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建物・風景
【熊本地震】ジェーンズ邸から資料搬出
地震で崩壊した熊本県指定重要文化財の「ジェーンズ邸」から関連資料を運び出す関係者たち=2016年4月16日【熊本地震】ジェーンズ邸崩壊
地震で崩壊した県指定重要文化財の「ジェーンズ邸」=2016年4月16日午前10時すぎ、熊本市中央区水前寺公園【熊本地震】下通アーケード
閑散とした下通アーケード。多くの店舗のシャッターは閉まったままだ=2016年4月18日、熊本市中央区【熊本地震】北十八間櫓と東十八間櫓
下から見上げた北十八間櫓と東十八間櫓=2016(平成28)年4月25日【熊本地震】宇土市役所
地震で被災した宇土市役所=2016年4月16日午前8時半、熊本県宇土市(本社ヘリから)【熊本地震】永山城跡の石垣崩れる
県史跡に指定されたばかりの日田市の永山城跡の石垣が崩れ、使われた河原石が下の階段まで落ちた【熊本地震】熊本城
地震で被害を受けた熊本城=2016年4月15日午前7時40分、熊本市中央区(本社ヘリから)【熊本地震】熊本城 十八間櫓崩落
熊本城の十八間櫓が崩れ落ちて被害にあった熊本大神宮の社務所=2016年4月16日午前8時20分すぎ、熊本市【熊本地震】熊本城 大天守と宇土櫓
屋根瓦がほとんど落下した熊本城の大天守(右)と比較的被害が少なかった国指定重要文化財の宇土櫓(中央)【熊本地震】熊本城 飯田丸五階櫓001
石垣が崩落し、床面がむき出しになった熊本城の飯田丸五階櫓=2016(平成28)年4月25日【熊本地震】熊本城 飯田丸五階櫓002
わずかに残った石垣で支えられている飯田丸五階櫓。地面がひび割れたり沈下したりしているため櫓に近づけない【熊本地震】熊本城の石垣001
地震で崩れた熊本城の石垣=2016年4月15日午前7時半、熊本市中央区(本社ヘリから)【熊本地震】熊本城天守閣001
瓦が崩れ落ち、無残な姿となった熊本城の天守閣=2016年4月15日午前7時41分(本社ヘリから)【熊本地震】熊本城天守閣002
地震で瓦が落下した熊本城の天守閣=2016年4月16日午前9時すぎ、熊本市(本社ヘリから)【熊本地震】熊本城櫨方門近くの石垣
石垣が崩れた熊本城=2016年4月15日午前8時半ごろ、熊本市中央区【熊本地震】眉山崩れる
山頂付近が崩れて一部の岩肌があらわになった眉山=2016年4月16日午後0時半ごろ、長崎県島原市【熊本地震】頬当御門周辺
石垣や土砂が押し寄せた熊本城の頬当御門周辺=2016(平成28)年4月25日えびの高原 紅葉見頃
紅葉に染まるえびの高原の御池周辺=2013(平成25)年11月4日午後、宮崎県えびの市(本社ヘリから)くじゅうの紅葉001
九重の紅葉=1998(平成10)年10月25日、大分県(本社ヘリから)くじゅうの紅葉002
九重の紅葉=1998(平成10)年10月25日、大分県(本社ヘリから)くじゅうの紅葉003
登山者の目を楽しませる大船山の山頂周辺や御池を彩る紅葉=2009(平成21)年10月18日午前11時頃くじゅうの紅葉004
秋色に彩られた大船山の山頂(手前の岩場)や御池=2012(平成24)年10月19日午後1時半頃、大分県竹田市アサヒビール博多工場001
現在、朝日麦酒(アサヒビール)博多工場=福岡市博多区竹下、大正10年から昭和初期頃アサヒビール博多工場002
朝日麦酒(アサヒビール)博多工場=福岡市博多区竹下、1962(昭和37)年アサヒビール博多工場003
朝日(アサヒ)ビール工場=1977(昭和52)年、福岡市博多区竹下(本社機から)アサヒビール博多工場004
アサヒビール博多工場の「名物赤レンガ」取り壊し=昭和63年5月19日、福岡市博多区竹下アサヒビール博多工場005
アサヒ(朝日)ビール博多工場=1981(昭和56)年10月15日、福岡市博多区竹下(本社機から)アサヒビール博多工場006
アサヒビール博多工場=1991(平成3)年2月27日、福岡市博多区竹下(本社ヘリから)アサヒビール博多工場007
アサヒビール博多工場=1995(平成7)年7月8日、福岡市博多区(本社ヘリから)アサヒビール博多工場008
アサヒビール博多工場=1995(平成7)年7月8日、福岡市博多区(本社ヘリから)アサヒビール博多工場009
アサヒビール博多工場=1997(平成9)年10月10日、福岡市博多区竹下(本社ヘリから)アミュプラザ鹿児島
九州新幹線開業に続き、9月にオープンした九州最大規模の駅ビル「アミュプラザ鹿児島」エアーニッポン新型機 福江-福岡
福江-福岡間に新規導入されたエアーニッポンの航空機B-737スーパードルフィン=長崎県・福江空港クジラ 上五島の有川港
上五島の有川の港。今もわずかに昔日の捕鯨基地の面影が残る。クジラの骨のアーチ
中通島・有川町の海童神社にあるクジラの骨のアーチ=昭和63年7月、長崎県・五島列島グラバー邸(旧グラバー住宅)001
グラバー邸=1951(昭和26)年11月14日、長崎市南山手グラバー邸(旧グラバー住宅)002
グラバー邸=昭和26年11月14日、長崎市南山手グラバー邸(旧グラバー住宅)003
3月に築150年を迎えた旧グラバー住宅グリーンフラッシュ 五島市三井楽町沖
長崎県五島市三井楽町沖で見られた「グリーンフラッシュ」=2010(平成22)年7月22日午後7時半頃サキシマフヨウ
五島市三井楽町で咲き始めたサキシマフヨウ=2014(平成26)年8月頃サンホテルフェニックス 宮崎市
国際会議場を持つサンホテルフェニックス=1984(昭和59)年頃シドッチ上陸地
シドッチ上陸地は、左端の小さく見える入り江。大海原を渡る烈風が顔をたたくシバザクラ、桜と競演
沿道の桜と咲き競うシバザクラ=2015(平成27)年4月2日、福岡県田川市川宮シーガイア 宮崎市
サミット会合の会場となるシーガイア=1999(平成11)年頃ジェーンズ邸001
佐野常民が博愛社、のちの日赤の設立を請願して許可されたので日本赤十字社の発祥記念でもある=熊本市ジェーンズ邸002
熊本洋学校の教師として赴任したジェーンズの住宅で熊本で最初の西洋建築=熊本市ジェーンズ邸003
ジェーンズ邸の前でジェーンズの功績について語る黒田孔太郎館長一心寺・八重桜
境内を彩る満開の八重桜に見入る来訪者=2010(平成22)年4月16日、大分県大分市廻栖野・一心寺一心行の大桜001
一心行の大桜=1998(平成10)年4月、熊本県白水村一心行の大桜002
一心行の大桜=1998(平成10)年4月、熊本県白水村一心行の大桜003
一心行の大桜=1998(平成10)年4月、熊本県白水村一心行の大桜004
一心行の大桜=1998(平成10)年4月、熊本県白水村一心行の大桜005
一心行の大桜=1998(平成10)年4月、熊本県白水村一心行の大桜006
一心行の大桜=1998(平成10)年4月、熊本県白水村一心行の大桜007
一心行の大桜=1998(平成10)年4月、熊本県白水村一心行の大桜008
阿蘇の白水村の名所。一心行の大桜。菜の花とのバランスが美しい=2000(平成12)年4月一心行の大桜009
阿蘇の山すそから昇る日の出を受け、美しい姿を浮び上がらせる一心行の大桜=2000(平成12)年4月一心行の大桜010
南阿蘇の谷間に浮かぶ満開の一心行の大桜=2000(平成12)年4月10日午後9時、熊本県・白水村中松一心行の大桜011
見ごろを迎え大勢の人でにぎわう「一心行の大桜」=2001(平成13)年4月5日夜、熊本県白水村一心行の大桜012
昨年も大勢の人でにぎわった「一心行の大桜」=2001(平成13)年4月5日、熊本県白水村一心行の大桜013
ライトアップされ大勢の花見客でにぎわう「一心行の大桜」=2002(平成14)年3月30日夜、熊本県白水村一心行の大桜014
見ごろを迎え花見客でにぎわう「一心行の大桜」=2002(平成14)年3月30日夜、熊本県白水村一心行の大桜015
ライトアップが始まり大勢の花見客でにぎわう「一心行の大桜」=2002(平成14)年3月30日夜、熊本県白水村一心行の大桜016
ライトアップが始まり大勢の花見客が集まった「一心行の大桜」=2003(平成15)年4月5日夜、熊本県白水村一心行の大桜017
ライトアップされた「一心行の大桜」。夜空には月(上方)も=2004(平成16)年4月3日、熊本県白水村一心行の大桜018
快晴の空の下、満開になった「一心行の大桜」を楽しむ見物客たち=2004年4月5日、熊本県阿蘇郡南阿蘇村一心行の大桜019
9日夜の春の嵐にもめげず、満開の花をつけて見物人を喜ばせている「一心行の大桜」=2008年4月10日一心行の大桜020
満開の「一心行の大桜」。“400歳の輝き”を花見客がめでる=2009年3月28日、熊本県阿蘇郡南阿蘇村一心行の大桜021
満開を迎えた一心行の大桜。のしかかるような迫力が観桜客を喜ばせている=2011(平成23)年4月11日一心行の大桜022
長々とのばした枝を花が覆い尽くす「一心行の大桜」。貫禄の咲きっぷりが花見客を酔わす=2012年4月10日一心行の大桜023
豪快に咲いた「一心行の大桜」。小山の貫禄で、見る人を圧倒する=2013年3月29日、熊本県阿蘇郡南阿蘇村一心行の大桜024
枝もたわわに花を付けた「一心行の大桜」。雨の中、大勢の花見客が訪れている=2014(平成26)年4月5日一心行の大桜025
満開の「一心行の大桜」。のしかかるような大きな風景を、花見客が楽しんでいる=2015(平成27)年4月3日一心行の大桜026
夜間照明に浮かんだ一心行の大桜。光を含んだ花びらが降りかかるようで、息をのむ迫力だ七ツ釜001
七ツ釜=1970(昭和45)年11月4日、唐津市(本社機から)七ツ釜002
七ツ釜=1973(昭和48)年11月10日、唐津市(本社機から)七ツ釜003
玄武岩の絶壁が並ぶ七ツ釜=1983(昭和58)年6月、佐賀県唐津市(本社機から)上五島 キリシタン洞窟
キリシタン洞窟の入り口にあるキリスト像と十字架=2009(平成21)年7月頃、新上五島町上五島 中ノ浦教会
中ノ浦教会=1978(昭和53)年5月、長崎県上五島町上五島 仲知教会
仲知教会=1977(昭和52)年10月6日、長崎県上五島町津和崎郷上五島 冷水教会
冷水教会の中は優しい色であふれていた=2009(平成21)年7月頃、新上五島町上五島 土井ノ浦教会
土井ノ浦教会=1977(昭和52)年10月6日、長崎県上五島町若松郷上五島 大曽カトリック教会001
大曽教会=2000(平成12)年7月、長崎県上五島町上五島 大曽カトリック教会002
大曽教会=2000(平成12)年7月、長崎県上五島町上五島 江袋カトリック教会
全焼した新上五島町の江袋カトリック教会=2007(平成19)年2月13日上五島 海上石油備蓄基地予定地
上五島町の海上石油備蓄基地予定地=1978(昭和53)年5月、長崎県上五島 福見教会
福見教会=1977(昭和52)年10月6日、長崎県上五島町福見上五島 若松大橋
長崎県五島、若松島と奈良屋町を結ぶ若松大橋=1991(平成3)年8月頃上五島 龍馬像除幕式
新上五島町の「坂本龍馬ゆかりの広場」で除幕された竜馬像=2010(平成22)年5月2日上五島の島々
70近くの有人無人の島から成る新上五島町=2007(平成19)年11月頃上五島石油備蓄基地001
世界初の洋上石油備蓄となる上五島基地の起工式=1984(昭和59)年10月21日、長崎県上五島石油備蓄基地002
10月からの注油を待つ上五島の石油備蓄基地=1988(昭和63)年8月頃、長崎県上五島町沖上対馬001
上対馬=1974(昭和49)年11月、長崎県(本社機から)与論島 くり舟
二期作の稲を運ぶくり船=1954(昭和29)年7月頃、与論島与論島 にぎわう茶花港
観光客でにぎわう与論島の茶花港=1970(昭和45)年7月17日、鹿児島県大島郡与論町与論島 よろん焼
よろん焼=1980(昭和55)年5月頃、与論島与論島 ガジュマルの木
与論小学校がかやぶき校舎だった以前からあるガジュマルの木。多くの児童を見送ってきた=与論島与論島 ソテツの実干し
ソテツの実を干した軒先の子供たち=日本復帰直後頃か、与論島与論島 ノウサンゴ
直径1メートルもあるノウサンゴ=1967(昭和42)年9月頃、与論島百合ケ浜与論島 与論城跡001
与論城跡=1970(昭和45)年7月、鹿児島県大島郡与論町与論島 与論城跡002
与論城跡=1970(昭和45)年7月、鹿児島県大島郡与論町与論島 与論城跡003
標高97メートルの与論城跡から島内が一望できる=1991(平成3)年7月頃、大島郡与論町(与論島)与論島 与論民俗村
与論民俗村=1970(昭和45)年7月、鹿児島県大島郡与論町与論島 働く女性たち
与論島の働く女性たち。洋上に沖縄本島がかすむ=1958(昭和33)年1月頃、大島郡与論村与論島 兵器スクラップ引き揚げ
沖縄攻防戦で沈没した艦船から引き揚げられた兵器スクラップ=1954(昭和29)年1月頃、与論島茶花港与論島 新校舎の建設
新しい校舎の建設が進む(手前は茅葺きの現校舎)。子供たちは「ガラス張りができる」と自慢する=与論島与論島 沖縄方面を望む
与論島赤崎海岸から沖縄を望む=1969(昭和44)年5月、鹿児島県大島郡与論島 沖縄本島を見つめる
与論島から沖縄本島を見つめる人たち=1953(昭和28)年12月頃、大島郡与論村与論島 漁業協同組合
与論島の漁業協同組合=1958(昭和33)年6月、鹿児島県与論島 百合ケ浜
与論島の百合ケ浜=1970(昭和45)年7月、鹿児島県大島郡与論町与論島 社を訪れる里帰りの人たち
島の社を訪れ、祖先に祈って戻る里帰りの人たち=1970(昭和45)年6月頃、与論島与論島 茅葺きの教室001
茅ぶき教室で学習する与論校児童=1954(昭和29)年7月頃、与論島与論島 茅葺きの教室002
カヤぶきの教室=1954(昭和29)年7月頃、与論島・茶花小学校与論島 赤崎海中公園001
サンゴが広がる与論島の赤崎海中公園=1970(昭和45)年7月16日、鹿児島県与論島 赤崎海中公園002
サンゴが広がる与論島の赤崎海中公園=1970(昭和45)年7月16日、鹿児島県与論島 赤崎海中公園003
サンゴが広がる与論島の赤崎海中公園=1970(昭和45)年7月16日、鹿児島県与論島 赤崎海岸
紺碧の海、白い砂浜、強烈に陽光が輝く南の島-与論島赤崎海岸=1972(昭和47)年6月頃、大島郡与論町与論島 赤崎鍾乳洞
与論島の赤崎鍾乳洞=1970(昭和45)年7月、鹿児島県大島郡与論町与論島 頭に物をのせて運ぶ女性たち
頭に物をのせて運ぶ与論島の女性たち=1954(昭和29)年10月頃、大島郡与論村与論島 風葬穴
与論島の風葬洞穴=1970(昭和45)年5月5日与論島 高倉式の茅葺き校舎
与論小学校。高倉式の茅葺き校舎=1954(昭和29)年1月頃、与論島与論島の女性たち
与論島の女性たち=1954(昭和29)年12月22日、鹿児島県大島郡与論町与論島の子どもたち
与論島の子どもたち=1958(昭和33)年6月、鹿児島県与論島の海岸
与論島の海岸=1955(昭和30)年7月頃与論島の集落
与論島の集落=1958(昭和33)年6月、鹿児島県与論島の高倉
与論島の高倉=1970(昭和45)年7月、鹿児島県大島郡与論町与論島全景
与論島=1967(昭和42)年12月、鹿児島県(本社機から)両子岩
人面を思わせるユーモラスな両子(ふたご)岩=南島原市加津佐町中野川八重桜
ライトアップが始まった中野川沿いの八重桜=2015(平成27)年4月8日、大分県日田市串木野漁港
甑島商船の柏丸と串木野港=昭和52年4月、串木野市久留米百年公園 桜満開
桜が満開の久留米百年公園。大会当日はツツジが見ごろになりそう=2015(平成27)年3月31日、福岡県久賀島 牢屋の窄
久賀島の殉教地遺構「牢屋の窄」=1976(昭和51)年10月、長崎県福江市久賀島久賀島 牢屋の窄・殉教130年祭
久賀島の牢屋の窄殉教130年祭=1998(平成10)年10月5日、長崎県福江市久賀島のツバキ林
五島市久賀島の亀河原海岸に広がるツバキ林=2004年(平成16年)頃九十九島001
九十九島=1954(昭和29)年8月6日、長崎県(本社機から)九十九島002
九十九島=1954(昭和29)年8月6日、長崎県(本社機から)九十九島003
九十九島=1959(昭和34)年11月、佐世保市(本社機から)九十九島004
佐世保市沖の九十九島=1963(昭和38)年7月22日(本社機から)九十九島005
九十九島(手前)と佐世保港(上)=1968(昭和43)年10月30日、佐世保市(本社機から)九十九島006
九十九島=1968(昭和43)年10月30日、佐世保市(本社機から)九十九島007
九十九島=1968(昭和43)年10月30日、佐世保市(本社機から)九十九島008
西海国立公園の景勝地九十九島=1978(昭和53)年12月24日、長崎県佐世保市(本社機から)九十九島009
島原九十九島=1997(平成9)年12月3日、島原市(本社ヘリから)九州・沖縄サミットまで1カ月 福岡タワーイルミネーション
九州・沖縄サミットまであと1カ月を切り、福岡タワーに浮かび上がったサミットマークのイルミネーション九州国際重粒子線がん治療センター
九州新幹線・新鳥栖駅前に開院する九州初の重粒子線がん治療施設「九州国際重粒子線がん治療センター」九州帝国大学工科大学本館(九大工学部本館)
明治44年1月1日に開設された九州帝国大学工科大学本館。九州松下電器001
九州松下電器=福岡市博多区美野島九州沖縄サミット シーガイアのコンベンションセンター「サミット」
外相会合が開かれるシーガイアのコンベンションセンター「サミット」=2000(平成12)年3月22日九州沖縄サミット G8の国旗が翻る宮崎県庁
G8の国旗が翻る宮崎県庁=2000(平成12)年3月10日九重“夢”大吊橋001
鳴子川渓谷をまたぐ「九重“夢”大吊橋」=2006(平成18)年9月、大分県九重町(本社ヘリから)九重“夢”大吊橋002
鳴子川渓谷をまたぐ「九重“夢”大吊橋」=2006(平成18)年9月、大分県九重町(本社ヘリから)九重“夢”大吊橋003
九重“夢”大吊橋周辺=2007(平成19)年4月、大分県九重町亀山公園
見頃を迎えている亀山公園の桜=2016(平成28)年3月31日、大分県日田市亀山町五島うどん作り
強い腰を出すため、さらに麺を細く伸ばしていく「こなし作業」五島列島 だるま太陽
朝日が海から顔を出すだるまのように見える「だるま太陽」。大板部島が「浮島現象」で浮かんで見える=五島列島五島列島 嵯峨島教会
嵯峨島教会=1977(昭和52)年8月、長崎県五島市三井楽町五島列島 日島の石塔群
長崎県指定文化財の日島の石塔群=2000(平成12)年2月頃、五島・若松町日島郷五島列島 椛島神社例大祭001
船頭の合図に合わせ宝来丸を引く人たち=2009(平成21)年10月17日五島列島 椛島神社例大祭002
船頭の合図に合わせて宝来丸を引く担ぎ手たち=2013(平成25)年10月19日五島列島 福江市中心部
五島・福江市の中心部=1963(昭和38)年7月22日、長崎県(本社機から)五島列島 福江閉市式
福江市役所の表札を白い布で覆う木場弥一郎市長(左)たち=2004(平成16)年7月31日五島列島 舞い上がる波の花001
九州地方に流れ込んだ寒気により、海岸で強い風を受けて舞い上がる波の花=長崎県五島市三井楽町五島列島 舞い上がる波の花002
五島市三井楽町の海岸で風に乗って舞い上がる波の花=2013(平成25)年11月11日五島列島 高浜海水浴場
マリンブルーの海が美しい五島市三井楽町の高浜海水浴場=2013(平成25)年6月頃五島列島・三井楽町 オンノメ
五島市の浜窄(はまさこ)小学校で行われた「オンノメ」で、燃え盛る火を見守る児童や保護者ら=平成17年1月五島列島・三井楽町 獅子こま舞
家内安全と無病息災を祈願した五島・三井楽町の「獅子こま舞」=2004(平成16)年1月3日五島列島・奈留町 葛島から集団移住001
全島民の集団移住で廃校となる奈留町立船廻小学校葛島分校=1973(昭和48)年3月、長崎県・五島奈留町五島列島・奈留町 葛島から集団移住002
全住民が葛島から本島へ集団移住。昔から使った背負いカゴや鉢植えの草花もお供だ=長崎県南松浦郡奈留町五島列島・奈留町 葛島のキリシタン墓地
葛島のキリシタン墓地=1973(昭和48)年3月、長崎県・五島奈留町五島列島・奈留町 葛島の天主堂
キリシタンの集落・葛島の天主堂=1973(昭和48)年3月、長崎県・五島奈留町五島列島・椛島沖 風車実証機開所式
運転を開始した浮体式洋上風力発電の実証機=2013(平成25)年10月28日午前9時頃、長崎県五島市椛島沖五島列島・福江 お守りさん
もろぶたを頭上にかざしてもらい、手を合わせ無病息災を祈る住民=2014(平成26)年1月、五島市崎山地区五島列島・福江 つばき油作り
五島市で始まったつばき油作り=2005(平成17)年9月頃、五島市奥浦町五島列島・福江 チャンココを踊る青年団
五島市池田町の石田城で踊る上大津青年団員=2008(平成20)年8月13日五島列島・福江 チャンココ踊り
長崎県福江市名物の郷土芸能「チャンココ踊り」。県無形文化財に指定されている=1952(昭和27)年五島列島・福江 ヘトマト
豊作・豊漁祈願行事「ヘトマト」=1956(昭和31)年2月27日、長崎県福江市下崎山町の白浜海岸五島列島・福江 ヤブツバキ「玉之浦」
赤と白が交じったヤブツバキの名花「玉之浦」の蜜を求めて枝に止まるメジロ=五島市上崎山町五島列島・福江 伊富貴港
福江市旧市街。伊富貴港=1953(昭和28)年9月頃五島列島・福江 大瀬崎灯台の絶景
映画「悪人」のロケ地となった大瀬崎灯台の絶景=2014(平成26)年3月頃、長崎県五島市玉之浦町五島列島・福江 明人堂001
倭寇の棟梁・王直ゆかりの明人堂落成式=1998(平成10)年10月3日、長崎県福江市五島列島・福江 明人堂002
完成した倭寇の棟梁・王直ゆかりの明人堂=1998(平成10)年9月4日、長崎県福江市五島列島・福江 明人堂003
王直ゆかりの「明人堂」(中央)=1997(平成9)年4月10日、長崎県福江市唐人町五島列島・福江 海賊王・王直が住んだ江川口
海賊王・王直が住んだ江川口、右手前の石がきのうち大石の一つを抜くと、江川城からの抜け道という=福江市唐人町五島列島・福江 石田城跡001
わが国では最も新しい1863年に完成した福江市の石田城跡=1984(昭和59)年5月頃五島列島・福江 石田城跡002
幕末、黒船の来航に備えて築かれた日本では最も新しい福江市の石田城跡=1982(昭和57)年6月頃五島列島・福江 福江島総合訓練場
福江島総合訓練場の開所式で公開された迎撃ミサイルなどの装備=平成15年6月10日午後、長崎県福江島五島列島・福江 迎春準備の魚市
五島市福江魚市で競り落とされるブリやヒラマサ=2012(平成24)年12月29日五島列島・福江 鬼岳の山焼き
6年ぶりに行われた鬼岳の山焼き=1999(平成11)年2月7日、長崎県福江市五島列島・福江みなとまつり
福江みなとまつりで五島市中心街を練り歩くネブタ=2006(平成18)年9月30日五島列島・福江フェリー 最後の航海
関係者たちに見送られ、福江港から最後の航海に向かう「フェリー福江」=2011(平成23)年4月19日五島列島・福江市の大火
長崎県福江市東浜町で火災発生、海岸から市中心街を焼いた福江市の現場=1962(昭和37)年9月頃五島列島・福江市の大火から1年
福江市の大火から1年、1963(昭和38)年7月当時の長崎県福江市街地五島列島・福江市の大火から2年
福江大火から2年、復興めざましい空から見た福江市街地=1964(昭和39)年8月頃五島列島・福江市全景
新市五島福江市全景=1954(昭和29)年3月頃五島列島・福江市沖 試掘中の「第五白竜」
長崎県五島・福江市沖で試掘中の「第五白竜」五島列島・福江港からの夕日
五島・福江港から望む夕日は漁船や街並み、山肌を赤く染める=2009(平成21)年8月頃五島列島・福江港から集団就職
福江港の岸壁を離れる長崎港行きの連絡船「柏丸」五島列島・福江港に巨大漂着物
福江港に係留された巨大漂流物と見守る人たち。工業用高圧ガスの貯蔵タンクか=2008(平成20)年8月2日五島列島・福江港の荷揚げ
長崎県福江港の荷揚げ作業風景=1954(昭和29)年4月今川河川敷
今川河川敷では、ライトアップされ、レーザー光線で七変化した桜並木が水面に揺れた=2016年4月2日伊万里湾
高台からのぞむ伊万里湾(いまりわん)。この海が、元軍の船でいっぱいになったという=2007(平成19)年頃か佐世保市街地001
佐世保市街地=1963(昭和38)年9月25日(本社機から)光善寺のしだれ桜
見頃を迎えた光善寺のしだれ桜=2014(平成26)年3月20日、八女市黒木町木屋六島の看板 小値賀町
六島の集落入り口に町が掲げた「時間励行の島」の看板。潮風を受けて朽ちかけている=小値賀町六島別府公園 桜満開001
チューリップやビオラがソメイヨシノとともに色彩豊かに咲き誇る別府公園=2005(平成17)年4月9日別府公園 桜満開002
別府公園では、満開となったサクラとチューリップ、ビオラの競演が楽しめる=2008(平成20)年4月3日勝盛公園 桜開花001
春の陽気に誘われて、ほころび始めた勝盛公園の桜=2004(平成16)年3月18日、福岡県勝盛公園 桜開花002
見頃を迎えている勝盛公園のカワヅザクラ=2015(平成27)年3月17日、福岡県勝盛公園 桜開花003
開花した勝盛公園のソメイヨシノ。公園では花見を楽しむ家族の姿が見られた=2015年3月28日、福岡県勝盛公園 桜開花004
ピンク色の花を咲かせた勝盛公園のソメイヨシノ=2016(平成28)年3月21日午前11時20分=福岡県北九州市国際会議場 まもなくオープン
10月6日オープンする北九州国際会議場=1990(平成2)年10月頃北九州市国際会議場 小倉駅近くにオープン
オープンした北九州国際会議場=1990(平成2)年10月、北九州市小倉北区JR小倉駅北口十日えびす(雑餉隈)
十日えびす祭り=福岡市雑餉隈(現・福岡市博多区元町)(十日恵比須大祭)千女房桜
山里に咲き誇る「千女房桜」=2016(平成28)年3月29日、福岡県京都郡みやこ町南九十九島001
西海国立公園の南九十九島=1980(昭和55)年12月22日、長崎県(本社機から)南九十九島002
西海国立公園の南九十九島=1980(昭和55)年12月22日、長崎県(本社機から)博多パラダイス001
空から見た博多パラダイス=福岡市築港、1964(昭和39)年10月1日博多パラダイス003
博多パラダイス(中央)=昭和40年1月21日、福岡市(本社機から)博多全日空ホテル
建設が進む博多全日空ホテル=昭和51年6月21日、福岡市博多区博多駅前博多警察署旧庁舎
博多警察署旧庁舎=福岡市博多区博多-対馬 対馬航路「大衆丸」
博多~対馬間の連絡船だった「大衆丸」=1952(昭和27)年頃名島城址公園の臥龍桜
枝振りが見事な名島城址公園の臥龍桜=2016(平成28)年3月30日、福岡県福岡市唐津ゴルフ倶楽部001
唐津ゴルフ倶楽部=1963(昭和38)年3月4日、唐津市見借馬場(本社機から)唐津ゴルフ倶楽部002
唐津ゴルフ倶楽部=1963(昭和38)年3月4日、唐津市見借馬場(本社機から)唐津城 桜満開001
唐津城を見上げながら、桜の下で弁当を広げる家族連れら=2005(平成17)年4月9日、唐津市・唐津城展望広場唐津城 桜満開002
唐津城の舞鶴公園で満開になった桜=2008(平成20)年4月4日、佐賀県唐津城 桜満開003
唐津城周辺で満開を迎えたソメイヨシノ=2009(平成21)年3月29日、佐賀県唐津城 桜開花001
飛行船コダック号から見る唐津城=1987(昭和62)年4月、唐津市唐津城 桜開花002
ほころび始めた唐津城舞鶴公園のソメイヨシノ=2004(平成16)年3月17日午後、佐賀県唐津市東城内唐津城、唐津市街001
唐津城(左下)と唐津市街=1970(昭和45)年11月10日(本社機から)唐津城、唐津市街002
唐津城と唐津市街地=1983(昭和58)年6月、佐賀県(本社機から)唐津城再建001
完成した唐津城=1966(昭和41)年10月、唐津市(本社機から)唐津城再建002
完成した唐津城=1966(昭和41)年10月、唐津市(本社機から)唐津城周辺
唐津城周辺=2006(平成18)年3月、佐賀県唐津市唐津城001
唐津城=1966(昭和41)年11月24日、唐津市(本社機から)唐津城002
唐津城=1967(昭和42)年11月16日、唐津市(本社機から)唐津市街地、虹の松原001
唐津市街地(中央下)と虹の松原(右下)=1953(昭和28)年3月22日(本社機から)唐津市街地、虹の松原002
唐津市街地(中央)と虹の松原(右下)=1953(昭和28)年3月22日(本社機から)唐津市街地、虹の松原003
唐津市(左)と虹の松原(右下)。中央は唐津城跡の舞鶴公園=1954(昭和29)年8月(本社機から)唐津市街地、虹の松原004
唐津市(中央)と虹の松原(左)=1954(昭和29)年8月(本社機から)唐津市街地、虹の松原005
唐津市(中央)と虹の松原(左)=1954(昭和29)年8月(本社機から)唐津市街地、虹の松原006
唐津市(左)と虹の松原(右下)。中央は唐津城跡の舞鶴公園=1954(昭和29)年8月(本社機から)唐津火力発電所、虹の松原
九電唐津火力発電所(手前)と虹の松原(上)=1970(昭和45)年11月10日、唐津市(本社機から)国立大村病院
1955(昭和30)年11月当時の空から見た国立大村病院全景国見神代小路鍋島邸の緋寒桜
見頃を迎えた国重要文化財「鍋島邸」のヒカンザクラ=2015(平成27)年2月24日、長崎県雲仙市国見町国際会議場「サミット」 宮崎市・シーガイア
五千人収容の国際会議場「サミット」の世界最大のシャンデリアの下で開かれたシーガイアの落成記念パーティー垣生公園 桜満開001
垣生公園=2009(平成21)年3月23日、中間市垣生垣生公園 桜満開002
満開となった垣生公園の桜を楽しむ花見客=2014(平成26)年3月31日基肄城跡(きいじょう跡)
基肄城(左下)上空からみる筑紫路一帯=1992(平成4)年3月、佐賀県三養基郡壱岐 はらほげ地蔵
壱岐のはらほげ地蔵=1965(昭和40)年頃、長崎県壱岐 ホバークラフト「ホブ・ライナー」
ホバークラフトの「ホブ・ライナー」博多-壱岐間=1978(昭和53)年7月頃壱岐 レオパレスがコールセンター
レオパレス21のコールセンターが進出する長崎県壱岐市の建物(中央)=2007(平成19)年4月11日壱岐 一支国博物館
来年3月14日の開館が決まった長崎県壱岐市の一支国博物館=2009(平成21)年8月頃壱岐 内燃力発電所
離島の暮らしを支える内燃力発電所。電力自由化拡大で「離島料金」の不安も募る壱岐 初瀬の岩脈
マグマが噴出する途中で冷え固まり、白黒模様が鮮やかな壱岐市郷ノ浦町の「初瀬の岩脈」=平成17年12月頃壱岐 初瀬港001
壱岐の初瀬港=2002(平成14)年7月13日、長崎県郷ノ浦町(本社ヘリから)壱岐 初瀬港002
壱岐の初瀬港=2002(平成14)年7月13日、長崎県郷ノ浦町(本社ヘリから)壱岐 初瀬港003
壱岐の初瀬港=2002(平成14)年7月13日、長崎県郷ノ浦町(本社ヘリから)壱岐 初瀬港004
壱岐の初瀬港=2002(平成14)年7月13日、長崎県郷ノ浦町(本社ヘリから)壱岐 勝本港001
玄界灘漁業の根拠地、1970(昭和45)年当時の長崎県壱岐郡勝本港壱岐 勝本港002
一本釣り漁業の根拠地の長崎県壱岐郡勝本町の勝本港=1983(昭和58)年11月頃壱岐 勝本町市街
長崎県壱岐郡勝本町の市街=1963(昭和38)年壱岐 北帰行のツル
原の辻遺跡の復元建物を背景に、田んぼで羽を休めるマナヅル=2009(平成21)年2月7日壱岐 原の辻遺跡の護岸遺構
壱岐市芦辺町の原の辻遺跡で出土した護岸遺構=2004(平成16)年6月頃壱岐 天秤をかつぐ住民
天秤をかつぐ長崎県壱岐島の住民たち=1946(昭和21)年10月頃壱岐 岳の辻の展望所
壱岐市のほぼ全域が望める岳の辻の展望所=2012(平成24)年8月頃壱岐 弥生の火まつり
壱岐市芦辺町の「弥生の火まつり」で、千本のたいまつで照らし出された原の辻遺跡=平成22年10月23日壱岐 湯ノ本温泉
孤島のひなびた海の温泉郷として人気のある長崎県壱岐郡勝本町の1934(昭和9)年当時の湯ノ本温泉壱岐 潮汲み
壱岐の海岸で汐汲みの手伝いをする少年たち=1946(昭和21)年壱岐 牛馬放牧
長崎県壱岐の牛、馬の放牧風景=1951(昭和26)年3月26日壱岐 皇太子、皇太子妃両殿下が散策
壱岐芦辺町の八幡海岸を散策される皇太子、皇太子妃両殿下=1969(昭和44)年9月11日、長崎県壱岐 笹塚古墳
笹塚古墳の石室=2008(平成20)年11月頃壱岐 能満寺下に石垣
壱岐市勝本町の能満寺下の斜面で見つかった石垣=2010(平成22)年9月頃壱岐 芦辺町の港
長崎県壱岐郡芦辺町=1934(昭和9)年7月19日、(壱岐要塞司令部検閲済)壱岐 芦辺町の漁港
長崎県壱岐郡芦辺町の漁港=1946(昭和21)年10月頃壱岐 芦辺町八幡
壱岐芦辺町の八幡=1974(昭和49)年11月、長崎県(本社機から)壱岐 郷ノ浦の八日市
長崎県壱岐郡郷ノ浦町の年中行事、八日市のにぎわい=1965(昭和40)年5月頃壱岐 郷ノ浦の祇園祭
にぎわいを見せる長崎県壱岐郡郷ノ浦町の祇園祭=1962(昭和37)年7月頃壱岐 鬼の岩屋001
鬼の岩屋と呼ばれる大きな円墳。古代豪族のものと見られる=1934(昭和9)年7月頃壱岐 鬼の岩屋002
長崎県壱岐郡勝本港=1934(昭和9)年壱岐 鬼の足跡
壱岐市郷ノ浦町の牧崎園地にある大穴「鬼の足跡」=2011(平成23)年12月頃壱岐 鬼ダコ揚げ
鬼ダコ揚げ大会=1961(昭和36)年4月、長崎県壱岐・郷ノ浦町横山の辻壱岐 黒崎砲台跡
東洋一の黒崎砲台跡=1988(昭和63)年8月31日、長崎県壱岐郡郷ノ浦町壱岐の上空から
壱岐の上空から対馬、朝鮮半島をのぞむ=1961(昭和36)年壱岐の猿岩
壱岐市郷ノ浦町の黒崎半島先端に立つ「猿岩」壱岐上空から「海峡」を望む
手前は壱岐、その向こうが対馬、上方にかすむのが朝鮮半島=1980(昭和55)年8月頃壱岐市誕生
旧4町の町長らがくす玉を割って新しい壱岐市の誕生を祝った=壱岐市郷ノ浦町の壱岐文化ホール壱岐御柱祭001
長崎県壱岐市勝本町の城山公園に建ち上がった長野県諏訪市の諏訪大社から送られた「御柱(おんばしら)」壱岐御柱祭002
約800人が諏訪大社の御柱を引いて坂を上る「里曳き」=平成22年11月6日午前9時頃、長崎県壱岐市勝本町大原大しだれ桜001
ライトに照らし出される大原大しだれ桜。幻想的な光景に思わず足を止める人が後を絶たない=2014年3月27日大原大しだれ桜002
大原大しだれ桜=2015(平成27)年3月27日、大分県日田市田島町大原大しだれ桜003
ライトアップされ、夕闇に浮かび上がる「大原大しだれ桜」=2016(平成28)年3月24日、大分県日田市田島大坪の一本桜
満開になった大坪の一本桜=2008(平成20)年3月27日午前大将陣公園 夜桜
ちょうちんの明かりに照らされた大将陣公園の夜桜=2015(平成27)年3月29日、福岡県飯塚市大将陣公園 桜満開
穂波町の大将陣公園で満開の桜を楽しむ花見客=2005(平成17)年4月7日、福岡県飯塚市大村入国者収容所
1955(昭和30)年8月当時の空から見た大村入国者収容所の全景大村公園 桜001
長崎県下随一の桜の名所、大村公園=1968(昭和43)年3月頃大村公園 桜002
大村市の大村公園で開かれた「よさこいダンスフェスタ」に向かう参加者たち=2004(平成16)年4月4日大村公園 桜003
満開の桜を見物に大勢の花見客が訪れた大村公園=2006(平成18)年4月2日大村公園 桜004
満開を迎えた大村公園のソメイヨシノ=2008(平成20)年4月3日大村公園 桜005
大村市の大村公園の桜=2008(平成20)年4月3日大村公園 桜006
期間中、満開のサクラやハナショウブなどが楽しめる大村公園の「花まつり」=2009(平成21)年3月24日大村公園 桜007
満開を迎えた松浦市福島町大山公園のサクラ=2010(平成22)年4月2日大村公園 桜008
約2000本の桜がある大村公園は多くの人でにぎわっている=2012(平成24)年4月1日大村公園 桜009
ライトアップされた大村公園のサクラ=2016(平成28)年3月28日天神山の大しだれ桜001
「天神山の大しだれ桜」がほぼ満開を迎え、訪れた人々を楽しませている=2009年3月21日、福岡県築上町本庄天神山の大しだれ桜002
ほぼ満開になった天神山の大しだれ桜=2011(平成23)年4月4日、福岡県築上町本庄天神山の大しだれ桜003
ほぼ満開になった天神山の大しだれ桜=2011(平成23)年4月4日、福岡県築上町本庄天神山の大しだれ桜004
春の陽光の下、満開を迎えた天神山の大しだれ桜=2012(平成24)年4月6日、福岡県築上町本庄天神山の大しだれ桜005
満開になった「天神山の大しだれ桜」=2013(平成25)年3月23日、福岡県築上町本庄天神山の大しだれ桜006
満開となり、ライトアップされた築上町本庄のしだれ桜=2014(平成26)年3月29日、福岡県築上郡天草オリーブ園
小高い丘の上にオリーブの木が連なる「天草オリーブ園」=2014(平成26)年10月頃、天草市五和町天草下島
牛深市の南上空から天草下島を見る=1961(昭和36)年6月頃、熊本県天草郡天草五橋と昭和天皇
パールライン観光ホテルのテラスに出て天草1号橋をご覧になる両陛下=1966(昭和41)年10月天草五橋・前島橋
天草五橋のひとつ、前島橋天草五橋・千巌山から
天草五橋。千巌山からは2号橋から5号橋が一望に見渡せる(右下の白い橋は4号橋)=2003(平成15)年頃天草五橋・4号橋
天草五橋。ホテルや旅館が建ち並ぶ五橋の中心4号橋=2003(平成15)年頃、天草郡松島町千巌山天草博覧会
天草博覧会正面入口=1955(昭和30)年9月頃天草四郎大矢野太鼓
天草四郎公園内の同銅像前で「初打ち報告祭」=1983(昭和58)年10月頃、熊本県天草郡大矢野町天草灘の夕日
「日本の夕陽百選」に選定されている天草灘の夕日=2007(平成19)年9月頃天草空撮001
天草=1962(昭和37)年11月18日、熊本県天草郡(本社機から)天草空撮002
天草=1962(昭和37)年11月18日、熊本県天草郡(本社機から)天草空撮003
天草=1962(昭和37)年11月18日、熊本県天草郡(本社機から)天草諸島 おっぱい岩
苓北町の名所「おっぱい岩」=2015(平成27)年5月13日天草諸島 ほんどハイヤ祭り001
牛深ハイヤ節に合わせ、女性たちが練り歩く総踊り=平成27年4月18日午後7時半すぎ、熊本県天草市牛深町天草諸島 ほんどハイヤ祭り002
天草ほんどハイヤ祭りのフィナーレを飾った「道中総踊り」=2015(平成27)年8月1日夜、天草市南新町天草諸島 アイラトビカズラ
天草市倉岳町の山中で開花したアイラトビカズラ=2015(平成27)年4月頃天草諸島 クンシラン
天草市牛深町のうしぶか公園で開花したクンシラン=2015(平成27)年4月頃天草諸島 ハッチョウトンボ
ハッチョウトンボが生息する上天草市姫戸町の白嶽湿地=2015(平成27)年6月頃天草諸島 ペーロン競漕
ペーロン競漕=1950(昭和25)年8月頃、熊本県天草郡富岡町天草諸島 上田家
与謝野寛と木下杢太郎が訪れた上田家(熊本県天草市)天草諸島 五和町の鬼池
五和町の鬼池=1970(昭和45)年12月、熊本県天草郡(本社機から)天草諸島 伊唐大橋
鹿児島県長島町役場の約2キロ北にある針尾公園からは、「伊唐大橋」を眺めることができる天草諸島 佐伊津浜
本渡市の佐伊津浜=1970(昭和45)年12月、熊本県(本社機から)天草諸島 傅兵衛木場の陶石採掘現場
傅兵衛木場の採掘現場。この陶石を粘りがでるまでキネでつくと磁器用の粘土となる=平成2年3月7日、熊本県天草町天草諸島 兜梅が見ごろ
天草市の延慶寺で見ごろを迎えた推定樹齢500年の兜梅=2013(平成25)年2月14日天草諸島 前島で化石発掘
前島で化石発掘を楽しむセミナーの参加者。海岸の岩場には、二枚貝の化石が豊富に見られる(写真右下)天草諸島 千巌山の展望所から
千巌山の展望所から見渡せる天草の島々=2012(平成24)年2月頃天草諸島 原城跡
原城跡にたたずむ白い十字架や天草四郎の墓(中央の木の根元)=2009(平成21)年9月頃天草諸島 四郎浜海岸
天草の四郎浜海岸=1972(昭和47)年7月23日、熊本県天草諸島 大浦港
大浦港=1940(昭和15)年8月頃、熊本県天草郡天草諸島 大矢崎防波堤
大矢崎防波堤=1935(昭和10)年4月頃、熊本県天草郡本渡町(現・本渡市)天草諸島 大矢野島、上島
天草諸島の大矢野島(中央)と上島(下)左上は島原半島=1956(昭和31)年、熊本県(本社機から)天草諸島 天草五橋
天草パールライン=1988(昭和63)年、熊本県天草諸島 天草博覧会
天草博覧会の会場=1955(昭和30)年9月、熊本県本渡市(本社機から)天草諸島 天草架橋工事001
工事中の天草架橋=1965(昭和40)年、熊本県天草郡松島町(本社機から)天草諸島 天草架橋工事002
工事中の天草架橋=1965(昭和40)年、熊本県天草郡松島町(本社機から)天草諸島 天草瀬戸開閉橋(天草瀬戸大橋)
電動跳ね上げ式開閉橋天草上島(本渡市志柿)と下島(同市亀場)間に架かる橋=熊本県本渡市=昭和33年6月頃天草諸島 完成間近の天草五橋001
完成間近の天草五橋。手前5号橋、その奥4号橋=1966(昭和41)年、熊本県天草郡松島町天草諸島 完成間近の天草五橋002
完成間近の天草五橋=1966(昭和41)年、熊本県天草郡天草諸島 完成間近の天草五橋003
完成間近の天草五橋=1966(昭和41)年、熊本県天草郡天草諸島 完成間近の天草五橋004
完成間近の天草五橋=1966(昭和41)年、熊本県天草郡天草諸島 崎津の漁村景観
国の重要文化的景観に選定されることになった崎津の漁村景観。中央に見えるのが崎津教会=熊本県天草市河浦町天草諸島 崎津港
崎津港=1935(昭和10)年5月頃、熊本県天草郡河浦町天草諸島 工事が進む天草五橋
工事が進む五橋。手前から2、3、4、5号橋=1966(昭和41)年5月、熊本県大矢野町上空から天草諸島 市職員がサンタビズ
サンタ姿で業務する天草市観光振興課の職員たち=2013(平成25)年=2013(平成25)年12月2日天草諸島 建設中の天草五橋
建設中の天草五橋。1966年に完成し、宇土半島と天草は道路で結ばれた=1965(昭和40)年(本社資料写真)天草諸島 志岐城跡
志岐城跡は広場や遊歩道が整備され、眺望も良い=2015(平成27)年1月頃、熊本県苓北町天草諸島 春ソバ実る
天草市天草町で実をつけている春ソバ。一部で白い花も咲いている=2014(平成26)年5月頃天草諸島 昭和天皇のお召車
天草の本渡ご上陸の昭和天皇のお召し車=1949(昭和24)年5月30日天草諸島 本渡市空撮001
本渡市=1970(昭和45)年12月、熊本県(本社機から)天草諸島 本渡市空撮002
本渡市=1970(昭和45)年12月、熊本県(本社機から)天草諸島 本渡町全景
本渡町の全景。昭和29年町村合併で市になる=1942(昭和17)年頃、熊本県天草郡本渡町天草諸島 橋が架かる天草
橋が架かる天草=1964(昭和39)年9月8日、熊本県天草郡(本社機から)天草諸島 殉教祭
天草の殉教祭=1956(昭和31)年9月18日、熊本県天草諸島 段々畑
天草・高浜村と後方に広がる段々畑=1955(昭和30)年12月、熊本県天草諸島 海上ロープウエー
天草自然水族館から対岸の御手洗展望台まで海上をほぼ水平に渡る海上ロープウエー=熊本県本渡市茂木根天草諸島 海岸の奇岩
天草西部域の海岸では、荒波がつくり出す雄大な風景を望むことができる。ゾウのように見える奇岩も天草諸島 瀬戸橋
瀬戸橋(瀬戸施回橋)。天草上島、下島をつなぐ施回橋=1935(昭和10)年頃、熊本県天草郡本渡町天草諸島 牛深港
牛深港。右上は鹿児島県長島=1968(昭和43)年2月頃、熊本県牛深市天草諸島 牧島
御所浦町本郷から牧島(向こう側)を望む=1973(昭和48)年12月頃、熊本県天草郡御所浦町天草諸島 福連木地区
のどかな山村風景が広がる天草市天草町の福連木地区。哀愁を帯びた福連木の子守唄が伝わる=平成26年11月頃天草諸島 羊角湾干拓
廃止が決定した天草の国営羊角湾干拓事業=1997(平成9)年12月、熊本県天草諸島 陶石会社の採掘場
熊本県天草市の陶石会社の採掘場。中央に見える白い地層上部が良質の陶石層だが、年々採掘しにくくなっている天草諸島 高舞登山の山頂展望台から
観海アルプスのスタート地点、高舞登山の山頂展望台からは天草の島々が見渡せる=2013(平成25)年4月頃天草諸島 鬼海ケ浦
「あまくさ風景街道」沿いにある天草市天草町の鬼海ケ浦=2014(平成26)年5月頃天草諸島 鬼海ケ浦に沈む夕日
「天草夕陽八景」の一つ、鬼海ケ浦に沈む夕日=2011(平成23)年9月頃天郷の一本桜
福智町「天郷の一本桜」。周囲ではヤギが草を食む=2015(平成27)年4月、福岡県田川郡夫婦恵比須千座大祭
夫婦恵比須の「千座」の席は終日にぎわっている=博多区・櫛田神社で奄美大島 ちぢん太鼓
ヤギの皮で作った小太鼓で、祭りや催しの時、三味線とともに島には欠かせない「ちぢん太鼓」=鹿児島県奄美大島 アダン色づく
嘉徳海岸の青い空と海に映えるアダンの実=2013(平成25)年8月、鹿児島県瀬戸内町奄美大島 アマミイシカワガエル
洞の中でじっと動かないアマミイシカワガエル=平成26年11月頃、鹿児島県龍郷町の「奄美自然観察の森」奄美大島 アマミノクロウサギ・全身
夜の森にいたアマミノクロウサギの子ども=鹿児島県奄美市、2015(平成27)年6月1日夜奄美大島 アマミノクロウサギ・駆け足
枯れ枝の斜面を駆け下りるアマミノクロウサギ。暗闇が保護色だ=鹿児島県奄美市、2015(平成27)年6月1日夜奄美大島 アマミホシゾラフグの産卵床001
海底の砂地に幾何学的な模様を描くアマミホシゾラフグの産卵床=鹿児島県・奄美大島、平成27年5月8日奄美大島 アマミホシゾラフグの産卵床002
海底の砂地に幾何学的な模様を描くアマミホシゾラフグの産卵床=鹿児島県・奄美大島、平成27年5月8日奄美大島 アマミヤマシギ
アマミヤマシギ。餌を求めて林道を歩く。飛ぶのは得意でない=2010(平成22)年10月、鹿児島県奄美市奄美大島 アヤマル岬
奄美大島のアヤマル岬=1970(昭和45)年1月頃、大島郡笠利町奄美大島 オオシマウツギ
白い花が集まって咲くオオシマウツギ。奄美大島の固有種だ=2014(平成26)年3月奄美大島 オキナワウラジロガシの巨木
奄美大島一のオキナワウラジロガシの巨木。板状の根がくねくね曲がっている奄美大島 オットンガエル
オットンガエル。奄美大島だけに生息する大型のカエル。両方の後ろ脚が盛り上がっている=鹿児島県奄美市奄美大島 キイレツチトリモチ
県本土では国指定天然記念物のキイレツチトリモチ=2012(平成24)年12月頃、鹿児島県奄美市奄美大島 クシハダミドリイシ
緑色が美しいクシハダミドリイシ=2009(平成21)年5月頃、鹿児島県宇検村船越海岸奄美大島 ケネディ氏葬儀の祭壇
名瀬聖心教会の聖堂で使われている祭壇。聖書の一節の十字架を背負い倒れるキリストが彫られている=鹿児島県奄美市奄美大島 ケラマツツジ
渓流の岩場に咲くケラマツツジ。絶滅危惧種に分類される=2014(平成26)年3月奄美大島 コウノトリが飛来
奄美大島に飛来したコウノトリ2羽のうちの1羽。脚に標識がある=2014(平成26)年9月頃、鹿児島県奄美市奄美大島 サシバが越冬
越冬のため奄美大島に渡ってきたサシバ。春には島を離れる=鹿児島県大和村奄美大島 サンゴ礁
沖合に広がるイノー(干上がったサンゴ礁)を歩き、魚介類を探す地元の人たち=鹿児島県奄美市笠利町の節田海岸奄美大島 サンゴ礁を「国土」に
干潮時に砂浜から沖合に向かって広がるサンゴ礁=2010(平成22)年7月頃、鹿児島県奄美市笠利町奄美大島 チヂミウスコモンサンゴ
水中花のようなチヂミウスコモンサンゴ=2009(平成21)年5月頃、鹿児島県宇検村船越海岸奄美大島 チョウ採集の義宮さま
チョウを採集される義宮さま=1961(昭和36)年頃、奄美大島奄美大島 テッポウッユリ
奄美群島の最北端の笠利崎から太平洋を眼下に咲くテッポウユリ=2013(平成25)年4月奄美大島 トクサラン
黄色い花がかわいいトクサラン。奄美大島が分布北限の絶滅危惧種奄美大島 ノロの祭り
カミギン(神衣装)を着て「今里集落を守って」と祈る女性たち=平成25年5月17日、鹿児島県大和村奄美大島 ハマサンゴ
イノー(干上がったサンゴ礁)で見られる紫色の縁取りがあるハマサンゴ=平成21年5月頃、鹿児島県宇検村船越海岸奄美大島 ホノホシ海岸
「カラカラカラ」と心地いい音が聞こえるホノホシ海岸=2012(平成24)年12月頃、奄美大島奄美大島 マングローブ原生林001
住用川の河口に広がる広さ71ヘクタールのマングローブ原生林。奄美群島国定公園特別保護地区に指定される奄美大島 マングローブ原生林002
干潮時に根が地上に出るマングローブ林=2013(平成25)年9月、奄美大島奄美大島 モダマ豊作
ソラマメを巨大にしたようなモダマ=2009(平成21)年11月頃、鹿児島県奄美市住用町奄美大島 ユタ祭り
岩の上でススキをかざし一心に祈る人たち=2010(平成22)年10月16日午前8時半頃、鹿児島県龍郷町奄美大島 ユワンツチトリモチ
無数の花が集まる寄生植物のユワンツチトリモチ。イチゴのようにも見える=奄美群島奄美大島 リュウキュウアサギマダラ集団越冬
集団越冬するリュウキュウアサギマダラ。北風を避けるように林の中でじっと動かない=奄美群島奄美大島 リュウキュウキジバト
リュウキュウキジバト。外敵を警戒し、葉の少ない枝に止まる=2010(平成22)年10月、鹿児島県奄美市奄美大島 両陛下マングローブ自生地へ
マングローブの自生地をご覧になる両陛下=1972(昭和47)年10月25日、鹿児島県奄美大島奄美大島 久慈地区
「静波の里」と呼ばれる久慈地区。眼前に加計呂麻島があり、内海の久慈湾はほとんど波立たず、静かで穏やかだ奄美大島 千年松を守れ
つり籠に乗り、千年松の樹上から薬剤を空中散布する作業員=2015(平成27)年6月奄美大島 名瀬市の火事
名瀬市の大火で焼失した家屋など=1955(昭和30)年12月3日、鹿児島県・奄美大島(本社機から)奄美大島 喜瀬の隠れ浜
喜瀬集落の沖合に現れた「隠れ浜」に上陸し喜ぶ女性=2013(平成25)年5月頃、鹿児島県奄美市奄美大島 大島紬の「のり張り」
鹿児島県奄美市名瀬で行われている大島紬の「のり張り」作業。絹糸をのりで固めて天日に干す=平成22年8月奄美大島 大島紬(大島つむぎ)
大島紬を織る女性たち=1956(昭和31)年、鹿児島県・奄美大島奄美大島 奄美で104年ぶりの雪
湯湾岳登山道入り口付近には雪が積もり真っ白=2005(平成17)年3月6日、鹿児島県奄美大島奄美大島 奄美和光園001
奄美和光園。ハンセン病専門の国立療養所=1984(昭和59)年6月頃奄美大島 奄美和光園002
入所者数が全国の療養所で最も少ない奄美和光園。老朽化した木造の療棟は空室が目立つ=平成18年8月頃奄美大島 奄美市街地全景
復帰記念広場から北に向いて広がる名瀬湾。埋め立てで発展した市街地が一望できる奄美大島 島バナナ
八百屋の店先に並ぶ島バナナ。房ごとつり下げて売られる=2008(平成20)年10月頃、奄美市奄美大島 平瀬マンカイ
男女が海岸の岩にのぼり、稲の神を招くように踊る「平瀬マンカイ」=平成26年9月2日午後4時頃、鹿児島県龍郷町奄美大島 日本復帰ハンスト
奄美大島の日本復帰ハンスト会場に集まった約1万人の名瀬市民=1951(昭和26)年8月頃奄美大島 水中展覧会会場
水中展覧会の会場になる鹿児島県瀬戸内町の嘉鉄海岸沖=2011(平成23)年8月奄美大島 油井豊年祭り
見物人の笑いを誘った豊年祭り=2004(平成16)年9月28日、瀬戸内町油井(奄美大島)奄美大島 皇太子さまご夫妻001
奄美空港に着かれた皇太子、皇太子妃両殿下=1968(昭和43)年4月7日、鹿児島県大島郡笠利町奄美大島 皇太子さまご夫妻002
奄美の自然をご堪能される皇太子、皇太子妃両殿下=1968(昭和43)年4月8日、鹿児島県大島郡瀬戸内町奄美大島 皇太子さまご夫妻003
名瀬の海岸での皇太子(明仁親王・左から3人目)殿下=1968(昭和43)年4月8日、鹿児島県・奄美大島奄美大島 秋名アラセツ行事001
日の出に合わせて男たちが揺すると屋根が倒れた=2013(平成25)年9月7日午前6時頃、鹿児島県龍郷町奄美大島 秋名アラセツ行事002
「秋名アラセツ行事」のショチョガマで、男衆が屋根を揺すると、屋根がどっと倒れた=鹿児島県龍郷町奄美大島 群れで移動するミナミコメツキガニ
群れで移動するミナミコメツキガニ。日差しを受け甲羅がきらきら輝く=平成21年10月頃、鹿児島県奄美市の干潟奄美大島 群生するグンバイヒルガオ
節田海岸に群生するグンバイヒルガオ。「軍配」に由来する=2012(平成24)年6月、鹿児島県奄美市笠利町奄美大島 豊年祭土俵入り
左足を踏みだし、両手を上下にたたく、奄美独特の土俵入り=平成25年8月、宇検村芦検(あしけん)集落「豊年祭」奄美大島 青色になるミナミコメツキガニ
甲羅が青色になるミナミコメツキガニ=2009(平成21)年11月頃、鹿児島県奄美市の干潟奄美大島 龍郷町の荒場
「荒場」と呼ぶ龍郷町嘉渡地区。奄美大島の東シナ海側は白波が立つ日が多い奄美大島 2匹のリュウキュウアカガエル
2匹のリュウキュウアカガエル。産み落とされた小さな白い卵も見える=平成23年1月頃、鹿児島県龍郷町奄美大島の高倉001
奄美大島の高倉=1965(昭和40)年、鹿児島県奄美大島の高倉002
奄美大島の高倉。ワラ屋根の中が倉庫、ハシゴをかけて出入りする=1970(昭和45)年1月頃奄美大島日本復帰
日本本土復帰の奄美大島=1954(昭和29)年1月頃、鹿児島県大島郡奄美大島日本復帰 市民がお祝い001
奄美大島の日本復帰を祝う島人たち=1953(昭和28)年12月、大島郡瀬戸内町奄美大島日本復帰 市民がお祝い002
本土復帰を祝う名瀬市民ら=1953(昭和28)年12月25日、鹿児島県・奄美大島(本社機から)奄美大島日本復帰 看板掛け替え
奄美大島日本本土復帰。看板の掛け替え=1953(昭和28)年12月奄美大島日本復帰「フッキ万才」
奄美大島の本土復帰を祝い民家の屋根に書かれた「フッキ万才」(左下)=鹿児島県名瀬市(本社機から)奄美大島返還のメッセージ ダレス米国務長官
米国務長官。来日し、羽田空港で奄美大島返還のメッセージを読むダレス氏=1953(昭和28)年8月奄美諸島 大島紬の泥染め
大島紬の泥染め=1953(昭和28)年頃、奄美奈留島
「ユーミン伝説」が生まれた長崎県・奈留島=2005(平成17)年11月頃奈留島 城岳展望台から
城岳展望台から「碧い」海と「名もない島」が見渡せる奈留島=2011(平成23)年3月頃奈留町役場
大リーグのオールスター戦に出場する野茂投手を激励する奈留町役場の懸垂幕=平成7年7月、長崎県(五島)奥球磨ループ橋
市房ダム湖近くの交通利便性の向上を狙い建設された奥球磨ループ橋=2003年3月30日、熊本県球磨郡宇久島 アコウの巨樹
樹齢数百年のアコウの巨樹。神秘的な雰囲気を漂わせる=2011(平成23)年7月頃、宇久島宇久島 家盛の銅像
宇久平港ターミナル前で来島者を出迎える平家盛の銅像(左)=2012(平成24)年3月頃、宇久島宇久島 家盛上陸地「船隠し」
家盛の上陸地。追っ手から見つからないよう船を隠せる場所だったことから「船隠し」と呼ばれている=宇久島宇久島 対馬瀬灯台から望む
島北端の対馬瀬灯台から望む海と空のコントラストは壮観だ=2011(平成23)年7月頃、宇久島宇久島 旧宮崎缶詰製造所
島民が壁を塗り替えるなどして「浜方ふれあい館」として生まれ変わる旧宮崎缶詰製造所=平成20年2月頃、宇久島宇久島 東光寺
家盛など7代が眠るとされる東光寺=2012(平成24)年3月頃、宇久島宇久島 離島防衛訓練
車両を載せて宇久島に上陸するエアクッション型揚陸艇=平成27年4月14日午前9時40分、長崎県佐世保市守静坊 しだれ桜001
見ごろを迎えた守静坊の枝垂れ桜=2012(平成24)年4月12日、福岡県田川郡添田町英彦山守静坊 しだれ桜002
守静坊の石垣の上で大きな枝を広げるしだれ桜=2014(平成26)年4月2日、福岡県田川郡添田町宝珠寺のしだれ桜001
闇の中に浮かぶ姿は現世を忘れさせる美しさ=2007(平成19)年3月26日、佐賀県神埼市・宝珠寺宝珠寺のしだれ桜002
夕闇にたたずむ姿は、心に温かな明かりをともす=2007(平成19)年3月26日、佐賀県神埼市・宝珠寺宝珠寺のしだれ桜003
見ごろを迎えた宝珠寺のヒメシダレザクラ=2008(平成20)年4月1日、佐賀県神埼市宝珠寺のしだれ桜004
満開を迎えた宝珠寺のシダレザクラ=2009(平成21)年3月19日、佐賀県神埼市宝珠寺のしだれ桜005
ライトアップされたヒメシダレザクラ=2010(平成22)年3月18日午後7時半頃、佐賀県神埼市・宝珠寺宝珠寺のしだれ桜006
ライトアップされ、鮮やかに浮かび上がった宝珠寺のヒメシダレザクラ=2011年3月30日、佐賀県神埼市宝珠寺のしだれ桜007
ライトアップされたヒメシダレザクラ=2012(平成24)年4月2日、佐賀県神埼市・宝珠寺宮地嶽神社 寒緋桜001
七分咲きとなり、見ごろを迎えた宮地嶽神社の寒緋桜=2003(平成15)年2月6日、福岡県津屋崎町宮地嶽神社 寒緋桜002
お点前の披露のほか、巫女による優雅な舞の奉納もあった宮地嶽神社の「緋桜野点(のだて)」=2006年3月19日宮地嶽神社 寒緋桜003
冷え込みの中、ピンク色の花が満開となった寒緋桜=2008(平成20)年2月14日、福岡県福津市・宮地嶽神社宮地嶽神社 寒緋桜004
福津市の宮地嶽神社で見ごろを迎えている寒緋桜=2010(平成22)年3月8日、福岡県宮地嶽神社 開運桜001
「開運桜」の蜜を求め、枝先を飛び回るメジロ=2014(平成26)年2月19日、福岡県福津市・宮地嶽神社宮地嶽神社 開運桜002
満開の「開運桜」の蜜を求めるメジロ=2014(平成26)年2月19日午前11時頃、福岡県福津市・宮地嶽神社宮地嶽神社 開運桜003
見ごろを迎えた宮地嶽神社の「開運桜」=2016(平成28)年2月10日午前、福岡県福津市宮地嶽神社 開運桜004
満開の「開運桜」の蜜を吸うメジロ=2017(平成29)年2月4日午前11時すぎ、福岡県福津市・宮地嶽神社宮地嶽神社の桜見ごろ
桜が見ごろを迎えた宮地嶽神社境内=2011(平成23)年4月2日、福岡県対州馬
対馬市美津島町のあそうベイパークで飼育されている対州馬=2012(平成24)年3月頃対州馬でパレード 110番の日
対州馬にまたがってパレードに出発する騎馬隊の一行=2012(平成24)年1月9日対馬 ナヒモフ号6インチ大砲
「神田丸」から長崎県上対馬町比田勝に陸揚げされる日本海海戦で沈没したロシア艦ナヒモフ号の6インチ大砲対馬 ハクウンキスゲ
海沿いの斜面でだいだい色の花を咲かせるハクウンキスゲ=平成23年7月12日午後、長崎県対馬市厳原町対馬 ヒトツバタゴが満開
見頃を迎えた上対馬町鰐浦のヒトツバタゴ=2013(平成25)年5月1日午前7時頃対馬 ヤクマ祭り
円すい状に大小の石を積み上げ、塔を作る住民たち=2011(平成23)年7月2日対馬 万松院「百雁木」
桃山様式の万松院山門と墓所へと続く「百雁木」と呼ばれる石段(右)=2011(平成23)年4月頃対馬 万松院まつり
万松院まつりの日に限り、明かりがともる百雁木の灯籠=2013(平成25)年9月頃対馬 万関橋001
上対馬と下対馬を結ぶ浅茅湾の万関橋=1960(昭和35)年12月、長崎県美津島町(本社機から)対馬 万関橋002
対馬の上島と下島間に架かる朱色の万関橋=2011(平成23)年3月頃対馬 万関橋003
対馬の東西の海をつなぐ万関瀬戸に架かる万関橋=2014(平成26)年5月頃対馬 三宇田浜海水浴場
エメラルドグリーンの遠浅の海が広がる対馬市の三宇田浜海水浴場=2011(平成23)年6月頃対馬 厳原の貿易商社街
対馬・厳原町の貿易商社街=1960(昭和35)年対馬 厳原港
対馬・厳原港=1958(昭和33)年12月、長崎県対馬 厳原港、厳原市街
対馬・厳原港と厳原の町=1960(昭和35)年12月、長崎県厳原町(本社機から)対馬 厳原町
厳原町空撮=1960(昭和35)年12月頃、長崎県対馬対馬 大口瀬戸
大口瀬戸空撮=1960(昭和35)年12月頃、長崎県対馬対馬 太田隈山001
上対馬の井口上空より太田隈山方面を望む=1974(昭和49)年11月、長崎県(本社機から)対馬 太田隈山002
上対馬の井口上空より太田隈山方面を望む=1974(昭和49)年11月、長崎県(本社機から)対馬 宮中献穀事業
神事の後、田に鍬(くわ)入れする「奉耕者」の女性(右端)=2013(平成25)年5月14日対馬 対州馬放牧場
対馬市上県町佐護の海沿いに整備された対州馬の新たな放牧場=2011(平成23)年4月22日対馬 対馬保安所の巡視艇
朝鮮海峡を守る対馬保安所の巡視艇=1950(昭和25)年7月頃対馬 放牧される対州馬
対馬市美津島町の島山地区で放牧されている対州馬=2010(平成22)年1月頃対馬 朝鮮通信使行列
華やかに再現された朝鮮通信使行列=2015(平成27)年8月2日午後、長崎県対馬市対馬 杉焼き料理
ミソをだし汁でといて、魚介類や野菜などを入れて煮る「杉焼き料理」=2011(平成23)年7月11日対馬 東邦亜鉛対州鉱業所
数々の物語を生んだ選鉱場の女工さんたちも機械の力に押されて此処から姿を消した対馬 東邦亜鉛対州鉱業所跡
対馬イタイイタイ病の原因となったカドミウムを流した東邦亜鉛対州鉱業所跡=昭和49年5月21日、長崎県・対馬対馬 樹齢1500年の大イチョウ
黄金色に色づいた樹齢推定1500年の大イチョウ=2008(平成20)年11月16日対馬 浅茅湾の島々001
大小の入り江と島々が連なる長崎県対馬市の浅茅湾=2013(平成25)年1月対馬 浅茅湾の島々002
浅茅湾(あそうわん)に浮かぶ大小の島=2014年3月頃、烏帽子岳展望所対馬 海栗島全景
韓国展望台から見た海栗島。島全体が航空自衛隊西部航空警戒管制団第警戒隊海栗島分屯基地対馬 異国の見える丘展望台
朝鮮海峡越しに韓国の山々が一望できる「異国の見える丘展望台」=2007(平成19)年11月頃対馬 盗難仏像戻る
返還された銅造如来立像=2015(平成27)年7月18日対馬 石屋根倉庫
対馬市厳原町椎根地区に残る石屋根倉庫。石は島の暮らしと密接にかかわってきた=2011(平成23)年6月頃対馬 石屋根001
倉庫として利用された対馬の石屋根=1983(昭和58)年10月、長崎県厳原町椎根対馬 石屋根002
対馬市厳原町椎根に残る石屋根=2004(平成16)年4月頃対馬 石焼き
新鮮な魚介類を乗せて焼く郷土料理「石焼き」=2010(平成22)年2月頃対馬 石積み倉庫
長崎県対馬地方の海辺の倉庫は、台風にもビクともしない石積み倉庫=1984(昭和59)年10月頃対馬 竹敷港001
竹敷港・美津島町空撮=1960(昭和35)年12月頃、長崎県対馬対馬 竹敷港002
浅茅湾内・竹敷港空撮=1960(昭和35)年12月頃、長崎県対馬対馬 美津島の海岸線001
海岸線の長さが日本一のリアス式海岸・美津島町=1998(平成10)年4月27日、長崎県・対馬対馬 美津島の海岸線002
海岸線の長さが日本一のリアス式海岸・美津島町=1998(平成10)年4月27日、長崎県・対馬対馬 美津島町鶏知
美津島町鶏知空撮=1960(昭和35)年12月頃、長崎県対馬対馬 若田硯001
対州石で作られる硯=1982(昭和57)年10月7日、長崎県・対馬対馬 若田硯002
対州石で作られた硯=1982(昭和57)年10月7日、長崎県・対馬対馬 藻刈り船001
いかだの一種藻刈り舟=1980(昭和55)年、長崎県・対馬佐護地区対馬 藻刈り船002
いかだの一種藻刈り舟=1980(昭和55)年、長崎県・対馬佐護地区対馬 表八丁角
天道信仰の開祖、天道法師の墓といわれ昔の信者からは近寄ってはならぬ恐ろしい所とされた=長崎県対馬対馬 豆酘のカンカン祭り
海辺で紅白の舟を浮かべ、海上安全などを祈願する神職たち=平成25年8月8日、対馬市厳原町豆酘(つつ)対馬 豊砲台の砲塔部
米軍に解体され、穴が開いた砲塔部。砲塔は厚さ3メートルの擁壁で保護されていた=2013(平成25)年8月頃対馬 郷山砲台跡
対馬市美津島町の尾崎半島に残る郷山砲台跡=2012(平成24)年2月頃対馬 金田城跡
今も石垣が残る朝鮮式山城「金田城跡」=2011(平成23)年9月頃対馬 金石城櫓門
金石城の櫓門=1993(平成5)年、対馬・厳原対馬 陸自記念式典
対馬市厳原町の中心部をパレードする戦闘車両=2014(平成26)年10月18日対馬 韓国タンカー重油流出001
長崎県対馬の上県町伊奈崎の西沖合15キロの海上で重油の回収作業をする漁民ら=平成9年4月9日午後1時すぎ対馬 韓国タンカー重油流出002
オイルフェンスの内側にも重油が見られ、懸命な回収作業が続いた=長崎県上対馬町の鰐浦漁港対馬 魚礁づくり
対馬オメガ局の鋼管製の電波塔を利用した魚礁づくり=2000(平成12)年4月8日、長崎県・対馬対馬の蜂胴001
対馬独特の人口巣「蜂胴」=1975(昭和50)年、長崎県対馬対馬の蜂胴002
対馬独特の人口巣「蜂胴」=1975(昭和50)年、長崎県対馬対馬オメガ局電波塔001
東京タワーを抜き日本一高い鉄塔になる対馬のオメガ電波標識塔=長崎県・対馬、1973(昭和48)年7月対馬オメガ局電波塔002
対馬オメガ局の電波塔=1973(昭和48)年10月23日、長崎県上対馬町(本社機から)対馬オメガ局電波塔003
対馬オメガ局の電波塔=1973(昭和48)年10月23日、長崎県上対馬町(本社機から)対馬オメガ局電波塔004
東洋一の高さを誇る対馬オメガ局の電波塔=1989(平成元)年5月頃対馬要塞上見坂
上見坂公園にある兵舎跡。砲を砲台に据えたときは発射要員など100人程度が仮眠所として使った対馬要塞機雷
日露戦争後、戦勝記念に海軍から贈られたとされる住吉神社の機雷=2012(平成24)年2月頃対馬要塞護岸
竹敷に残る旧日本海軍が築いた護岸。土木学会の日本の近代土木遺産ではAランクに指定されている対馬6町合併調印
合併協定書に署名する対馬の6町長=2002(平成14)年6月11日小倉城の桜001
抜けるような青空の下、春の嵐に負けず見ごろを迎えた小倉城の桜=2012年4月4日、北九州市小倉北区小倉城の桜002
ライトアップされた桜の下で、食事を楽しむ人たち=2015(平成27)年3月27日、福岡県小倉北区・小倉城小倉城の桜003
小倉城内第12師団の門跡。この春も美しい桜が咲いた=2015(平成27)年4月23日、福岡県北九州市小倉城の桜004
満開の桜を眺めるフランス人旅行者。この時期、多くの外国人が小倉城を訪れる=2016年4月1日、福岡県北九州市小倉城の桜005
国内外の観光客に人気の小倉城=2016(平成28)年4月4日、福岡県北九州市小倉城周辺の桜見頃
満開となった小倉城周辺の桜=2013(平成25)年3月21日、福岡県北九州市小値賀島 姫の松原
450メートルにわたり松林が続く小値賀町の「姫の松原」=2005(平成17)年12月頃小値賀島 町の路地
路地を歩くと、どこか懐かしい風景が広がる=2013(平成25)年8月頃、小値賀島小値賀島 笛吹港
笛吹港=1960(昭和35)年1月頃、小値賀町小城公園 さくら灯籠001
灯篭の灯りにほのかに照らされた小城公園の桜=2010(平成22)年3月26日小城公園 さくら灯籠002
竹灯籠に照らし出された小城公園の夜桜=2011(平成23)年3月25日小城公園 さくら灯籠003
竹灯籠の明かりに照らされた小城公園の桜=2012(平成24)年4月6日小城公園 桜満開001
花見客でにぎわう小城公園=1988(昭和63)年4月3日、佐賀県小城町小城公園 桜満開002
花見客でにぎわう小城公園=1988(昭和63)年4月3日、佐賀県小城町小城公園 桜満開003
「さくら名所100選」にも選ばれている小城公園の桜。約3000本が咲き誇る=2005年4月6日、佐賀県小城市小城公園 桜満開004
多くの花見客でにぎわう小城公園=2015(平成27)年3月30日小城公園 桜開花001
満開の桜を楽しむ1939(昭和14)年3月当時の人たち=佐賀県小城町の小城公園小城公園 桜開花002
四分咲きとなった小城公園のサクラ=1976(昭和51)年3月31日、佐賀県小城町小城公園 桜開花003
四分咲きとなった小城公園のサクラ=1976(昭和51)年3月31日、佐賀県小城町屋久島 うっそうたる森
うっそうたる屋久島の森=2001(平成13)年頃屋久島 トロッコ列車
原始林を行くトロッコ列車=1964(昭和39)年12月頃、屋久島屋久島 ヤクザル
樹上で花のみつを味わうヤクザル=2000(平成12)年5月頃、鹿児島県・屋久島屋久島 ヤクシカ
山肌のコケを食べるヤクシカ=2000(平成12)年5月頃、鹿児島県・屋久島屋久島 安房港
屋久島の安房港=1953(昭和28年)1月頃、熊毛郡屋久町屋久島 宮之浦岳
宮之浦岳=1935(昭和10)年頃、屋久島屋久島 宮之浦岳山頂より
九州最高峰・宮之浦岳山頂より臨む=2000(平成12)年5月頃、鹿児島県・屋久島屋久島 屋久杉とNZの巨木が「姉妹木」
ニュージーランドの巨木「タネ・マフタ」の前で握手する鹿児島県屋久島町の日高十七郎町長(右)と地元関係者たち屋久島 屋久杉の原生林
数千年の歴史を語る屋久杉の原生林。日常の暮らしを離れ、太古の大自然と触れ合うことができる=屋久島屋久島 志戸子のガジュマル
志戸子のガジュマル=1998(平成10)年10月頃、屋久島屋久島 白谷雲水峡
映画「もののけ姫」のモデルにもなった白谷雲水峡。照葉樹やヤクスギ、コケなどが織りなす神秘的な雰囲気が特徴屋久島 米軍艦が入港
屋久島の宮之浦港に寄港した米海軍の掃海艦「ディフェンダー」=2009(平成21)年10月18日屋久島 資材を運ぶ森林軌道
屋久島の発電所工事で資材を運ぶ森林軌道=1952(昭和27)年10月頃屋久島 雪の宮之浦岳
厳冬期の宮之浦岳=1955(昭和30)年1月頃、屋久島屋久島 黒味岳のほこら
黒味岳を背にひっそりとたたずむほこら。山を敬う岳参りの伝統が残る=平成12年5月頃、鹿児島県・屋久島屋久島灯台
屋久島灯台=1950(昭和25)年6月頃、熊毛郡上屋久村永田岬屋久島避難小屋建て替え
現在の高塚避難小屋=2013(平成25)年4月頃、屋久島岡城址
例年、桜の開花中は2万人以上が訪れる岡城址=2006(平成18)年4月6日、大分県竹田市岩国市、錦帯橋
岩国市。中央下は錦帯橋=1957(昭和32)年11月2日、山口県(本社機から)島原城001
復元された島原城の西の櫓=1960(昭和35)年4月1日、島原市(本社機から)島原城002
復元された島原城の西の櫓=1960(昭和35)年4月1日、島原市(本社機から)島原城003
復元された島原城の西の櫓=1960(昭和35)年4月1日、島原市(本社機から)島原城004
復元された島原城の西の櫓=1960(昭和35)年4月1日、島原市(本社機から)島原城005
復元された島原城の西の櫓=1960(昭和35)年4月1日、島原市(本社機から)島原城006
島原城=1982(昭和57)年5月20日、長崎県島原市(本社機から)島原城007
島原城=1982(昭和57)年5月20日、長崎県島原市(本社機から)島原城008
島原城堀端の桜=1988(昭和63)年4月2日、長崎県島原市島原城009
島原城堀端の桜と天守閣。約1.3キロの堀の周囲を約250本のソメイヨシノが彩る=2012年3月31日島原城010
島原城の外堀沿いに咲いた桜=2016(平成28)年3月30日嵯峨島 三井楽町のオーモンデー踊り
長崎県南松浦郡三井楽町の嵯峨島に古くから伝承されている念仏踊りのオーモンデー踊り=昭和51年7月頃川上音二郎誕生碑
川上音二郎誕生碑を訪れた新派の女優ら=昭和32年1月3日、福岡市博多区古門戸町市房ダム 桜開花001
九州有数の桜の名所、熊本県球磨郡水上村の市房ダム湖周辺の桜がほぼ満開となった=1994(平成6)年4月4日市房ダム 桜開花002
見ごろを迎えた市房ダム湖周辺のソメイヨシノ=2002(平成14)年3月30日、熊本県球磨郡市房ダム 桜開花003
一足早く咲き始めた市房ダム湖畔のソメイヨシノ=2006(平成18)年3月17日、熊本県球磨郡水上村市房ダム 桜開花004
1万本の桜が見ごろを迎えている水上村の市房ダム湖畔=2009(平成21)年3月20日午後2時、熊本県球磨郡平戸城001
平戸城と平戸市街地=1964(昭和39)年8月14日(本社機から)平戸城002
平戸城と平戸市街地=1964(昭和39)年8月14日(本社機から)平戸城003
平戸城=1964(昭和39)年8月14日、平戸市(本社機から)延命公園 桜満開001
大勢の花見客でにぎわう延命公園=1984(昭和59)年4月8日、大牟田市延命公園 桜満開002
大勢の花見客でにぎわう延命公園=1984(昭和59)年4月8日、大牟田市徳之島 わら葺き校舎
徳之島・伊仙村高校のわらぶき校舎と生徒たち=昭和33年1月頃、大島郡伊仙村(のちの県立徳之島農業高校)徳之島 ソテツで味噌造り
ソテツの実で味噌をつくる徳之島の住民たち=1971(昭和46)年頃、大島郡徳之島町徳之島 ハーレー舟競漕
豊漁祈願のハーレー舟競漕=1977(昭和52)年8月、徳之島・亀津海岸徳之島 亀徳港
徳之島の亀徳港=1974(昭和49)年12月、鹿児島県大島郡徳之島 亀津の町
高度成長の亀津の町=1965(昭和40)年1月頃、鹿児島県徳之島徳之島 亀津全景
徳之島町亀津の全景=1969(昭和44)年7月頃、大島郡徳之島 勝利を祝う闘牛の応援団
試合後、花ぶきや太鼓で勝利を祝う勝者の応援団=平成24年4月29日午前、鹿児島県徳之島町亀津の伊藤観光ドーム徳之島 大島紬工場
大島紬工場=1965(昭和40)年12月15日、鹿児島県徳之島徳之島 天城町の農道
徳之島・天城町平土野の農道=1963(昭和38)年12月頃、大島郡徳之島 宇和島牛と徳之島牛が対戦
闘牛大会。宇和島牛と徳之島牛の熱戦=1964(昭和39)年3月頃徳之島 島踊りをする女性
アダンの浜辺で島踊りをする島の女性たち=1972(昭和45)年9月頃、大島郡徳之島町山徳之島 戦艦大和慰霊祭
慰霊塔前に集まった人たち=1968(昭和43)年5月23日、鹿児島県徳之島伊仙町犬田布岬徳之島 散策する皇太子さまご夫妻
徳之島の海岸を散策される両殿下=1972(昭和47)年9月、鹿児島県徳之島 朝市
徳之島の朝市=1963(昭和38)年12月頃、大島郡徳之島 熱気あふれる闘牛会場
熱気にあふれた会場。今大会は島内唯一の屋根付きのドームであった=鹿児島県徳之島町亀津の伊藤観光ドーム徳之島 犬の門蓋001
徳之島の名所・犬の門蓋海岸(いんのじょうぶた海岸)の景観=1963(昭和38)年9月頃、大島郡天城町徳之島 犬の門蓋002
犬の門蓋=1977(昭和52)年8月、徳之島・天城町徳之島 犬の門蓋003
犬の門蓋=1977(昭和52)年8月、徳之島・天城町徳之島 町を練り歩く闘牛
徳之島の闘牛。町を練り歩く出場の牛たち=1964(昭和39)年3月頃徳之島 笑顔の子ども
元気な笑顔を見せる子どもたち=1958(昭和33)年6月、鹿児島県徳之島徳之島 茅葺き屋根の集落
徳之島町母間部落。まだカヤぶき屋根が多い集落=1969(昭和44)年頃徳之島 迫力の闘牛大会
砂ぼこりを上げるすさまじい迫力の徳之島の闘牛大会=1973(昭和48)年4月頃徳之島 長寿日本一・泉重千代さん
6月29日の大還暦(120歳)の誕生日を前に、徳之島の五つ子ちゃんの訪問を受けて目を細める泉重千代さん徳之島 闘牛の散歩
闘牛牛の散歩=1997(平成9)年1月、鹿児島県・徳之島徳之島 闘牛日韓戦
韓国の赤毛韓牛と徳之島の黒毛和牛の試合風景=2003(平成15)年頃徳之島の闘牛001
徳之島の闘牛=1972(昭和47)年11月19日、鹿児島県徳之島の闘牛002
徳之島の闘牛=1997(平成9)年1月、鹿児島県徳之島空港の皇太子さまご夫妻
忘れられない思い出をお作りになられ、見送りの島民たちに笑顔で手を振ってこたえられた皇太子、皇太子妃両殿下徳山中央病院
新幹線と工場群を間近にかかえ、移転する徳山中央病院=昭和49年慈眼桜001
ジャガイモ畑の奥に、ほぼ満開の花を咲かせる慈眼桜=2010(平成22)年3月31日、長崎県平戸市木ケ津町慈眼桜002
満開となり、多くの人が訪れている慈眼桜=2011(平成23)年4月9日、長崎県平戸市木ケ津町慈眼桜003
満開となり、ライトアップが始まった慈眼桜=2014(平成26)年3月28日夜、長崎県平戸市木ケ津町慈眼桜004
見頃を迎え、ライトアップが始まった平戸市木ケ津町の慈眼桜=2015(平成27)年3月30日慈眼桜005
見頃を迎え、ライトアップされた平戸市木ケ津町の慈眼桜=2016(平成28)年3月31日、長崎県扇山火まつり
満開の桜の奥で、野焼きの炎が山肌を彩った「扇山火まつり」=2014(平成26)年4月1日夜、大分県別府市才尾の一本桜001
見事に咲き乱れた豊前市の「才尾の一本桜」=2006(平成18)年4月4日、福岡県豊前市才尾才尾の一本桜002
つぼみをびっしりつけ開花を待つ「才尾の一本桜」=2007(平成19)年3月22日、福岡県豊前市才尾才尾の一本桜003
満開になった「才尾の一本桜」を訪れる見物者たち=2007(平成19)年3月28日、福岡県豊前市才尾才尾の一本桜004
市内を一望できる小高い丘の上にある「才尾の一本桜」=2009(平成21)年3月28日、福岡県豊前市才尾才尾の一本桜005
満開になった豊前市の「才尾の一本桜」=2010(平成22)年3月27日、福岡県豊前市才尾振り袖桜が見頃
枝や花が揺れる姿が美しい「振り袖桜」=2014(平成26)年3月31日、日田市上津江町川原福島採銅所駅の夜桜
列車がすり抜けて走る採銅所駅近くの桜=2016(平成28)年4月1日、福岡県田川郡香春町斑大橋(小値賀島-斑島)
長崎県小値賀本島~斑島を結ぶ斑大橋=1978(昭和53)年10月頃斑島の玉石さま 小値賀町
「玉石さま」がまつられた場所に鳥居が立つ斑島の海岸=2013(平成25)年8月頃、小値賀町日の隈公園
春の訪れを告げる桜の花=神埼市神埼町の日の隈公園=2014(平成26)年3月19日午後3時日本航空福岡支店
板付空港の日本航空福岡支店=昭和34年3月12日、福岡市春日集落の棚田
海岸から棚田が連なる春日集落。キリスト教が伝わった16世紀の面影を残している=2013年12月15日昭和天皇、皇后両陛下と熊本城
熊本城を背景に熊本駅に向われる昭和天皇ご乗車のお召車=1966(昭和41)年10月30日曲川神社の八重桜
見頃になった曲川神社参道の八重桜=2015(平成27)年4月9日、佐賀県西松浦郡有田町東の浜海水浴場001
海水浴客でにぎわう虹の松原の東の浜海水浴場=1966(昭和41)年7月31日、唐津市(本社機から)松国大山桜
福岡県糸島市の「松国大山桜」=2011(平成23)年4月9日松永安左エ門 電力王012
実際に走らせていた路面電車などが展示されている壱岐市の松永安左エ門記念館=2010(平成22)年12月3日桜図鑑園
濃い紅色のカンヒザクラや、ピンクの陽光(後方左)などが見頃となっている桜図鑑園=2016年3月20日森永製菓001
福岡市博多区竹下のアイスクリーム工場=昭和30年代母智丘公園
約2600本の桜が見ごろを迎えた母智丘公園=2007(平成19)年4月5日、宮崎県都城市水俣湾 恋路島
現在の水俣湾。かつて汚染された海域は埋め立てられた。左上は恋路島=平成24年2月27日(本社ヘリから)水俣湾 恋路島全景
水俣湾に浮ぶ恋路島=1952(昭和27)年7月頃、熊本県水俣市沖縄本島・与論島間でコール 「沖縄を返せ」
沖縄本島・与論島間の北緯27度線海上で本土・沖縄の船が交差しながら「沖縄を返せ」と叫びあう河津桜満開001
見頃を迎えた日田市求来里の河津桜(観音桜)=2014(平成26)年3月河津桜満開002
ライトアップされた慈悲観音像近くの河津桜。夜桜見物に訪れる人も多い=2015(平成27)年3月20日河津桜満開003
汗ばむ陽気の中、満開の河津桜を楽しむ行楽客=2016(平成28)年3月5日、福岡県豊前市・松江の果樹園河津桜満開004
ほたる橋の周辺で満開になった河津桜=2017(平成29)年3月1日、佐賀県唐津市相知町法光寺 秀吉の八重桜001
ライトアップされた「太閤秀吉お手植えの桜」=2014(平成26)年4月5日、唐津市鎮西町名護屋・法光寺法光寺 秀吉の八重桜002
見頃を迎えている法光寺の八重桜=2016(平成28)年4月6日、佐賀県唐津市鎮西町法性寺の虫封じ
夏バテ予防に行われた法性寺の虫封じ=福岡市博多区千代2丁目洗濯岩
日南海岸の洗濯岩=1954(昭和29)年、宮崎県(本社機より)浄専寺の枝垂(しだれ)桜001
宮崎県指定天然記念物の五ケ瀬町浄専寺の垂れ桜=1985(昭和60)年4月、宮崎県西臼杵郡浄専寺の枝垂(しだれ)桜002
見ごろを迎えた五ケ瀬町の浄専寺の枝垂れ桜=2004(平成16)年4月4日、宮崎県西臼杵郡浄専寺の枝垂(しだれ)桜003
しだれ桜が満開を迎え、見物客でにぎわう浄専寺=2011(平成23)年4月12日、宮崎県西臼杵郡五ケ瀬町浄専寺の枝垂(しだれ)桜004
浄専寺の枝垂(しだれ)桜=2014(平成26)年3月31日午後0時半頃、宮崎県西臼杵郡五ケ瀬町浄専寺の枝垂(しだれ)桜005
見頃を迎え、花見客でにぎわう浄専寺のしだれ桜=2014(平成26)年4月2日、宮崎県西臼杵郡五ケ瀬町浅井の一本桜 逆さ桜001
樹齢約100年の「浅井の一本桜」=1996(平成8)年3月、久留米浅井の一本桜 逆さ桜002
幻想的な光景が訪れた人を魅了している「浅井の一本桜」=2003(平成15)年4月10日、久留米市山本町耳納浅井の一本桜 逆さ桜003
見ごろを迎えた「浅井の一本桜」=2004(平成16)年4月7日、福岡県久留米市山本町耳納浅井の一本桜 逆さ桜004
池に映った姿も美しい「浅井の一本桜」=2006(平成18)年4月5日午後7時半頃、福岡県久留米市山本町耳納浅井の一本桜 逆さ桜005
夜の水面に映る「逆さ桜」を目当てに毎年春に多くの人が集まる「浅井の一本桜」=2007年4月2日浅井の一本桜 逆さ桜006
水面に美しい「逆さ桜」が映る「浅井の一本桜」=2008(平成20)年4月10日午後8時半すぎ、福岡県久留米市浅井の一本桜 逆さ桜007
ため池の水面に映る逆さ桜が幻想的な「浅井の一本桜」=2009(平成21)年4月1日、福岡県久留米市山本町耳納浅井の一本桜 逆さ桜008
池の水面に幽玄な姿を映し出す久留米市の「浅井の一本桜」=2010年4月2日、福岡県久留米市山本町耳納浅井の一本桜 逆さ桜009
浅井の一本桜は、日中の華やかさとライトアップされた幽玄さだけが見どころではない浅井の一本桜 逆さ桜010
水面に鏡写しになった浅井の一本桜=2011(平成23)年4月9日、福岡県久留米市浅井の一本桜 逆さ桜011
「逆さ桜」で有名な浅井の一本桜=2011(平成23)年4月9日、福岡県久留米市浅井の一本桜 逆さ桜012
水面に鏡映しになった浅井の一本桜=2014(平成26)年4月1日午後7時すぎ、福岡県久留米市浅井の一本桜 逆さ桜013
水面に映る幻想的な「浅井の一本桜」=2015(平成27)年4月2日午後7時すぎ、福岡県久留米市浅井の一本桜 逆さ桜014
水面に映る逆さ桜が幻想的な「浅井の一本桜」=2016(平成28)年4月4日、福岡県久留米市浦ノ崎駅「桜のトンネル」001
見頃を迎えた浦ノ崎駅の「桜のトンネル」をくぐり抜ける列車=2014年3月27日午前、伊万里市山代町浦ノ崎駅「桜のトンネル」002
松浦鉄道浦ノ崎駅で「桜のトンネル」をくぐる列車=2016(平成28)年3月31日、佐賀県伊万里市山代町海峡ゆめタワー001
海峡ゆめタワー(中央)周辺=1997(平成9)年11月28日、下関市(本社ヘリから)海峡ゆめタワー002
海峡ゆめタワーと下関市=2002(平成14)年12月28日、山口県(本社ヘリから)海峡ゆめタワー003
海峡ゆめタワーと下関市=2002(平成14)年12月28日、山口県(本社ヘリから)海峡ゆめタワー004
海峡ゆめタワーと下関市=2002(平成14)年12月28日、山口県(本社ヘリから)海峡ゆめタワー005
海峡ゆめタワーと下関市=2002(平成14)年12月28日、山口県(本社ヘリから)海峡ゆめタワー006
海峡ゆめタワーと下関市=2002(平成14)年12月28日、山口県(本社ヘリから)海峡ゆめタワー007
海峡ゆめタワーと下関市=2002(平成14)年12月28日、山口県(本社ヘリから)深耶馬渓の紅葉
紅葉シーズンを迎えた深耶馬溪=2005年11月5日午前11時40分すぎ、大分県中津市(本社ヘリから)添田公園
添田公園の桜=2014(平成26)年4月2日、福岡県田川郡熊本城 ご見学の皇太子ご夫妻001
熊本城を訪問された皇太子(明仁天皇)ご夫妻=1962(昭和37)年5月熊本城 ご見学の皇太子ご夫妻002
熊本城をご見学の皇太子ご夫妻=1962(昭和37)年5月12日、熊本市熊本城 ご見学の皇太子ご夫妻003
熊本城をご見学の皇太子ご夫妻=1962(昭和37)年5月12日、熊本市熊本城 ご見学の皇太子ご夫妻004
熊本城をご見学の皇太子ご夫妻=1962(昭和37)年5月12日、熊本市熊本城 七間櫓
壊れたままの国宝七間櫓=熊本市熊本城 俯瞰
熊本城熊本城 加藤石垣
加藤石垣=熊本市熊本城 北十八間櫓
今月いっぱい一般公開されている熊本城の北十八間櫓。石垣の角に接する部分に「石落とし」がある熊本城 吊り上げられるしゃちほこ
クレーンで吊り上げられていくしゃちほこ=2008(平成20)年2月12日午前8時45分頃、熊本市の熊本城熊本城 天守閣と本丸御殿
熊本城天守閣(奥)と本丸御殿(手前)=2008(平成20)年4月7日熊本城 天守閣と谷干城の銅像
再建された熊本城天守閣と西南戦争時の熊本鎮台司令官谷干城少将の銅像=熊本市熊本城 天守閣001
西南戦争以前の熊本城天守閣=1874(明治7)年熊本城 天守閣002
国内外から高い人気を誇る熊本城の天守閣=2015(平成27)年9月28日、熊本市中央区熊本城 宇土櫓と綾櫓
3年ぶりに修復された宇土櫓(右)と綾櫓(左)=熊本市熊本城 宇土櫓001
宇土櫓(うとやぐら)。国重要文化財=熊本市熊本城 宇土櫓002
宇土櫓(うとやぐら)。国重要文化財=熊本市熊本城 宇土櫓003
宇土櫓=熊本市熊本城 平櫓
破壊されたままの平櫓=熊本市熊本城 復元整備進む
城郭全体の復元整備が進んでいる熊本城熊本城 新しいしゃちほこ
展示されている新しいしゃちほこ=2008(平成20)年1月21日熊本城 本丸御殿「昭君の間」
復元を終えた熊本城本丸御殿大広間の「昭君の間」=2007(平成19)年12月26日午後、熊本市熊本城 桜001
熊本城の桜=1960(昭和35)年3月、熊本市熊本城 桜002
熊本城の桜=1963(昭和38)年、熊本市熊本城 桜003
桜の名所熊本城=1966(昭和41)年3月、熊本市熊本城 桜004
熊本城の桜=1979(昭和54)年3月、熊本市熊本城 桜005
熊本城と桜=1987(昭和62)年3月、熊本市熊本城 桜006
満開になった熊本城天守閣前のサクラ=2005(平成17)年4月6日午前、熊本市熊本城 桜007
満開になった熊本城天守閣前のサクラ=2005(平成17)年4月6日午前、熊本市熊本城 田子櫓
熊本城の国指定重要文化財「田子櫓(たごやぐら)」=2014(平成26)年9月2日熊本城 石垣壊れる
壊れた熊本城の石垣=熊本市熊本城 築城当時の言祝ぎ(ことほぎ)再現
熊本市の政令指定都市スタートを記念し、熊本城築城当時の新春の祝い事を再現した舞台=2012年4月1日午後熊本城 西大手門倒壊
台風18号の強風で倒壊した熊本城の西大手門=1999(平成11)年9月24日熊本城 闇夜に浮かぶ
闇夜に浮かぶ熊本城。近くの新町で内藤濯は生まれ育った=2014(平成26)年5月28日熊本城 飯田丸五階櫓
飯田丸五階櫓熊本城 馬具櫓001
完成した馬具櫓=熊本市熊本城 馬具櫓002
一般公開されている復元された馬具櫓=2014(平成26)年9月27日熊本城と熊本市街地001
熊本城と市街=1960(昭和35)年9月、熊本市(航空写真)熊本城と熊本市街地002
熊本城(中央下)と熊本市街=1963(昭和38)年9月25日(本社機から)熊本城と熊本市街地003
熊本城(中央下)と熊本市街=1963(昭和38)年9月25日(本社機から)熊本城と熊本市街地004
熊本市街地。手前は熊本城=1963(昭和38)年9月25日(本社機から)熊本城と熊本市街地005
熊本城と熊本市中心街=1979(昭和54)年7月6日(本社機から)熊本城と熊本市街地006
熊本城と熊本市中心街=1979(昭和54)年7月6日(本社機から)熊本城と熊本市街地007
熊本城(右側)と市街熊本城と熊本市街地008
花岡山から熊本城など熊本市中心地をみる熊本城の桜
熊本城の桜=熊本市熊本城の石垣
様式の異なる石垣。こう配が緩やかな右側が加藤清正時代の構築で、左側はそれより後に造られた=2007年8月6日熊本城復元整備計画
文化庁からの指摘を受け、復元整備がストップしている熊本城。左手前の石垣の上部に平左衛門丸塀を復元する計画熊本城長塀の桜
川下りの観光客らも見上げた熊本城長塀の桜=2009(平成21)年3月28日、熊本県熊本市熊本城001
熊本城=1953(昭和28)年1月、熊本市熊本城002
熊本城=1953(昭和28)年1月、熊本市熊本城003
熊本城=1960(昭和35)年9月(本社機から)熊本城004
熊本城=1960(昭和35)年9月(本社機から)熊本城005
熊本城=1960(昭和35)年9月、熊本市(航空写真)熊本城006
熊本城=1960(昭和35)年9月、熊本市(航空写真)熊本城007
再建された熊本城=1961(昭和36)年2月、熊本市(航空写真)熊本城008
熊本城=熊本市熊本城009
熊本城=熊本市熊本城010
熊本城=1979(昭和54)年4月、熊本市熊本城011
熊本城一帯=1987(昭和62)年4月、熊本市(本社機から)熊本市の中心市街地
九州で3番目の政令指定都市となる熊本市の中心市街地。左端は白川、右端には熊本城が見える=2012年2月27日熊本市中心部
左が大洋、中央は熊本市役所、左下は鶴屋デパート、上は熊本城甑島 ナポレオン岩
どことなくフランス皇帝の横顔に似ているといわれる「ナポレオン岩」(中央)。下甑島の「前の平展望所」から望む甑島 海岸線の断崖001
8000万年前の地層から形成された断崖を巡るクルージング=鹿児島県・甑島甑島 海岸線の断崖002
甑島の海岸線には断崖が多く、天気が良ければ観光船で巡ることができる=鹿児島県甑島 長目の浜001
長目の浜=鹿児島県・甑島甑島 長目の浜002
観光名所の長目の浜=鹿児島県・甑島甑島のウミネコ
小魚を掲げるとウミネコが追ってくる。甑島は繁殖地の南限で、6月末ごろまで餌づけが体験できる=鹿児島県甑島のトシドン
座敷にはい上がり大声で子どもの名前を呼ぶトシドン=鹿児島県薩摩川内市下甑町本町甑島の集落001
甑島の集落=昭和48年7月、鹿児島県薩摩郡甑島の集落002
甑島=昭和48年7月、鹿児島県薩摩郡甑島の集落003
甑島=昭和48年7月、鹿児島県薩摩郡甑島(上甑島)石積みの民家
上甑島の石積みの民家=鹿児島県甑島(下甑島)のカノコユリ
下甑島のカノコユリ自生地。7月上旬、断崖に咲き誇り、絶景という=鹿児島県薩摩川内市鹿島町藺牟田(下甑島)甑島(下甑村)の段々畑001
下甑村瀬々野浦の段々畑=鹿児島県甑島(下甑村)の段々畑002
甑島で段々畑を耕す人=薩摩郡下甑村瀬々野浦甘木公園(丸山公園) 夜桜
夜桜見物の客でにぎわう甘木公園(丸山公園)=1982(昭和57)年3月29日、福岡県甘木市甘木公園(丸山公園) 桜満開
桜が満開の甘木公園(丸山公園)=1962(昭和37)年5月、福岡県甘木市甘木公園(丸山公園) 桜開花001
花見客でにぎわう甘木公園(丸山公園)=1957(昭和32)年4月、福岡県甘木市甘木公園(丸山公園) 桜開花002
桜の名所として知られる甘木公園(丸山公園)=1988(昭和63)年4月、福岡県甘木市田主丸町 結麗桜
久留米市田主丸町石垣の結麗桜=2014(平成26)年4月、福岡県男女群島 女島灯台001
男女群島・女島灯台=1951(昭和26)年3月頃男女群島 女島灯台002
1年分の燃料を積み上げている女島の灯台=1967(昭和42)年10月頃、長崎県・男女群島男女群島 男島の測量
築港計画に予定される男島眞浦の実地測量=1945(昭和20)年4月頃白木峰高原
白木峰高原で一面に広がる菜の花と、彩りを添える桜=2016(平成28)年3月30日、長崎県諫早市白木峰町白野江植物公園の桜
門司区の白野江植物公園では早咲きの桜が既に見頃を迎えている=2016(平成28)年3月19日、福岡県北九州市百年桜001
茶畑を見下ろす嬉野市・吉田地区の百年桜=2009(平成21)年3月31日百年桜002
見事な花を咲かせた「百年桜」=2012(平成24)年4月6日、佐賀県嬉野市百年桜003
「吉田おやまさん陶器まつり」会場近くの「百年桜」。続々と行楽客が訪れ、満開の桜をカメラで写真に納めていた百年桜004
現在5分咲きの百年桜。今月末には満開となりそう=2013(平成25)年3月25日、佐賀県嬉野市百年桜005
満開となった百年桜。県内外から訪れた人々がじっくり観賞している=2014年3月31日午後、嬉野市嬉野町百年桜006
満開になった嬉野市嬉野町吉田の「百年桜」=2015(平成27)年4月2日、佐賀県監物台樹木園前の桜並木
熊本城そばの監物台(けんもつだい)樹木園前の桜並木=2015(平成27)年4月2日、熊本県石丸山公園
開花した石丸山公園のソメイヨシノ=2015(平成27)年3月26日、福岡県三潴郡大木町神野公園 桜開花
花がほころび始めた神野公園の桜=2012(平成24)年3月28日、佐賀県佐賀市福岡サンパレス001
建設工事中の福岡勤労者福祉センター(仮称)・福岡サンパレス=福岡市博多区築港福岡国際センター001
建設中の福岡国際センター=昭和55年12月、福岡市博多区築港本町(本社機から)福岡国際会議場 博多区にオープン
オープンした福岡国際会議場内のロビー=2003(平成15)年3月1日午前、福岡市博多区石城町福岡国際会議場 3月にオープン001
3月3日にオープンする福岡国際会議場。奥は福岡サンパレス=2003(平成15)年1月頃福岡国際会議場 3月にオープン002
3月3日オープンする福岡国際会議場=2003(平成15)年2月頃福岡相互銀行本店
博多駅前に建築中の福岡相互銀行本店ビル=福岡市博多区福岡県庁010
新県庁建設工事=昭和54年11月、福岡市博多区福岡県新庁舎建設
建設中の福岡県庁舎=福岡市博多区東公園福田農場 水俣市
オレンジ屋根の建物や石畳などがスペイン情調を醸し出す熊本県水俣市の福田農秋月城跡
うららかな陽気に誘われるように開花を始めた秋月城跡の桜=2012(平成24)年4月1日、福岡県甘木市種子島 「みちびき」搭載ロケット打ち上げ
宮崎県・都井岬から見た、人工衛星「みちびき」を載せたロケットの打ち上げ風景。夜空には天の川が見える種子島 「ロケットの丘展望台」から望む発射場
「ロケットの丘展望所」から望む発射場。自然と調和した発射場は「世界一美しい」と評される=平成24年6月頃種子島 アオウミガメ
海中に差し込む太陽の光を浴び、岩礁の起伏に沿って泳ぐアオウミガメ=2009(平成21)年9月頃、種子島種子島 イセエビ
岩陰にじっと身を潜めるイセエビ。5匹が寄り添っていた=2009(平成21)年9月頃、種子島種子島 イルカ岩
島の北西部、箱崎海岸には「イルカ岩」がある=2006(平成18)年、種子島のアニマルロック種子島 ウミウシ
鮮やかな色彩がダイバーにも人気のウミウシ=2009(平成21)年9月頃、種子島種子島 カゴカキダイ
黄色と黒のしま模様が美しいカゴカキダイの群れ。ダイバーにとっては絶好の被写体=平成21年9月頃、種子島種子島 カメ岩
カメが寝そべったような竹崎海岸の「カメ岩」=2006(平成18)年、種子島のアニマルロック種子島 キンメモドキ
群れをつくるキンメモドキ。体が透明なのが幼魚の特徴。背骨が透けて見える=2009(平成21)年9月頃、種子島種子島 クマノミ
イソギンチャクの触手の中から顔をのぞかせるクマノミ=種子島種子島 ゴリラ岩
竹崎海岸にある岩はゴリラの横顔そっくり=2006(平成18)年、種子島のアニマルロック種子島 トコブシ取り
種子島のトコブシ取りの青年たち=1957(昭和32)年7月頃種子島 ロケットの丘展望所
ロケットの丘展望所から種子島宇宙センターが一望できる=2014年(平成26)年3月種子島 一年を通じてサーフィン
海岸では、1年を通じてサーフィンを楽しむ人の姿が絶えない=2006(平成18)年、種子島種子島 中種子町役場
熊毛郡中種子町役場=1964(昭和39)年5月頃種子島 増田宇宙通信所
人工衛星を追尾する増田宇宙通信所。所内の展示室は穴場の見学スポット=2012(平成24)年6月頃種子島 多目的衛星
宇宙開発事業団種子島宇宙センターで公開された多目的衛星=1999(平成11)年8月13日種子島 大崎ロケット射場
Nロケット打上げを待つ種子島の大崎射場=熊毛郡南種子町=1975(昭和50)年6月種子島 月窓亭
地元住民が観光客をもてなしてくれる月窓亭=2014年(平成26)年3月種子島 砂鉄採取001
湿式選鉄機による種子島の砂鉄採取=1959(昭和34)年9月頃種子島 砂鉄採取002
サンドポンプによる種子島の砂鉄採取=1959(昭和34)年9月頃種子島 種子島レーダー観測所
種子島にできたレーダー気象観測所=1959(昭和34)年7月頃種子島 種子島宇宙センター
種子島宇宙センター=1994(平成6)年2月1日、鹿児島県南種子町種子島 竹崎灯台
竹崎灯台=1958(昭和33)年6月頃、鹿児島県・種子島種子島 観測衛星「だいち」の試験機
宇宙科学技術館に展示されている観測衛星「だいち」の試験機=2012(平成24)年6月頃種子島 鉄砲館
南蛮船をイメージした外観の種子島開発総合センター・鉄砲館=2014年(平成26)年3月種子島 門倉岬001
種子島最南端の門倉岬。この鉄砲伝来の地には、南蛮船を模した展望台がある=2012(平成24)年6月頃種子島 門倉岬002
門倉岬には鉄砲伝来の記念碑が立つ=2014年(平成26)年3月種子島 馬に乗る女性
馬に乗って仕事する女=1951(昭和26)年3月頃、種子島種子島 馬を御す女性
馬を御す種子島の乙女=1946(昭和21)年6月頃種子島 馬車
種子島の馬車=1974(昭和49)年3月、鹿児島県中種子町種子島 高速船「ロケット」
12日から鹿児島-種子島航路に就航する高速船「ロケット」。奥の高速船は競合する「トッピー」種子島 GPS衛星「みちびき」公開
報道各社に公開された測位衛星「みちびき」=2010(平成22)年6月8日午後、鹿児島県の種子島宇宙センター種子島 H2ロケット1号機001
打ち上げを待つ日本初の純国産大型H2ロケット1号機=平成6年2月2日、鹿児島県南種子町の種子島宇宙センター種子島 H2ロケット1号機002
白煙を上げ上昇する日本初の純国産大型ロケット「H2」1号機=鹿児島県南種子町の種子島宇宙センター種子島 H2ロケット7号機
トラブルで発射されなかったH2ロケット7号機の実物も見学できる=2012(平成24)年6月頃種子島 H2Aロケット11号機001
組立棟(左端)から射場(右端)に移動するH2Aロケット11号機種子島 H2Aロケット11号機002
閃光(せんこう)を発し、上昇するH2Aロケット11号機=鹿児島県南種子町の種子島宇宙センター種子島 H2Aロケット11号機003
太い噴射雲を残して上昇するH2A11号機。この日は珍しく雲が少なかった=鹿児島県南種子町の種子島宇宙センター種子島 H2Aロケット12号機
情報収集衛星のレーダー衛星などを搭載して打ち上げ準備がすすむH2Aロケット12号機種子島 H2Aロケット12号機打ち上げ
情報収集衛星を搭載して打ち上げられたH2Aロケット12号機=鹿児島県南種子町の種子島宇宙センター種子島 H2Aロケット14号機
超高速インターネット衛星「きずな」を載せて打ち上げられるH2Aロケット14号機種子島 H2Aロケット15号機001
発射場に移され打ち上げを待つH2Aロケット15号機=鹿児島県・種子島宇宙センター種子島 H2Aロケット15号機002
打ち上げられたH2Aロケット15号機=平成21年1月23日午後0時54分、鹿児島県・種子島宇宙センター種子島 H2Aロケット17号機打ち上げ延期
天候不良で打ち上げが延期されたH2Aロケット17号機。濃いもやがかかり視界も悪くなった種子島 H2Aロケット18号機001
準天頂衛星「みちびき」を搭載して打ち上げられるH2Aロケット18号機=鹿児島県南種子町の種子島宇宙センター種子島 H2Aロケット18号機002
発射点への移動を完了したH2Aロケット18号機=鹿児島県南種子町の種子島宇宙センター種子島 H2Aロケット21号機001
発射場所に移動するH2Aロケット21号機=2012(平成24)年5月17日午後0時39分、鹿児島県南種子町種子島 H2Aロケット21号機002
韓国の観測衛星などを載せ、打ち上げられるH2Aロケット21号機=鹿児島県南種子町の種子島宇宙センター種子島 H2Aロケット21号機003
巨大な炎と煙を上げながら、宇宙に旅立つH2Aロケット21号機=鹿児島県南種子町の種子島宇宙センター種子島 H2Bロケット1号機打ち上げ
白煙とごう音のなか、打ち上げられたH2Bロケット1号機=鹿児島県の種子島宇宙センター種子島 H2Bロケット3号機001
組立棟(左)を出て発射地点に移動したH2Bロケット3号機=鹿児島県南種子町の種子島宇宙センター種子島 H2Bロケット3号機002
組立棟から発射場に移動したH2Bロケット3号機=鹿児島県南種子町の種子島宇宙センター種子島 H2Bロケット3号機003
白煙を上げて上昇するH2Bロケット3号機=鹿児島県南種子町の種子島宇宙センター種子島 H2Bロケット3号機004
白煙を上げて上昇するH2Bロケット3号機=鹿児島県南種子町の種子島宇宙センター種子島 Nロケット1号機
打上げ本番を待つNロケット1号機(中央)と実験場=種子島宇宙センター、1975(昭和50)年9月種子島ロケット基地001
種子島ロケット基地=1967(昭和42)年3月頃種子島ロケット基地002
ロケットの航跡を追跡する種子島ロケット基地のパラボラアンテナ=1969(昭和44)年3月種子島博物館
種子島博物館と島の中学生たち=1964(昭和39)年5月頃、熊毛郡中種子町種子島宇宙センター
種子島宇宙センター=1994(平成6)年2月1日、鹿児島県南種子町種子島実用衛星基地
種子島実用衛星基地での第1号となるSB-ⅡA8号機のリハーサルが行われた=1967(昭和42)年3月16日種子島薬用植物園
種子島薬用植物園=1974(昭和49)年3月、鹿児島県種子島高校の学生寮
鉄棒で支えられた種子島高校の学生寮=1964(昭和39)年6月立山公園 夜桜001
ライトアップされた夜桜を撮影する女性=2016(平成28)年3月30日午後8時頃、長崎県長崎市の立山公園立山公園 夜桜002
ライトアップされた夜桜の下で宴会を楽しむ市民=2016(平成28)年3月30日、長崎県長崎市の立山公園箱崎浜
筥崎八幡宮の箱崎浜=福岡市博多区、昭和48年6月聖福寺004
博多ZEN塾が開かれる福岡市博多区御供所町の聖福寺肥前犬山城001
杵島山に造られた展望所「肥前犬山城」=1991(平成3)年11月2日、佐賀県白石町(本社ヘリから)肥前犬山城002
杵島山に造られた展望所「肥前犬山城」=1991(平成3)年11月2日、佐賀県白石町(本社ヘリから)肥前犬山城003
杵島山に造られた展望所「肥前犬山城」=1991(平成3)年11月2日、佐賀県白石町(本社ヘリから)肥前犬山城004
杵島山に造られた展望所「肥前犬山城」=1991(平成3)年11月2日、佐賀県白石町(本社ヘリから)舞鶴公園 夜桜001
薄紅色の桜が照明に浮かび上がり、幻想的な美しさに酔う花見客=1998年4月3日、福岡市中央区・舞鶴公園舞鶴公園 夜桜002
満開の夜桜=1998(平成10)年4月3日、福岡市・舞鶴公園舞鶴公園 夜桜003
ビル街の明かりを背景に、ソメイヨシノやヤマザクラなどが幻想的に浮かび上がった=2008年4月2日、舞鶴公園舞鶴公園 夜桜004
夜景に浮かび上がる夜桜の下で乾杯をする花見客=2013(平成25)年3月21日、福岡市中央区・舞鶴公園舞鶴公園 夜桜005
ライトアップされた満開の桜を楽しむ人たち=2016(平成28)年3月30日、福岡市中央区・舞鶴公園舞鶴公園 夜桜006
公園内の桜がライトアップされ人出はピークに=2016(平成28)年4月1日、福岡市中央区・舞鶴公園舞鶴公園 満開の桜と汐見櫓(潮見櫓)
満開の桜と潮見櫓=1972(昭和47)年4月5日、福岡市・舞鶴公園舞鶴公園の桜満開001
ようやく満開となった花の下で夜桜を楽しむ市民ら=2003(平成15)年4月2日、福岡市中央区・舞鶴公園舞鶴公園の桜満開002
数日の暖かさでほぼ満開となった福岡市内の桜=2005(平成17)年4月6日、福岡市中央区・舞鶴公園舞鶴公園の桜満開003
暖かさが続き満開となった桜を見物する人たち=2005(平成17)年4月6日午前11時、福岡市中央区・舞鶴公園舞鶴公園の桜満開004
数日の暖かさでほぼ満開となった福岡市内の桜=2005(平成17)年4月6日、福岡市中央区・舞鶴公園舞鶴公園の桜満開005
数日の暖かさでほぼ満開となった福岡市内の桜=2005(平成17)年4月6日、福岡市中央区・舞鶴公園舞鶴公園の桜満開006
満開の桜でピンクに染まり、週末の花見客でにぎわう舞鶴公園=2009年3月28日、福岡市中央区(本社ヘリから)舞鶴公園(唐津城跡)
花見客でにぎわう舞鶴公園=1958(昭和33)年4月5日、唐津市東城内舞鶴海浜公園 桜開花
唐津城がそびえる舞鶴海浜公園で咲き始めたソメイヨシノ=2010(平成22)年3月21日、佐賀県花立公園
満開となった花立公園の桜=2008(平成20)年4月2日午前11時半頃、宮崎県日南市北郷町菊池公園の十月桜
菊池公園に咲いている十月桜=2008(平成20)年10月26日虎尾桜001
上野峡の森の中で満開に咲き誇る虎尾桜=2004(平成16)年3月22日、福岡県田川郡虎尾桜002
虎尾桜は今年4月にも枝いっぱいに濃いピンクの花を咲かせた=2011(平成23)年9月12日、福岡県田川郡虎尾桜003
杉林に花を咲かせた虎尾桜=2012(平成24)年4月12日、福岡県田川郡・福智山虹の松原、唐津市街
虹の松原と唐津市街=1992(平成4)年3月25日、佐賀県(本社ヘリから)虹の松原、松浦川
虹の松原(下)と松浦川(中央)=1953(昭和28)年3月22日、唐津市(本社機から)虹の松原、鏡山
虹の松原と鏡山=1983(昭和58)年6月、佐賀県唐津市(本社機から)虹の松原001
虹の松原(中央)=1960(昭和35)年11月、唐津市(本社機から)虹の松原002
虹の松原=1966(昭和41)年11月24日、唐津市(本社機から)虹の松原003
虹の松原=1966(昭和41)年11月24日、唐津市(本社機から)虹の松原004
虹の松原=1983(昭和58)年6月、佐賀県唐津市(本社機から)虹の松原005
虹の松原=1987(昭和62)年4月、佐賀県唐津市(本社機から)虹の松原006
虹の松原=1989(平成元)年10月1日、佐賀県唐津市(本社機から)虹の松原007
虹の松原=1989(平成元)年10月1日、佐賀県唐津市(本社機から)虹の松原008
虹の松原=1997(平成9)年10月10日、唐津市(本社ヘリから)虹の松原009
虹の松原=1997(平成9)年10月10日、唐津市(本社ヘリから)虹の松原010
虹の松原=1997(平成9)年10月10日、唐津市(本社ヘリから)虹の松原011
虹の松原=1997(平成9)年12月3日、唐津市(本社ヘリから)虹の松原012
虹の松原=1997(平成9)年12月3日、唐津市(本社ヘリから)虹の松原013
虹の松原=1997(平成9)年12月3日、唐津市(本社ヘリから)西公園で花見
花見客の目を楽しませている西公園の桜=2013(平成25)年3月30日午後、福岡市中央区(本社ヘリから)西公園の夜桜
夜桜見物でにぎわう福岡市中央区・西公園=2005(平成17)年4月5日夜西公園の桜満開
満開の桜の下で花見の準備をする人たち=2009(平成21)年3月23日午前10時、福岡市中央区・西公園西日本相互銀行
西日本相互銀行=昭和41年1月11日、福岡市土居町西渓公園
ライトアップされた西渓公園の桜=2010(平成22)年3月25日、佐賀県多久市西都原古墳群 桜と菜の花001
見ごろになった西都原古墳群の桜と菜の花=2008(平成20)年4月4日正午頃、宮崎県西都市西都原古墳群 桜と菜の花002
西都原古墳群で満開の桜と菜の花=2009(平成21)年3月30日、宮崎県西都市西都原古墳群 桜と菜の花003
満開の菜の花と桜に彩られた西都原古墳群=2011(平成23)年4月2日、宮崎県西都市西都原古墳群 桜と菜の花004
西都原古墳群に咲く桜と菜の花=2015(平成27)年4月1日、宮崎県西都市西都原古墳群 桜と菜の花005
桜と菜の花が一斉に咲いた西都原古墳群。大勢の家族連れが訪れている=2016年4月8日、宮崎県西都市赤穂山の夜桜
ライトアップで池の水面に映り込む赤穂山の桜=2015(平成27)年3月30日午後7時頃、武雄市武内町野崎小中学校 小値賀町
野崎小中学校の生徒数は23人=1976(昭和51)年10月、長崎県・五島・野崎島野崎島から集団移住 シスターらが見送り
シスターや野崎地区の人たちに送られ島を離れる野首地区の人たち=昭和46年3月31日、長崎県小値賀町野崎島から集団移住 十字架の墓にお別れ
野崎島を去る前に、十字架の墓に一人花を持ってお別れする老女=1971(昭和46)年3月、長崎県小値賀町野崎島から集団移住 家財道具背負い
家財道具を背負い島を離れる野首地区の人たち=1971(昭和46)年3月31日、長崎県小値賀町野崎島から集団移住 最後の礼拝
野崎島を去る人たちの最後の礼拝。熱心なカトリック教徒の島の人たちは敬虔な祈りをささげた=長崎県小値賀町野崎島のシカ 小値賀町001
野崎島に生息する野生のシカ=2010(平成22)年9月頃、小値賀町野崎島のシカ 小値賀町002
小値賀町野崎島の集落跡に現れた野生のシカ。廃屋の中にはふんが散乱していた=2007(平成19)年12月頃野崎島のシカ 小値賀町003
野崎島の野生シカ。季節や時間によって姿を現したり、森に隠れたり、行動が違ってくる=長崎県北松浦郡小値賀町野崎島自然学塾村 小値賀町
廃校を利用した野崎島自然学塾村。周囲はシカよけのフェンスで囲まれている=2003(平成15)年12月頃野首天主堂 小値賀町
どの家からも見える野首の天主堂。だがどの家も野草が多い。朽ち倒れる日は近い=昭和51年10月、長崎県野崎島金比羅公園 桜見ごろ
見ごろになった金比羅公園のサクラ=2014(平成26)年3月30日錦帯橋と錦川
錦帯橋(中央)と錦川=1962(昭和37)年、山口県岩国市(本社機から)鏡山、虹の松原
鏡山(手前)と虹の松原(右上)=1966(昭和41)年11月24日、唐津市(本社機から)鏡山に桜のトンネル
鏡山の登山道は「桜のトンネル」=2012(平成24)年4月5日、佐賀県鐘紡博多工場
鐘紡(カネボウ)博多工場=福岡市博多区住吉長崎県平戸沖 的山大島001
平戸の北方約9キロの洋上に浮かぶ的山大島=1977(昭和52)年、長崎県北松浦郡大島村(本社機から)長崎県平戸沖 的山大島002
的山大島最東端の大賀断崖。島は花粉の少なさだけでなく、自然も豊かだ=2011(平成23)年2月門司港 対馬航路「藤丸」
対馬航路の藤丸=1948(昭和23)年5月、門司港青の洞門
上空から眺めると青の洞門は実に小さい。だがこの美しい山里に、菊池寛は人間の無限の可能性を見た青島001
波状岩(鬼の洗濯岩)に囲まれた青島=1954(昭和29)年8月、宮崎市(本社機から)青島002
波状岩(鬼の洗濯岩)に囲まれた青島=1954(昭和29)年8月、宮崎市(本社機から)青島003
波状岩(鬼の洗濯岩)に囲まれた青島=1954(昭和29)年8月、宮崎市(本社機から)青島004
青島=1963(昭和38)年12月15日、宮崎県(本社機から)青島005
青島=1965(昭和40)年12月、宮崎市(本社機から)青島006
青島=1965(昭和40)年12月、宮崎市(本社機から)青島007
青島全景。鬼の洗濯岩が美しい(航空写真)青島008
青島=1970(昭和45)年12月15日、宮崎市(本社機から)青島011
奇岩に囲まれた青島と青島のホテル群(航空写真)青島012
青島と周囲に寄せる波(航空写真)青島013
青島=撮影日不明、宮崎県(本社機から)馬場の山桜001
菜の花とのコントラストが鮮やかな「馬場の山桜」=2005(平成17)年4月11日、佐賀県武雄市武内町真手野馬場の山桜002
「馬場の山桜」と菜の花を楽しむ人たち=2008(平成20)年4月14日、佐賀県武雄市武内町馬場の山桜003
佐賀県武雄市の天然記念物「馬場の山桜」が見ごろを迎え、周囲の菜の花と咲き競っている馬場の山桜004
広大な菜の花畑越しに樹齢約120年の大木「馬場の山桜」がそびえる=2011(平成23)年4月9日馬場の山桜005
菜の花に覆われた丘陵地に咲く馬場の山桜。青空と森の木々、山桜と菜の花のコントラストが美しい馬場の山桜006
春らんまんの景色が広がる「馬場の山桜」=2014(平成26)年3月31日午前、武雄市武内町高千穂牧場
高千穂牧場の満開を迎えた桜並木を歩く観光客?桜吹雪の中、花見客でにぎわう「もちお桜まつり」の会場高森の千本桜001
高森峠を臨む千本桜=2005(平成17)年4月11日、熊本県阿蘇郡高森の千本桜002
6000本の桜が咲き誇る熊本県・高森峠。まだまだ花見が楽しめそう=2005年4月11日、熊本県阿蘇郡高森の千本桜003
高森の千本桜。6000本の桜並木は見事だ=2006(平成18)年4月6日、熊本県阿蘇郡鳥羽公園 夜桜
飯塚市有安の鳥羽公園では夜桜がちょうちんに照らされた。散歩がてら花見を楽しむ人もいた=2016年3月30日黒島(三島村)の米つき
婦人たちの米つき風景(黒島)=鹿児島郡三島村黒島(三島村)の馬
黒島の馬=鹿児島郡三島村黒島(佐世保市)アコウの巨木
佐世保市黒島の石垣に根を張るアコウの巨木=2009(平成21)年1月頃黒島(佐世保市)串ノ浜岩脈001
長崎県文化財に指定された黒島西端の串の浜岩脈=1998(平成10)年2月19日、佐世保市黒島(佐世保市)串ノ浜岩脈002
長崎県文化財に指定された黒島西端の串の浜岩脈=1998(平成10)年2月19日、佐世保市黒島(臼杵市)
大分県臼杵市佐志生の黒島。400年前、リーフデ号が漂着した島黒田綱政公のミイラ001
黒田綱政。第4代福岡藩主。3代黒田光之の二男。黒田綱政公のミイラ002
黒田綱政。第4代福岡藩主。3代黒田光之の二男。SL人吉運行開始
満開の桜並木の下を、黒煙を上げて走るSL人吉=2016(平成28)年4月1日午後2時40分すぎ、熊本県人吉市