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九州の産業遺産
カザレー式アンモニア製造装置
カザレー式アンモニア製造装置=宮崎県延岡市グラバー邸(旧グラバー住宅)001
グラバー邸=1951(昭和26)年11月14日、長崎市南山手グラバー邸(旧グラバー住宅)002
グラバー邸=昭和26年11月14日、長崎市南山手グラバー邸(旧グラバー住宅)003
3月に築150年を迎えた旧グラバー住宅ジャイアント・カンチレバークレーン
三菱重工業長崎造船所で、現役で稼働しているジャイアント・カンチレバークレーンスペースワールド計画【八幡製鉄所】
新日鉄が宇宙ランド(スペースワールド)を計画した頃の新日鉄八幡製鉄所の用地=昭和62年11月頃デレーケ導流堤
筑後川の中央に築造された導流堤。引き潮の時だけ姿を現すドルフィン桟橋と夕顔丸【軍艦島】001
端島のドルフィン桟橋と三菱重工業の連絡船「夕顔丸」=1956(昭和31)年4月5日、長崎県高島町ドルフィン桟橋と夕顔丸【軍艦島】002
端島のドルフィン桟橋と三菱重工業の連絡船「夕顔丸」=1956(昭和31)年4月5日、長崎県高島町ホッパー【三井三池鉱】
三井三池鉱のホッパーマンモスタンカー「日章丸」進水式
進水した当時世界一のマンモスタンカー「日章丸」=1962(昭和37)年7月10日マンモス鉱石運搬船【八幡製鉄所】
八幡製鉄戸畑港に着岸したリベリアのマンモス貨物船「シンクレア・ペトロロア号」ライトアップされた三菱重工業長崎造船所のクレーン
ライトアップされた三菱重工業長崎造船所のクレーン。背後は稲佐山=長崎市、2012(平成24)年10月3日万田坑 石炭積みレース【三井三池鉱】
世界文化遺産を目指す万田坑。石炭積みレースは万田坑PRの一つとして行われる=2012(平成24)年3月7日万田坑【三井三池鉱】001
三井万田坑=昭和初期万田坑【三井三池鉱】002
三井三池炭鉱旧万田坑の第二竪坑櫓と関連施設=1997(平成9)年2月12日、熊本県荒尾市(本社ヘリから)万田坑【三井三池鉱】003
三井三池炭鉱旧万田坑の第二竪坑櫓と関連施設=1997(平成9)年2月12日、熊本県荒尾市(本社ヘリから)万田坑【三井三池鉱】004
三井三池炭鉱旧万田坑の第二竪坑櫓と関連施設=1997(平成9)年2月12日、熊本県荒尾市(本社ヘリから)万田坑【三井三池鉱】005
三井三池炭鉱旧万田坑の第二竪坑櫓と関連施設=1997(平成9)年2月12日、熊本県荒尾市(本社ヘリから)万田坑【三井三池鉱】006
三井三池炭鉱旧万田坑の第二竪坑櫓と関連施設=1997(平成9)年2月12日、熊本県荒尾市(本社ヘリから)万田坑【三井三池鉱】007
三井三池炭鉱旧万田坑の第二竪坑櫓と関連施設=1997(平成9)年2月12日、熊本県荒尾市(本社ヘリから)万田坑【三井三池鉱】008
三井三池炭鉱旧万田坑の第二竪坑櫓と関連施設=1997(平成9)年2月12日、熊本県荒尾市(本社ヘリから)万田坑【三井三池鉱】009
1世紀にわたって地域を支えてきた三井三池炭鉱の万田坑=熊本県荒尾市、2014(平成26)年9月15日万田坑で映像芸術イベント【三井三池鉱】
極彩色の映像で照らされ、闇夜に映える万田坑=2013(平成25)年10月25日午後7時半すぎ、熊本県荒尾市万田坑内の山神社【三井三池鉱】
坑内の山神社=熊本県荒尾市万田で、大正年間万田坑巻き上げ機室内部【三井三池鉱】
万田坑でれんが造りの巻き上げ機室を見学し、巨大な歯車などに見入る観光客=2015(平成27)年5月5日三之橋(三角西港)
明治20年当時の石組みがそのまま残る「三之橋」。水路に満潮のとき小舟が通っていた三井三池炭鉱三川鉱001
三井三池炭鉱三川鉱=昭和31年3月、大牟田市三井三池鉱専用鉄道
石炭貨車もからっぽのまま止まった三池鉱専用鉄道=福岡県大牟田市三井三池鉱閉山
最後の仕事を終え、有明第一立て坑から上がってくる三番方の炭鉱マンたち三井田川鉱のぼた山
三井田川鉱二坑のぼた山=福岡県三川坑【三井三池鉱】
三井三池炭鉱三川坑=1960(昭和35)年6月2日、大牟田市(本社機から)三池争議
三井三池炭鉱労組員らの不当ロックアウト反対総決起集会=1960(昭和35)年1月、大牟田市笹林公園三池争議・にらみ合い
三川鉱のホッパー前でにらみ合う警官隊と三池炭鉱労組ピケ隊=昭和35年4月9日、大牟田市三川町三池争議・坑底座り込み
坑底座り込みへ、くだる三池労組宮川組合長=三川鉱で、16日午後6時三池争議・28日ぶりに入構
28日ぶりに入構する三池鉱労組員=三川鉱三池刑務所(三池集治監)
初めて開放された三池刑務所の鉄門=大牟田市上宮町、1931(昭和6)年頃三池島【三井三池鉱】001
三井三池炭鉱が大牟田市沖の有明海に建設中の第三人工島「三池島」=1969(昭和44)年12月14日三池島【三井三池鉱】002
有明海に浮かぶ人工島、三池島=2007(平成19)年3月28日(本社ヘリから)三池港での救援炭荷降ろし
三池港での救援炭の荷降ろし=昭和35年4月13日、大牟田市三池港のクレーン・大金剛丸
三池港で現役として働き続ける大金剛丸=2008(平成20)年8月22日三池港の蒸気機関クレーン船「大金剛丸」【三井三池鉱】
石炭積み出し港だった三池港で100年間活躍し続けている蒸気機関クレーン船「大金剛丸」=福岡県大牟田市三池港の閘門【三井三池鉱】
水位を一定に保つ三池港の「閘門(こうもん)」。橋のように見える水門の中央部分が開閉する=福岡県大牟田市三池港貯炭場001
三池港の貯炭場=1986(昭和61)年10月23日、大牟田市三池港閘門
三池港の大ゲート(閘門)を通過する貨物船=大牟田市、1951(昭和26)年2月2日三池港駅付近を走る炭鉱電車(三池鉄道)
三井三池鉄道三池港駅付近を走る炭鉱電車=1989(平成元)年2月2日、大牟田市三池炭鉱の機関車
三池炭鉱で活躍していた機関車第1号=1969(昭和44)年頃三池炭鉱宮原坑【三井三池鉱】
ユネスコ諮問機関が世界文化遺産登録を勧告した宮原坑=福岡県大牟田市、2015(平成27)年4月26日三池炭鉱専用鉄道敷
三池炭鉱専用鉄道敷跡=2014(平成26)年3月9日三池集治監の外壁
三池工業高校の敷地内に残る「旧三池集治監」の外壁=2002(平成14)年、大牟田市上官町三菱化学黒崎事業所のプラント群 夜間照明で輝く
紅白の煙突の下、夜間照明で輝く三菱化学黒崎事業所のプラント群=2010(平成22)年8月18日三菱飯塚炭鉱跡
廃虚となった三菱飯塚鉱の人車坑口=嘉穂郡穂波町、1962(昭和37)年12月頃三菱飯塚炭鉱跡 斜坑巻き上げ機台座
旧三菱飯塚炭鉱斜坑巻き上げ機台座=1995(平成7)年11月28日、福岡県穂波町三角西港
石積みの岸壁が756メートル続く三角西港三角西港 石積みの水路
三角西港そばの集落内にも、石積みの水路が張りめぐらされている=2015(平成27)年5月5日三角西港(熊本県宇城市)
ユネスコ諮問機関が世界文化遺産登録を勧告した三角西港(手前)三重津海軍所跡001
公開された三重津海軍所跡のドック跡三重津海軍所跡002
早津江川の河川敷に広がる三重津海軍所跡。現在は公園で、江戸時代の絵図を紹介する説明板が設置されている中央気缶場の全景【八幡製鉄所】
1934(昭和9)年の八幡製鉄中央気缶場の全景九州鉄道小倉工場(JR九州小倉工場)
鉄道院時代の1914年に建設され、蒸気機関車(SL)の部品を鋳造した「●(金へんに交)釘(こうてい)工場」。二本煙突
炭鉱遺跡の通称「二本煙突」=福岡県田川市伊田の石炭記念公園。旧三井田川鉱業所伊田竪坑の排煙用二瀬炭鉱
日鉄二瀬炭鉱の中央竪坑=1951(昭和26)年11月15日伊加利竪坑の開削やぐら
三井田川鉱の伊加利竪坑の開削やぐら=福岡県田川市伊田坑の二本煙突と竪坑櫓
世界遺産の国内候補に登載された旧三井田川鉱業所伊田坑二本煙突と竪坑櫓=福岡県田川市伊藤伝之祐(伊藤伝右衛門の孫)
幸袋製作所社長(伊藤伝右衛門の孫)・伊藤伝之祐氏=1953(昭和28)年4月頃伊藤伝右衛門と柳原白蓮(結婚当時)
結婚当時の伊藤伝右衛門と柳原白蓮=1911(明治44)年3月住友忠隈炭鉱のボタ山002
住友忠隈炭鉱のボタ山=昭和30(1955)年、福岡県穂波町(本社機から)住友忠隈炭鉱のボタ山003
旧住友忠隈炭鉱のボタ山=平成10年3月2日、福岡県嘉穂郡穂波町(本社ヘリから)住友忠隈炭鉱採掘場
先山、後山でにぎわう住友忠隈炭鉱採掘場=福岡県(飯塚市と嘉穂郡穂波町にまたがる)、明治30年住友忠隈炭鉱005
閉山する住友忠隈炭鉱住友潜竜炭鉱
住友潜竜炭鉱=長崎県江迎町佐世保重工の250トン起重機
佐世保重工業二五〇トン起重機=2012(平成24)年12月14日佐世保重工業(SSK)
昭和20年代のSSK(佐世保船舶工業)=佐世保市立神町佐世保重工業(SSK)全景
SSK(佐世保船舶工業)の全景=佐世保市立神町、1953(昭和28)年4月修繕工場【八幡製鉄所】
現存する鉄骨建築物では日本最古の修繕工場。1900年に設置されたとみられるクレーンは今も現役だ八幡製鉄労働会館【八幡製鉄所】
八幡製鉄労働会館八幡製鉄所の全景
八幡製鉄所の全景=1951(昭和26)年8月八幡製鉄所の本事務所001
八幡製鉄所の本事務所=八幡区、1957(昭和32)年1月7日八幡製鉄所の本事務所002
68年の歴史を閉じることになった新日鉄八幡製鉄所の本事務所八幡製鉄所の本事務所003
1899年に建てられ、八幡製鉄所の中枢機能を担った旧本事務所=北九州市八幡東区八幡製鉄所の本事務所004
1899年に完成した旧本事務所。長官室などが置かれ約20年間、製鉄所の中枢を担う建物だった八幡製鉄所鞘ケ谷社宅
八幡製鉄所鞘ケ谷社宅=福岡県戸畑市八幡製鉄第三製鋼工場
生産制限で封印される八幡製鉄第三製鋼工場内田三連橋梁
国の登録文化財になっている内田三連橋梁冷延工場【八幡製鉄所】
作業開始した八幡製鉄所の新冷延工場出銑1億トン達成【八幡製鉄所】
出銑1億トンを達成した八幡製鉄所=東田第5高炉初島【三井三池鉱】001
三池炭鉱の人工島「初島」の地底50メートルの深さから見上げる坑口=大牟田市沖の有明海初島【三井三池鉱】002
有明海の人工島、初島=昭和36年10月23日初島【三井三池鉱】003
大牟田商議所が近代化遺産としての活用を市に要望した初島北九州工業地帯【八幡製鉄所】
新日鉄八幡製鉄所=2001(平成13)年9月14日、北九州市(本社ヘリから)北渓井坑跡【高島炭鉱】
高島炭鉱・北渓井坑跡=2014(平成26)年3月19日南河内橋
南河内橋(北九州市八幡東区)。1927年・八幡製鉄所の用水ダムに架かるレンズ型トラス橋。古河目尾鉱
古河目尾(しゃかのお)鉱=福岡県鞍手郡小竹町古河目尾鉱の遺構
古河目尾炭鉱跡地から出土した2本の土管など排水施設四山坑【三井三池鉱】
三井三池炭鉱四山坑=1956(昭和31)年3月、大牟田市四山坑と炭住【三井三池鉱】
三井三池炭鉱四山坑と炭住=1956(昭和31)年3月、大牟田市四山鉱と炭住【三井三池鉱】
三井三池炭鉱四山鉱と炭住=昭和31年3月、大牟田市四山鉱跡
三井三池四山鉱の跡地=1997(平成9)年12月3日、荒尾市(本社ヘリから)四山鉱跡、三池港001
旧四山鉱(手前)と三池港=1997(平成9)年2月12日、荒尾市(本社ヘリから)四山鉱跡、三池港002
旧四山鉱(手前)と三池港=1997(平成9)年2月12日、荒尾市(本社ヘリから)四山鉱跡、三池港003
旧四山鉱(手前)と三池港=1997(平成9)年2月12日、荒尾市(本社ヘリから)四山鉱跡、三池港004
旧四山鉱(中央左)と三池港=1997(平成9)年2月12日、荒尾市(本社ヘリから)国鉄八幡駅
完成した国鉄八幡駅(中央)と八幡製鉄所=1957(昭和32)年3月12日、八幡市(北九州)(本社機から)国鉄小倉工場の浴場
国鉄小倉工場自慢の浴場国鉄小倉工場大食堂
国鉄小倉工場大食堂のアーチ型天井=1959(昭和34)年10月13日国鉄志免炭鉱001
海軍炭鉱時代=福岡県粕屋郡国鉄志免炭鉱002
国鉄志免炭鉱=昭和34年4月26日、福岡県粕屋郡国鉄志免鉱業所
閉山を迎える国鉄志免鉱業所=福岡県須恵町旅石坑夫像【高島炭鉱】
閉山を前にした三菱高島炭鉱のシンボル「坑夫像」=昭和61年11月18日、長崎県西彼杵郡高島町大板山たたら製鉄遺跡
大板山たたら製鉄遺跡大浦坑跡記念碑【三井三池鉱】
三池炭鉱大浦斜坑跡の記念碑=大牟田市宇佐のマチュピチュ(院内町西椎屋地区)
南米ペルーの世界遺産マチュピチュに似ていると評判の宇佐市院内町西椎屋地区=2014(平成26)年11月19日宮原坑跡【三井三池鉱】
福岡県大牟田市が世界遺産登録を目指す旧三井三池炭鉱の「宮原坑跡」宮浦坑【三井三池鉱】
宮浦坑=1956(昭和31)年3月宮浦坑と周辺工場【三井三池鉱】
三井三池炭鉱宮浦坑と周辺の工場群=1960(昭和35)年6月2日、大牟田市(本社機から)宮浦坑跡【三井三池鉱】
三井三池炭鉱宮浦坑跡=1993(平成5)年9月21日、大牟田市宮浦鉱と周辺の工場群【三井三池鉱】
三井三池炭鉱宮浦鉱と周辺の工場群=昭和35年6月2日、大牟田市(本社機から)専用地下道【八幡製鉄所】
八幡製鉄専用地下道小倉製鋼溶鉱炉
小倉製鋼(住友金属工業小倉製鉄所)の溶鉱炉=北九州市小倉北区小菅修船場跡
小菅修船場跡=2013(平成25)年12月6日小菅修船場跡(ソロバンドック)
我が国近代造船業発祥の地、小菅修船場跡(ソロバンドック)=1968(昭和43)年2月12日、長崎市小菅町尚古集成館001
尚古集成館=1956(昭和31)年3月2日尚古集成館002
旧集成館の機械工場だった「尚古集成館」。現在は展示施設になっている=2013(平成25)年9月17日山本作兵衛001
ヤマの絵師。筑豊の炭鉱を描く。「明治大正炭鉱絵巻」を手にする山本さん。昭和59年12月没=昭和38年9月頃山本作兵衛002
炭鉱画家の山本作兵衛さん(筑豊)山本作兵衛003
山本作兵衛氏=1966(昭和41)年1月頃山本作兵衛004
ヤマの絵師・山本作兵衛(福岡・筑豊)(昭和59年12月没)山本作兵衛005
田川のヤマ男。画文集を出版した田川市弓削田の山本作兵衛さん(80)山本作兵衛006
ヤマの絵師。昭和59年12月没=1977(昭和52)年10月頃山本作兵衛007
ヤマの絵師・山本作兵衛さん。自宅の仕事部屋(昭和59年12月没)=昭和56年頃山本作兵衛008
ヤマの絵師。昭和59年12月没=撮影日不明幸野川橋梁
宮原線の幸野川橋梁は圧力に強いコンクリートと張力に強い竹を利用したアーチ橋(竹筋橋)=熊本県小国町志免炭鉱竪坑櫓
志免町(中央は志免炭鉱)=1957(昭和32)年、福岡県粕屋郡(本社機から)恵美須ケ鼻造船所跡
恵美須ケ鼻造船所跡戸畑工場建設用地の埋め立て【八幡製鉄所】
八幡製鉄所戸畑工場建設用地の埋め立て=1956(昭和31)年8月9日、戸畑市(北九州)(本社機から)戸畑第1高炉【八幡製鉄所】
火入れを待つ戸畑第一高炉=八幡製鉄戸畑製造所、1959(昭和34)年8月31日戸畑第4高炉【八幡製鉄所】
新日鉄八幡製鉄所の戸畑第4高炉戸畑製造所【八幡製鉄所】001
八幡製鉄所戸畑製造所=1959(昭和34)年12月、北九州戸畑製造所【八幡製鉄所】002
八幡製鉄所戸畑製造所=1959(昭和34)年12月、北九州戸畑製造所【八幡製鉄所】003
八幡製鉄戸畑製造所=昭和37年(本社機から)戸畑製造所【八幡製鉄所】004
八幡製鉄戸畑製造所戸畑製造所の専用港【八幡製鉄所】
戸畑市のドル箱・八幡製鉄戸畑製造所の専用港戸畑製造所第2高炉【八幡製鉄所】
八幡製鉄所戸畑製造所第2高炉新日鉄・戸畑工場【八幡製鉄所】
新日鉄八幡製鉄所戸畑工場=1981(昭和56)年1月3日新日鉄八幡製鉄所の夜景
新日鉄八幡製鉄所では時折、工場内の光がもれ周囲が赤く見える=北九州市戸畑区中原新日鉄八幡製鉄所空撮
新日鉄八幡製鉄所=平成4年5月4日、北九州市八幡東区(本社ヘリから)方城炭鉱
70年の歴史を閉じる方城炭鉱=福岡県田川郡方城町日本で初輸入された織り機
日本で初めて輸入された古い織り機=鹿児島市の尚古集成館蔵日本一長いという海底水道【高島炭鉱】
日本一長いという海底水道=長崎県西彼杵郡高島町日本水産
大型船ラッシュに備えて整備を急ぐ洞海港日本水産戸畑支店支社ビル
日本水産戸畑支店支社ビル=北九州市戸畑区日鉄二瀬鉱
本部前に積み上げられた貯炭=福岡県飯塚市二瀬町旧三川電鉄変電所
サンデン本社に生まれ変わった旧三川電鉄変電所=2006(平成18)年5月25日旧伊藤伝右衛門邸の庭園
柳原白蓮がながめた旧伊藤伝右衛門邸の庭園=2010(平成22)年10月26日旧伊藤伝右衛門邸001
貴重な産業遺産として保存運動が活発化している旧伊藤伝右衛門邸旧伊藤伝右衛門邸002
炭鉱王の栄華を今に伝える旧伊藤伝右衛門邸。左端の2階部分が柳原白蓮の居室=2014(平成26)年5月頃旧多久村立図書館書庫
高取伊好の美学を伝える赤れんが建築の旧多久村立図書館書庫=2002(平成14)年8月20日旧宮原坑の第二竪坑櫓【三井三池鉱】
三井三池炭鉱旧宮原坑の第二竪坑櫓(中央)=1997(平成9)年2月12日、大牟田市(本社ヘリから)旧鍛冶工場【八幡製鉄所】
1900年竣工の八幡製鉄所旧鍛冶工場=2013(平成25)年9月5日、北九州市八幡東区旧集成館
高さ2メートルほどの石垣の内側には、精緻に組み上がった石組みの反射炉基礎部分が今も残る旧高取邸
市民の情熱で保存された旧高取邸。和風建築としゃれた洋館がうまく調和し、炭鉱王の栄華を今に伝える旧鹿児島紡績所技師館001
異人館(旧鹿児島紡績所技師館)=1961(昭和36)年5月20日旧鹿児島紡績所技師館002
改修された異人館(旧鹿児島紡績所技師館)=鹿児島市旧鹿児島紡績所技師館003
異人館(旧鹿児島紡績所技師館)=2014(平成26)年2月10日早良炭鉱ボタ山
早良炭鉱ボタ山。手前は社宅。福岡市西区姪浜町で=1959(昭和34)年8月26日早良炭鉱跡
早良炭鉱跡の埋め立て地=福岡市西区姪浜町明治鉱業高田鉱
会社が廃山を通告した明治鉱業高田鉱昭和天皇 九州路ご視察【三井三池鉱】
九州路の昭和天皇。三池炭鉱三川坑で=1949(昭和24)年5月29日昭和天皇 採炭状況を視察される【三井三池鉱】
三池炭鉱三川鉱切羽で採炭状況を視察される昭和天皇昭和20年代の端島炭鉱【軍艦島】
軍艦島とよばれた端島炭鉱=昭和20年代昭和20年代の軍艦島
端島全景(軍艦島)=1954(昭和29)年8月昭和20年代の高層アパート【軍艦島】
三菱端島炭鉱の高層アパート=1947(昭和22)年5月21日、長崎県高島町昭和30年代のアパート群【軍艦島】001
三菱端島炭鉱の炭鉱労働者が住むアパート群=1956(昭和31)年4月5日、長崎県高島町昭和30年代のアパート群【軍艦島】002
三菱端島炭鉱の炭鉱労働者が住むアパート群=1956(昭和31)年4月5日、長崎県高島町昭和30年代のアパート群【軍艦島】003
三菱端島炭鉱の炭鉱労働者が住むアパート群=1956(昭和31)年4月5日、長崎県高島町昭和30年代のアパート群【軍艦島】004
三菱端島炭鉱の炭鉱労働者が住むアパート群=1956(昭和31)年4月5日、長崎県高島町昭和30年代のアパート群【軍艦島】005
三菱端島炭鉱の炭鉱労働者が住むアパート群=1956(昭和31)年4月5日、長崎県高島町昭和30年代のアパート群【軍艦島】006
三菱端島炭鉱の炭鉱労働者が住むアパート群=1956(昭和31)年4月5日、長崎県高島町昭和30年代のアパート群【軍艦島】007
三菱端島炭鉱の炭鉱労働者が住むアパート群=1956(昭和31)年4月5日、長崎県高島町昭和30年代の端島炭鉱【軍艦島】001
海底880メートルに通ずる第二竪坑坑道=1956(昭和31)年4月5日、長崎県高島町昭和30年代の端島炭鉱【軍艦島】002
三菱端島炭鉱(やぐら)=1956(昭和31)年4月5日、長崎県高島町昭和30年代の端島炭鉱【軍艦島】003
三菱端島炭鉱(端島の外周)=1956(昭和31)年4月5日、長崎県高島町昭和30年代の端島炭鉱【軍艦島】004
三菱端島炭鉱=1956(昭和31)年4月5日、長崎県高島町昭和30年代の端島炭鉱【軍艦島】005
三菱端島炭鉱(煙突)=1956(昭和31)年4月5日、長崎県高島町昭和30年代の端島炭鉱【軍艦島】006
三菱端島炭鉱=1956(昭和31)年4月5日、長崎県高島町(本社機から)昭和30年代の端島炭鉱【軍艦島】007
三菱端島炭鉱(やぐらと神社)=1956(昭和31)年4月5日、長崎県高島町昭和30年代の端島炭鉱【軍艦島】008
端島(軍艦島)。小中学校か=1957(昭和32)年11月15日(本社機から)昭和30年代の端島炭鉱【軍艦島】009
三菱端島炭鉱=1963(昭和38)年9月25日(本社機から)昭和30年代・広場で開かれる市場【軍艦島】
端島の広場で開かれる市場=1956(昭和31)年4月5日、長崎県高島町昭和30年代・端島の子どもたち【軍艦島】001
端島の子供たち=1956(昭和31)年4月5日、長崎県高島町昭和30年代・端島の子どもたち【軍艦島】002
端島の子供たち=1956(昭和31)年4月5日、長崎県高島町東京製綱小倉工場
東京製綱小倉工場の伸線工場=1957(昭和32)年1月東洋一を誇る竪坑やぐらと石炭積み込み【軍艦島】
東洋一を誇る竪坑やぐらと石炭積み込み=1950(昭和25)年5月、長崎県高島町端島東洋製缶
東洋製缶工場=戸畑市、1952(昭和27)年1月10日東田第一高炉「1901」【八幡製鉄所】
新日鉄八幡製鉄所の東田第一高炉「1901」=平成5年12月、北九州市八幡西区東田第一高炉【八幡製鉄所】
鋳物用銑鉄生産の東田第一高炉=1969(昭和44)年6月6日東田第一高炉史跡広場【八幡製鉄所】
八幡のシンボル・保存された東田第一高炉史跡広場=2014(平成26)年4月2日東田6号炉【八幡製鉄所】
八幡製鉄の東田6号炉松下村塾001
松下村塾=昭和31年2月15日、山口県萩市松下村塾002
松下村塾水ノ子島灯台001
豊後水道に浮かぶ水ノ子島灯台=昭和30(1955)年頃水ノ子島灯台002
白黒横じまの外観はそのままにお化粧直しをした水ノ子島灯台池島の玉屋ストア
長崎県西彼杵郡外海町の池島にあった唯一のストア、玉屋ストア=昭和35年6月頃池島炭鉱のアパート001
松島炭鉱池島鉱の従業員アパート=昭和48年11月13日、長崎県外海町池島炭鉱閉山
最後の採炭を終え、昇坑する鉱員たち=2001(平成13)年11月29日午前6時すぎ、長崎県外海町の池島炭鉱池島炭鉱001
(松島炭鉱)池島炭鉱=長崎県西彼杵郡外海町、1960(昭和35)年5月12日池島炭鉱002
(松島炭鉱)池島炭鉱=1962(昭和37)年12月29日池島炭鉱003
空から見た池島鉱の全景=1972(昭和47)年8月、長崎県西彼杵郡外海町池島炭鉱004
ドラムカッターがうなりをあげる池島坑内=1974年1月撮影池島炭鉱005
炭坑の島・池島=1980(昭和55)年12月22日、長崎県西彼杵郡外海町(本社機から)池島炭鉱006
炭坑の島・池島=1980(昭和55)年12月22日、長崎県西彼杵郡外海町(本社機から)池島炭鉱007
炭坑の島・池島=1980(昭和55)年12月22日、長崎県西彼杵郡外海町(本社機から)池島炭鉱008
炭坑の島・池島=1980(昭和55)年12月22日、長崎県西彼杵郡外海町(本社機から)池島炭鉱009
池島=1982(昭和57)年5月20日、長崎県西彼杵郡外海町(本社機から)池島炭鉱010
松島鉱業所池島炭鉱=1991(平成3)年3月30日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱011
松島鉱業所池島炭鉱=1991(平成3)年3月30日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱012
松島鉱業所池島炭鉱=1991(平成3)年3月30日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱013
松島鉱業所池島炭鉱=1991(平成3)年3月30日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱014
池島=1997(平成9)年10月10日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱015
池島=1997(平成9)年10月10日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱016
池島=1997(平成9)年10月10日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱017
池島=1997(平成9)年10月10日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱018
池島=1997(平成9)年10月10日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱019
池島=1997(平成9)年10月10日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱020
池島=1997(平成9)年10月10日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱021
池島=1997(平成9)年10月10日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱022
池島炭鉱=1997(平成9)年10月10日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱023
池島炭鉱=1997(平成9)年10月10日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱024
池島の炭鉱アパート=1997(平成9)年10月10日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱025
九州で唯一採炭を続ける池島炭鉱=1997(平成9)年10月、長崎県外海町池島(本社ヘリから)池島炭鉱026
池島炭鉱のある長崎県外海町の池島=1997(平成9)年10月(本社ヘリから)池島炭鉱027
池島炭鉱=1997(平成9)年10月、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱028
池島炭鉱のある長崎県外海町の池島=1997(平成9)年10月(本社ヘリから)池島炭鉱029
池島炭鉱=2013(平成25)年12月15日、長崎市沖河内貯水池【八幡製鉄所】
八幡製鉄所の工業用水池「河内貯水池」=昭和34年11月頃洞海湾空撮【八幡製鉄所】
洞海湾。中央は八幡製鉄=1969(昭和44)年12月20日浅野セメント
浅野セメント香春工場=福岡県田川郡香春町火入れした第三溶鉱炉【八幡製鉄所】
1962(昭和37)年3月22日火入れした世界最大のマンモス溶鉱炉(左側は第二溶鉱炉)=八幡製鉄戸畑製造所炭住アパート【高島炭鉱】
来春までに解体される三菱高島炭鉱の炭住アパート=1996(平成8)年11月26日、長崎県高島町炭鉱王 高取伊好
炭鉱王といわれた高取伊好=撮影日不明炭鉱社宅の共同水道【三井三池鉱】
三池炭鉱社宅の共同水道=四山社宅炭鉱鉄道の電気機関車
1937年製で三池炭鉱の石炭運搬にも活躍した電気機関車が現役で稼働している=大牟田市旭町3丁目の踏切炭鉱電車と浅牟田の工場群
炭鉱電車(下)と浅牟田の工場群=1997(平成9)年2月12日、大牟田市(本社ヘリから)炭鉱電車(三池鉄道)
三井三池鉄道旭町支線宮浦停車場付近=1989(平成元)年2月4日、大牟田市烏帽子坑跡(天草炭田)
天草炭田烏帽子坑跡。天草炭田の無煙炭は明治期に、海軍が軍艦の燃料として注目産業セメント鉄道株式会社
1954(昭和29)年、麻生鉱業と合併して麻生産業となる田中熊吉氏【八幡製鉄所】
八幡製鉄所宿老。洞岡1号高炉の前で元気な姿をみせる田中熊吉翁=1970(昭和45)年11月21日田川坑の二本煙突
田川坑の二本煙突=1980(昭和55)年12月8日田川坑の伊加利竪坑
田川坑の伊加利竪坑=1955(昭和30)年1月5日田川坑第三坑
炭坑節で知られた煙突がある第三坑。手前は炭住街=1959(昭和34)年8月12日白水ダム
大分県竹田市の白水ダム社員団地(通称新婚アパート)【八幡製鉄所】
八幡製鉄所の社員団地(通称新婚アパート)=八幡市穴生端島(軍艦島)の取材をする韓国KBSスタッフ
端島(軍艦島)の取材をする韓国KBSスタッフ=1989(平成元)年6月28日、長崎県竹之迫炭鉱
竹之迫炭鉱の坑口=熊本県天草郡苓北町都呂々、1961(昭和36)年7月27日第二人工島【三井三池鉱】005
三井三池炭鉱の第2人工島=昭和36年頃、大牟田市の三池港南側の埋立地(本社機から)第二人工島【三井三池鉱】006
三井三池炭鉱の第2人工島=昭和36年頃、大牟田市の三池港南側の埋立地(本社機から)第4高炉 唯一稼働している【八幡製鉄所】
新日鉄八幡製鉄所で唯一稼働している第4高炉=北九州市戸畑区、2011(平成23)年1月28日筑後川昇開橋002
国鉄佐賀線の筑後川昇開橋とエツ漁の船=福岡県大川市筑後川昇開橋020
補修工事に伴い、2月1日から全面通行止めになる筑後川昇開橋耶馬渓橋
土木遺産・耶馬渓橋耶馬渓橋 復旧渡り初め
災害復旧工事が完了した耶馬渓橋で渡り初めをする地元住民たち=平成25年6月23日午前、大分県中津市本耶馬渓町菱刈金山001
品質の良い金を産出する住友菱刈鉱山=1985(昭和60)年11月5日、鹿児島県菱刈町菱刈金山002
菱刈鉱山=昭和62年11月10日、鹿児島県菱刈町菱刈金山003
菱刈金山の採掘現場=1989(平成元)年10月31日、鹿児島県菱刈町萩反射炉001
萩の反射炉=萩市萩反射炉002
萩の反射炉=萩市萩城下町
萩の城下町萩城下町の土塀
萩市・萩城下町の土塀蛎瀬坑【高島炭鉱】001
三菱・高島炭鉱の蛎瀬(かきせ)立て坑=昭和61年4月22日、長崎県高島町蛎瀬坑【高島炭鉱】002
閉山が濃厚になった三菱高島鉱の蛎瀬坑=長崎県西彼杵郡高島町被爆した東田地区の工場【八幡製鉄所】
米空軍B29の空襲で被爆した八幡市中央町と八幡製鉄所東田地区の工場=1944(昭和19)年6月16日賃上げスト【八幡製鉄所】
組合員の賃上げストの集会=1959(昭和34)年3月3日、福岡県八幡市(北九州)軍艦島の金比羅神社
高層建築の炭鉱には珍しい金比羅神社が=1950(昭和25)年7月、長崎県高島町端島通勤する製鉄マン【八幡製鉄所】
八幡製鉄所(現・新日鉄)に通勤する製鉄マン=現・北九州市八幡東区=1961(昭和36)年12月6日通潤橋
通潤橋(国重要文化財)=熊本県上益城郡矢部町長原通潤橋の八朔祭
大勢の観光客が楽しんだ通潤橋の豪快な放水=熊本県山都町遠賀川水源地ポンプ室【八幡製鉄所】
遠賀川水源地ポンプ室=2013(平成25)年9月5日、中間市郡築三番町樋門
郡築三番町の樋門(旧郡築新地甲号樋門)。国の登録文化財になっている部崎灯台
部崎灯台=門司都井岬灯台001
都井岬灯台=昭和28年12月、宮崎県串間市長崎造船所・占勝閣001
郷土の名建築として名高い長崎三菱造船所内の占勝閣=1966(昭和41)年4月頃長崎造船所・占勝閣002
長崎造船所占勝閣=2013(平成25)年12月15日長崎造船所・旧木型場
長崎造船所・旧木型場=2014(平成26)年1月20日長崎造船所第三船渠
三菱重工業長崎造船所第三船渠(せんきょ)。1905(明治38)年の竣工当時、東洋最大の規模を誇った=長崎市門司港駅前のデモ
国労・炭労組合員のデモ=門司港駅前門司港駅(改修工事前)
9月下旬から5年半かけて大規模改修工事が始まるJR門司港駅=平成24年閉山、別れの光景が続く高島港
閉山した三菱高島炭鉱を去る人と送る人たちの別れの光景が続く高島港=1987(昭和62)年3月7日閉山する端島炭鉱【軍艦島】
「軍艦島」端島炭鉱の閉山式=1974(昭和49)年1月15日閉山する見立鉱山
閉山する見立鉱山=西臼杵郡日之影町、1963(昭和38)年5月24日閉山後の端島炭鉱(平成11年)【軍艦島】001
端島(軍艦島)のアパート=1999(平成11)年7月17日、長崎県閉山後の端島炭鉱(平成11年)【軍艦島】002
端島(軍艦島)のアパート=1999(平成11)年7月17日、長崎県閉山後の端島炭鉱(平成11年)【軍艦島】003
端島(軍艦島)のアパート=1999(平成11)年7月17日、長崎県閉山後の端島炭鉱(平成11年)【軍艦島】004
端島(軍艦島)のアパート=1999(平成11)年7月17日、長崎県閉山後の端島炭鉱(平成12年)【軍艦島】
軍艦島=2000(平成12)年12月9日、長崎県高島町(本社ヘリから)閉山後の端島炭鉱(平成17年)【軍艦島】001
1916年に建設された日本で一番古いとされる鉄筋コンクリートの建物(右)。社宅として使われていた閉山後の端島炭鉱(平成17年)【軍艦島】002
鉱員社宅跡。材木やコンクリート片が散らばる建物の間には雑草や木が茂っていた=2005(平成17)年8月頃閉山後の端島炭鉱(平成17年)【軍艦島】003
積み出し前の石炭が置かれていた貯炭場跡=2005(平成17)年8月頃閉山後の端島炭鉱(平成18年)【軍艦島】
かつて炭鉱労働者が住んでいたアパートが立ち並ぶ端島(通称・軍艦島)=2006(平成18)年10月25日閉山後の端島炭鉱(平成20年頃)【軍艦島】
「観光資源」としてよみがえる長崎市沖合の端島(通称・軍艦島)閉山後の端島炭鉱(平成21年)【軍艦島】
整備された「ドルフィン桟橋」(手前)から端島(通称・軍艦島)に上陸する一般観光客閉山後の端島炭鉱(平成25年)【軍艦島】001
風化が進む端島。コンクリートの建物は崩れ、がれきが地面を覆っていた=2013(平成25)年頃閉山後の端島炭鉱(平成25年)【軍艦島】002
人が去った端島には、静かな時間だけが流れていた=2013(平成25)年12月4日閉山後の端島炭鉱(平成25年)【軍艦島】003
世界文化遺産推薦が決まった「明治日本の産業革命 遺産 九州・山口と関連地域」の構成施設の端島(通称・軍艦島)閉山後の端島炭鉱(平成4年)【軍艦島】001
荒れ果てた軍艦島(アパート)=1992(平成4)年6月18日、長崎県高島町閉山後の端島炭鉱(平成4年)【軍艦島】002
荒れ果てた軍艦島=1992(平成4)年6月18日、長崎県高島町閉山後の端島炭鉱(平成4年)【軍艦島】003
荒れ果てた軍艦島(アパート)=1992(平成4)年6月18日、長崎県高島町閉山後の端島炭鉱(昭和61年)【軍艦島】001
島内の風景(出炭速報)=1986(昭和61)年10月26日、長崎県西彼杵郡高島町閉山後の端島炭鉱(昭和61年)【軍艦島】002
島内の風景(学校か)=1986(昭和61)年10月26日、長崎県西彼杵郡高島町閉山後の端島炭鉱(昭和61年)【軍艦島】003
島内の風景(アパート)=1986(昭和61)年10月26日、長崎県西彼杵郡高島町閉山後の端島炭鉱(昭和61年)【軍艦島】004
島内の風景(賃金支払窓口)=1986(昭和61)年10月26日、長崎県西彼杵郡高島町閉山後の端島炭鉱(昭和61年)【軍艦島】005
島内の風景(クレーン)=1986(昭和61)年10月26日、長崎県西彼杵郡高島町閉山後の端島炭鉱(昭和61年)【軍艦島】006
島内の風景=1986(昭和61)年10月26日、長崎県西彼杵郡高島町閉山後の端島炭鉱(昭和61年)【軍艦島】007
島内の風景(アパート)=1986(昭和61)年10月26日、長崎県西彼杵郡高島町閉山後の端島炭鉱(昭和61年)【軍艦島】008
島内の風景(アパート)=1986(昭和61)年10月26日、長崎県西彼杵郡高島町閉山後の端島炭鉱(昭和61年)【軍艦島】009
島内の風景(アパート)=1986(昭和61)年10月26日、長崎県西彼杵郡高島町関吉の疎水溝
地元住民や観光客が途切れることなく訪れた関吉の疎水溝=平成27年5月5日午後1時40分頃、鹿児島市下田町霊台橋001
国重要文化財・霊台橋。石造単一アーチ橋で橋の長さ89.86メートル、アーチの径間27.5メートル霊台橋002
江戸時代の一重のアーチ石橋では日本最長の「霊台橋」高島南部の二子地区【高島炭鉱】
三菱高島鉱の立坑や石炭積み出し港があった高島南部の二子地区=平成8年11月26日、長崎県高島町高島炭鉱の坑内火災
坑内火災が発生した三菱高島炭鉱=1985(昭和60)年4月24日、長崎県高島町(本社ヘリ)高島炭鉱の発電所付近
高島鉱・発電所付近高島炭鉱の立て坑
高島炭鉱・東洋一の立て坑=1962(昭和37)年3月7日高島炭鉱旧炭住 白煙を上げ倒壊
昭和61年に高島炭鉱が閉山。白煙を上げ倒壊する6階建ての旧炭住=1988(昭和63)年10月頃高島炭鉱空撮
三菱高島炭鉱=長崎県西彼杵郡高島町高島炭鉱(全景)
三菱高島炭鉱=1963(昭和38)年9月25日、長崎県西彼杵郡高島町(本社機から)魚貫炭鉱
閉山が決まった魚貫鉱業所丸山坑=熊本県牛深市魚貫町、1970(昭和45)年4月15日鯛生金山坑道入り口
「東洋一の金山坑道 近代化産業遺産」の看板が掲げられた鯛生金山の坑道入り口鯛生金山鉱業所
1967(昭和42)年12月当時の日田郡中津江村、鯛生金山鉱業所鯛生鉱山大口鉱業所
九州でたった1台という自慢のセルフスタンドコンベヤー=鯛生金山、1968(昭和43)年9月頃SLの整備
SLの整備に余念のない国鉄の作業員=国鉄小倉工場、1963(昭和38)年2月5日