- 西日本新聞フォトライブラリー
- 長崎県
長崎県
イロハ島
イロハ島=1980(昭和55)年12月22日、長崎県北松浦郡福島町(本社機から)クルーズ船「飛鳥」001
日本船籍最大の豪華客船として10月に就航した「飛鳥」=1991(平成3)年、長崎港上空(本社ヘリから)クルーズ船「飛鳥」002
長崎港を出港する「飛鳥」=1991(平成3)年11月2日、長崎市(本社機から)クルーズ船「飛鳥」003
長崎港を出港する「飛鳥」=1991(平成3)年11月2日、長崎市(本社機から)クルーズ船「飛鳥」004
長崎港を出港する「飛鳥」=1991(平成3)年11月2日、長崎市(本社機から)クルーズ船「飛鳥」005
長崎港を出港する「飛鳥」=1991(平成3)年11月2日、長崎市(本社機から)クルーズ船「飛鳥」006
長崎港を出港する「飛鳥」=1991(平成3)年11月2日、長崎市(本社機から)クルーズ船「飛鳥」007
長崎港を出港する「飛鳥」=1991(平成3)年11月2日、長崎市(本社機から)クルーズ船「飛鳥」008
長崎港を出港する「飛鳥」=1991(平成3)年11月2日、長崎市(本社機から)クルーズ船「飛鳥」009
長崎港を出港する「飛鳥」=1991(平成3)年11月2日、長崎市(本社機から)クルーズ船「飛鳥」010
長崎港を出港する「飛鳥」=1991(平成3)年11月2日、長崎市(本社機から)クルーズ船「飛鳥」011
長崎港を出港する「飛鳥」=1991(平成3)年11月2日、長崎市(本社機から)クルーズ船「飛鳥」012
長崎港を出港する「飛鳥」=1991(平成3)年11月2日、長崎市(本社機から)クルーズ船「飛鳥」013
長崎港を出港する「飛鳥」=1991(平成3)年11月2日、長崎市(本社機から)クルーズ船「飛鳥」014
長崎港を出港する「飛鳥」=1991(平成3)年11月2日、長崎市(本社機から)シチメンソウ 諫早湾001
諫早湾のシチメンソウ=1997(平成9)年12月3日、諫早市(本社ヘリから)シチメンソウ 諫早湾002
諫早湾のシチメンソウ=1997(平成9)年12月3日、諫早市(本社ヘリから)シチメンソウ 諫早湾003
諫早湾のシチメンソウ=1997(平成9)年12月3日、諫早市(本社ヘリから)シチメンソウ 諫早湾004
諫早湾のシチメンソウ=1997(平成9)年12月3日、諫早市(本社ヘリから)シチメンソウ 諫早湾005
諫早湾のシチメンソウ=1997(平成9)年12月3日、諫早市(本社ヘリから)ダイヤモンド・プリンセス001
建造継続のため、長崎港からえい航されるダイヤモンド・プリンセス号=2002年10月21日(本社ヘリから)ダイヤモンド・プリンセス002
建造継続のため、長崎港からえい航されるダイヤモンド・プリンセス号=2002年10月21日(本社ヘリから)ハウステンボス チューリップ祭001
風車を色とりどりのチューリップが囲む。チューリップ祭=2006年3月、佐世保市ハウステンボス(本社ヘリから)ハウステンボス チューリップ祭002
「チューリップ祭」の準備が進むハウステンボス=2007年2月24日、長崎県佐世保市(本社ヘリから)ハウステンボス チューリップ祭003
3月1日に開幕する「チューリップ祭」を前に、植え込みが完了したハウステンボス=2008年2月28日ハウステンボス チューリップ祭004
色とりどりのチューリップが咲き誇るハウステンボス=2009年2月26日午後、長崎県佐世保市(本社ヘリから)ハウステンボス チューリップ祭005
風車を彩るチューリップが見頃となり、春の行楽客を迎えた=2014(平成26)年3月22日ハウステンボスがオープン001
オープンしたハウステンボス=1992(平成4)年3月25日、長崎県佐世保市(本社機から)ハウステンボスがオープン002
オープンしたハウステンボス=1992(平成4)年3月25日、長崎県佐世保市(本社機から)ハウステンボスがオープン003
オープンしたハウステンボス=1992(平成4)年3月25日、長崎県佐世保市(本社機から)ハウステンボスがオープン004
オープンしたハウステンボス=1992(平成4)年3月25日、長崎県佐世保市(本社機から)ハウステンボスがオープン005
オープンしたハウステンボス=1992(平成4)年3月25日、長崎県佐世保市(本社機から)ハウステンボスがオープン006
オープンしたハウステンボス=1992(平成4)年3月25日、長崎県佐世保市(本社機から)ハウステンボスがオープン007
オープンしたハウステンボス=1992(平成4)年3月25日、長崎県佐世保市(本社機から)ハウステンボスがオープン008
オープンしたハウステンボス=1992(平成4)年3月25日、長崎県佐世保市(本社機から)ハウステンボス建設中001
建設が進むハウステンボス=1991(平成3)年11月2日、佐世保市(本社ヘリから)ハウステンボス建設中002
建設が進むハウステンボス=1991(平成3)年11月2日、佐世保市(本社ヘリから)ハウステンボス建設中003
建設が進むハウステンボス=1991(平成3)年11月2日、佐世保市(本社ヘリから)ハウステンボス建設中004
建設が進むハウステンボス=1991(平成3)年11月2日、佐世保市(本社ヘリから)ハウステンボス建設中005
建設が進むハウステンボス=1991(平成3)年11月2日、佐世保市(本社ヘリから)ハウステンボス建設中006
建設が進むハウステンボス=1991(平成3)年11月2日、佐世保市(本社ヘリから)ハウステンボス建設中007
建設が進むハウステンボス=1991(平成3)年11月2日、佐世保市(本社ヘリから)ハウステンボス建設中008
建設が進むハウステンボス=1991(平成3)年11月2日、佐世保市(本社ヘリから)ハウステンボス杯ヨット
全国のヨット愛好家が集まったハウステンボス杯ヨットレース=2007(平成19)年8月26日午前ハウステンボス001
ハウステンボス=1996(平成8)年4月5日、長崎県佐世保市(本社ヘリから)ハウステンボス002
ハウステンボス=1996(平成8)年4月5日、長崎県佐世保市(本社ヘリから)ハウステンボス003
ハウステンボス=2000(平成12)年3月30日、長崎県佐世保市(本社ヘリから)ハウステンボス004
ハウステンボス=2000(平成12)年3月30日、長崎県佐世保市(本社ヘリから)ハウステンボス005
ハウステンボス=2000(平成12)年3月30日、長崎県佐世保市(本社ヘリから)ハウステンボス006
ハウステンボス=2000(平成12)年3月30日、長崎県佐世保市(本社ヘリから)ハウステンボス007
ハウステンボス=2000(平成12)年3月30日、長崎県佐世保市(本社ヘリから)ハウステンボス008
ハウステンボス=2000(平成12)年3月30日、長崎県佐世保市(本社ヘリから)ハウステンボス009
ハウステンボス=2000(平成12)年3月30日、長崎県佐世保市(本社ヘリから)ハウステンボス010
ハウステンボス=2000(平成12)年3月30日、長崎県佐世保市(本社ヘリから)ハウステンボス011
26日、会社更生法を申請する長崎県佐世保市のハウステンボス=2003(平成15)年2月(本社ヘリから)ハウステンボス012
長崎県佐世保市の地域振興券利用による割引制度を導入するハウステンボス=2009年2月26日、本社ヘリからハウステンボス013
経営再建に取り組むハウステンボス=2009(平成21)年2月、長崎県佐世保市ハウステンボス014
ハウステンボス=2003(平成15)年2月25日、佐世保市(本社ヘリから)ハウステンボス015
ハウステンボス=2003(平成15)年2月25日、佐世保市(本社ヘリから)ハウステンボス016
ハウステンボス=2003(平成15)年2月25日、佐世保市(本社ヘリから)ハウステンボス017
ハウステンボス=2003(平成15)年2月25日、佐世保市(本社ヘリから)ハウステンボス018
ハウステンボス=2003(平成15)年2月25日、佐世保市(本社ヘリから)ハウステンボス019
ハウステンボス=2003(平成15)年2月25日、佐世保市(本社ヘリから)ハウステンボス020
ハウステンボス=2003(平成15)年2月25日、佐世保市(本社ヘリから)ポートルネッサンス21
佐世保市の港湾開発事業「ポートルネッサンス21計画」の計画地=2008(平成20)年3月(本社ヘリから)万関橋001
上対馬と下対馬を結ぶ浅茅湾の万関橋=1960(昭和35)年12月、長崎県美津島町(本社機から)万関橋002
上対馬と下対馬を結ぶ浅茅湾の万関橋=1960(昭和35)年12月、長崎県美津島町(本社機から)万関橋003
上対馬と下対馬を結ぶ浅茅湾の万関橋=1960(昭和35)年12月、長崎県美津島町(本社機から)万関橋004
上対馬と下対馬を結ぶ浅茅湾の万関橋=1960(昭和35)年12月、長崎県美津島町(本社機から)三菱長崎造船所爆発事故001
造船所の第一機械組立工場の爆発現場=1970(昭和45)年10月25日、長崎市(本社機から)三菱長崎造船所爆発事故002
造船所の第一機械組立工場の爆発現場=1970(昭和45)年10月25日、長崎市(本社機から)三菱長崎造船所香焼工場001
三菱重工業長崎造船所香焼工場=1972(昭和47)年12月10日、長崎県香焼町(本社機から)三菱長崎造船所香焼工場002
三菱重工業長崎造船所香焼工場=1972(昭和47)年12月10日、長崎県香焼町(本社機から)三菱長崎造船所香焼工場003
三菱重工業長崎造船所香焼工場=1972(昭和47)年12月10日、長崎県香焼町(本社機から)三菱長崎造船所香焼工場004
三菱重工業長崎造船所香焼工場=1972(昭和47)年12月10日、長崎県香焼町(本社機から)三菱長崎造船所香焼工場005
三菱重工業長崎造船所香焼工場の100万トンドック=1973年5月15日、長崎県香焼町(本社機から)三菱長崎造船所香焼工場006
三菱重工業長崎造船所香焼工場の100万トンドック=1973年5月15日、長崎県香焼町(本社機から)三菱長崎造船所香焼工場007
三菱重工業長崎造船所香焼工場の100万トンドック=1973年5月15日、長崎県香焼町(本社機から)三菱長崎造船所香焼工場008
三菱重工業長崎造船所香焼工場の100万トンドック=1973年5月15日、長崎県香焼町(本社機から)三菱長崎造船所香焼工場009
三菱重工業長崎造船所香焼工場の100万トンドック=1973年5月15日、長崎県香焼町(本社機から)三菱長崎造船所香焼工場010
三菱重工業長崎造船所香焼工場の100万トンドック=1973年5月15日、長崎県香焼町(本社機から)三菱長崎造船所香焼工場011
三菱重工業長崎造船所香焼工場の100万トンドック=1973年5月15日、長崎県香焼町(本社機から)三菱長崎造船所香焼工場012
三菱重工業長崎造船所香焼工場の100万トンドック=1973年5月15日、長崎県香焼町(本社機から)三菱長崎造船所香焼工場013
三菱長崎造船所香焼工場=1978(昭和53)年12月24日、長崎県西彼杵郡香焼町(本社機から)三菱長崎造船所香焼工場014
三菱長崎造船所香焼工場=1978(昭和53)年12月24日、長崎県西彼杵郡香焼町(本社機から)三菱長崎造船所香焼工場015
香焼町の三菱長崎造船所香焼工場=1980(昭和55)年12月22日、長崎県(本社機から)三菱長崎造船所香焼工場016
香焼町の三菱長崎造船所香焼工場=1980(昭和55)年12月22日、長崎県(本社機から)三菱長崎造船所001
三菱重工業長崎造船所=1955(昭和30)年8月9日、長崎市(本社機から)三菱長崎造船所002
三菱重工業長崎造船所=1955(昭和30)年8月9日、長崎市(本社機から)三菱長崎造船所003
三菱重工業長崎造船所=1957(昭和32)年11月15日、長崎市(本社機から)三菱長崎造船所004
空から見た1960(昭和35)年7月当時の三菱長崎造船所三菱長崎造船所005
空から見た三菱重工長崎造船所30万トンドック=1966(昭和41)年10月、長崎市三菱長崎造船所006
三菱重工業長崎造船所(左)=1966(昭和41)年11月、長崎市(本社機から)三菱長崎造船所007
三菱重工業長崎造船所(左)=1966(昭和41)年11月、長崎市(本社機から)三菱長崎造船所008
三菱重工業長崎造船所=1967(昭和42)年11月10日、長崎市(本社機から)三菱長崎造船所009
三菱重工業長崎造船所(手前)と長崎市街=1969(昭和44)年3月3日(本社機から)三菱長崎造船所010
飽ノ浦町の三菱長崎造船所=1980(昭和55)年12月22日、長崎市(本社機から)三菱長崎造船所011
長崎港の三菱長崎造船所=1982(昭和57)年5月20日、長崎市(本社機から)三菱長崎造船所012
三菱重工業長崎造船所=1991(平成3)年3月30日、長崎市(本社ヘリから)三菱長崎造船所013
三菱重工業長崎造船所=1991(平成3)年3月30日、長崎市(本社ヘリから)三菱長崎造船所014
三菱重工業長崎造船所香焼工場=2000(平成12)年12月9日、長崎市(本社ヘリから)三重浦
三重浦=1980(昭和55)年12月22日、長崎市(本社機から)上五島空港001
有川町の上五島空港=1982(昭和57)年5月20日、長崎県上五島(本社機から)上五島空港002
上五島空港上空から=2002(平成14)年10月上五島豪雨被害001
上五島の豪雨被害現場で続けられる行方不明者の捜索活動=1989(平成元)年9月13日、長崎県(本社ヘリから)上五島豪雨被害002
上五島の豪雨被害現場で続けられる行方不明者の捜索活動=1989(平成元)年9月13日、長崎県(本社ヘリから)上五島豪雨被害003
上五島の豪雨被害現場で続けられる捜索活動=1989(平成元)年9月13日、長崎県(本社ヘリから)上五島豪雨被害004
上五島の豪雨被害現場で続けられる捜索活動=1989(平成元)年9月13日、長崎県(本社ヘリから)上対馬002
上対馬=1974(昭和49)年11月、長崎県(本社機から)中国漁船001
中国人24人が不法上陸に使った木造の漁船=1991(平成3)年2月5日、長崎県野母崎町南越海岸(本社機から)中国漁船002
中国人24人が不法上陸に使った木造の漁船=1991(平成3)年2月5日、長崎県野母崎町南越海岸(本社機から)九十九島001
九十九島=1954(昭和29)年8月6日、長崎県(本社機から)九十九島002
九十九島=1954(昭和29)年8月6日、長崎県(本社機から)九十九島003
九十九島=1959(昭和34)年11月、佐世保市(本社機から)九十九島004
佐世保市沖の九十九島=1963(昭和38)年7月22日(本社機から)九十九島005
九十九島(手前)と佐世保港(上)=1968(昭和43)年10月30日、佐世保市(本社機から)九十九島006
九十九島=1968(昭和43)年10月30日、佐世保市(本社機から)九十九島007
九十九島=1968(昭和43)年10月30日、佐世保市(本社機から)九十九島008
西海国立公園の景勝地九十九島=1978(昭和53)年12月24日、長崎県佐世保市(本社機から)九十九島009
島原九十九島=1997(平成9)年12月3日、島原市(本社ヘリから)九州液化ガス基地
福島の九州液化ガス基地=1980(昭和55)年12月22日、長崎県北松浦郡福島町(本社機から)五島の漁船団001
東シナ海の漁場に向かう漁船団=1965(昭和40)年12月11日、長崎県・五島沖(本社機)五島の漁船団002
東シナ海の漁場に向かう漁船団=1965(昭和40)年12月11日、長崎県・五島沖(本社機)仁田峠
雲仙・仁田峠=1956(昭和31)年5月3日、長崎県小浜町(本社機から)仁田峠循環道路001
雲仙の有料道路(仁田峠循環道路)=1956(昭和31)年5月3日、長崎県(本社機から)仁田峠循環道路002
雲仙の有料道路(仁田峠循環道路)=1956(昭和31)年5月3日、長崎県(本社機から)佐世保の水害001
濁流に崩れ去った国道304号。車両は通行止め。右の鉄道は国鉄松浦線=1967(昭和42)年7月10日佐世保の水害002
水害から一夜明け、濡れた衣類や家具を屋根に干す被災者=1967年7月10日、佐世保市黒髪町(本社機から)佐世保市 前畑ふ頭
佐世保市の前畑ふ頭=1980(昭和55)年12月22日、長崎県(本社機から)佐世保市役所
佐世保市役所周辺=2006(平成18)年3月佐世保市街地、佐世保港001
佐世保市街地と佐世保港=1956(昭和31)年11月(本社機から)佐世保市街地、佐世保港002
佐世保市街地と佐世保港=1956(昭和31)年11月(本社機から)佐世保市街地、佐世保港003
佐世保市街地と佐世保港=1956(昭和31)年11月(本社機から)佐世保市街地、佐世保港004
佐世保市街地と佐世保港=1956(昭和31)年11月(本社機から)佐世保市街地、佐世保港005
佐世保市街地と佐世保港=1956(昭和31)年11月(本社機から)佐世保市街地、佐世保港006
佐世保市街地と佐世保港=1956(昭和31)年11月(本社機から)佐世保市街地、佐世保港007
佐世保市街地と佐世保港=1956(昭和31)年11月(本社機から)佐世保市街地、佐世保港008
佐世保市街地と佐世保港=1956(昭和31)年11月(本社機から)佐世保市街地、佐世保港009
佐世保市街地と佐世保港=1956(昭和31)年11月(本社機から)佐世保市街地、佐世保港010
佐世保港と市街地=1957(昭和32)年11月14日(本社機から)佐世保市街地、佐世保港011
佐世保港と市街地=1957(昭和32)年11月14日(本社機から)佐世保市街地001
佐世保市街地=1963(昭和38)年9月25日(本社機から)佐世保市街地002
佐世保市街地=1977(昭和52)年、長崎県(本社機から)佐世保市街地003
佐世保市街地=1977(昭和52)年、長崎県(本社機から)佐世保市街地004
佐世保市街地=1980(昭和55)年12月22日、長崎県(本社機から)佐世保市001
佐世保市(佐世保市都心部)愛宕山上空から望む=1963(昭和38)年9月佐世保市002
佐世保市。西海橋上空から佐世保湾をみる=1970(昭和45)年1月佐世保港、佐世保市街地001
佐世保港と佐世保市街地=1965(昭和40)年12月(本社機から)佐世保港、佐世保市街地002
佐世保港と佐世保市街地=1965(昭和40)年12月(本社機から)佐世保港、佐世保市街地003
佐世保市街地と佐世保港=1965(昭和40)年12月10日(本社機から)佐世保港、佐世保市街地004
佐世保市街地と佐世保港=1965(昭和40)年12月10日(本社機から)佐世保港、佐世保市街地005
佐世保港と佐世保市街地=1972(昭和47)年4月20日(本社機から)佐世保湾
西海橋上空から佐世保湾を望む=1968(昭和43)年10月30日(本社機から)佐世保造船所 SSK関連
佐世保造船所=2002(平成14)年6月佐世保重工業ドック001
佐世保重工業(SSK)ドック(手前)=1997(平成9)年10月10日、佐世保市(本社ヘリから)佐世保重工業ドック002
佐世保重工業(SSK)ドック(手前)=1997(平成9)年10月10日、佐世保市(本社ヘリから)佐世保重工業001
SSK(佐世保重工業)=1980(昭和55)年12月22日、長崎県佐世保市立神町(本社機から)佐世保重工業002
SSK(佐世保重工業)=1980(昭和55)年12月22日、長崎県佐世保市立神町(本社機から)佐世保駅001
JR佐世保駅周辺=1991(平成3)年11月2日、佐世保市(本社ヘリから)佐世保駅002
JR佐世保駅周辺=1991(平成3)年11月2日、佐世保市(本社ヘリから)佐世保駅003
JR佐世保駅周辺=1991(平成3)年11月2日、佐世保市(本社ヘリから)佐世保駅004
JR佐世保駅周辺=1991(平成3)年11月2日、佐世保市(本社ヘリから)佐世保駅005
佐世保港立神地区(手前)=1968(昭和43)年10月30日、佐世保市(本社機から)佐世保駅006
佐世保港=1996(平成8)年12月3日、長崎県佐世保市(本社ヘリから)佐世保駅007
佐世保港=1996(平成8)年12月3日、長崎県佐世保市(本社ヘリから)佐世保駅008
佐世保港=2001(平成13)年11月9日、佐世保市(本社ヘリから)佐世保駅009
佐世保港=2001(平成13)年11月9日、佐世保市(本社ヘリから)佐世保駅010
佐世保港=1977(昭和52)年、長崎県佐世保市(本社機から)全国高校総体 長崎001
かきどまり陸上競技場に整列した全国高校総体の選手団=2003(平成15)年7月28日全国高校総体 長崎002
かきどまり陸上競技場に整列した全国高校総体の選手団を前に最後尾で入場行進する長崎県選手団出島ワーフ
長崎出島ワーフ=2000(平成12)年12月9日、長崎市(本社ヘリから)十八銀行本店
十八銀行本店(中央)と長崎市街=1969(昭和44)年5月31日(本社機から)南九十九島001
西海国立公園の南九十九島=1980(昭和55)年12月22日、長崎県(本社機から)南九十九島002
西海国立公園の南九十九島=1980(昭和55)年12月22日、長崎県(本社機から)南有馬町の干拓
島原半島南有馬町の干拓地=1954(昭和29)年8月6日、長崎県南高来郡(本社機から)原子力空母エンタープライズ佐世保寄港001
佐世保市営球場で開かれた米原子力艦隊寄港阻止5万人集会=1968(昭和43)年1月18日(本社機から)原子力空母エンタープライズ佐世保寄港002
佐世保市営球場で開かれた米原子力艦隊寄港阻止5万人集会=1968(昭和43)年1月18日(本社機から)原子力空母エンタープライズ佐世保寄港003
佐世保市営球場で開かれた米原子力艦隊寄港阻止5万人集会=1968(昭和43)年1月18日(本社機から)原子力船むつ001
佐世保重工業(SSK)岸壁に接岸した原子力船「むつ」=1978年10月16日、佐世保市(本社機から)原子力船むつ002
佐世保重工業(SSK)岸壁に接岸した原子力船「むつ」=1978年10月16日、佐世保市(本社機から)厳原町001
対馬・厳原港と厳原の町=1960(昭和35)年12月、長崎県厳原町(本社機から)厳原町002
対馬・厳原港と厳原の町=1960(昭和35)年12月、長崎県厳原町(本社機から)厳原町003
長崎県対馬・厳原町=1973(昭和48)年5月15日(本社機から)口之津町
空から見た長崎県南高来郡口之津町=1981(昭和56)年1月頃国立大村病院
1955(昭和30)年11月当時の空から見た国立大村病院全景国見神代小路鍋島邸の緋寒桜
見頃を迎えた国重要文化財「鍋島邸」のヒカンザクラ=2015(平成27)年2月24日、長崎県雲仙市国見町壱岐 初瀬港005
壱岐の初瀬港=2002(平成14)年7月13日、長崎県郷ノ浦町(本社ヘリから)壱岐 初瀬港006
壱岐の初瀬港=2002(平成14)年7月13日、長崎県郷ノ浦町(本社ヘリから)壱岐 初瀬港007
壱岐の初瀬港=2002(平成14)年7月13日、長崎県郷ノ浦町(本社ヘリから)壱岐 初瀬港008
壱岐の初瀬港=2002(平成14)年7月13日、長崎県郷ノ浦町(本社ヘリから)壱岐、対馬
壱岐上空から対馬、韓国を望む=1960(昭和35)年12月頃壱岐の竜巻001
竜巻で屋根が飛ばされた壱岐・郷ノ浦の民家=1997(平成9)年10月14日、長崎県(本社ヘリから)壱岐の竜巻002
竜巻で屋根が飛ばされた壱岐・郷ノ浦の民家=1997(平成9)年10月14日、長崎県(本社ヘリから)壱岐の竜巻003
竜巻で転覆した漁船=1997(平成9)年10月14日、長崎県壱岐郡郷ノ浦町(本社ヘリから)壱岐の竜巻004
竜巻で転覆した漁船=1997(平成9)年10月14日、長崎県壱岐郡郷ノ浦町(本社ヘリから)壱岐の竜巻005
竜巻で転覆した漁船=1997(平成9)年10月14日、長崎県壱岐郡郷ノ浦町(本社ヘリから)壱岐の竜巻006
竜巻で転覆した漁船=1997(平成9)年10月14日、長崎県壱岐郡郷ノ浦町(本社ヘリから)壱岐島 郷ノ浦町
壱岐・郷ノ浦町=1973(昭和48)年5月15日、長崎県(本社機から)壱岐空港事故001
着陸の際ハードランディングしノーズギアを切損し、壱岐空港の滑走路上で停止したビーチクラフト機壱岐空港事故002
着陸の際ハードランディングしノーズギアを切損し、壱岐空港の滑走路上で停止したビーチクラフト機壱岐空港事故003
着陸の際ハードランディングしノーズギアを切損し、壱岐空港の滑走路上で停止したビーチクラフト機壱岐空港001
空から見た壱岐空港=1965(昭和40)年9月頃壱岐空港002
壱岐空港=1974(昭和49)年11月、長崎県(本社機から)壱岐空港003
壱岐空港へのファイナルアプローチ(航空写真)多比良港
多比良港=1980(昭和55)年12月22日、長崎県南高来郡国見町(本社機から)多比良001
多比良=1982(昭和57)年5月20日、長崎県南高来郡国見町(本社機から)多比良002
多比良=1982(昭和57)年5月20日、長崎県南高来郡国見町(本社機から)多良見町
多良見町=1982(昭和57)年5月20日、長崎県西彼杵郡(本社機から)大久保小学校001
大久保小=2004(平成16)年6月1日午後3時47分、長崎県佐世保市東大久保町大久保小学校002
大久保小=2004(平成16)年6月1日午後3時47分、長崎県佐世保市東大久保町大島造船所001
大島町の大島造船所=1980(昭和55)年12月22日、長崎県西彼杵郡(本社機から)大島造船所002
大島町の大島造船所=1980(昭和55)年12月22日、長崎県西彼杵郡(本社機から)大村ボート
大村ボート=2015(平成27)年3月大村入国者収容所
1955(昭和30)年8月当時の空から見た大村入国者収容所の全景大村公園 桜001
長崎県下随一の桜の名所、大村公園=1968(昭和43)年3月頃大村公園 桜002
大村市の大村公園で開かれた「よさこいダンスフェスタ」に向かう参加者たち=2004(平成16)年4月4日大村公園 桜003
満開の桜を見物に大勢の花見客が訪れた大村公園=2006(平成18)年4月2日大村公園 桜004
満開を迎えた大村公園のソメイヨシノ=2008(平成20)年4月3日大村公園 桜005
大村市の大村公園の桜=2008(平成20)年4月3日大村公園 桜006
期間中、満開のサクラやハナショウブなどが楽しめる大村公園の「花まつり」=2009(平成21)年3月24日大村公園 桜007
満開を迎えた松浦市福島町大山公園のサクラ=2010(平成22)年4月2日大村公園 桜008
約2000本の桜がある大村公園は多くの人でにぎわっている=2012(平成24)年4月1日大村公園 桜009
ライトアップされた大村公園のサクラ=2016(平成28)年3月28日大村市、大村空港
大村市。左下は大村空港=撮影日不明、長崎県(本社機から)大村市役所
大村市役所(中央)と大村市中心部=1954(昭和29)年8月6日(本社機から)大村市街地001
大村市街地=1954(昭和29)年1月8日(本社機から)大村市街地002
大村市街地=1954(昭和29)年1月8日(本社機から)大村市街地003
大村市街地=1954(昭和29)年1月8日(本社機から)大村市街地004
大村市街地=1954(昭和29)年8月6日(本社機から)大村市陸上競技場
大村市陸上競技場=1955(昭和30)年頃、長崎県(本社機から)大村発電所
大村発電所=1957(昭和32)年11月14日、長崎県大村市(本社機から)大村空港001
大村空港=1964(昭和39)年12月、長崎県(本社機から)大村空港002
大村空港=1973(昭和48)年5月15日、長崎県大村市(本社機から)大村空港003
大村空港=1973(昭和48)年5月頃、長崎県大村市(本社機から)対馬 三浦湾
三浦湾(上方)と万関橋(右下)=1973(昭和48)年5月15日、長崎県対馬・美津島町(本社機から)対馬 太田隈山001
上対馬の井口上空より太田隈山方面を望む=1974(昭和49)年11月、長崎県(本社機から)対馬 太田隈山002
上対馬の井口上空より太田隈山方面を望む=1974(昭和49)年11月、長崎県(本社機から)対馬の山火事
長崎県・対馬の山火事=1965(昭和40)年3月9日(本社機から)対馬オメガ局電波塔001
東京タワーを抜き日本一高い鉄塔になる対馬のオメガ電波標識塔=長崎県・対馬、1973(昭和48)年7月対馬オメガ局電波塔002
対馬オメガ局の電波塔=1973(昭和48)年10月23日、長崎県上対馬町(本社機から)対馬オメガ局電波塔003
対馬オメガ局の電波塔=1973(昭和48)年10月23日、長崎県上対馬町(本社機から)対馬オメガ局電波塔004
東洋一の高さを誇る対馬オメガ局の電波塔=1989(平成元)年5月頃対馬空港001
建設が進む対馬空港=1973(昭和48)年5月15日、長崎県対馬・美津町(本社機から)対馬空港002
建設が進む対馬空港=1973(昭和48)年5月15日、長崎県対馬・美津町(本社機から)対馬空港003
建設中の対馬空港=1974(昭和49)年6月30日、長崎県美津島町(本社機から)対馬空港004
建設中の対馬空港=1974(昭和49)年6月30日、長崎県美津島町(本社機から)対馬空港005
対馬空港=1974(昭和49)年11月、長崎県(本社機から)対馬空港006
対馬空港=1974(昭和49)年11月、長崎県(本社機から)対馬空港007
対馬空港=1974(昭和49)年11月、長崎県(本社機から)対馬空港008
対馬空港=1974(昭和49)年11月、長崎県(本社機から)小浜温泉
小浜温泉=1991(平成3)年3月30日、長崎県小浜町(本社ヘリから)島原、南高来を望む
長崎上空から島原、南高来を望む=1962(昭和37)年1月島原ゴルフ場
島原カントリー倶楽部=1996(平成8)年5月31日、長崎県深江町(本社ヘリから)島原城 東京五輪聖火リレー
島原城内の点火台に着いた東京五輪の聖火=1964(昭和39)年9月13日、島原市(本社ヘリから)島原城001
復元された島原城の西の櫓=1960(昭和35)年4月1日、島原市(本社機から)島原城002
復元された島原城の西の櫓=1960(昭和35)年4月1日、島原市(本社機から)島原城003
復元された島原城の西の櫓=1960(昭和35)年4月1日、島原市(本社機から)島原城004
復元された島原城の西の櫓=1960(昭和35)年4月1日、島原市(本社機から)島原城005
復元された島原城の西の櫓=1960(昭和35)年4月1日、島原市(本社機から)島原城006
島原城=1982(昭和57)年5月20日、長崎県島原市(本社機から)島原城007
島原城=1982(昭和57)年5月20日、長崎県島原市(本社機から)島原城008
島原城堀端の桜=1988(昭和63)年4月2日、長崎県島原市島原城009
島原城堀端の桜と天守閣。約1.3キロの堀の周囲を約250本のソメイヨシノが彩る=2012年3月31日島原城010
島原城の外堀沿いに咲いた桜=2016(平成28)年3月30日島原市総合運動公園001
島原市総合運動公園=2000(平成12)年11月6日、長崎県(本社ヘリから)島原市総合運動公園002
島原市総合運動公園=2000(平成12)年11月6日、長崎県(本社ヘリから)島原市街地
1982(昭和57)年5月当時の空から見た島原市大手川下流周辺の中心街=1982(昭和57)年5月20日島原市001
島原市=1982(昭和57)年5月20日、長崎県(本社機から)島原市002
島原市=1982(昭和57)年5月20日、長崎県(本社機から)島原市003
島原市=1982(昭和57)年5月20日、長崎県(本社機から)島原市004
島原市=1982(昭和57)年5月20日、長崎県(本社機から)島原市005
島原市=1982(昭和57)年5月20日、長崎県(本社機から)島原復興アリーナ001
島原復興アリーナ=2001(平成13)年6月1日、島原市(本社ヘリから)島原復興アリーナ002
島原復興アリーナ=2001(平成13)年6月1日、島原市(本社ヘリから)島原復興アリーナ003
水無川河口の北側に整備された島原復興アリーナ・復興記念館(左下)と導流堤=2006年5月(本社ヘリから)島原新港
島原新港=1982(昭和57)年5月20日、長崎県島原市(本社機から)島原港、島原市内
島原外港(右下)と島原市内=2001(平成13)年6月1日、長崎県(本社ヘリから)島原港と眉山
島原港と眉山=1982(昭和57)年5月20日、長崎県島原市(本社機から)島原港001
島原港=1982(昭和57)年5月20日、長崎県(本社機から)島原港002
島原港=1997(平成9)年12月3日、島原市(本社ヘリから)島原総合運動公園001
島原総合運動公園=1982(昭和57)年5月20日、長崎県(本社機から)島原総合運動公園002
島原総合運動公園=1982(昭和57)年5月20日、長崎県(本社機から)崎戸町 旧産炭地001
西彼杵郡の崎戸町=1982(昭和57)年5月20日、長崎県(本社機から)崎戸町 旧産炭地002
西彼杵郡の崎戸町=1982(昭和57)年5月20日、長崎県(本社機から)平和祈念像前をスタート 第4回九州一周駅伝
平和祈念像前をスタートする各県の選手たち=1955(昭和30)年11月、長崎市(本社機から)平和祈念像前をスタート 第5回九州一周駅伝
平和祈念像前をスタートする各県選手たち=1956(昭和31)年11月24日、長崎市(本社機から)平和祈念式典001
被爆10周年の長崎原爆の日平和祈念式典=1955(昭和30)年8月9日、長崎市の平和公園(本社機から)平和祈念式典002
被爆10周年の長崎原爆の日平和祈念式典=1955(昭和30)年8月9日、長崎市の平和公園(本社機から)平和祈念式典003
長崎原爆の日の平和祈念式典=1956(昭和31)年8月9日、長崎市の平和公園(本社機から)平和祈念式典004
長崎原爆の日の平和祈念式典=1956(昭和31)年8月9日、長崎市の平和公園(本社機から)平和祈念式典005
長崎原爆記念日。式典(空から)=1967(昭和42)年8月平成新山001
北側上空から見た平成新山=2003(平成15)年11月平戸城001
平戸城と平戸市街地=1964(昭和39)年8月14日(本社機から)平戸城002
平戸城と平戸市街地=1964(昭和39)年8月14日(本社機から)平戸城003
平戸城=1964(昭和39)年8月14日、平戸市(本社機から)平戸大橋開通
開通した平戸大橋の渡り初め=1977(昭和52)年4月4日、長崎県平戸市(本社機から)平戸大橋001
平戸大橋=1976(昭和51)年、長崎県平戸市(本社機から)平戸大橋002
平戸大橋=1976(昭和51)年、長崎県平戸市(本社機から)平戸大橋003
平戸大橋=1976(昭和51)年、長崎県平戸市(本社機から)平戸市
平戸口手前から平戸市を望む。中央は平戸瀬戸=1971(昭和46)年12月20日、長崎県(本社機から)平戸市、平戸港
平戸港と平戸市=1960(昭和35)年11月、長崎県(本社機から)平戸市中心部
平戸市中心部。中央は平戸港=1971(昭和46)年12月24日(本社機から)平戸市大島村の風力発電機稼働
早春の風を受けて、ゆっくり回る風力発電機の羽根=2007年2月24日午前、長崎県平戸市大島村(本社ヘリから)平戸市街地001
平戸市街地=1976(昭和51)年、長崎県(本社機から)平戸市街地002
平戸市街地=1977(昭和52)年、長崎県(本社機から)平戸港
平戸港=1976(昭和51)年、長崎県平戸市(本社機から)平戸瀬戸001
平戸瀬戸=1976(昭和51)年、長崎県平戸市(本社機から)平戸瀬戸002
平戸瀬戸=1976(昭和51)年、長崎県平戸市(本社機から)度島
度島=1977(昭和52)年、長崎県平戸市(本社機から)式見ダム
式見ダム=1980(昭和55)年12月22日、長崎市(本社機から)愛野干拓地001
瑞穂町上空から愛野干拓地を望む=1980(昭和55)年12月22日、長崎県南高来郡(本社機から)愛野干拓地002
瑞穂町上空から愛野干拓地を望む=1980(昭和55)年12月22日、長崎県南高来郡(本社機から)慈眼桜001
ジャガイモ畑の奥に、ほぼ満開の花を咲かせる慈眼桜=2010(平成22)年3月31日、長崎県平戸市木ケ津町慈眼桜002
満開となり、多くの人が訪れている慈眼桜=2011(平成23)年4月9日、長崎県平戸市木ケ津町慈眼桜003
満開となり、ライトアップが始まった慈眼桜=2014(平成26)年3月28日夜、長崎県平戸市木ケ津町慈眼桜004
見頃を迎え、ライトアップが始まった平戸市木ケ津町の慈眼桜=2015(平成27)年3月30日慈眼桜005
見頃を迎え、ライトアップされた平戸市木ケ津町の慈眼桜=2016(平成28)年3月31日、長崎県新三重漁港
新三重漁港=1982(昭和57)年5月20日、長崎県西彼杵郡(本社機から)新西海橋
長崎県佐世保市と西海市を結ぶ新西海橋(手前)。奥は西海橋=2006年3月3日午後0時半すぎ(本社ヘリから)日航機墜落・壱岐001
着陸に失敗し炎上した日航機コンベア880「かえで号」=1965年2月27日、長崎県・壱岐空港(本社機から)日航機墜落・壱岐002
着陸に失敗し炎上した日航機コンベア880「かえで号」=1965年2月27日、長崎県・壱岐空港(本社機から)日航機墜落・壱岐003
着陸に失敗し炎上した日航機コンベア880「かえで号」=1965年2月27日、長崎県・壱岐空港(本社機から)日航機墜落・壱岐004
着陸に失敗し大破、炎上した日航機=1965(昭和40)年2月27日(本社機から)旧大野木場小学校001
旧大野木場小学校=2000(平成12)年11月6日、長崎県(本社ヘリから)旧大野木場小学校002
旧大野木場小学校=2000(平成12)年11月6日、長崎県(本社ヘリから)星鹿町001
星鹿町=1982(昭和57)年5月20日、長崎県松浦市(本社機から)星鹿町002
星鹿町=1982(昭和57)年5月20日、長崎県松浦市(本社機から)春日集落の棚田
海岸から棚田が連なる春日集落。キリスト教が伝わった16世紀の面影を残している=2013年12月15日有明町
有明町=1982(昭和57)年5月20日、長崎県南高来郡(本社機から)本河内水源地
本河内水源地=1980(昭和55)年12月22日、長崎市(本社機から)東望の浜海水浴場001
にぎわう東望の浜海水浴場=1954(昭和29)年8月9日、長崎市宿町(本社機から)東望の浜海水浴場002
にぎわう東望の浜海水浴場=1954(昭和29)年8月9日、長崎市宿町(本社機から)松浦埋め立て地
松浦埋め立ての2号・3号地=1980(昭和55)年12月22日、長崎県松浦市(本社機から)松浦市001
松浦市=1982(昭和57)年5月20日、長崎県(本社機から)松浦市002
松浦市=1982(昭和57)年5月20日、長崎県(本社機から)橘湾001
橘湾=1982(昭和57)年5月20日、長崎県(本社機から)橘湾002
橘湾=1982(昭和57)年5月20日、長崎県(本社機から)橘湾003
橘湾=1982(昭和57)年5月20日、長崎県(本社機から)橘湾004
橘湾=1982(昭和57)年5月20日、長崎県(本社機から)水無川流域
噴石の降る範囲が広がる恐れが増し、緊張が高まる島原市の水無川流域=1991(平成3)年(本社ヘリから)水無川001
水無川の河口流域=1994(平成6)年11月17日、長崎県島原市(本社ヘリから)水無川002
水無川の河口流域=1994(平成6)年11月17日、長崎県島原市(本社ヘリから)水無川003
水無川=2001(平成13)年6月1日、島原市(本社ヘリから)水無川004
水無川=2001(平成13)年6月1日、島原市(本社ヘリから)水無川005
水無川=2001(平成13)年6月1日、島原市(本社ヘリから)江迎炭鉱のボタ山崩れ
大雨で江迎炭鉱のボタ山が崩れ、押しつぶされた道路や炭鉱住宅=1962(昭和37)年7月9日池島炭鉱のアパート002
池島の炭鉱アパート=1997(平成9)年10月10日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱001
(松島炭鉱)池島炭鉱=長崎県西彼杵郡外海町、1960(昭和35)年5月12日池島炭鉱002
(松島炭鉱)池島炭鉱=1962(昭和37)年12月29日池島炭鉱003
空から見た池島鉱の全景=1972(昭和47)年8月、長崎県西彼杵郡外海町池島炭鉱004
ドラムカッターがうなりをあげる池島坑内=1974年1月撮影池島炭鉱005
炭坑の島・池島=1980(昭和55)年12月22日、長崎県西彼杵郡外海町(本社機から)池島炭鉱006
炭坑の島・池島=1980(昭和55)年12月22日、長崎県西彼杵郡外海町(本社機から)池島炭鉱007
炭坑の島・池島=1980(昭和55)年12月22日、長崎県西彼杵郡外海町(本社機から)池島炭鉱008
炭坑の島・池島=1980(昭和55)年12月22日、長崎県西彼杵郡外海町(本社機から)池島炭鉱009
池島=1982(昭和57)年5月20日、長崎県西彼杵郡外海町(本社機から)池島炭鉱010
松島鉱業所池島炭鉱=1991(平成3)年3月30日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱011
松島鉱業所池島炭鉱=1991(平成3)年3月30日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱012
松島鉱業所池島炭鉱=1991(平成3)年3月30日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱013
松島鉱業所池島炭鉱=1991(平成3)年3月30日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱014
池島=1997(平成9)年10月10日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱015
池島=1997(平成9)年10月10日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱016
池島=1997(平成9)年10月10日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱017
池島=1997(平成9)年10月10日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱018
池島=1997(平成9)年10月10日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱019
池島=1997(平成9)年10月10日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱020
池島=1997(平成9)年10月10日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱021
池島=1997(平成9)年10月10日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱022
池島炭鉱=1997(平成9)年10月10日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱023
池島炭鉱=1997(平成9)年10月10日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱024
池島の炭鉱アパート=1997(平成9)年10月10日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱025
九州で唯一採炭を続ける池島炭鉱=1997(平成9)年10月、長崎県外海町池島(本社ヘリから)池島炭鉱026
池島炭鉱のある長崎県外海町の池島=1997(平成9)年10月(本社ヘリから)池島炭鉱027
池島炭鉱=1997(平成9)年10月、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱028
池島炭鉱のある長崎県外海町の池島=1997(平成9)年10月(本社ヘリから)池島炭鉱029
池島炭鉱=2013(平成25)年12月15日、長崎市沖浦上天主堂周辺
空から見た浦上天主堂付近=1954(昭和29)年8月浦上天主堂001
被爆し、破壊されたままの浦上天主堂(中央)=1954(昭和29)年8月6日、長崎市(本社機から)浦上天主堂002
被爆し、破壊されたままの浦上天主堂(中央)=1954(昭和29)年8月6日、長崎市(本社機から)浦上天主堂003
被爆し、破壊されたままの浦上天主堂(中央)=1954(昭和29)年8月6日、長崎市(本社機から)海上石油備蓄基地
原油を満載したタンカーが橘湾に浮かぶ海上石油備蓄基地=1978年10月22日、長崎県(本社機から)海上自衛隊の護衛艦
集合訓練のため佐世保港に入港する海上自衛隊の護衛艦=2005(平成17)年5月19日海上自衛隊佐世保
空から見た佐世保の海上自衛隊総監部周辺=1954(昭和29)年海上警備隊(海上自衛隊)訓練
実弾射撃演習を行う警備隊第1船群のフリゲート船隊=1953年11月17日、長崎県・五島沖(本社機から)玉之浦町
1959(昭和34)年当時の長崎県南松浦郡玉之浦町(航空写真)白木峰高原
白木峰高原で一面に広がる菜の花と、彩りを添える桜=2016(平成28)年3月30日、長崎県諫早市白木峰町的山大島
平戸の北方約9キロの洋上に浮かぶ的山大島=1977(昭和52)年、長崎県北松浦郡大島村(本社機から)相浦漁港、相浦発電所
相浦町相浦漁港(中央)左上は相浦発電所=1970(昭和45)年11月10日、佐世保市(本社機から)相浦発電所001
九電相浦発電所=1964(昭和39)年12月10日、佐世保市(本社機から)相浦発電所002
相浦発電所(中央上)=1971(昭和46)年12月20日、佐世保市(本社機から)相浦発電所003
九州電力の新しい相浦発電所=長崎県佐世保市(航空写真)相浦駐屯地火災001
陸上自衛隊相浦駐屯地の火事=1964(昭和39)年2月27日、長崎県(本社機から)相浦駐屯地火災002
陸上自衛隊相浦駐屯地の火事=1964(昭和39)年2月27日、長崎県(本社機から)眉山
眉山=1982(昭和57)年5月20日、長崎県島原市(本社機から)石木ダム
進む石木ダム建設工事=長崎県川棚町(航空写真)福島大橋001
長崎県福島町と佐賀県伊万里市を結ぶ福島大橋=1967(昭和42)年11月14日(本社機から)福島大橋002
長崎県福島町と佐賀県伊万里市を結ぶ福島大橋=1967(昭和42)年11月14日(本社機から)福江の大火001
五島・福江市の大火=1962(昭和37)年9月26日、長崎県(本社機から)福江の大火002
五島・福江市の大火=1962(昭和37)年9月26日、長崎県(本社機から)福江の大火003
五島・福江市の大火=1962(昭和37)年9月26日、長崎県(本社機から)福江の大火004
五島・福江市の大火=1962(昭和37)年9月26日、長崎県(本社機から)福江の大火005
五島・福江市の大火=1962(昭和37)年9月26日、長崎県(本社機から)福江の大火006
五島・福江市の大火=1962(昭和37)年9月26日、長崎県(本社機から)福江の大火007
五島・福江市の大火=1962(昭和37)年9月26日、長崎県(本社機から)福江市中心部001
五島・福江市の中心部=1963(昭和38)年7月22日、長崎県(本社機から)福江市中心部002
福江市中心部=1965(昭和40)年12月、長崎県(本社機から)福江市街地
福江市街地=1964(昭和39)年8月14日、長崎県・五島(本社機から)福江空港
福江空港=1965(昭和40)年12月、長崎県福江市(本社機から)稲佐山001
稲佐山山頂(手前)と長崎市街=1969(昭和44)年3月3日(本社機から)稲佐山002
稲佐山=1980(昭和55)年12月22日、長崎市(本社機から)立山公園 夜桜001
ライトアップされた夜桜を撮影する女性=2016(平成28)年3月30日午後8時頃、長崎県長崎市の立山公園立山公園 夜桜002
ライトアップされた夜桜の下で宴会を楽しむ市民=2016(平成28)年3月30日、長崎県長崎市の立山公園米原潜「シードラゴン」佐世保入港001
佐世保に入港する米原潜シードラゴン=1964(昭和39)年11月12日、佐世保市(本社機から)米原潜「シードラゴン」佐世保入港002
佐世保に入港する米原潜シードラゴン=1964(昭和39)年11月12日、佐世保市(本社機から)米原潜「シードラゴン」佐世保入港003
佐世保に入港する米原潜シードラゴン=1964(昭和39)年11月12日、佐世保市(本社機から)米軍佐世保基地 横瀬貯油所001
横瀬のタンク群=1977(昭和52)年、長崎県佐世保市(本社機から)米軍佐世保基地 横瀬貯油所002
横瀬のタンク群=1977(昭和52)年、長崎県佐世保市(本社機から)米軍佐世保基地 赤崎貯油所001
米海軍赤崎貯油所=1997(平成9)年10月10日、佐世保市(本社ヘリから)米軍佐世保基地 赤崎貯油所002
米海軍赤崎貯油所=1997(平成9)年10月10日、佐世保市(本社ヘリから)米軍佐世保基地 赤崎貯油所003
米海軍赤崎貯油所=1997(平成9)年10月10日、佐世保市(本社ヘリから)米軍佐世保基地 赤崎貯油所004
米海軍赤崎貯油所=1997(平成9)年10月10日、佐世保市(本社ヘリから)米軍佐世保基地の艦船001
海自佐世保基地の艦船=1997(平成9)年10月10日、佐世保市(本社ヘリから)米軍佐世保基地の艦船002
海自佐世保基地の艦船=1997(平成9)年10月10日、佐世保市(本社ヘリから)米軍佐世保基地001
1980(昭和55)年6月当時の空から見た米海軍佐世保の施設米軍佐世保基地002
崎辺の米軍施設=1980(昭和55)年12月22日、長崎県佐世保市(本社機から)米軍佐世保基地003
佐世保の米軍施設=1991(平成3)年11月2日、佐世保市(本社ヘリから)米軍佐世保基地004
佐世保の米軍施設=1991(平成3)年11月2日、佐世保市(本社ヘリから)米軍佐世保基地005
佐世保の米軍施設=1991(平成3)年11月2日、佐世保市(本社ヘリから)米軍佐世保基地006
佐世保の米軍施設=1991(平成3)年11月2日、佐世保市(本社ヘリから)米軍佐世保基地007
佐世保の米軍施設=1991(平成3)年11月2日、佐世保市(本社ヘリから)米軍佐世保基地008
1993(平成5)年8月当時の空から見た佐世保港・米海軍佐世保基地=1993(平成5)年8月米軍佐世保基地009
米海軍佐世保基地=1997(平成9)年10月10日、佐世保市(本社ヘリから)米軍佐世保基地010
米海軍佐世保基地=1997(平成9)年10月10日、佐世保市(本社ヘリから)米軍佐世保基地011
米海軍佐世保基地=1997(平成9)年10月10日、佐世保市(本社ヘリから)米軍佐世保基地012
米軍基地の立神1号岸壁=1977(昭和52)年、長崎県佐世保市(本社機から)米軍空母ミッドウェイ(ミッドウェー)001
佐世保港に停泊する米第7艦隊の空母ミッドウェイ=1971(昭和46)年10月26日、佐世保市(本社機から)米軍空母ミッドウェイ(ミッドウェー)002
佐世保港に停泊する米第7艦隊の空母ミッドウェイ=1971(昭和46)年10月26日、佐世保市(本社機から)西日本魚市
調川(つきのかわ)町の西日本魚市=1980(昭和55)年12月22日、長崎県松浦市(本社機から)西海橋の渦潮001
西海橋下の針尾瀬戸に現れた豪快な渦潮=2007(平成19)年3月19日午後3時すぎ西海橋の渦潮002
長崎県佐世保市と西海市を結ぶ西海橋の下の針尾瀬戸に姿を現した渦潮=2008(平成20)年3月22日西海橋の渦潮003
西海橋(奥)、新西海橋の西側にある弁天島の周りでも、潮が複雑な模様を描いていた=2013年3月26日西海橋の観潮会001
西海橋の観潮会=1996(平成8)年4月5日、長崎県佐世保市(本社ヘリから)西海橋の観潮会002
西海橋の観潮会=1996(平成8)年4月5日、長崎県佐世保市(本社ヘリから)西海橋の観潮会003
西海橋の観潮会=1996(平成8)年4月5日、長崎県佐世保市(本社ヘリから)西海橋の観潮会004
西海橋下の針尾瀬戸に現れた豪快な渦潮=2004年4月6日午後2時20分すぎ、長崎県佐世保市(本社ヘリから)西海橋の観潮会005
西海橋下の針尾瀬戸で楽しめる渦潮=2005(平成17)年4月8日午後2時すぎ、長崎県佐世保市(本社ヘリから)西海橋の観潮会006
新西海橋(右)と西海橋の間に大きな白い渦潮が現れた針尾瀬戸=2006(平成18)年3月29日西海橋を渡る昭和天皇
九州路の昭和天皇(長崎県)。西海橋を渡る天皇のお車=1961(昭和36)年4月(本社機から)西海橋001
工事が進む西海橋=1954(昭和29)年8月6日、長崎県(本社機から)西海橋002
工事が進む西海橋=1954(昭和29)年8月6日、長崎県(本社機から)西海橋003
工事が進む西海橋=1954(昭和29)年8月6日、長崎県(本社機から)西海橋004
開通した西海橋=1955(昭和30)年10月18日、長崎県(本社機から)西海橋005
開通した西海橋=1955(昭和30)年10月18日、長崎県(本社機から)西海橋006
完成した西海橋の渡り初め=1955(昭和30)年12月1日、長崎県(本社機から)西海橋007
完成した西海橋の渡り初め=1955(昭和30)年12月1日、長崎県(本社機から)西海橋008
完成した西海橋の渡り初め=1955(昭和30)年12月1日、長崎県(本社機から)西海橋009
完成した西海橋の渡り初め=1955(昭和30)年12月1日、長崎県(本社機から)西海橋010
空から見た佐世保・西海橋と伊ノ浦瀬戸の急流=1957(昭和32)年西海橋011
西海橋=1957(昭和32)年11月14日、長崎県(本社機から)西海橋012
西海橋=1964(昭和39)年12月、長崎県(本社機から)西海橋013
西海橋=1964(昭和39)年12月、長崎県(本社機から)西海橋014
西海橋=1978(昭和53)年12月24日、長崎県(本社機から)西海橋015
西海橋=1978(昭和53)年12月24日、長崎県(本社機から)西海橋016
西海橋=1982(昭和57)年5月20日、長崎県(本社機から)西海橋017
西海橋=1982(昭和57)年5月20日、長崎県(本社機から)西海橋018
西海橋=1982(昭和57)年5月20日、長崎県(本社機から)西海橋019
西海橋の空撮=2002(平成14)年8月西諫早ニュータウン
上空から見た1978(昭和53)年頃の西諫早ニュータウン観潮会
西海橋下の針尾瀬戸で楽しめる渦潮=2005(平成17)年4月8日午後2時すぎ、長崎県佐世保市(本社ヘリから)諌早湾と雲仙
高空から見た諌早湾(左)と雲仙の山群(右上)=1969(昭和44)年3月頃諫早市中心部
諫早市中心部=1976(昭和51)年5月(本社機から)諫早干拓 堤防閉め切り001
諫早湾干拓の潮受け堤防閉め切り作業=1997(平成9)年4月14日、諫早市(本社ヘリから)諫早干拓 堤防閉め切り002
諫早湾干拓の潮受け堤防閉め切り作業=1997(平成9)年4月14日、諫早市(本社ヘリから)諫早干拓 堤防閉め切り003
諫早湾干拓の潮受け堤防閉め切り作業=1997(平成9)年4月14日、諫早市(本社ヘリから)諫早干拓 堤防閉め切り004
諫早湾干拓の潮受け堤防閉め切り作業=1997(平成9)年4月14日、諫早市(本社ヘリから)諫早干拓 堤防閉め切り005
閉め切り作業を待つ諫早湾干拓の潮受け堤防=1997(平成9)年4月14日、諫早市(本社ヘリから)諫早干拓 堤防閉め切り006
閉め切り作業を待つ諫早湾干拓の潮受け堤防=1997(平成9)年4月14日、諫早市(本社ヘリから)諫早干拓 堤防閉め切り007
閉め切り作業を待つ諫早湾干拓の潮受け堤防=1997(平成9)年4月14日、諫早市(本社ヘリから)諫早干拓 堤防閉め切り008
閉め切り作業を待つ諫早湾干拓の潮受け堤防=1997(平成9)年4月14日、諫早市(本社ヘリから)諫早干拓 堤防閉め切り009
閉め切り作業を待つ諫早湾干拓の潮受け堤防=1997(平成9)年4月14日、諫早市(本社ヘリから)諫早干拓 堤防閉め切り010
閉め切り作業を待つ諫早湾干拓の潮受け堤防=1997(平成9)年4月14日、諫早市(本社ヘリから)諫早干拓 堤防閉め切り011
閉め切り作業を待つ諫早湾干拓の潮受け堤防=1997(平成9)年4月14日、諫早市(本社ヘリから)諫早干拓 堤防閉め切り012
閉め切り作業を待つ諫早湾干拓の潮受け堤防=1997(平成9)年4月14日、諫早市(本社ヘリから)諫早干拓 堤防閉め切り013
閉め切り作業を待つ諫早湾干拓の潮受け堤防=1997(平成9)年4月14日、諫早市(本社ヘリから)諫早干拓 堤防閉め切り014
閉め切り作業を待つ諫早湾干拓の潮受け堤防=1997(平成9)年4月14日、諫早市(本社ヘリから)諫早干拓 堤防閉め切り015
閉め切り作業を待つ諫早湾干拓の潮受け堤防=1997(平成9)年4月14日、諫早市(本社ヘリから)諫早干拓 堤防閉め切り016
閉め切り作業を待つ諫早湾干拓の潮受け堤防=1997(平成9)年4月14日、諫早市(本社ヘリから)諫早干拓 堤防閉め切り017
閉め切り作業を待つ諫早湾干拓の潮受け堤防=1997(平成9)年4月14日、諫早市(本社ヘリから)諫早干拓 堤防閉め切り018
鉄骨フレームが順々に落とされ、閉め切られる諫早湾=1997年4月14日午前11時30分(本社ヘリから)諫早干拓 工事中断001
仮処分で工事が中断している諫早湾干拓事業。中央の潮受け堤防の左側が諫早湾、右側が調整池諫早干拓 工事中断002
仮処分で工事が中断している諫早湾干拓事業=2005(平成17)年4月8日(本社ヘリから)諫早干拓 排水門001
佐賀地裁判決で開門命令が出された国営諫早湾干拓の潮受け堤防排水門(右手前)。奥が調整池諫早干拓 排水門002
佐賀地裁判決で開門命令が出された国営諫早湾干拓の潮受け堤防排水門(手前)。奥が調整池諫早干拓 排水門003
開門を命令した佐賀地裁の判決を不服とし、国が控訴した国営諫早湾干拓の潮受け堤防排水門諫早干拓 排水門004
国営諫早湾干拓の潮受け堤防排水門。右が調整池=2012(平成24)年3月26日(本社ヘリから)諫早干拓 水位がマイナスに001
潮受け堤防内の水位がマイナス1メートルになり干上がった潟が広がる諫早湾=1997年5月6日(本社ヘリから)諫早干拓 水位がマイナスに002
潮受け堤防内の水位がマイナス1メートルになり干上がった潟が広がる諫早湾=1997年5月6日(本社ヘリから)諫早干拓 水位がマイナスに003
潮受け堤防内の水位がマイナス1メートルになり干上がった潟が広がる諫早湾=1997年5月6日(本社ヘリから)諫早干拓 水位がマイナスに004
潮受け堤防内の水位がマイナス1メートルになり干上がった潟が広がる諫早湾=1997年5月6日(本社ヘリから)諫早干拓 水位がマイナスに005
潮受け堤防内の水位がマイナス1メートルになり干上がった潟が広がる諫早湾=1997年5月6日(本社ヘリから)諫早干拓 水位がマイナスに006
潮受け堤防内の水位がマイナス1メートルになり干上がった潟が広がる諫早湾=1997年5月6日(本社ヘリから)諫早干拓 水位がマイナスに007
潮受け堤防内の水位がマイナス1メートルになり干上がった潟が広がる諫早湾=1997年5月6日(本社ヘリから)諫早干拓 水位がマイナスに008
潮受け堤防内の水位がマイナス1メートルになり干上がった潟が広がる諫早湾=1997年5月6日(本社ヘリから)諫早干拓 水位がマイナスに009
潮受け堤防内の水位がマイナス1メートルになり干上がった潟が広がる諫早湾=1997年5月6日(本社ヘリから)諫早干拓 水位がマイナスに010
潮受け堤防内の水位がマイナス1メートルになり干上がった潟が広がる諫早湾=1997年5月6日(本社ヘリから)諫早干拓 水位がマイナスに011
潮受け堤防内の水位がマイナス1メートルになり干上がった潟が広がる諫早湾=1997年5月6日(本社ヘリから)諫早干拓 水位がマイナスに012
閉め切り堤防内の水位がマイナス1メートルになり、干上がった潟が広がる諫早湾=1997年5月6日(本社ヘリ)諫早干拓 水位がマイナスに013
閉め切り堤防内の水位がマイナス1メートルになり、干上がった潟が広がる諫早湾=1997年5月6日(本社ヘリ)諫早干拓 海上デモ001
諫早湾に1300隻の漁船が集結。ノリ漁業者が「排水門を開けろ」とこぶしを突き上げた諫早干拓 海上デモ002
諫早湾の干拓工事に抗議し、海上デモをする4県有明海漁連の漁船団=2001年1月28日(本社ヘリから)諫早干拓 海上デモ003
諫早湾の開門調査実施を求め海上デモをする漁船団=2004年4月30日午前9時50分(本社ヘリから)諫早干拓 海上デモ004
諫早湾の開門調査実施を求め海上デモをする漁船団=2004年4月30日午前9時30分(本社ヘリから)諫早干拓 海上デモ005
潮受け堤防の排水門前で海上抗議デモを行う佐賀県のノリ漁業者の船団=2010年1月7日(本社ヘリから)諫早干拓 潮受け堤防001
諫早干拓の潮受け堤防=1997(平成9)年10月10日、諫早市(本社ヘリから)諫早干拓 潮受け堤防002
諫早干拓の潮受け堤防=1997(平成9)年10月10日、諫早市(本社ヘリから)諫早干拓 潮受け堤防003
諫早湾干拓の潮受け堤防=1997(平成9)年12月3日、諫早市(本社ヘリから)諫早干拓 潮受け堤防004
諫早湾干拓の潮受け堤防=1997(平成9)年12月3日、諫早市(本社ヘリから)諫早干拓 調整池
諫早干拓(手前)と調整池=1997(平成9)年10月10日、諫早市(本社ヘリから)諫早干拓 造成進む001
造成が進む諫早干拓=2001(平成13)年3月15日、諫早市(本社ヘリから)諫早干拓 造成進む002
造成が進む諫早干拓=2001(平成13)年3月15日、諫早市(本社ヘリから)諫早干拓 造成進む003
造成が進む諫早干拓=2001(平成13)年3月15日、諫早市(本社ヘリから)諫早干拓 造成進む004
造成が進む諫早干拓=2001(平成13)年3月15日、諫早市(本社ヘリから)諫早干拓に抗議する漁船団001
諫早湾干拓に抗議する漁船団=2000(平成12)年4月14日、諫早市(本社ヘリから)諫早干拓に抗議する漁船団002
諫早湾干拓に抗議する漁船団=2000(平成12)年4月14日、諫早市(本社ヘリから)諫早干拓に抗議する漁船団003
諫早湾干拓に抗議する漁船団=2000(平成12)年4月14日、諫早市(本社ヘリから)諫早干拓に抗議する漁船団004
諫早干拓の中央干拓地=2000(平成12)年12月9日、諫早市(本社ヘリから)諫早干拓に抗議する漁船団005
諫早干拓の中央干拓地=2000(平成12)年12月9日、諫早市(本社ヘリから)諫早干拓に抗議する漁船団006
諫早干拓の中央干拓地=2000(平成12)年12月9日、諫早市(本社ヘリから)諫早干拓に抗議する漁船団007
諫早干拓の中央干拓地=2000(平成12)年12月9日、諫早市(本社ヘリから)諫早干拓に抗議する漁船団008
諫早干拓の中央干拓地=2000(平成12)年12月9日、諫早市(本社ヘリから)諫早干拓に抗議する漁船団009
諫早湾の潮受け堤防排水門前で、海上デモを行う漁船団=2001年1月13日午前10時すぎ(本社ヘリから)諫早干拓予定海面001
諫早干拓予定海面(左)=1968(昭和43)年10月10日、諫早市(本社機から)諫早干拓予定海面002
諫早干拓予定海面(左)=1968(昭和43)年10月10日、諫早市(本社機から)諫早干拓001
1965(昭和40)年1月当時の空から見た諫早干拓諫早干拓002
諫早干拓と本明川(中央)=1968(昭和43)年11月、諫早市(本社機から)諫早干拓003
諫早湾の干拓地=1997(平成9)年12月3日、諫早市(本社ヘリから)諫早干拓004
諫早湾の干拓地=1997(平成9)年12月3日、諫早市(本社ヘリから)諫早干拓005
諫早湾の干拓地=1997(平成9)年12月3日、諫早市(本社ヘリから)諫早湾に赤潮発生
赤潮が発生した諫早湾。手前の黒っぽい部分が赤潮=1998(平成10)年11月(本社ヘリから)金比羅公園 桜見ごろ
見ごろになった金比羅公園のサクラ=2014(平成26)年3月30日針尾送信所(旧佐世保無線電信所)
国の重要文化財に指定された旧佐世保無線電信所(針尾送信所)の3基の無線塔=2012年3月(本社ヘリから)長崎バイパス001
長崎バイパス(中央)。左は国道34号=1967(昭和42)年11月16日、長崎県多良見町上空(本社機から)長崎バイパス002
長崎バイパス(中央)。左は国道34号=1967(昭和42)年11月16日、長崎県多良見町上空(本社機から)長崎バイパス003
長崎バイパス川平インターチェンジ=1991(平成3)年3月30日、長崎市川平町(本社ヘリから)長崎バイパス004
長崎バイパス川平インターチェンジ=1991(平成3)年3月30日、長崎市川平町(本社ヘリから)長崎バイパス005
長崎バイパス川平インターチェンジ=1991(平成3)年3月30日、長崎市川平町(本社ヘリから)長崎バイパス006
長崎バイパス川平インターチェンジ=1991(平成3)年3月30日、長崎市川平町(本社ヘリから)長崎三菱造船所
空から見た1961(昭和36)年4月当時の長崎三菱造船所長崎医大(長崎大医学部)001
長崎医大(中央)周辺=1954(昭和29)年8月6日、長崎市坂本町(本社機から)長崎医大(長崎大医学部)002
長崎医大(中央)周辺=1954(昭和29)年8月6日、長崎市坂本町(本社機から)長崎医大(長崎大医学部)003
長崎医大(中央)周辺=1954(昭和29)年8月6日、長崎市坂本町(本社機から)長崎原爆の日 平和祈念式典001
被爆10周年の長崎原爆の日平和祈念式典=1955(昭和30)年8月9日、長崎市の平和公園(本社機から)長崎原爆の日 平和祈念式典002
被爆10周年の長崎原爆の日平和祈念式典=1955(昭和30)年8月9日、長崎市の平和公園(本社機から)長崎原爆の日 平和祈念式典003
浜の町商店街(中央下)。左は中島川=1956(昭和31)年8月、長崎市(本社機から)長崎原爆の日 平和祈念式典004
第22回目の長崎原爆祈念式典=1967(昭和42)年8月9日、長崎市(本社機から)長崎原爆の日 平和祈念式典005
第22回目の長崎原爆祈念式典=1967(昭和42)年8月9日、長崎市(本社機から)長崎国際文化会館(長崎原爆資料館)
爆心地公園(左端)の横に完成した長崎国際文化会館(中央)=1956(昭和31)年11月、長崎市(本社機から)長崎大水害001
ブルドーザーや多数の自衛隊員を投入、捜索を進める長崎市奥山地区の災害現場=昭和57年7月28日(本社機から)長崎大水害002
鳴滝の土砂崩れ現場=1982(昭和57)年7月25日、長崎市(本社機から)長崎大水害003
濁流に損壊・流失した中島川の石橋群(手前は眼鏡橋)=1982(昭和57)年7月25日、長崎市(本社機から)長崎大水害004
濁流に損壊・流失した中島川の石橋群(手前は眼鏡橋)=1982(昭和57)年7月25日、長崎市(本社機から)長崎大水害005
民家15棟がつぶされ約30人が生き埋めになった川平町の土砂崩れ現場=1982年7月25日(本社機から)長崎大水害006
川平の山崩れによる住宅流出現場=1982(昭和57)年7月25日、長崎市(本社機から)長崎大水害007
長崎市内の八郎川が氾濫、大きな被害が出た矢上地区=1982(昭和57)年7月28日、長崎市(本社機から)長崎大水害008
長崎市奥山の山崩れ現場での救出作業=1982(昭和57)年7月28日(本社機から)長崎市 爆心地公園001
長崎市松山町周辺。中央が爆心地公園=1953(昭和28)年3月22日(本社機から)長崎市 爆心地公園002
長崎市松山町周辺。中央が爆心地公園=1953(昭和28)年3月22日(本社機から)長崎市 爆心地公園003
松山町の陸上競技場、爆心地周辺=1954(昭和29)年8月6日、長崎市(本社機から)長崎市中心部
茂里町方面から長崎市中心部を望む=1954(昭和29)年8月6日(本社機から)長崎市中心部、長崎港
長崎市中心部と長崎港=1967(昭和42)年11月14日(本社機から)長崎市浦上一帯
長崎市の浦上一帯=1980(昭和55)年12月22日(本社機から)長崎市街地、長崎港001
浜町の繁華街近辺。上は長崎港=1963(昭和38)年(本社機から)長崎市街地、長崎港002
長崎市街地と長崎港=1953(昭和28)年3月22日(本社機から)長崎市街地、長崎港003
長崎市街地と長崎港=1971(昭和46)年9月20日(本社機から)長崎市街地、長崎港004
長崎市街地と長崎港=1971(昭和46)年9月20日(本社機から)長崎市街地、長崎港005
長崎港と市街地=1978(昭和53)年12月24日(本社機から)長崎市街地、長崎港006
長崎港と市街地=1978(昭和53)年12月24日(本社機から)長崎市街地、長崎港007
長崎港と市街地=1978(昭和53)年12月24日(本社機から)長崎市街地001
1969(昭和44)年6月当時の長崎市街地。中央の建物は完成した十八銀行本社ビル長崎市街地002
長崎市街地=1982(昭和57)年5月20日(本社機から)長崎市街地003
長崎市街地=1982(昭和57)年5月20日(本社機から)長崎市街地004
長崎市街地=1998(平成10)年10月21日(本社ヘリから)長崎市街地005
長崎市街地=1998(平成10)年10月21日(本社ヘリから)長崎市街地006
長崎市街地、中央下は県庁=1962(昭和37)年(本社機から)長崎市街地007
長崎市街地、中央下は県庁=1962(昭和37)年(本社機から)長崎市001
長崎湾から長崎市内を望む=1969(昭和44)年9月(本社機から)長崎市002
長崎市内=1991(平成3)年3月30日(本社ヘリから)長崎市003
長崎市内=1991(平成3)年3月30日(本社ヘリから)長崎市004
長崎市内=1991(平成3)年3月30日(本社ヘリから)長崎市005
長崎市内=1991(平成3)年3月30日(本社ヘリから)長崎市006
長崎市内=1991(平成3)年3月30日(本社ヘリから)長崎市007
長崎市内(中央は中島川)=1991(平成3)年3月30日(本社ヘリから)長崎水辺の森公園001
長崎観光の新しい顔としてオープンした長崎水辺の森公園(手前)=2004年3月27日午後(本社ヘリから)長崎水辺の森公園002
長崎観光の新しい顔としてオープンした長崎水辺の森公園(手前)=2004年3月27日午後(本社ヘリから)長崎水辺の森公園003
長崎観光の新しい顔としてオープンした長崎水辺の森公園=2004(平成16)年3月27日午後(本社ヘリから)長崎水辺の森公園004
長崎観光の新しい顔としてオープンした長崎水辺の森公園(手前)=2004年3月27日午後(本社ヘリから)長崎海星高校
海星高等学校=1980(昭和55)年12月22日、長崎市(本社機から)長崎港、三菱重工業長崎造船所
長崎港と三菱重工業長崎造船所(左)。右は長崎市中心街=1953(昭和28)年3月22日(本社機から)長崎港、長崎市街地
長崎港と長崎市街地=1964(昭和39)年9月25日(本社機から)長崎港埋め立て地
市民や観光客の憩いの場として整備が進む長崎港の埋め立て地(中央部分)=2002年10月(本社ヘリから)長崎港001
長崎港周辺=1954(昭和29)年8月6日、長崎市(本社機から)長崎港002
長崎港周辺=1954(昭和29)年8月6日、長崎市(本社機から)長崎港003
長崎港周辺=1954(昭和29)年8月6日、長崎市(本社機から)長崎港004
空から見た長崎港=1957(昭和32)年2月長崎港005
上空から見た1957(昭和32)年当時の長崎港長崎港006
長崎港=1957(昭和32)年11月15日、長崎市(本社機から)長崎港007
長崎港=1969(昭和44)年5月31日、長崎市(本社機から)長崎港008
長崎港=1980(昭和55)年12月22日、長崎市(本社機から)長崎港009
長崎港=1980(昭和55)年12月22日、長崎市(本社機から)長崎港010
長崎港=1982(昭和57)年5月20日、長崎市(本社機から)長崎港011
長崎港=2001(平成13)年12月9日、長崎市(本社ヘリから)長崎港012
長崎港=2001(平成13)年12月9日、長崎市(本社ヘリから)長崎港013
長崎港=2001(平成13)年12月9日、長崎市(本社ヘリから)長崎港014
長崎港=2001(平成13)年12月9日、長崎市(本社ヘリから)長崎港015
長崎港=2001(平成13)年12月9日、長崎市(本社ヘリから)長崎港016
長崎港=2001(平成13)年12月9日、長崎市(本社ヘリから)長崎港017
長崎港=2001(平成13)年12月9日、長崎市(本社ヘリから)長崎港018
長崎港=2001(平成13)年12月9日、長崎市(本社ヘリから)長崎港019
今も整備が進む長崎港=2003(平成15)年7月(本社ヘリから)長崎漁港001
新長崎漁港=1991(平成3)年3月30日、長崎市京泊町(本社ヘリから)長崎漁港002
新長崎漁港=1991(平成3)年3月30日、長崎市京泊町(本社ヘリから)長崎漁港003
新長崎漁港=1991(平成3)年3月30日、長崎市京泊町(本社ヘリから)長崎漁港004
新長崎漁港=1991(平成3)年3月30日、長崎市京泊町(本社ヘリから)長崎漁港005
新長崎漁港=1991(平成3)年3月30日、長崎市京泊町(本社ヘリから)長崎漁港006
新長崎漁港=1991(平成3)年3月30日、長崎市京泊町(本社ヘリから)長崎玉屋
長崎玉屋(中央下)上空から長崎港方向を望む=1969(昭和44)年5月31日、長崎市(本社機から)長崎県営野球場周辺
松山町の野球場、競技場から浦上川に沿って長崎港方面を望む=1970年10月25日、長崎市(本社機から)長崎県立農業大学校
長崎県立農業大学校。左上が職員室のある管理棟。その左下の小さな建物が女子寮=2012年8月、島原市長崎空港(大村空港)001
大村新空港予定地の箕島(手前)と大村空港(中央)=1970(昭和45)年9月8日、大村市(本社機から)長崎空港(大村空港)002
大村市(大村新空港)上空から眺めた大村新空港予定地・箕島=1971(昭和46)年2月長崎空港(大村空港)003
大村空港(中央・海岸沿い)と長崎空港予定地の箕島=1971(昭和46)年9月24日、大村市(本社機から)長崎空港(大村空港)004
工事が進む長崎空港=1973(昭和48)年12月19日、大村市箕島(本社機から)長崎空港(大村空港)005
長崎空港=1974(昭和49)年10月、長崎県大村市(本社機から)長崎空港(大村空港)006
長崎空港=1974(昭和49)年10月、長崎県大村市(本社機から)長崎空港(大村空港)007
長崎空港=1974(昭和49)年10月、長崎県大村市(本社機から)長崎空港(大村空港)008
開港を待つ長崎空港=1974(昭和49)年12月12日、大村市(本社機から)長崎空港(新大村空港)予定地
空から見た新空港の建設予定水域。手前は大村空港。1971年度着工、48年度完成予定=1970年8月頃長崎空港009
長崎空港=1978(昭和53)年12月24日、長崎県大村市(本社機から)長崎空港010
長崎空港=1991(平成3)年11月2日、大村市(本社ヘリから)長崎空港011
長崎空港=1991(平成3)年11月2日、大村市(本社ヘリから)長崎空港012
長崎空港=1991(平成3)年11月2日、大村市(本社ヘリから)長崎空港013
上空から見た形が空母にも例えられる長崎空港=2015(平成27)年5月長崎自動車道開通001
全線開通した長崎自動車道=2004(平成16)年3月27日午後、長崎市の長崎多良見IC付近(本社ヘリから)長崎自動車道開通002
全線開通した長崎自動車道=2004(平成16)年3月27日午後、長崎市の長崎多良見IC付近(本社ヘリから)長崎自動車道開通003
全線開通した長崎自動車道=2004(平成16)年3月27日、長崎市の長崎多良見IC付近(本社ヘリから)長崎自動車道開通004
全線開通した長崎自動車道=2004(平成16)年3月27日午後、長崎市の長崎多良見IC付近(本社ヘリから)長崎駅001
国鉄長崎駅(中央)とその周辺=1969(昭和44)年5月31日、長崎市(本社機より)長崎駅002
国鉄長崎駅(中央右)と長崎市の中心部=1969(昭和44)年5月31日(本社機から)長崎駅003
国鉄長崎駅(中央右)と長崎市の中心部=1969(昭和44)年5月31日(本社機から)長崎駅004
長崎駅一帯=1980(昭和55)年12月22日、長崎市(本社機から)長崎駅005
長崎駅一帯=1980(昭和55)年12月22日、長崎市(本社機から)長崎駅006
JR長崎駅(中央)周辺=1991(平成3)年3月30日、長崎市(本社ヘリから)長崎駅007
JR長崎駅周辺=1991(平成3)年3月30日、長崎市(本社ヘリから)長崎駅008
JR長崎駅周辺=1991(平成3)年3月30日、長崎市(本社ヘリから)長崎駅009
長崎市内。手前はJR長崎駅=1991(平成3)年3月30日(本社ヘリから)長崎駅010
JR長崎駅(手前)と長崎港=2001(平成13)年12月9日、長崎市(本社ヘリから)長崎駅011
JR長崎駅=2001(平成13)年12月9日、長崎市(本社ヘリから)長崎駅012
JR長崎駅=2001(平成13)年12月9日、長崎市(本社ヘリから)長崎駅013
JR長崎駅=2001(平成13)年12月9日、長崎市(本社ヘリから)長崎駅014
JR長崎駅(左)=2001(平成13)年12月9日、長崎市(本社ヘリから)長崎駅015
長崎市の玄関口、JR長崎駅。九州新幹線長崎ルート開業に向けた機運は盛り上がるのか長崎駅016
長崎市のJR長崎駅。九州新幹線西九州ルート開通をにらんで駅周辺の再開発計画も浮上している長崎魚市場001
長崎魚市場=1956(昭和31)年8月9日、長崎市(本社機から)長崎魚市場002
長崎魚市場=1956(昭和31)年8月9日、長崎市(本社機から)長崎魚市場003
空から見た1958(昭和33)年3月当時の長崎魚市場長崎魚市場004
長崎魚市場=1972(昭和47)年4月20日、長崎市(本社機から)雲仙の旅館街001
雲仙の旅館街=1956(昭和31)年5月3日、長崎県小浜町(本社機から)雲仙の旅館街002
雲仙の旅館街=1956(昭和31)年5月3日、長崎県小浜町(本社機から)雲仙の旅館街003
雲仙の旅館街=1964(昭和39)年12月10日、長崎県小浜町(本社機から)雲仙の旅館街004
雲仙旅館街=1982(昭和57)年5月20日、長崎県(本社機から)雲仙の旅館街005
雲仙旅館街=1982(昭和57)年5月20日、長崎県(本社機から)雲仙ゴルフ場
雲仙ゴルフ場=1964(昭和39)年12月、長崎県小浜町(本社機から)雲仙・普賢岳 土石流001
土石流で埋まった水無川河口=1993(平成5)年6月19日、長崎県島原市(本社機から)雲仙・普賢岳 土石流002
土石流で埋まった安徳地区=1993(平成5)年6月19日、長崎県島原市(本社機から)雲仙岳001
島原市上空から見る雲仙岳=1956(昭和31)年1月9日、長崎県(本社機から)雲仙岳002
島原市上空から見る雲仙岳=1956(昭和31)年1月9日、長崎県(本社機から)雲仙岳003
島原市上空から見る雲仙岳=1956(昭和31)年1月9日、長崎県(本社機から)雲仙001
雲仙=1954(昭和29)年1月8日、長崎県(本社機から)雲仙002
雪の雲仙と島原市(右下)=1966(昭和41)年12月、長崎県(本社機から)雲仙003
雲仙=1982(昭和57)年5月20日、長崎県(本社機から)雲仙004
雲仙=1982(昭和57)年5月20日、長崎県(本社機から)香焼島001
三菱重工業長崎造船所の100万トンドック建設が計画されている深堀・香焼の埋め立て地一帯香焼島002
三菱重工業長崎造船所の100万トンドック建設が計画されている深堀・香焼の埋め立て地一帯香焼島003
三菱重工業長崎造船所の100万トンドック建設が計画されている深堀・香焼の埋め立て地一帯香焼島004
三菱重工業長崎造船所が100万トンドックを建設中の香焼島=1970年11月10日、長崎県香焼町(本社機から)香焼島005
三菱重工業長崎造船所が100万トンドックを建設中の香焼島=1970年11月10日、長崎県香焼町(本社機から)香焼島006
三菱重工業長崎造船所が100万トンドックを建設中の香焼島=1971年9月12日、長崎県香焼町(本社機から)高島(長崎)
高島=1957(昭和32)年11月15日、長崎県(本社機から)鷹島
佐賀県肥前町上空から見た長崎県北松浦郡鷹島町の鷹島=1980(昭和55)年12月頃LCAC新施設完成
佐世保湾に面する米海軍のエアクッション型揚陸艇(LCAC)駐機場=2012年3月26日(本社ヘリから)