(新日鉄)004
八幡製鉄所=1962(昭和37)年9月18日(本社機から)八幡製鉄所(新日鉄)005
八幡製鉄所=1962(昭和37)年頃、八幡市(北九州)(本社機から)八幡駅
国鉄八幡駅(手前)と市街地。後方は皿倉山=1981(昭和56)年8月20日、北九州市八幡東区(本社機から)八幡IC001
九州自動車道の八幡インターチェンジ=1981(昭和56)年8月20日、北九州市八幡西区(本社機から)八幡IC002
九州自動車道の八幡インターチェンジ=1990(平成2)年3月16日、北九州市八幡西区(本社機から)到津一帯
空から見た小倉北区大手町到津一帯=1983(昭和58)年8月頃到津遊園001
小倉北区の到津遊園=1998(平成10)年4月29日、北九州市(本社ヘリから)到津遊園002
小倉北区の到津遊園=1998(平成10)年4月29日、北九州市(本社ヘリから)到津遊園003
小倉北区の到津遊園=1998(平成10)年4月29日、北九州市(本社ヘリから)到津遊園004
小倉北区の到津遊園=1998(平成10)年4月29日、北九州市(本社ヘリから)到津遊園005
小倉北区の到津遊園=1998(平成10)年4月29日、北九州市(本社ヘリから)到津遊園006
5月末で営業を終了する到津遊園=2000(平成12)年2月23日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)到津遊園007
5月末で営業を終了する到津遊園=2000(平成12)年2月23日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)到津遊園008
5月末で営業を終了する到津遊園=2000(平成12)年2月23日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)到津遊園009
5月末で営業を終了する到津遊園=2000(平成12)年2月23日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)到津遊園010
5月末で営業を終了する到津遊園(手前)=2000(平成12)年2月23日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)北九州エコタウン001
北九州エコタウン=2000(平成12)年2月23日、北九州市若松区(本社ヘリから)北九州エコタウン002
北九州エコタウン=2000(平成12)年2月23日、北九州市若松区(本社ヘリから)北九州エコタウン003
北九州エコタウン=2000(平成12)年2月23日、北九州市若松区(本社ヘリから)北九州ジャンクション
東九州自動車道の北端の起点となる北九州JCT=2006(平成18)年2月(本社ヘリから)北九州マラソンスタート
「走」の文字が浮かんだ北九州市役所前をスタートする大勢のランナー=2014(平成26)年2月9日午前9時すぎ北九州メディアドーム001
建設中のメディアドーム=1997(平成9)年5月4日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)北九州メディアドーム002
建設中のメディアドーム=1997(平成9)年11月28日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)北九州メディアドーム003
建設中のメディアドーム=1997(平成9)年11月28日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)北九州メディアドーム004
建設中のメディアドーム=1997(平成9)年11月28日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)北九州メディアドーム005
建設中のメディアドーム=1997(平成9)年11月28日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)北九州メディアドーム006
北九州メディアドーム(小倉競輪場・左)周辺=1998(平成10)年3月3日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)北九州メディアドーム007
北九州メディアドーム(小倉競輪場・中央)周辺=1998(平成10)年3月3日、北九州市小倉北区北九州メディアドーム008
北九州メディアドーム=2000(平成12)年2月23日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)北九州メディアドーム009
北九州メディアドーム=2000(平成12)年2月23日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)北九州メディアドーム010
北九州メディアドーム=2000(平成12)年2月23日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)北九州メディアドーム011
北九州メディアドーム=2003(平成15)年12月17日(本社ヘリから)北九州メディアドーム012
北九州メディアドーム=2003(平成15)年12月17日(本社ヘリから)北九州・山口
福岡市上空高度6000メートルから北九州・山口方面を望む=1970(昭和45)年2月3日北九州・関門・山口
福岡県直方市上空高度6000メートルから北九州・関門・山口方面を望む=1970(昭和45)年2月3日北九州博覧祭001
北九州博覧祭の開催PRで「北九州EXPO2001」の文字を描いたバルーンネットアート=スペースワールド北九州博覧祭002
北九州博覧祭の開催PRで「北九州EXPO2001」の文字を描いたバルーンネットアート=スペースワールド北九州博覧祭003
北九州博覧祭の開催PRで「北九州EXPO2001」の文字を描いたバルーンネットアート=スペースワールド北九州博覧祭004
北九州博覧祭の開催PRで「北九州EXPO2001」の文字を描いたバルーンネットアート=スペースワールド北九州博覧祭005
北九州博覧祭の開催PRで「北九州EXPO2001」の文字を描いたバルーンネットアート=スペースワールド北九州博覧祭006
開幕した北九州博覧祭=2001(平成13)年7月4日、北九州市八幡東区(本社ヘリから)北九州博覧祭007
開幕した北九州博覧祭=2001(平成13)年7月4日、北九州市八幡東区(本社ヘリから)北九州博覧祭008
開幕した北九州博覧祭=2001(平成13)年7月4日、北九州市八幡東区(本社ヘリから)北九州博覧祭009
開幕した北九州博覧祭=2001(平成13)年7月4日、北九州市八幡東区(本社ヘリから)北九州博覧祭010
開幕した北九州博覧祭=2001(平成13)年7月4日、北九州市八幡東区(本社ヘリから)北九州博覧祭011
華やかに開幕した「北九州博覧祭2001」=2001(平成13)年7月4日午前10時20分、北九州市八幡東区北九州博覧祭012
北九州博覧祭最終日、にぎわう会場=2001(平成13)年11月4日、北九州市八幡東区(本社ヘリから)北九州博覧祭013
北九州博覧祭最終日、にぎわう会場=2001(平成13)年11月4日、北九州市八幡東区(本社ヘリから)北九州博覧祭014
北九州博覧祭最終日、にぎわう会場=2001(平成13)年11月4日、北九州市八幡東区(本社ヘリから)北九州博覧祭015
北九州博覧祭最終日、にぎわう会場=2001(平成13)年11月4日、北九州市八幡東区(本社ヘリから)北九州博覧祭016
北九州博覧祭最終日、にぎわう会場=2001(平成13)年11月4日、北九州市八幡東区(本社ヘリから)北九州博覧祭017
北九州博覧祭最終日、にぎわう会場=2001(平成13)年11月4日、北九州市八幡東区(本社ヘリから)北九州博覧祭018
北九州博覧祭最終日、にぎわう会場=2001(平成13)年11月4日、北九州市八幡東区(本社ヘリから)北九州博覧祭019
北九州博覧祭最終日、にぎわう会場=2001(平成13)年11月4日、北九州市八幡東区(本社ヘリから)北九州学研都市001
工事が進む北九州学研都市=2000(平成12)年2月23日、北九州市若松区(本社ヘリから)北九州学研都市002
工事が進む北九州学研都市=2000(平成12)年2月23日、北九州市若松区(本社ヘリから)北九州学研都市003
工事が進む北九州学研都市=2000(平成12)年2月23日、北九州市若松区(本社ヘリから)北九州学研都市004
工事が進む北九州学研都市=2000(平成12)年2月23日、北九州市若松区(本社ヘリから)北九州学研都市005
工事が進む北九州学研都市=2000(平成12)年2月23日、北九州市若松区(本社ヘリから)北九州市、洞海湾
洞海湾=1963(昭和38)年3月、若松上空から北九州市を望む北九州市モノレール
JR小倉駅(上方)への延伸が大蔵原案で予算がついた北九州市のモノレール(中央下)=1992(平成4)年12月北九州市モノレール 志井車庫001
モノレールの志井車庫=1980(昭和55)年12月、北九州市小倉南区(本社機から)北九州市モノレール 志井車庫002
モノレールの志井車庫=1980(昭和55)年12月、北九州市小倉南区(本社機から)北九州市モノレール 志井車庫003
モノレールの志井車庫=1982(昭和57)年12月、北九州市小倉南区(本社機から)北九州市モノレール 志井車庫004
モノレールの志井車庫=1982(昭和57)年12月、北九州市小倉南区(本社機から)北九州市モノレール 志井車庫005
モノレールの志井車庫=1982(昭和57)年12月、北九州市小倉南区(本社機から)北九州市市制施行001
新しく誕生する北九州市を祝って「祝合併」の人文字=1962(昭和37)年9月18日、曽根中学校(本社機から)北九州市市制施行002
新しく誕生する北九州市を祝って「祝合併」の人文字=1962(昭和37)年9月18日、曽根中学校(本社機から)北九州市立大学周辺
北九州市立大学周辺=2007(平成19)年2月北九州市立総合体育館
北九州市立総合体育館=1974(昭和49)年10月5日、北九州市八幡東区八王寺町(本社機から)北九州市立美術館付近
北九州市立美術館付近=2006(平成18)年7月北九州空港001
北九州空港=1982(昭和57)年12月、北九州市小倉南区(本社機から)北九州空港002
北九州空港=1982(昭和57)年12月、北九州市小倉南区(本社機から)北九州空港003
北九州空港=1984(昭和59)年11月、北九州市小倉南区(本社機から)北九州空港004
北九州空港=1980(昭和55)年12月、北九州市小倉南区(本社機から)北九州空港1周年
開港1周年を迎える北九州空港。年間120万人以上が利用したものの、搭乗率は伸び悩む=2007年2月26日北九州空港2周年
開港から丸2年を迎える北九州空港=2008(平成20)年3月13日(本社ヘリから)北九州都市高速
大谷のインターチェンジ=1969(昭和44)年12月18日、北九州市八幡区大谷(本社機から)北部九州
福岡市(手前)と北九州市が見える高高度の航空写真和布刈公園
和布刈公園=1957(昭和32)年11月、福岡県・門司(本社機から)国鉄門司港-久留米電化001
門司港-久留米間の電化が完成、SLとすれ違う421系交直流電車=1961(昭和36)年6月1日、福岡県内国鉄門司港-久留米電化002
門司港-久留米間の電化が完成、SLとすれ違う421系交直流電車=1961(昭和36)年6月1日、福岡県内国鉄門司港-久留米電化003
門司港-久留米間の電化が完成、SLとすれ違う421系交直流電車=1961(昭和36)年6月1日、福岡県内太刀浦コンテナターミナル001
太刀浦コンテナターミナル=1980(昭和55)年12月、北九州市門司区(本社機から)太刀浦コンテナターミナル002
太刀浦コンテナターミナル=1980(昭和55)年12月、北九州市門司区(本社機から)太刀浦001
太刀浦の埋め立て地=1982(昭和57)年12月、北九州市門司区(本社機から)太刀浦002
太刀浦の埋め立て地=1982(昭和57)年12月、北九州市門司区(本社機から)奥洞海上空から
北九州市・港湾(洞海湾)・奥洞海上空から響灘を望む。左若松区、右手前から八幡区、戸畑区=1971年5月奥洞海湾001
奥洞海湾=1969(昭和44)年12月18日、北九州市(本社機から)奥洞海湾002
奥洞海湾=1969(昭和44)年12月18日、北九州市(本社機から)奥洞海湾003
若戸大橋上空から奥洞海方面を望む=1969(昭和44)年12月奥洞海001
八幡西区の奥洞海=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社機から)奥洞海002
八幡西区の奥洞海=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社機から)小倉
小倉=1968(昭和43)年6月11日、北九州市小倉区(本社機から)小倉そごう001
小倉そごう=1994(平成6)年2月6日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)小倉そごう002
小倉そごう=1994(平成6)年2月6日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)小倉そごう003
小倉そごう=1994(平成6)年2月6日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)小倉そごう004
小倉そごう(中央)とJR小倉駅(左)=2001(平成13)年5月12日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)小倉中心街001
小倉中心街=1963(昭和38)年10月2日、北九州市(本社機から)小倉中心街002
小倉駅前の堺町、米町、京町など=1974(昭和49)年10月5日、北九州市小倉北区(本社機から)小倉中心街003
紫川を挟んで官庁街(左)と京町、魚町(右)など繁華街=1974(昭和49)年10月5日、北九州市小倉北区小倉伊勢丹オープン001
行列をつくって小倉伊勢丹の開業を待つ買い物客ら=2004(平成16)年2月10日、北九州市小倉北区小倉伊勢丹オープン002
行列をつくって小倉伊勢丹の開業を待つ買い物客ら=2004(平成16)年2月10日、北九州市小倉北区小倉伊勢丹001
伊勢丹開店=2004(平成16)年5月(空撮)小倉伊勢丹002
JR小倉駅前に開業した小倉伊勢丹=2005(平成17)年1月10日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)小倉博覧会001
小倉城下、勝山公園で始まった小倉博覧会=1960(昭和35)年3月21日、小倉市(北九州)(本社機から)小倉博覧会002
小倉城下、勝山公園で始まった小倉博覧会=1960(昭和35)年3月21日、小倉市(北九州)(本社機から)小倉博覧会003
小倉城下、勝山公園で始まった小倉博覧会=1960(昭和35)年3月21日、小倉市(北九州)(本社機から)小倉博覧会004
小倉城下、勝山公園で始まった小倉博覧会=1960(昭和35)年3月21日、小倉市(北九州)(本社機から)小倉博覧会005
小倉城下、勝山公園で始まった小倉博覧会=1960(昭和35)年3月21日、小倉市(北九州)(本社機から)小倉博覧会006
小倉城下、勝山公園で始まった小倉博覧会=1960(昭和35)年3月21日、小倉市(北九州)(本社機から)小倉城の桜001
抜けるような青空の下、春の嵐に負けず見ごろを迎えた小倉城の桜=2012年4月4日、北九州市小倉北区小倉城の桜002
ライトアップされた桜の下で、食事を楽しむ人たち=2015(平成27)年3月27日、福岡県小倉北区・小倉城小倉城の桜003
小倉城内第12師団の門跡。この春も美しい桜が咲いた=2015(平成27)年4月23日、福岡県北九州市小倉城の桜004
満開の桜を眺めるフランス人旅行者。この時期、多くの外国人が小倉城を訪れる=2016年4月1日、福岡県北九州市小倉城の桜005
国内外の観光客に人気の小倉城=2016(平成28)年4月4日、福岡県北九州市小倉城周辺の桜見頃
満開となった小倉城周辺の桜=2013(平成25)年3月21日、福岡県北九州市小倉城周辺001
小倉城(中央)周辺一帯=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)小倉城周辺002
小倉城周辺=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)小倉城001
小倉城周辺=1959(昭和34)年8月21日、北九州(本社機から)小倉城002
再建された小倉城天守閣=1959(昭和34)年、北九州(本社機から)小倉城003
小倉城。左は北九州市庁舎=1980(昭和55)年12月、北九州市小倉北区(本社機から)小倉城004
小倉城=1982(昭和57)年12月、北九州市小倉北区(本社機から)小倉城005
小倉城、市役所(下)からJR小倉駅方面を望む=2000(平成12)年2月23日、北九州市小倉北区小倉城006
小倉城、市役所(下)からJR小倉駅方面を望む=2000(平成12)年2月23日、北九州市小倉北区小倉市街地001
小倉市街地=1962(昭和37)年、小倉市(北九州)(本社機から)小倉市街地002
北九州市・市街(小倉区)=1964(昭和39)年5月、三萩野交差点上空から小倉市街地003
小倉市街地=1984(昭和59)年11月、北九州市小倉北区(本社機から)小倉市街地004
小倉市街地=1984(昭和59)年11月、北九州市小倉北区(本社機から)小倉港
小倉港=1968(昭和43)年11月7日、北九州市(本社機から)小倉球場001
小倉球場=1964(昭和39)年3月11日、北九州(本社機から)小倉球場002
西鉄対阪急の開幕戦でにぎわう小倉球場=1964(昭和39)年3月14日(本社機から)小倉競馬場001
小倉競馬場=2000(平成12)年2月23日、北九州市小倉南区(本社ヘリから)小倉競馬場002
小倉競馬場=2000(平成12)年2月23日、北九州市小倉南区(本社ヘリから)小倉競馬場003
小倉競馬場=2000(平成12)年2月23日、北九州市小倉南区(本社ヘリから)小倉競馬場004
小倉競馬場=2000(平成12)年2月23日、北九州市小倉南区(本社ヘリから)小倉競馬場005
小倉競馬場=2000(平成12)年2月23日、北九州市小倉南区(本社ヘリから)小倉競馬場006
小倉競馬場=2002(平成14)年12月28日、北九州市小倉南区(本社ヘリから)小倉造兵廠跡001
空から見た小倉造兵廠跡=1957(昭和32)年9月頃小倉造兵廠跡002
旧陸軍小倉造兵廠跡=1957(昭和32)年頃、小倉市(北九州)(本社機から)小倉造兵廠跡003
旧陸軍小倉造兵廠跡=1957(昭和32)年頃、小倉市(北九州)(本社機から)小倉駅 モノレール延伸001
モノレールの延伸工事が進むJR小倉駅=1997(平成9)年5月4日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)小倉駅 モノレール延伸002
モノレールの延伸工事が進むJR小倉駅=1997(平成9)年5月4日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)小倉駅 モノレール延伸003
モノレールの延伸工事が進むJR小倉駅=1997(平成9)年5月4日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)小倉駅 モノレール延伸004
モノレールの延伸工事が進むJR小倉駅=1997(平成9)年5月4日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)小倉駅周辺001
小倉駅周辺=1958(昭和33)年3月1日、北九州・小倉(本社機から)小倉駅周辺002
小倉駅周辺=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)小倉駅周辺003
小倉駅周辺=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)小倉駅周辺004
小倉駅周辺=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)小倉駅周辺005
国鉄小倉駅周辺=1980(昭和55)年12月、北九州市小倉北区(本社機から)小倉駅周辺006
国鉄小倉駅周辺=1980(昭和55)年12月、北九州市小倉北区(本社機から)小倉駅001
小倉駅(右上)とモノレール駅=1982(昭和57)年12月、北九州市小倉北区(本社機から)小倉駅002
小倉駅(上)とモノレール駅=1982(昭和57)年12月、北九州市小倉北区(本社機から)小倉駅003
小倉駅=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)小倉駅004
小倉駅=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)小倉駅005
小倉駅=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)小倉駅006
小倉駅=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)小倉駅007
小倉駅=1974(昭和49)年10月5日、北九州市小倉北区(本社機から)小倉駅008
小倉駅=1974(昭和49)年10月5日、北九州市小倉北区(本社機から)小倉駅009
国鉄小倉駅界わい=1987(昭和62)年4月、北九州市小倉北区(本社機から)小倉駅010
国鉄小倉駅界わい=1987(昭和62)年4月、北九州市小倉北区(本社機から)小野田セメント門司工場
井ノ浦港の小野田セメント門司工場=1980(昭和55)年12月、北九州市門司区(本社機から)岩屋海水浴場
岩屋海水浴場(中央)=1960(昭和35)年12月16日、若松市(北九州)(本社機から)帰省ラッシュの関門橋001
お盆の帰省ラッシュが始まった関門橋=2001(平成13)年8月11日、北九州市門司区(本社ヘリから)帰省ラッシュの関門橋002
お盆の帰省ラッシュが始まった関門橋=2001(平成13)年8月11日、北九州市門司区(本社ヘリから)帰省ラッシュの関門橋003
お盆の帰省ラッシュが始まった関門橋=2001(平成13)年8月11日、北九州市門司区(本社ヘリから)帰省ラッシュの関門橋004
お盆の帰省ラッシュが始まった関門橋=2001(平成13)年8月11日、北九州市門司区(本社ヘリから)帰省ラッシュの関門橋005
お盆の帰省ラッシュが始まった関門橋=2001(平成13)年8月11日、北九州市門司区(本社ヘリから)帰省ラッシュの関門橋006
故郷へと向かう車などで下り車線に長い列ができた関門橋=2001(平成13)年8月11日午後(本社ヘリから)帰省ラッシュの関門橋007
故郷へと向かう車などで下り車線に長い列ができた関門橋=2001(平成13)年8月11日午後(本社ヘリから)平尾台の野焼き001
カルスト台地に春の風物詩が広がる平尾台の野焼き=1964(昭和39)年3月19日、北九州(本社機から)平尾台の野焼き002
カルスト台地に春の風物詩が広がる平尾台の野焼き=1964(昭和39)年3月19日、北九州(本社機から)平尾台の野焼き003
カルスト台地に春の風物詩が広がる平尾台の野焼き=1964(昭和39)年3月19日、北九州(本社機から)平尾台の野焼き004
平尾台の野焼き=1994(平成6)年2月6日、北九州市小倉南区(本社ヘリから)平尾台の野焼き005
平尾台の野焼き=1994(平成6)年2月6日、北九州市小倉南区(本社ヘリから)平尾台の野焼き006
平尾台の野焼き=1994(平成6)年2月6日、北九州市小倉南区(本社ヘリから)平尾台の野焼き007
炎がカルスト台地に広がる早春の風物詩、平尾台の野焼き=2001(平成13)年2月18日、北九州市小倉南区平尾台の野焼き008
炎がカルスト台地に広がる早春の風物詩、平尾台の野焼き=2001(平成13)年2月18日、北九州市小倉南区平尾台の野焼き009
炎がカルスト台地に広がる早春の風物詩、平尾台の野焼き=2001(平成13)年2月18日、北九州市小倉南区平尾台の野焼き010
炎がカルスト台地に広がる早春の風物詩、平尾台の野焼き=2001(平成13)年2月18日、北九州市小倉南区平尾台の野焼き011
カルスト台地に広がる野焼きの炎=2001(平成13)年2月18日午前11時頃、北九州市小倉南区・平尾台平尾台の野焼き012
カルスト台地にオレンジ色の炎が広がった平尾台の野焼き=2013(平成25)年2月24日、北九州市小倉南区平尾台の野焼き013
赤い炎がカルスト大地に広がる春の風物詩、平尾台の野焼き=2014(平成26)年3月8日、北九州市小倉南区平尾台の野焼き014
枯れ草に覆われたカルスト台地を炎が黒く染めていった平尾台の野焼き=2015年2月28日、北九州市小倉南区平尾台の野焼き015
カルスト台地にオレンジ色の炎が広がった平尾台の野焼き=2016年2月28日午前11時55分、北九州市小倉南区平尾台クロカン001
カルスト台地の石灰岩の間を駈け抜ける平尾台クロスカントリーの出場者=2011年3月20日、北九州市小倉南区平尾台クロカン002
カルスト台地の石灰岩の間を縫って走る選手たち=2011(平成23)年3月、(本社ヘリから)平尾台クロカン003
石灰岩があらわになったカルスト台地を駆け抜けるランナーたち=2013年3月17日、北九州市小倉南区平尾台クロカン004
早春の平尾台を駆け抜ける市民ランナー。平尾台クロスカントリー2014=2014年3月16日、北九州市小倉南区平尾台クロカン005
カルスト台地を駆け抜ける市民ランナー。平尾台クロスカントリー2014=2014年3月16日、北九州市小倉南区平尾台001
平尾台=1956(昭和31)年8月9日、小倉市(北九州)(本社機から)平尾台002
平尾台=1968(昭和43)年6月11日、北九州市小倉区(本社機から)平尾台003
平尾台=1976(昭和51)年、北九州市小倉南区(本社機から)平尾台004
平尾台=1976(昭和51)年、北九州市小倉南区(本社機から)平尾台005
平尾台=1980(昭和55)年12月、北九州市小倉南区(本社機から)平尾台006
平尾台=1980(昭和55)年12月、北九州市小倉南区(本社機から)平尾台007
平尾台=1980(昭和55)年12月、北九州市小倉南区(本社機から)平尾台008
平尾台=1980(昭和55)年12月、北九州市小倉南区(本社機から)平尾台009
平尾台=1988(昭和63)年12月1日、北九州市小倉南区(本社機から)平尾台010
平尾台の羊群原=2002(平成14)年12月28日、北九州市小倉南区(本社ヘリから)平尾台011
平尾台の羊群原=2002(平成14)年12月28日、北九州市小倉南区(本社ヘリから)平尾台012
平尾台の羊群原=2002(平成14)年12月28日、北九州市小倉南区(本社ヘリから)平尾台013
平尾台の羊群原=2002(平成14)年12月28日、北九州市小倉南区(本社ヘリから)平尾台014
平尾台の羊群原=2002(平成14)年12月28日、北九州市小倉南区(本社ヘリから)平尾台015
平尾台の羊群原=2002(平成14)年12月28日、北九州市小倉南区(本社ヘリから)平尾台016
平尾台の羊群原=2002(平成14)年12月28日、北九州市小倉南区(本社ヘリから)平尾台017
「メェー、メェー」―ヒツジの鳴き声が聞こえてきそうな平尾台の「羊群原」=2003(平成15)年1月平尾台018
「メェー、メェー」―ヒツジの鳴き声が聞こえてきそうな平尾台の「羊群原」=2003(平成15)年1月弾薬輸送列車阻止
山田弾薬庫に向かう弾薬輸送列車を阻止する学生ら=1968(昭和43)年6月11日、北九州小倉(本社機から)徳力一帯
小倉南区の徳力一帯=1984(昭和59)年11月、北九州市(本社機から)徳力団地001
徳力団地。右上は小倉競馬場=1968(昭和43)年6月11日、北九州市小倉区(本社機から)徳力団地002
徳力団地=1979(昭和54)年12月、北九州市小倉南区(空撮)戸畑バイパス
工事中の戸畑バイパス=1966(昭和41)年3月、八幡上空から戸畑埋め立て地
戸畑埋め立て地=1957(昭和32)年11月23日、福岡県・戸畑(本社機から)戸畑工高
戸畑工業高校=1966(昭和41)年10月1日、北九州(本社機から)戸畑市制35周年
戸畑市制35周年の祝賀の人文字=1959(昭和34)年10月1日、北九州(本社機から)戸畑市役所
戸畑市役所(中央)周辺=1962(昭和37)年9月18日、北九州(本社機から)戸畑市街地
戸畑市街地=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)戸畑発電所
空から見た九電戸畑発電所(中央の煙)=1958(昭和33)年9月、戸畑市戸畑駅、若戸大橋
国鉄戸畑駅(手前)と若戸大橋(上)=1964(昭和39)年9月18日、北九州(本社機から)折尾上空から
北九州市・市街(北九州市)・折尾上空から見た洞海湾と北九州五市=1960(昭和35)年12月折尾駅周辺001
折尾駅周辺=1982(昭和57)年12月、北九州市八幡西区(本社機から)折尾駅周辺002
折尾駅周辺=1982(昭和57)年12月、北九州市八幡西区(本社機から)折尾駅001
折尾駅=1984(昭和59)年11月、北九州市八幡西区(本社機から)折尾駅002
折尾駅(中央)は鹿児島線と筑豊線が交差し、乗り場が複雑だ=2011年11月15日、北九州市八幡西区新北九州空港 安全祈願001
工事の着工に向け安全祈願祭が行われた苅田沖土砂処分場=1994年10月28日、北九州市門司区沖の周防灘新北九州空港 安全祈願002
工事の着工に向け安全祈願祭が行われた苅田沖土砂処分場=1994年10月28日、北九州市門司区沖の周防灘新北九州空港 安全祈願003
工事の着工に向け安全祈願祭が行われた苅田沖土砂処分場=1994年10月28日、北九州市門司区沖の周防灘新北九州空港 搭乗ブリッジ
管制塔(下)と旅客ターミナルビル。搭乗口は3カ所あり、ここから東京や那覇、中国・上海などへと航路が延びる新北九州空港建設地001
苅田町沖周防灘の新北九州空港建設地=1988(昭和63)年12月1日、福岡県京都郡(本社機から)新北九州空港建設地002
苅田町沖周防灘の新北九州空港建設地=1988(昭和63)年12月1日、福岡県京都郡(本社機から)新北九州空港建設地003
苅田町沖周防灘の新北九州空港建設地=1988(昭和63)年12月1日、福岡県京都郡(本社機から)新北九州空港建設地004
苅田町沖の新北九州空港建設予定地=1994(平成6)年2月6日、福岡県京都郡(本社ヘリから)新北九州空港建設地005
苅田町沖の新北九州空港建設予定地=1994(平成6)年2月6日、福岡県京都郡(本社ヘリから)新北九州空港建設地006
苅田町沖の新北九州空港建設予定地=1994(平成6)年2月6日、福岡県京都郡(本社ヘリから)新北九州空港建設地007
苅田町沖の新北九州空港建設予定地=1994(平成6)年2月6日、福岡県京都郡(本社ヘリから)新北九州空港建設001
福岡県苅田町沖に建設が進む新北九州空港=1995(平成7)年12月13日(本社ヘリから)新北九州空港建設002
福岡県苅田町沖に建設が進む新北九州空港=1995(平成7)年12月13日(本社ヘリから)新北九州空港建設003
福岡県苅田町沖に建設が進む新北九州空港=1995(平成7)年12月13日(本社ヘリから)新北九州空港建設004
福岡県苅田町沖に建設が進む新北九州空港=1995(平成7)年12月13日(本社ヘリから)新北九州空港建設005
苅田町沖に建設中の新北九州空港=1998(平成10)年12月1日、福岡県京都郡(本社ヘリから)新北九州空港建設006
苅田町沖に建設中の新北九州空港=1998(平成10)年12月1日、福岡県京都郡(本社ヘリから)新北九州空港建設007
苅田町沖に建設中の新北九州空港=1998(平成10)年12月1日、福岡県京都郡(本社ヘリから)新北九州空港建設008
工事が進む新北九州空港=2000(平成12)年2月23日、北九州市小倉南区(本社ヘリから)新北九州空港建設009
工事が進む新北九州空港=2000(平成12)年2月23日、北九州市小倉南区(本社ヘリから)新北九州空港建設010
工事が進む新北九州空港=2000(平成12)年2月23日、北九州市小倉南区(本社ヘリから)新北九州空港建設011
工事が進む新北九州空港=2000(平成12)年2月23日、北九州市小倉南区(本社ヘリから)新北九州空港建設012
工事が進む新北九州空港=2000(平成12)年2月23日、福岡県苅田町(本社ヘリから)新北九州空港建設013
工事が進む新北九州空港=2000(平成12)年2月23日、福岡県苅田町(本社ヘリから)新北九州空港建設014
工事が進む新北九州空港=2000(平成12)年2月23日、福岡県苅田町(本社ヘリから)新北九州空港建設015
工事が進む新北九州空港=2000(平成12)年2月23日、福岡県苅田町(本社ヘリから)新北九州空港建設016
工事が進む新北九州空港=2002(平成14)年2月23日、北九州市小倉南区(本社ヘリから)新北九州空港建設017
工事が進む新北九州空港=2002(平成14)年2月23日、北九州市小倉南区(本社ヘリから)新北九州空港建設018
工事が進む新北九州空港=2002(平成14)年2月23日、北九州市小倉南区(本社ヘリから)新北九州空港建設019
建設中の新北九州空港=2002(平成14)年12月28日、北九州市小倉南区(本社ヘリから)新北九州空港建設020
建設中の新北九州空港=2002(平成14)年12月28日、北九州市小倉南区(本社ヘリから)新北九州空港建設021
建設中の新北九州空港=2002(平成14)年12月28日、北九州市小倉南区(本社ヘリから)新北九州空港建設022
建設中の新北九州空港=2002(平成14)年12月28日、北九州市小倉南区(本社ヘリから)新北九州空港建設023
建設中の新北九州空港=2002(平成14)年12月28日、北九州市小倉南区(本社ヘリから)新北九州空港建設024
建設中の新北九州空港=2002(平成14)年12月28日、北九州市小倉南区(本社ヘリから)新北九州空港建設025
2005年10月の開港に向け工事が進む新北九州空港=2003(平成15)年12月(本社ヘリから)新北九州空港開港1カ月前001
開港まで1カ月に迫った新北九州空港=2006(平成18)年2月12日(本社ヘリから)新北九州空港開港1カ月前002
3月16日の開港まであと1カ月に迫った新北九州空港=2006(平成18)年2月12日(本社ヘリから)新北九州空港開港1カ月前003
周防灘に出現した巨大な空港島。30年近くかけ、関門海峡のしゅんせつ土砂で埋め立てた=2006年2月新北九州空港001
苅田町沖で建設が進む新北九州空港=2004(平成16)年12月(本社ヘリから)新北九州空港002
苅田町沖で建設が進む新北九州空港=2004(平成16)年12月(本社ヘリから)新北九州空港003
新北九州空港=2004(平成16)年5月(空撮)新北九州空港004
新北九州空港=2004(平成16)年5月(空撮)新北九州空港005
新北九州空港=2004(平成16)年5月(空撮)新川石炭積出場
上空から見た新川石炭積出場=1954(昭和29)年8月、福岡県戸畑市新幹線車両九州入り001
関門海峡を渡り九州入りする九州新幹線の新型車両「つばめ」=2003(平成15)年8月5日(本社ヘリから)新幹線車両九州入り002
関門海峡を渡り九州入りする九州新幹線の新型車両「つばめ」=2003(平成15)年8月5日(本社ヘリから)新幹線車両九州入り003
関門海峡を渡り九州入りする九州新幹線の新型車両「つばめ」=2003(平成15)年8月5日(本社ヘリから)新幹線車両九州入り004
関門海峡を渡り九州入りする九州新幹線の新型車両「つばめ」=2003(平成15)年8月5日(本社ヘリから)新日鉄の高炉001
東田地区の新日鉄の高炉=1994(平成6)年2月6日、北九州市八幡東区(本社ヘリから)新日鉄の高炉002
東田地区の新日鉄の高炉=1994(平成6)年2月6日、北九州市八幡東区(本社ヘリから)新日鉄の高炉003
東田地区の新日鉄の高炉=1994(平成6)年2月6日、北九州市八幡東区(本社ヘリから)新日鉄の高炉004
東田地区の新日鉄の高炉=1994(平成6)年2月6日、北九州市八幡東区(本社ヘリから)新日鉄住金小倉
高炉が休止される新日鉄住金の八幡製鉄所小倉地区=2014(平成26)年3月23日、北九州市小倉北区新日鉄八幡製鉄所の火災001
石炭貯蔵庫が燃えた新日鉄八幡製鉄所のコークス工場=2004(平成16)年4月29日(本社ヘリから)新日鉄八幡製鉄所の火災002
石炭貯蔵庫の火災で白煙を上げる新日鉄八幡製鉄所のコークス工場=2004(平成16)年4月29日午後1時26分新日鉄八幡製鉄所の火災003
炎と黒煙を上げる新日鉄八幡製鉄所=2008(平成20)年7月29日午前9時9分、北九州市戸畑区新日鉄八幡製鉄所の火災004
ガス管の複数個所から黒煙を上げる新日鉄八幡製鉄所=2008(平成20)年7月29日、北九州市戸畑区新日鉄八幡製鉄所の火災005
ガス管の複数個所から黒煙を上げる新日鉄八幡製鉄所=2008(平成20)年7月29日、北九州市戸畑区新日鉄八幡製鉄所の火災006
黒煙に包まれる新日鉄八幡製鉄所周辺=2008(平成20)年7月29日午前8時40分、北九州市戸畑区新日鉄八幡製鉄所001
新日本製鉄八幡製鉄所八幡工場=1974(昭和49)年10月5日、北九州市八幡東区(本社機から)新日鉄八幡製鉄所002
新日本製鉄八幡製鉄所戸畑工場=1980(昭和55)年12月、北九州市戸畑区(本社機から)新日鉄八幡製鉄所003
新日本製鉄八幡製鉄所戸畑工場=1980(昭和55)年12月、北九州市戸畑区(本社機から)新日鉄八幡製鉄所004
空から見た新日鉄戸畑工場付近=1983(昭和58)年8月頃新日鉄八幡製鉄所005
新日鉄戸畑工場=1988(昭和63)年12月1日、北九州市戸畑区(本社機から)新日鉄八幡製鉄所006
新日鉄八幡製鉄所=1990(平成2)年12月28日、北九州市(本社ヘリから)新日鉄八幡製鉄所007
新日鉄八幡製鉄所=1990(平成2)年12月28日、北九州市(本社ヘリから)新日鉄八幡製鉄所008
新日鉄八幡戸畑工場=1991(平成3)年10月4日、北九州市(本社ヘリから)新日鉄八幡製鉄所009
新日鉄八幡戸畑工場=1991(平成3)年10月4日、北九州市(本社ヘリから)新日鉄八幡製鉄所010
新日鉄八幡戸畑工場=1991(平成3)年10月4日、北九州市(本社ヘリから)新日鉄八幡製鉄所011
新日鉄八幡戸畑工場=1991(平成3)年10月4日、北九州市(本社ヘリから)新日鉄八幡製鉄所012
新日鉄八幡八幡工場=1991(平成3)年10月4日、北九州市(本社ヘリから)新日鉄八幡製鉄所013
新日鉄八幡八幡工場=1991(平成3)年10月4日、北九州市(本社ヘリから)新日鉄八幡製鉄所014
新日鉄八幡八幡工場=1991(平成3)年10月4日、北九州市(本社ヘリから)新日鉄八幡製鉄所015
新日鉄八幡製鉄所=1992(平成4)年5月4日、北九州市八幡東区(本社ヘリから)新日鉄八幡製鉄所016
新日鉄八幡製鉄所=1992(平成4)年5月4日、北九州市八幡東区(本社ヘリから)新日鉄八幡製鉄所017
八幡製鉄所=1992(平成4)年12月4日、北九州市八幡東区(本社機から)新日鉄八幡製鉄所018
新日鉄八幡製鉄所=2001(平成13)年9月14日、北九州市(本社ヘリから)新日鉄八幡製鉄所019
新日鉄八幡製鉄所=2001(平成13)年9月14日、北九州市(本社ヘリから)新日鉄工場群001
戸畑の新日鉄工場群=1998(平成10)年11月6日、北九州市戸畑区(本社ヘリから)新日鉄工場群002
戸畑の新日鉄工場群=1998(平成10)年11月6日、北九州市戸畑区(本社ヘリから)新日鉄工場群003
眼下に広がる戸畑区の新日鉄工場群。写真奥が洞海湾の口、後方は若松区=2011(平成23)年11月15日新日鉄平野社宅
新日鉄平野社宅=1988(昭和63)年12月1日、北九州市八幡東区(本社機から)新日鉄戸畑泊地
新日鉄戸畑泊地=2001(平成13)年5月12日、北九州市戸畑区(本社ヘリから)新日鉄高見社宅001
新日鉄の高見社宅街=1994(平成6)年2月6日、北九州市八幡東区(本社ヘリから)新日鉄高見社宅002
新日鉄の高見社宅街=1994(平成6)年2月6日、北九州市八幡東区(本社ヘリから)新日鉄高見社宅003
新日鉄の高見社宅街=1994(平成6)年2月6日、北九州市八幡東区(本社ヘリから)新若戸道路あす開通
若松区(奥)と戸畑区(手前)を結ぶ若戸大橋(中央左)=2012年9月13日午前、北九州市(本社ヘリから)新門司
福岡県苅田町上空から見た裏門司=1960(昭和35)年12月16日(本社機から)新門司コンテナターミナル
新門司コンテナターミナル=1992(平成4)年5月4日、北九州市門司区(本社機から)新門司埋め立て地001
裏門司の埋め立て地=1963(昭和38)年10月2日、北九州市(本社機から)新門司埋め立て地002
新門司の臨海工業地帯の埋め立て地=1980(昭和55)年12月、北九州市門司区(本社機から)日明地区001
小倉北区の日明地区=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)日明地区002
小倉北区の日明地区=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)日明地区003
小倉北区の日明地区=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)日明地区004
小倉北区の日明地区=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)日明埋め立て地001
日明埋め立て地=1960(昭和35)年11月15日、小倉市(北九州)(本社機から)日明埋め立て地002
日明埋め立て地=1960(昭和35)年11月15日、小倉市(北九州)(本社機から)日明埋め立て地003
日明埋め立て地=1960(昭和35)年11月15日、小倉市(北九州)(本社機から)日明埋め立て地004
日明埋め立て地=1968(昭和43)年6月11日、北九州市小倉区(本社機から)日明埋め立て地005
日明埋め立て地=1968(昭和43)年6月11日、北九州市小倉区(本社機から)日明埋め立て地006
日明の埋め立て地=1968(昭和43)年11月7日、北九州市小倉区(本社機から)日明港フェリーターミナル001
日明港フェリーターミナル=1990(平成2)年12月28日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)日明港フェリーターミナル002
日明港フェリーターミナル=1990(平成2)年12月28日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)日明港フェリーターミナル003
日明港フェリーターミナル=1990(平成2)年12月28日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)日豊線電化001
電化が完成した国鉄日豊線を走る電車=1966(昭和41)年10月1日、小倉-新田原間(本社機から)日豊線電化002
電化が完成した国鉄日豊線を走る電車=1966(昭和41)年10月1日、小倉-新田原間(本社機から)日豊線電化003
電化が完成した国鉄日豊線を走る電車=1966(昭和41)年10月1日、小倉-新田原間(本社機から)旧三井倶楽部001
門司港レトロ地区の旧門司三井倶楽部=1994(平成6)年2月6日、北九州市門司区(本社ヘリから)旧三井倶楽部002
門司港レトロ地区の旧門司三井倶楽部=1994(平成6)年2月6日、北九州市門司区(本社ヘリから)旧国鉄門司機関区
旧国鉄門司機関区のターンテーブル=1991(平成3)年10月4日、北九州市(本社ヘリから)旧小倉キャンプ
旧小倉キャンプ=1957(昭和32)年11月23日、福岡県・小倉(本社機から)昭和30年代の小倉中心部
空から見た小倉中心部=1958(昭和33)年2月頃昭和40年代の小倉北区
紫川河口上空から見た北九州小倉北区。中央に小倉城が見える=1970(昭和45)年6月頃昭和40年代の小倉城周辺
空から見た小倉城周辺=1966(昭和41)年3月頃昭和40年当時の八幡黒崎地区
引野上空から黒崎方面をのぞむ=1965(昭和40)年2月頃昭和50年代の小倉南区001
空から見た小倉南区の朽網・曽根地区=1983(昭和58)年8月頃昭和50年代の小倉南区002
空から見た小倉南区葛原周辺=1983(昭和58)年8月頃曽根干潟001
小倉南区の曽根干潟=1998(平成10)年12月1日、北九州市(本社ヘリから)曽根干潟002
小倉南区の曽根干潟=1998(平成10)年12月1日、北九州市(本社ヘリから)曽根干潟003
小倉南区の曽根干潟=1998(平成10)年12月1日、北九州市(本社ヘリから)曽根干潟004
小倉南区の曽根干潟=1998(平成10)年12月1日、北九州市(本社ヘリから)曽根干潟005
小倉南区の曽根干潟=1998(平成10)年12月1日、北九州市(本社ヘリから)曽根飛行場(北九州空港)001
小倉空港(曽根飛行場)=1962(昭和37)年9月18日(本社機から)曽根飛行場(北九州空港)002
小倉空港(曽根飛行場)=1962(昭和37)年9月18日(本社機から)曽根飛行場(北九州空港)003
曽根飛行場(小倉空港)=1964(昭和39)年12月12日、北九州・曽根(本社機から)曽根飛行場(北九州空港)004
曽根飛行場=1964(昭和39)年12月12日、北九州市(本社機から)曽根飛行場(北九州空港)005
曽根飛行場(小倉空港)=1968(昭和43)年11月、北九州・曽根(本社機から)東九州自動車道開通001
空港への連絡道路は苅田北九州空港ICで東九州自動車道に接続。北九州都心部と車で27分で結ぶ東九州自動車道開通002
北九州空港へのアクセス道路として整備された東九州自動車道の苅田北九州空港IC付近=2006年2月26日東洋陶器(TOTO)
TOTOの本社・小倉第一工場=1997(平成9)年11月28日、北九州市(本社ヘリから)枝光一帯001
枝光一帯=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)枝光一帯002
枝光一帯=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)水上メーデー001
関門一帯で行われた水上メーデー(航空写真)水上メーデー002
赤旗などを掲げた船による水上メーデー=関門海峡(航空写真)河内貯水池
河内貯水池。左上は皿倉山=1964(昭和39)年3月19日、北九州市(本社機から)洞海湾と若戸大橋001
洞海湾と若戸大橋=1996(平成8)年9月2日、北九州市(本社ヘリから)洞海湾と若戸大橋002
洞海湾と若戸大橋=1996(平成8)年9月2日、北九州市(本社ヘリから)洞海湾と若戸大橋003
洞海湾と若戸大橋=1996(平成8)年9月2日、北九州市(本社ヘリから)洞海湾001
洞海湾と工業地帯=1954(昭和29)年7月、若松市上空から洞海湾002
北九州工業地帯と洞海湾=1956(昭和31)年8月9日(本社機から)洞海湾003
北九州工業地帯と洞海湾=1956(昭和31)年8月9日(本社機から)洞海湾004
北九州工業地帯と洞海湾=1956(昭和31)年8月9日(本社機から)洞海湾005
北九州工業地帯と洞海湾=1956(昭和31)年8月9日(本社機から)洞海湾006
北九州工業地帯と洞海湾=1956(昭和31)年8月9日(本社機から)洞海湾007
洞海湾=1960(昭和35)年12月14日、北九州(本社機から)洞海湾008
洞海湾=1960(昭和35)年12月14日、北九州(本社機から)洞海湾009
洞海湾=1960(昭和35)年12月14日、北九州(本社機から)洞海湾010
洞海湾=1960(昭和35)年12月14日、北九州(本社機から)洞海湾011
戸畑上空から奥洞海を望む=1969(昭和44)年1月洞海湾013
若松上空から、洞海湾口を望む(左手前は響灘埋め立て地)=1973(昭和48)年7月3日洞海湾014
洞海湾=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)洞海湾015
洞海湾=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)洞海湾016
洞海湾=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)洞海湾017
洞海湾=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)洞海湾018
洞海湾=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)洞海湾019
洞海湾=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)洞海湾020
洞海湾=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)洞海湾021
洞海湾=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)洞海湾022
洞海湾=1976(昭和51)年、北九州市(本社機から)洞海湾023
洞海湾=1976(昭和51)年、北九州市(本社機から)洞海湾024
洞海湾。右上に若戸大橋=1984(昭和59)年11月、北九州市若松区(手前は八幡東区)(本社機から)洞海湾025
洞海湾。右上に若戸大橋=1984(昭和59)年11月、北九州市若松区(手前は八幡東区)(本社機から)洞海湾026
洞海湾と北九州工業地帯=1991(平成3)年10月4日、北九州市(本社ヘリから)洞海湾027
洞海湾=1991(平成3)年10月4日、北九州市(本社ヘリから)洞海湾028
洞海湾=1991(平成3)年10月4日、北九州市(本社ヘリから)洞海湾029
洞海湾=1991(平成3)年10月4日、北九州市(本社ヘリから)洞海湾030
洞海湾=1994(平成6)年2月6日、北九州市(本社ヘリから)洞海湾031
洞海湾=1994(平成6)年2月6日、北九州市(本社ヘリから)洞海湾032
洞海湾=1994(平成6)年2月6日、北九州市(本社ヘリから)洞海湾033
洞海湾=1994(平成6)年2月6日、北九州市(本社ヘリから)洞海湾034
洞海湾=1994(平成6)年2月6日、北九州市(本社ヘリから)洞海湾035
洞海湾=1994(平成6)年2月6日、北九州市(本社ヘリから)洞海湾036
洞海湾=1994(平成6)年2月6日、北九州市(本社ヘリから)洞海湾037
洞海湾=1994(平成6)年2月6日、北九州市(本社ヘリから)洞海湾038
洞海湾=1996(平成8)年9月2日、北九州市(本社ヘリから)洞海湾039
洞海湾=1996(平成8)年9月2日、北九州市(本社ヘリから)洞海湾040
洞海湾=1996(平成8)年9月2日、北九州市(本社ヘリから)洞海湾041
洞海湾=1996(平成8)年9月2日、北九州市(本社ヘリから)洞海湾042
洞海湾(中央は若戸大橋)=1998(平成10)年12月1日、北九州市(本社ヘリから)洞海湾043
洞海湾(中央は若戸大橋)=1998(平成10)年12月1日、北九州市(本社ヘリから)産業医大001
産業医科大学=1982(昭和57)年12月、北九州市八幡西区(本社機から)産業医大002
産業医科大学=1997(平成9)年11月28日、北九州市八幡西区(本社ヘリから)産業医大003
産業医科大学=1997(平成9)年11月28日、北九州市八幡西区(本社ヘリから)田野浦海岸
裏門司の田野浦海岸=1970(昭和45)年12月15日、北九州市門司区(本社機から)田野浦港
田野浦港=1957(昭和32)年11月23日、福岡県・門司(本社機から)田野浦001
裏門司の田野浦=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)田野浦002
裏門司の田野浦=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)田野浦003
裏門司の田野浦=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)田野浦004
裏門司の田野浦=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)田野浦005
裏門司の田野浦=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)田野浦006
裏門司の田野浦=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)畑貯水池
畑貯水池=1974(昭和49)年10月5日、北九州市八幡西区(本社機から)白島石油備蓄基地001
白島の洋上石油備蓄基地=1992(平成4)年12月4日、北九州市若松区(本社機から)白島石油備蓄基地002
白島の洋上石油備蓄基地=1992(平成4)年12月4日、北九州市若松区(本社機から)白島石油備蓄基地003
白島石油備蓄基地=1995(平成7)年12月13日、北九州市若松区(本社ヘリから)白島石油備蓄基地004
白島石油備蓄基地=1995(平成7)年12月13日、北九州市若松区(本社ヘリから)白島石油備蓄基地005
白島石油備蓄基地=1995(平成7)年12月13日、北九州市若松区(本社ヘリから)白島石油備蓄基地006
白島石油備蓄基地=1995(平成7)年12月13日、北九州市若松区(本社ヘリから)白島石油備蓄基地007
白島石油備蓄基地=1995(平成7)年12月13日、北九州市若松区(本社ヘリから)白島石油備蓄基地008
白島石油備蓄基地=1995(平成7)年12月13日、北九州市若松区(本社ヘリから)白島石油備蓄基地009
白島の石油備蓄基地=1996(平成8)年9月2日、北九州市若松区(本社ヘリから)白島石油備蓄基地010
白島の石油備蓄基地=1996(平成8)年9月2日、北九州市若松区(本社ヘリから)白島石油備蓄基地011
白島の石油備蓄基地=1996(平成8)年9月2日、北九州市若松区(本社ヘリから)白島石油備蓄基地012
白島の石油備蓄基地=1996(平成8)年9月2日、北九州市若松区(本社ヘリから)白島石油備蓄基地013
白島の石油備蓄基地=1996(平成8)年9月2日、北九州市若松区(本社ヘリから)白島石油備蓄基地014
白島の石油備蓄基地=1996(平成8)年9月2日、北九州市若松区(本社ヘリから)白島石油備蓄基地015
白島の石油備蓄基地=1996(平成8)年9月2日、北九州市若松区(本社ヘリから)白島石油備蓄基地016
白島の石油備蓄基地=1998(平成10)年4月19日、北九州市若松区沖(本社ヘリから)白島石油備蓄基地017
白島の石油備蓄基地=1998(平成10)年4月19日、北九州市若松区沖(本社ヘリから)白島石油備蓄基地018
響灘に浮かぶ白島国家石油備蓄基地=2014(平成26)年2月9日午前、北九州市若松区沖(本社ヘリから)白島8号001
白島石油備蓄基地に入港する白島8号=1996(平成8)年6月5日、北九州市若松区沖の響灘(本社ヘリから)白島8号002
白島石油備蓄基地に入港する白島8号=1996(平成8)年6月5日、北九州市若松区沖の響灘(本社ヘリから)白島8号003
白島石油備蓄基地に入港する白島8号=1996(平成8)年6月5日、北九州市若松区沖の響灘(本社ヘリから)白島8号004
白島石油備蓄基地に入港する「白島8号」=1996(平成8)年6月5日午前、北九州市若松区沖の響灘白野江植物公園の桜
門司区の白野江植物公園では早咲きの桜が既に見頃を迎えている=2016(平成28)年3月19日、福岡県北九州市皿倉山001
皿倉山=1958(昭和33)年9月、北九州・八幡(本社機から)皿倉山002
皿倉山=1960(昭和35)年頃、北九州(本社機から)皿倉山003
皿倉山=1960(昭和35)年頃、北九州(本社機から)皿倉山004
皿倉山=1960(昭和35)年頃、北九州(本社機から)皿倉山005
皿倉山=1964(昭和39)年3月19日、北九州市(本社機から)皿倉山006
皿倉山=1964(昭和39)年3月19日、北九州市(本社機から)皿倉山007
皿倉山=1964(昭和39)年3月19日、北九州市(本社機から)皿倉山008
皿倉山(後方)と八幡地区=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)皿倉山009
皿倉山(後方)と八幡地区=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)皿倉山010
皿倉山頂上=1984(昭和59)年11月、北九州市八幡東区(本社機から)皿倉山011
皿倉山=1998(平成10)年3月3日、北九州市八幡東区(本社ヘリから)皿倉山012
皿倉山=1998(平成10)年3月3日、北九州市八幡東区(本社ヘリから)皿倉山013
スキーヤーでにぎわう皿倉山頂=2002(平成14)年12月28日、北九州市八幡東区(本社ヘリから)皿倉山014
スキーヤーでにぎわう皿倉山頂=2002(平成14)年12月28日、北九州市八幡東区(本社ヘリから)皿倉山015
スキーヤーでにぎわう皿倉山頂=2002(平成14)年12月28日、北九州市八幡東区(本社ヘリから)皿倉山016
スキーヤーでにぎわう皿倉山頂=2002(平成14)年12月28日、北九州市八幡東区(本社ヘリから)福原学園001
福原学園=1997(平成9)年11月28日、北九州市八幡西区(本社ヘリから)福原学園002
福原学園=1997(平成9)年11月28日、北九州市八幡西区(本社ヘリから)福原学園003
福原学園=1997(平成9)年11月28日、北九州市八幡西区(本社ヘリから)福原学園004
福原学園=1997(平成9)年11月28日、北九州市八幡西区(本社ヘリから)穴生ドーム
穴生ドーム周辺=2006(平成18)年7月穴生団地
穴生団地=1960(昭和35)年12月16日、戸畑市(北九州)(本社機から)米軍 キャンプ小倉
空から見た米軍・キャンプ小倉の全景=1957(昭和32)年3月頃米軍山田弾薬庫跡
空から見た北九州市小倉北区の山田弾薬庫跡地=1984(昭和59)年10月頃紅梅A遺跡
空から見た紅梅A遺跡。黒っぽくポツポツとあるのが住居の柱穴=1979年2月、福岡県北九州市八幡西区紅梅2丁目紫川「太陽の橋」001
紫川に架かるモダンな「太陽の橋」=2002(平成14)年12月28日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)紫川「太陽の橋」002
紫川に架かるモダンな「太陽の橋」=2002(平成14)年12月28日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)紫川「太陽の橋」003
紫川に架かるモダンな「太陽の橋」=2002(平成14)年12月28日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)紫川・不法建築群
紫川の不法建築群(左岸)。右は東洋陶器=1968(昭和43)年6月11日、北九州市小倉区(本社機から)紫川河口から小倉市街地001
紫川河口から小倉市街地を望む=1992(平成4)年12月4日、北九州市小倉北区(本社機から)紫川河口から小倉市街地002
紫川河口から小倉市街地を望む=1992(平成4)年12月4日、北九州市小倉北区(本社機から)紫川001
市街地を流れる紫川。右は北九州市庁舎=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)紫川002
勝山公園横を流れる紫川=1982(昭和57)年12月、北九州市小倉北区(本社機から)紫川003
勝山公園横を流れる紫川=1982(昭和57)年12月、北九州市小倉北区(本社機から)紫川IC001
北九州都市高速道の紫川インターチェンジ=1980(昭和55)年12月、北九州市小倉北区(本社機から)紫川IC002
北九州都市高速道の紫川インターチェンジ=1980(昭和55)年12月、北九州市小倉北区(本社機から)若戸博
戸畑博。戸畑会場の全景=1962(昭和37)年9月(本社機から)若戸大橋建設001
建設中の若戸大橋=1960(昭和35)年11月15日、北九州(本社機から)若戸大橋建設002
建設中の若戸大橋=1960(昭和35)年11月15日、北九州(本社機から)若戸大橋建設003
若戸大橋の架橋工事が始まった戸畑市(手前)と若松市=1960(昭和35)年11月15日、北九州(本社機から)若戸大橋建設004
洞海湾を渡った若戸大橋のメーンロープ=1961(昭和36)年7月15日、北九州(本社機から)若戸大橋建設005
洞海湾を渡った若戸大橋のメーンロープ=1961(昭和36)年7月15日、北九州(本社機から)若戸大橋建設006
洞海湾を渡った若戸大橋のメーンロープ=1961(昭和36)年7月15日、北九州(本社機から)若戸大橋建設007
洞海湾を渡った若戸大橋のメーンロープ=1961(昭和36)年7月15日、北九州(本社機から)若戸大橋建設008
洞海湾を渡った若戸大橋のメーンロープ=1961(昭和36)年7月15日、北九州(本社機から)若戸大橋建設009
若戸大橋のパイロットロープ渡し=1961(昭和36)年7月、北九州(本社機から)若戸大橋建設010
橋げたの取り付けが完了した若戸大橋=1962(昭和37)年3月4日、北九州(本社機から)若戸大橋建設011
橋げたの取り付けが完了した若戸大橋=1962(昭和37)年3月4日、北九州(本社機から)若戸大橋建設012
橋げたの取り付けが完了した若戸大橋=1962(昭和37)年3月4日、北九州(本社機から)若戸大橋建設013
橋げたの取り付けが完了した若戸大橋=1962(昭和37)年3月4日、北九州(本社機から)若戸大橋建設014
若戸大橋の建設工事=1962(昭和37)年、北九州(本社機から)若戸大橋建設015
若戸大橋の建設工事=1962(昭和37)年、北九州(本社機から)若戸大橋建設016
メーンロープも渡った若戸大橋。手前が戸畑側=1962(昭和37)年2月頃(本社機から)若戸大橋開通001
開通を祝って若戸大橋に上がる花火=1962(昭和37)年9月25日、若松・高塔山から若戸大橋開通002
開通した若戸大橋=1962(昭和37)年9月26日、北九州(本社機から)若戸大橋開通003
開通した若戸大橋=1962(昭和37)年9月頃若戸大橋開通004
開通した若戸大橋=1962(昭和37)年9月26日、北九州(本社機から)若戸大橋開通005
開通した若戸大橋=1962(昭和37)年9月26日、北九州(本社機から)若戸大橋開通006
開通した若戸大橋=1962(昭和37)年9月26日、北九州(本社機から)若戸大橋開通007
開通した若戸大橋=1962(昭和37)年9月26日、北九州(本社機から)若戸大橋開通008
開通した若戸大橋=1962(昭和37)年9月26日、北九州(本社機から)若戸大橋001
メーンロープも渡った若戸大橋。手前が戸畑側=1962(昭和37)年2月頃(本社機から)若戸大橋002
若戸大橋=1968(昭和43)年11月、北九州市(本社機から)若戸大橋003
若戸大橋=1969(昭和44)年12月、(北九州)若松上空から若戸大橋004
空から見た若戸大橋。手前が戸畑、向こう若松=1971(昭和46)年頃若戸大橋005
若戸大橋=1982(昭和57)年12月、北九州市(本社機から)若戸大橋006
若戸大橋=1982(昭和57)年12月、北九州市(本社機から)若戸大橋007
若戸大橋=1982(昭和57)年12月、北九州市(本社機から)若戸大橋008
若戸大橋=1984(昭和59)年11月、北九州市若松区(本社機から)若戸大橋009
若戸大橋=1984(昭和59)年11月、北九州市若松区(本社機から)若戸大橋010
若戸大橋=1988(昭和63)年12月1日、北九州市(本社機から)若戸大橋011
若戸大橋=1988(昭和63)年12月1日、北九州市(本社機から)若戸大橋012
若戸大橋=1989(平成元)年10月1日、北九州市(本社機から)若戸大橋013
若戸大橋=1990(平成2)年3月16日、北九州市(本社機から)若戸大橋014
若戸大橋=1990(平成2)年3月16日、北九州市(本社機から)若戸大橋015
若戸大橋=1990(平成2)年3月16日、北九州市(本社機から)若戸大橋016
若戸大橋=1991(平成3)年10月4日、北九州市(本社ヘリから)若戸大橋017
若戸大橋=1991(平成3)年10月4日、北九州市(本社ヘリから)若戸大橋018
若戸大橋=1991(平成3)年10月4日、北九州市(本社ヘリから)若戸大橋019
若戸大橋=1991(平成3)年10月4日、北九州市(本社ヘリから)若戸大橋020
若戸大橋=1991(平成3)年10月4日、北九州市(本社ヘリから)若戸大橋021
若戸大橋=1991(平成3)年10月4日、北九州市(本社ヘリから)若戸大橋022
若戸大橋=1991(平成3)年10月4日、北九州市(本社ヘリから)若戸大橋023
若戸大橋=1994(平成6)年2月6日、北九州市(本社ヘリから)若戸大橋024
若戸大橋=1994(平成6)年2月6日、北九州市(本社ヘリから)若戸大橋025
若戸大橋=1994(平成6)年2月6日、北九州市(本社ヘリから)若戸大橋026
若戸大橋=1994(平成6)年2月6日、北九州市(本社ヘリから)若戸大橋027
若戸大橋周辺=2006(平成18)年7月、北九州市若戸大橋028
若戸大橋周辺=2006(平成18)年7月、北九州市若戸大橋029
2012年10月に歩行者天国のイベントが計画されている若戸大橋=2011(平成23)年11月頃、北九州市若戸大橋50周年
開通50周年を記念し、約1万人が歩いて渡った若戸大橋=2012(平成24)年10月28日正午すぎ、北九州市若松と若戸大橋
若松と若戸大橋=1974(昭和49)年10月5日、北九州市若松区(本社機から)若松区
若松=1982(昭和57)年12月、北九州市若松区(本社機から)若松市全景
若松市全景(右上は若戸大橋)=1963(昭和38)年(本社機から)若松市街地
若松市街地=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)若松市街地、若戸大橋
若戸大橋と若松市街地=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)若松沖の埋め立て
若松沖の埋め立て地=1980(昭和55)年12月、北九州市若松区(本社機から)若松港
整備が進む市営ふ頭=若松市(航空写真)若松港と若戸大橋
若松港と若戸大橋=1988(昭和63)年12月1日、北九州市(本社機から)若松火力発電所
若松火力発電所=1991(平成3)年10月4日、北九州市若松区(本社ヘリから)藍島
藍島=1984(昭和59)年11月、北九州市小倉北区(本社機から)西日本大水害 風師山の土砂崩れ
大雨で土砂崩れ(山崩れ)が発生した門司・風師山=昭和28年6月(本社機から)西日本総合展示場
西日本総合展示場=1992(平成4)年12月4日、北九州市小倉北区(本社機から)貯炭場
若松の貯炭場と石炭船=1959(昭和34)年8月21日、北九州・若松(本社機から)遊覧船ボイジャー
門司港を出る遊覧船「ボイジャー」=1997(平成9)年5月4日、北九州市門司区(本社ヘリから)遠賀川上空から
北九州市・市街(北九州市)・遠賀川上空から北九州市を望む=1972(昭和47)年1月金比羅公園001
空から見た1962(昭和37)年当時の戸畑・金比羅公園=1962(昭和37)年11月頃金比羅公園002
戸畑の金比羅公園=1971(昭和46)年1月、北九州市(本社機から)金比羅山の桜
木々の緑の中を渦巻くように連なる金比羅山の桜=2007(平成19)年3月29日午後、北九州市戸畑区金比羅町金比羅山周辺
1983(昭和58)年当時の空から見た戸畑区の金比羅山周辺=1983(昭和58)年8月頃金比羅池
空から見た1966(昭和41)年当時の北九州市戸畑の金比羅池周辺=1966(昭和41)年1月頃門司・大里地区
門司の大里地区=1969(昭和44)年10月7日、北九州市門司区(本社機から)門司水源地
門司水源地=1957(昭和32)年11月、福岡県・門司(本社機から)門司港と栄町一帯
空から見た門司港駅、門司港、栄町一帯。右上が関門橋、向こうが下関=1987(昭和62)年9月頃門司港と関門海峡001
門司港(手前)と関門海峡=1966(昭和41)年9月26日(本社機から)門司港と関門海峡002
門司港(手前)と関門海峡=1966(昭和41)年9月26日(本社機から)門司港レトロ はね橋001
門司港レトロ地区のはね橋=1994(平成6)年2月6日、北九州市門司区(本社ヘリから)門司港レトロ はね橋002
門司港レトロ地区のはね橋=1994(平成6)年2月6日、北九州市門司区(本社ヘリから)門司港レトロ はね橋003
門司港レトロ地区のはね橋=1994(平成6)年2月6日、北九州市門司区(本社ヘリから)門司港レトロ 海峡ドラマシップ
海峡ドラマシップ周辺=2008(平成20)年2月、北九州市門司区門司港レトロ001
門司港レトロ地区=1994(平成6)年2月6日、北九州市門司区(本社ヘリから)門司港レトロ002
門司港レトロ地区=1994(平成6)年2月6日、北九州市門司区(本社ヘリから)門司港レトロ003
門司港レトロ地区=1994(平成6)年2月6日、北九州市門司区(本社ヘリから)門司港レトロ004
門司港レトロ地区。後方は関門橋=1994(平成6)年2月6日、北九州市門司区(本社ヘリから)門司港レトロ005
レトロ事業の歴史的建物が集まっている第一船だまり周辺=1994(平成6)年3月(本社ヘリ)門司港レトロ006
門司港レトロ地区=1995(平成7)年5月4日、北九州市門司区(本社ヘリから)門司港レトロ007
門司港レトロ地区=1995(平成7)年5月4日、北九州市門司区(本社ヘリから)門司港レトロ008
門司港レトロ地区=1995(平成7)年5月4日、北九州市門司区(本社ヘリから)門司港レトロ009
門司港レトロ地区=1995(平成7)年5月4日、北九州市門司区(本社ヘリから)門司港レトロ010
門司港レトロ地区=1995(平成7)年5月4日、北九州市門司区(本社ヘリから)門司港レトロ011
門司港レトロ地区=1995(平成7)年5月4日、北九州市門司区(本社ヘリから)門司港レトロ012
門司港レトロ地区=1995(平成7)年5月4日、北九州市門司区(本社ヘリから)門司港レトロ013
門司港レトロ地区=1995(平成7)年5月4日、北九州市門司区(本社ヘリから)門司港レトロ014
門司港レトロ地区=1995(平成7)年5月4日、北九州市門司区(本社ヘリから)門司港レトロ015
門司港レトロ地区=1995(平成7)年12月13日、北九州市門司区(本社ヘリから)門司港レトロ016
門司港レトロ地区=1995(平成7)年12月13日、北九州市門司区(本社ヘリから)門司港レトロ017
門司港レトロ地区=1995(平成7)年12月13日、北九州市門司区(本社ヘリから)門司港レトロ018
門司港レトロ地区=1995(平成7)年12月13日、北九州市門司区(本社ヘリから)門司港レトロ019
門司港レトロ地区=1995(平成7)年12月13日、北九州市門司区(本社ヘリから)門司港レトロ020
門司港レトロ地区=1995(平成7)年12月13日、北九州市門司区(本社ヘリから)門司港レトロ021
門司港レトロ地区=1995(平成7)年12月13日、北九州市門司区(本社ヘリから)門司港レトロ022
門司港レトロ地区=1995(平成7)年12月13日、北九州市門司区(本社ヘリから)門司港レトロ023
門司港レトロ地区=1995(平成7)年12月13日、北九州市門司区(本社ヘリから)門司港レトロ024
門司港レトロ地区=1997(平成9)年11月28日、北九州市門司区(本社ヘリから)門司港レトロ025
門司港レトロ地区=1997(平成9)年11月28日、北九州市門司区(本社ヘリから)門司港レトロ026
門司港レトロ地区=1997(平成9)年11月28日、北九州市門司区(本社ヘリから)門司港レトロ027
門司港レトロ地区=2000(平成12)年2月23日、北九州市門司区(本社ヘリから)門司港レトロ028
門司港レトロ地区=2000(平成12)年2月23日、北九州市門司区(本社ヘリから)門司港レトロ029
門司港レトロ地区=2000(平成12)年2月23日、北九州市門司区(本社ヘリから)門司港レトロ030
門司港レトロ地区=2000(平成12)年2月23日、北九州市門司区(本社ヘリから)門司港レトロ031
門司港レトロ地区=2000(平成12)年2月23日、北九州市門司区(本社ヘリから)門司港レトロ032
門司港レトロ地区=2000(平成12)年2月23日、北九州市門司区(本社ヘリから)門司港レトロ033
門司港レトロ地区=2001(平成13)年5月12日、北九州市門司区(本社ヘリから)門司港レトロ034
門司港レトロ展望室=2002(平成14)年12月28日、北九州市門司区(本社ヘリから)門司港レトロ035
門司港レトロ展望室=2002(平成14)年12月28日、北九州市門司区(本社ヘリから)門司港市街地001
門司港市街地=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)門司港市街地002
門司港市街地=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)門司港市街地003
門司港市街地=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)門司港市街地004
門司港市街地=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)門司港市街地005
門司港市街地=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)門司港駅001
門司港駅=昭和41年、北九州市門司港駅002
門司港駅=1984(昭和59)年11月、北九州市門司区(本社機から)門司港駅003
門司港駅=1984(昭和59)年11月、北九州市門司区(本社機から)門司港駅004
門司港駅=昭和63年、北九州市門司港駅005
門司港駅(向こうは門司港)=平成8年、北九州市門司港001
空から見た港のにぎわい=1956(昭和31)年11月門司港002
門司港と市街地=1957(昭和32)年11月、福岡県・門司(本社機から)門司港003
門司港=1960(昭和35)年頃、門司市(北九州)(本社機から)門司港004
門司港=1960(昭和35)年頃、門司市(北九州)(本社機から)門司港005
にぎわう港(航空写真)門司港006
空から見た門司の町と港=1964(昭和39)年1月門司港007
門司港=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)門司港008
門司港=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)門司港009
1983(昭和58)年当時の空から見た門司港周辺=1983(昭和58)年8月頃門司競輪の八百長騒ぎ
門司競輪場の八百長騒ぎ=1970(昭和45)年8月17日、北九州市門司区(本社機から)門司001
門司=1968(昭和43)年11月7日、北九州市門司区(本社機から)門司002
門司=1970(昭和45)年12月15日、北九州市門司区(本社機から)門司003
門司=1982(昭和57)年12月、北九州市門司区(本社機から)門司004
門司=1982(昭和57)年12月、北九州市門司区(本社機から)門司005
門司=1982(昭和57)年12月、北九州市門司区(本社機から)門司006
門司=1982(昭和57)年12月、北九州市門司区(本社機から)関釜フェリー001
フェリー関釜の初航海=1970(昭和45)年6月16日、関門海峡(本社機から)関釜フェリー002
フェリー関釜の初航海=1970(昭和45)年6月16日、関門海峡(本社機から)関釜フェリー003
フェリー関釜の初航海=1970(昭和45)年6月16日、関門海峡(本社機から)関釜フェリー004
フェリー関釜の初航海=1970(昭和45)年6月16日、関門海峡(本社機から)関門橋と九州自動車道001
関門橋(上方)と九州自動車道=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)関門橋と九州自動車道002
関門橋(上方)と九州自動車道=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)関門橋のドッキング001
ドッキングした関門架橋=1972(昭和47)年11月19日(本社機から)関門橋のドッキング002
関門橋のドッキング=1972(昭和47)年11月19日(本社機から)関門橋のドッキング003
関門橋のドッキング=1972(昭和47)年11月19日(本社機から)関門橋のドッキング004
関門橋のドッキング=1972(昭和47)年11月19日(本社機から)関門橋のドッキング005
関門橋のドッキング=1972(昭和47)年11月19日(本社機から)関門橋開通001
開通した関門橋=1973(昭和48)年11月(本社機から)関門橋開通002
5年に及ぶ大工事の末完成、開通した関門橋=1973(昭和48)年11月14日、北九州市門司区(本社機から)関門橋開通003
開通した関門橋=1973(昭和48)年11月14日(本社機から)関門橋開通004
開通した関門橋=1973(昭和48)年11月14日(本社機から)関門橋開通005
開通した関門橋=1973(昭和48)年11月14日、北九州市門司区関門橋開通006
開通した関門橋=1973(昭和48)年11月14日(本社機から)関門橋開通007
関門橋の開通式=1973(昭和48)年11月14日関門橋開通008
開通した関門橋=1973(昭和48)年11月14日(本社機から)関門橋開通009
5年に及ぶ大工事の末完成、開通した関門橋=1973(昭和48)年11月14日、北九州市門司区(本社機から)関門橋開通010
関門橋開通式=1973(昭和48)年11月14日(本社機から)関門橋開通011
5年に及ぶ大工事の末完成、開通した関門橋=1973(昭和48)年11月14日、北九州市門司区関門橋開通012
関門橋開通式=1973(昭和48)年11月14日(本社機から)関門橋開通013
関門橋で行われた開通式=1973(昭和48)年11月14日関門橋開通014
5年に及ぶ大工事の末完成、開通した関門橋=1973(昭和48)年11月14日、北九州市門司区(本社機から)関門橋開通015
開通した関門橋=1973(昭和48)年11月頃(本社機から)関門橋開通016
開通した関門橋=1973(昭和48)年11月頃関門橋開通017
開通した関門橋=1973(昭和48)年11月頃関門橋001
18日発足した「関門地域の未来を考える研究会」は、関門海峡をまたいでの合併も視野=2007年11月関門橋002
下関上空から門司方向を見る=1973(昭和48)年7月3日関門橋003
関門橋=1974(昭和49)年10月5日(本社機から)関門橋004
関門橋=1974(昭和49)年10月5日(本社機から)関門橋005
関門橋=1974(昭和49)年10月5日(本社機から)関門橋006
関門橋=1974(昭和49)年10月5日(本社機から)関門橋007
関門橋、対岸は門司港=1974(昭和49)年10月5日、下関市上空(本社ヘリから)関門橋008
関門橋、対岸は門司港=1974(昭和49)年10月5日、下関市上空(本社ヘリから)関門橋009
関門橋、対岸は門司港=1974(昭和49)年10月5日、下関市上空(本社ヘリから)関門橋010
関門橋、対岸は門司港=1974(昭和49)年10月5日、下関市上空(本社ヘリから)関門橋011
関門橋、対岸は門司港=1974(昭和49)年10月5日、下関市上空(本社ヘリから)関門橋012
門司上空から下関市方面を望む=1981(昭和56)年8月20日、北九州市・山口県(本社機から)関門橋013
関門橋=1982(昭和57)年12月、北九州市・下関市(本社機から)関門橋014
関門橋=1982(昭和57)年12月、北九州市・下関市(本社機から)関門橋015
関門橋。後方は門司=1987(昭和62)年4月、北九州市(本社機から)関門橋016
関門橋=1988(昭和63)年12月1日、北九州市・下関市(本社機から)関門橋017
関門橋=1988(昭和63)年12月1日、北九州市・下関市(本社機から)関門橋018
関門橋=1988(昭和63)年12月1日、北九州市・下関市(本社機から)関門橋019
関門橋=1988(昭和63)年1月、下関市上空から関門橋020
関門橋=1990(平成2)年3月16日、北九州市・下関市(本社機から)関門橋021
関門橋=1990(平成2)年3月16日、北九州市・下関市(本社機から)関門橋022
関門橋=1990(平成2)年3月16日、北九州市・下関市(本社機から)関門橋023
関門橋=1990(平成2)年3月16日、北九州市・下関市(本社機から)関門橋024
関門橋(門司側から望む)=1992(平成4)年5月4日、北九州市・下関市(本社機から)関門橋025
早鞆ノ瀬戸に架かる関門橋=1996(平成8)年1月31日、北九州市・門司港上空(本社ヘリから)関門橋026
早鞆ノ瀬戸に架かる関門橋=1996(平成8)年1月31日、北九州市・門司港上空(本社ヘリから)関門海峡 海上メーデー001
関門海峡であった海上メーデー=1955(昭和30)年5月1日(本社機から)関門海峡 海上メーデー002
関門海峡であった海上メーデー=1955(昭和30)年5月1日(本社機から)関門海峡 海上メーデー003
関門海峡であった海上メーデー=1955(昭和30)年5月1日(本社機から)関門海峡を渡る九州新幹線001
関門橋をくぐり九州入りする九州新幹線「つばめ」の新型車両=2003(平成15)年8月5日午後(本社ヘリから)関門海峡を渡る九州新幹線002
九州入りする九州新幹線の新型車両「つばめ」=2003(平成15)年8月5日午後(本社ヘリから)関門海峡を渡る東京五輪聖火001
関門海峡を渡る東京オリンピックの聖火=1964(昭和39)年9月18日(本社機から)関門海峡を渡る東京五輪聖火002
関門海峡を渡る東京オリンピックの聖火=1964(昭和39)年9月18日(本社機から)関門海峡を渡る東京五輪聖火003
関門海峡を渡る東京オリンピックの聖火=1964(昭和39)年9月18日(本社機から)関門海峡を渡る東京五輪聖火004
関門海峡を渡る東京オリンピックの聖火=1964(昭和39)年9月18日(本社機から)関門海峡を渡る東京五輪聖火005
巡視船「なつぐも」船上の聖火=1964(昭和39)年9月18日(本社機から)関門海峡を渡る聖火
聖火を乗せた巡視船を先頭に関門海峡を渡る船団(後方は門司)=1964(昭和39)年9月18日(本社機から)関門海峡001
関門海峡。(下関、門司)下関市名池山、上空から門司市北側古城山を見る=1954(昭和29)年3月関門海峡002
空から見た関門海峡=1955(昭和30)年9月関門海峡003
関門海峡。手前が門司市(北九州)=1956(昭和31)年12月25日(本社機から)関門海峡004
関門海峡。手前が門司市(北九州)=1956(昭和31)年12月25日(本社機から)関門海峡005
関門海峡(航空写真)関門海峡006
関門海峡。門司側から望む=1957(昭和32)年11月2日(本社機から)関門海峡007
関門海峡。下関側から門司方面を望む=1959(昭和34)年12月15日(本社機から)関門海峡008
下関市上空から見た海峡。対岸は門司市=1963(昭和38)年1月関門海峡009
関門海峡。手前は下関、向こうは門司=1963(昭和38)年10月2日(本社機から)関門海峡010
上空から見た海峡。左・下関市、右・北九州市門司区=1963(昭和38)年11月23日関門海峡011
関門海峡=1970(昭和45)年12月15日(本社機から)関門海峡011
左・下関市、右・北九州市門司区、向こうは瀬戸内海(航空写真)関門海峡012
関門海峡=1970(昭和45)年12月15日(本社機から)関門海峡012
右が門司港、向こうは下関市(航空写真)関門海峡013
空から見た1971(昭和46)年当時の関門海峡と和布刈公園=1971(昭和46)年7月頃関門海峡014
関門海峡=1991(平成3)年8月13日(本社機から)関門海峡015
九州と本州を隔てる関門海峡。この海峡全体の交通体系をどう考えるかが課題となっている=2007年11月関門海峡016
関門橋が彩りをそえる海峡。左が北九州市門司区(航空写真)響灘埋め立て地001
若松の響灘埋め立て地=1969(昭和44)年12月20日、北九州市若松区(本社機から)響灘埋め立て地002
若松の響灘埋め立て地=1982(昭和57)年12月、北九州市若松区(本社機から)響灘埋め立て地003
若松の響灘埋め立て地=1982(昭和57)年12月、北九州市若松区(本社機から)響灘埋め立て地004
響灘埋め立て地=1990(平成2)年12月28日、北九州市若松区(本社ヘリから)響灘埋め立て地005
響灘埋め立て地=1990(平成2)年12月28日、北九州市若松区(本社ヘリから)響灘埋め立て地006
響灘埋め立て地=1990(平成2)年12月28日、北九州市若松区(本社ヘリから)響灘埋め立て地007
響灘埋め立て地=1997(平成9)年11月28日、北九州市若松区(本社ヘリから)響灘埋め立て地008
響灘埋め立て地=1997(平成9)年11月28日、北九州市若松区(本社ヘリから)響灘埋め立て地009
響灘埋め立て地=1997(平成9)年11月28日、北九州市若松区(本社ヘリから)響灘埋め立て地010
響灘埋め立て地=1997(平成9)年11月28日、北九州市若松区(本社ヘリから)響灘埋め立て地011
響灘埋め立て地=1997(平成9)年11月28日、北九州市若松区(本社ヘリから)響灘緑地001
第8回全国都市緑化フェア(グリーンルネッサンス北九州’91)=1991年10月4日、北九州市若松区・響灘緑地響灘緑地002
第8回全国都市緑化フェア(グリーンルネッサンス北九州’91)の会場=1991(平成3)年10月4日響灘緑地003
第8回全国都市緑化フェア(グリーンルネッサンス北九州’91)の会場=1991(平成3)年10月4日響灘緑地004
第8回全国都市緑化フェア(グリーンルネッサンス北九州’91)の会場=1991(平成3)年10月4日響灘緑地005
第8回全国都市緑化フェア(グリーンルネッサンス北九州’91)の会場=1991(平成3)年10月4日響灘西地区廃棄物処分場
震災がれきの焼却灰が埋められる響灘西地区廃棄物処分場(手前)。奥に脇之浦漁港がある=2012年5月22日頓田貯水池001
頓田貯水池=1968(昭和43)年6月11日、北九州市若松区(本社機から)頓田貯水池002
若松の頓田貯水池=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)頓田貯水池003
空から見た若松区の頓田貯水池周辺=1983(昭和58)年8月頃頓田貯水池004
頓田貯水池=1989(平成元)年10月1日、北九州市若松区(本社機から)頓田貯水池005
頓田貯水池=1991(平成3)年10月4日、北九州市若松区(本社ヘリから)風師山の土砂崩れ 昭和28年西日本大水害001
大雨で土砂崩れ(山崩れ)が発生した門司・風師山=1953(昭和28)年6月(本社機から)風師山の土砂崩れ 昭和28年西日本大水害002
大雨で土砂崩れ(山崩れ)が発生した門司・風師山=1953(昭和28)年6月(本社機から)風師山の土砂崩れ 昭和28年西日本大水害003
大雨で土砂崩れ(山崩れ)が発生した門司・風師山=1953(昭和28)年6月(本社機から)風師山の土砂崩れ 昭和28年西日本大水害004
大雨で土砂崩れ(山崩れ)が発生した門司・風師山=1953(昭和28)年6月(本社機から)風師山水防工事001
昭和28年水害で土砂崩れを起こした風師山に建設中の砂防壁=1956(昭和31)年5月1日、門司市風師山水防工事002
昭和28年水害で土砂崩れを起こした風師山に建設中の砂防壁=1956(昭和31)年5月1日、門司市風師山水防工事003
昭和28年水害で土砂崩れを起こした風師山に建設中の砂防壁=1956(昭和31)年5月1日、門司市風師山水防工事004
昭和28年水害で土砂崩れを起こした風師山に建設中の砂防壁=1956(昭和31)年5月1日、門司市馬場山IC
北九州都市高速道路の馬場山インターチェンジ=1981(昭和56)年8月20日、北九州市八幡西区(本社機から)馬島
馬島全景=北九州市小倉区響灘(航空写真)馬島、六連島001
北九州市小倉北区の馬島(手前)と山口県下関市の六連島=1998(平成10)年3月3日、北九州市若松区沖上空馬島、六連島002
北九州市小倉北区の馬島(手前)と山口県下関市の六連島=1998(平成10)年3月3日、北九州市若松区沖上空馬島、六連島003
北九州市小倉北区の馬島(手前)と山口県下関市の六連島=1998(平成10)年3月3日、北九州市若松区沖上空馬島、六連島004
北九州市小倉北区馬島-下関市六連島=1998(平成10)年3月(本社ヘリから)馬島、六連島005
北九州市小倉北区馬島-下関市六連島=1998(平成10)年3月(本社ヘリから)高塔山公園001
若松区の高塔山公園=1963(昭和38)年10月2日、北九州市(本社機から)高塔山公園002
若松市の高塔山公園=1963(昭和38)年(本社機から)高塔山公園003
高塔山公園=1964(昭和39)年3月19日、若松市(北九州)(本社機から)鱒渕ダム001
鱒渕ダム=1988(昭和63)年12月1日、北九州市小倉南区(本社機から)鱒渕ダム002
鱒渕ダム=1988(昭和63)年12月1日、北九州市小倉南区(本社機から)黒崎そごう
黒崎そごう=1991(平成3)年10月4日、北九州市八幡西区(本社ヘリから)黒崎付近の住宅地
西にのびる住宅地=北九州市八幡区黒崎付近(航空写真)黒崎周辺001
北九州市八幡西区黒崎周辺=2006(平成18)年7月黒崎周辺002
北九州市八幡西区黒崎周辺=2006(平成18)年7月黒崎市街地001
黒崎中心街=1970(昭和45)年12月15日、北九州市(本社機から)黒崎市街地002
黒崎市街地=1981(昭和56)年8月20日、北九州市八幡西区(本社機から)黒崎市街地003
黒崎市街地=1981(昭和56)年8月20日、北九州市八幡西区(本社機から)黒崎駅前
空から見た1982(昭和57)年頃の黒崎駅前再開発ビル「メイト」(右中央)=1982(昭和57)年8月頃黒崎駅周辺001
黒崎駅周辺=1982(昭和57)年12月、北九州市八幡西区(本社機から)黒崎駅周辺002
黒崎駅周辺=1982(昭和57)年12月、北九州市八幡西区(本社機から)黒崎駅周辺003
黒崎駅周辺=1982(昭和57)年12月、北九州市八幡西区(本社機から)黒崎駅周辺004
黒崎駅周辺=1974(昭和49)年10月5日、北九州市八幡西区(本社機から)黒崎駅周辺005
黒崎駅周辺=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)黒崎駅周辺006
黒崎駅周辺=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)黒崎駅周辺007
黒崎駅周辺=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)黒崎駅周辺008
黒崎駅周辺=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)黒崎駅周辺009
黒崎駅周辺=1974(昭和49)年10月5日、北九州市(本社ヘリから)黒崎駅周辺010
国鉄黒崎駅周辺=1980(昭和55)年12月、北九州市八幡西区(本社機から)黒崎駅周辺011
国鉄黒崎駅周辺=1980(昭和55)年12月、北九州市八幡西区(本社機から)黒崎駅周辺012
JR黒崎駅周辺=2000(平成12)年2月23日、北九州市八幡西区(本社ヘリから)黒崎駅周辺013
JR黒崎駅周辺=2000(平成12)年2月23日、北九州市八幡西区(本社ヘリから)黒崎駅周辺014
JR黒崎駅周辺=2000(平成12)年2月23日、北九州市八幡西区(本社ヘリから)黒崎駅周辺015
JR黒崎駅周辺=2000(平成12)年2月23日、北九州市八幡西区(本社ヘリから)黒崎駅周辺016
JR黒崎駅周辺=2000(平成12)年2月23日、北九州市八幡西区(本社ヘリから)黒崎駅周辺017
JR黒崎駅周辺=2000(平成12)年2月23日、北九州市八幡西区(本社ヘリから)黒崎駅周辺018
JR黒崎駅周辺=2000(平成12)年2月23日、北九州市八幡西区(本社ヘリから)GLAY EXPO 2001 008
開演前からGLAYの野外ライブの会場に詰めかけた人たち=2001(平成13)年8月11日夕、北九州市門司区JR八幡駅
JR八幡駅一帯=1988(昭和63)年12月1日、北九州市八幡東区(本社機から)JR小倉駅、リーガロイヤル001
JR小倉駅とリーガロイヤルホテル小倉=1998(平成10)年3月3日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)JR小倉駅、リーガロイヤル002
JR小倉駅とリーガロイヤルホテル小倉=1998(平成10)年3月3日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)JR小倉駅、リーガロイヤル003
JR小倉駅とリーガロイヤルホテル小倉=1998(平成10)年3月3日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)JR小倉駅周辺001
JR小倉駅周辺=1988(昭和63)年12月1日、北九州市(本社機から)JR小倉駅周辺002
JR小倉駅周辺=1988(昭和63)年12月1日、北九州市(本社機から)JR小倉駅周辺003
JR小倉駅周辺=1988(昭和63)年12月1日、北九州市(本社機から)JR小倉駅周辺004
JR小倉駅周辺=1988(昭和63)年12月1日、北九州市(本社機から)JR小倉駅周辺005
JR小倉駅周辺=1988(昭和63)年12月1日、北九州市(本社機から)JR小倉駅周辺006
JR小倉駅周辺=1990(平成2)年12月28日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)JR小倉駅周辺007
JR小倉駅周辺=1990(平成2)年12月28日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)JR小倉駅周辺008
JR小倉駅周辺=1990(平成2)年12月28日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)JR小倉駅周辺009
JR小倉駅周辺=1990(平成2)年12月28日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)JR小倉駅周辺010
JR小倉駅周辺=1992(平成4)年12月4日、北九州市小倉北区(本社機から)JR小倉駅周辺011
JR小倉駅周辺=1992(平成4)年12月4日、北九州市小倉北区(本社機から)JR小倉駅周辺012
JR小倉駅周辺=1992(平成4)年12月4日、北九州市小倉北区(本社機から)JR小倉駅周辺013
JR小倉駅周辺=1992(平成4)年12月4日、北九州市小倉北区(本社機から)JR小倉駅周辺014
JR小倉駅周辺=1994(平成6)年2月6日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)JR小倉駅周辺015
JR小倉駅周辺=1994(平成6)年2月6日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)JR小倉駅周辺016
JR小倉駅周辺=1994(平成6)年2月6日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)JR小倉駅周辺017
JR小倉駅周辺=1997(平成9)年11月28日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)JR小倉駅周辺018
JR小倉駅周辺=1997(平成9)年11月28日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)JR小倉駅周辺019
JR小倉駅周辺=1997(平成9)年11月28日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)JR小倉駅周辺020
JR小倉駅周辺=1997(平成9)年11月28日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)JR小倉駅周辺021
JR小倉駅周辺=1997(平成9)年11月28日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)JR小倉駅周辺022
JR小倉駅周辺=2000(平成12)年2月23日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)JR小倉駅周辺023
JR小倉駅周辺=2000(平成12)年2月23日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)JR小倉駅周辺024
JR小倉駅周辺=2000(平成12)年2月23日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)JR小倉駅周辺025
JR小倉駅周辺=2000(平成12)年2月23日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)JR小倉駅周辺026
JR小倉駅周辺=2000(平成12)年2月23日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)JR小倉駅周辺027
JR小倉駅周辺=2000(平成12)年2月23日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)JR小倉駅周辺028
JR小倉駅周辺=2000(平成12)年2月23日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)JR小倉駅周辺029
JR小倉駅周辺=2000(平成12)年2月23日、北九州市小倉北区(本社ヘリから)JR小倉駅001
JR小倉駅=1991(平成3)年10月4日、北九州市(本社ヘリから)JR小倉駅002
JR小倉駅=1991(平成3)年10月4日、北九州市(本社ヘリから)JR門司港駅001
JR門司港駅周辺=1994(平成6)年2月6日、北九州市門司区(本社ヘリから)JR門司港駅002
JR門司港駅周辺=1994(平成6)年2月6日、北九州市門司区(本社ヘリから)JR門司港駅003
JR門司港駅周辺=1994(平成6)年2月6日、北九州市門司区(本社ヘリから)JR門司港駅004
JR門司港駅=1995(平成7)年12月13日、北九州市門司区(本社ヘリから)JR門司港駅005
JR門司港駅=1995(平成7)年12月13日、北九州市門司区(本社ヘリから)JR黒崎駅と黒崎そごう周辺001
JR黒崎駅と黒崎そごう周辺=1990(平成2)年12月28日、北九州市(本社ヘリから)JR黒崎駅と黒崎そごう周辺002
JR黒崎駅と黒崎そごう周辺=1990(平成2)年12月28日、北九州市(本社ヘリから)JR黒崎駅と黒崎そごう周辺003
JR黒崎駅と黒崎そごう周辺=1990(平成2)年12月28日、北九州市(本社ヘリから)JR黒崎駅と黒崎そごう周辺004
JR黒崎駅と黒崎そごう周辺=1990(平成2)年12月28日、北九州市(本社ヘリから)JR黒崎駅001
JR黒崎駅界わい=1988(昭和63)年12月1日、北九州市八幡西区(本社機から)JR黒崎駅002
JR黒崎駅界わい=1988(昭和63)年12月1日、北九州市八幡西区(本社機から)JR黒崎駅003
JR黒崎駅界わい=1988(昭和63)年12月1日、北九州市八幡西区(本社機から)JR黒崎駅004
JR黒崎駅界わい=1988(昭和63)年12月1日、北九州市八幡西区(本社機から)