炭鉱
ドルフィン桟橋と夕顔丸【軍艦島】001
端島のドルフィン桟橋と三菱重工業の連絡船「夕顔丸」=1956(昭和31)年4月5日、長崎県高島町ドルフィン桟橋と夕顔丸【軍艦島】002
端島のドルフィン桟橋と三菱重工業の連絡船「夕顔丸」=1956(昭和31)年4月5日、長崎県高島町ホッパー【三井三池鉱】
三井三池鉱のホッパー万田坑 石炭積みレース【三井三池鉱】
世界文化遺産を目指す万田坑。石炭積みレースは万田坑PRの一つとして行われる=2012(平成24)年3月7日万田坑【三井三池鉱】001
三井万田坑=昭和初期万田坑【三井三池鉱】002
三井三池炭鉱旧万田坑の第二竪坑櫓と関連施設=1997(平成9)年2月12日、熊本県荒尾市(本社ヘリから)万田坑【三井三池鉱】003
三井三池炭鉱旧万田坑の第二竪坑櫓と関連施設=1997(平成9)年2月12日、熊本県荒尾市(本社ヘリから)万田坑【三井三池鉱】004
三井三池炭鉱旧万田坑の第二竪坑櫓と関連施設=1997(平成9)年2月12日、熊本県荒尾市(本社ヘリから)万田坑【三井三池鉱】005
三井三池炭鉱旧万田坑の第二竪坑櫓と関連施設=1997(平成9)年2月12日、熊本県荒尾市(本社ヘリから)万田坑【三井三池鉱】006
三井三池炭鉱旧万田坑の第二竪坑櫓と関連施設=1997(平成9)年2月12日、熊本県荒尾市(本社ヘリから)万田坑【三井三池鉱】007
三井三池炭鉱旧万田坑の第二竪坑櫓と関連施設=1997(平成9)年2月12日、熊本県荒尾市(本社ヘリから)万田坑【三井三池鉱】008
三井三池炭鉱旧万田坑の第二竪坑櫓と関連施設=1997(平成9)年2月12日、熊本県荒尾市(本社ヘリから)万田坑【三井三池鉱】009
1世紀にわたって地域を支えてきた三井三池炭鉱の万田坑=熊本県荒尾市、2014(平成26)年9月15日万田坑で映像芸術イベント【三井三池鉱】
極彩色の映像で照らされ、闇夜に映える万田坑=2013(平成25)年10月25日午後7時半すぎ、熊本県荒尾市万田坑内の山神社【三井三池鉱】
坑内の山神社=熊本県荒尾市万田で、大正年間万田坑巻き上げ機室内部【三井三池鉱】
万田坑でれんが造りの巻き上げ機室を見学し、巨大な歯車などに見入る観光客=2015(平成27)年5月5日三井三池宮浦鉱001
三井三池炭鉱宮浦鉱と周辺の工場群=1960(昭和35)年6月2日、大牟田市(本社機から)三井三池宮浦鉱002
三井三池炭鉱宮浦鉱と周辺の工場群=1960(昭和35)年6月2日、大牟田市(本社機から)三井三池宮浦鉱003
三井三池炭鉱旧宮原坑の第二竪坑櫓(中央)=1997(平成9)年2月12日、大牟田市(本社ヘリから)三井三池宮浦鉱004
三井三池炭鉱旧宮原坑の第二竪坑櫓(中央)=1997(平成9)年2月12日、大牟田市(本社ヘリから)三井三池宮浦鉱005
三井三池炭鉱旧宮原坑の第二竪坑櫓(中央)=1997(平成9)年2月12日、大牟田市(本社ヘリから)三井三池宮浦鉱006
三井三池炭鉱旧宮原坑の第二竪坑櫓(中央)=1997(平成9)年2月12日、大牟田市(本社ヘリから)三井三池宮浦鉱007
三井三池炭鉱旧宮原坑の第二竪坑櫓(中央)=1997(平成9)年2月12日、大牟田市(本社ヘリから)三井三池宮浦鉱008
三井三池炭鉱旧宮原坑の第二竪坑櫓(中央)と関連施設=1997(平成9)年2月12日、大牟田市(本社ヘリから)三井三池宮浦鉱009
三井三池炭鉱旧宮原坑の第二竪坑櫓(中央)と関連施設=1997(平成9)年2月12日、大牟田市(本社ヘリから)三井三池宮浦鉱010
三井三池炭鉱旧宮原坑の第二竪坑櫓(中央下)と関連施設=1997(平成9)年2月12日、大牟田市三井三池宮浦鉱011
三井三池炭鉱旧宮原坑の第二竪坑櫓(中央)と関連施設=1997(平成9)年2月12日、大牟田市(本社ヘリから)三井三池宮浦鉱012
三井三池炭鉱旧宮原坑の第二竪坑櫓(中央)と関連施設=1997(平成9)年2月12日、大牟田市(本社ヘリから)三井三池宮浦鉱013
三井三池炭鉱旧宮原坑の第二竪坑櫓(中央)と関連施設=1997(平成9)年2月12日、大牟田市(本社ヘリから)三井三池有明鉱(三池鉱)
坑内火災が発生した三井有明鉱は雪にすっぽり覆われ、排気坑から白煙が盛んに噴き上げていた=1984年三井三池有明鉱(三池鉱)跡001
三井三池有明鉱の跡地=1997(平成9)年12月3日、福岡県高田町(本社ヘリから)三井三池有明鉱(三池鉱)跡002
三井三池有明鉱の跡地=1997(平成9)年12月3日、福岡県高田町(本社ヘリから)三井三池有明鉱(三池鉱)跡003
三井三池有明鉱の跡地=1997(平成9)年12月3日、福岡県高田町(本社ヘリから)三井三池有明鉱001
三井三池有明鉱=1976(昭和51)年、福岡県大牟田市(本社機から)三井三池有明鉱002
三井三池有明鉱=1976(昭和51)年、福岡県大牟田市(本社機から)三井三池有明鉱003
3月で閉山する有明鉱=1997(平成9)年2月12日、福岡県高田町(本社ヘリから)三井三池有明鉱004
3月で閉山する有明鉱=1997(平成9)年2月12日、福岡県高田町(本社ヘリから)三井三池有明鉱005
3月で閉山する有明鉱=1997(平成9)年2月12日、福岡県高田町(本社ヘリから)三井三池有明鉱006
3月で閉山する有明鉱=1997(平成9)年2月12日、福岡県高田町(本社ヘリから)三井三池有明鉱007
3月で閉山する有明鉱=1997(平成9)年2月12日、福岡県高田町(本社ヘリから)三井三池有明鉱008
3月で閉山する有明鉱=1997(平成9)年2月12日、福岡県高田町(本社ヘリから)三井三池有明鉱009
3月で閉山する有明鉱=1997(平成9)年2月12日、福岡県高田町(本社ヘリから)三井三池有明鉱010
3月で閉山する有明鉱=1997(平成9)年2月12日、福岡県高田町(本社ヘリから)三井三池有明鉱011
3月で閉山する有明鉱=1997(平成9)年2月12日、福岡県高田町(本社ヘリから)三井三池有明鉱012
3月で閉山する有明鉱=1997(平成9)年2月12日、福岡県高田町(本社ヘリから)三井三池炭鉱三川鉱001
三井三池炭鉱三川鉱=昭和31年3月、大牟田市三井三池炭鉱三川鉱002
三井三池炭鉱三川鉱=1960(昭和35)年6月2日、大牟田市(本社機から)三井三池炭鉱三川鉱003
三井三池炭鉱三川鉱=1960(昭和35)年6月2日、大牟田市(本社機から)三井三池炭鉱三川鉱004
三井三池炭鉱三川鉱=1960(昭和35)年6月2日、大牟田市(本社機から)三井三池炭鉱四山鉱001
三井三池炭鉱四山鉱(手前)=1953(昭和28)年3月22日、大牟田市四山町(本社機から)三井三池炭鉱四山鉱002
三井三池四山鉱(中央)=1960(昭和35)年6月2日、大牟田市(本社機から)三井三池炭鉱四山鉱003
三井三池四山鉱(中央)=1960(昭和35)年6月2日、大牟田市(本社機から)三井三池炭鉱四山鉱004
三井三池四山鉱(中央)=1960(昭和35)年6月2日、大牟田市(本社機から)三井三池炭鉱四山鉱005
三井三池四山鉱(中央)=1960(昭和35)年6月2日、大牟田市(本社機から)三井三池炭鉱四山鉱006
三井三池四山鉱(手前)と九州三井アルミニウム工場=1967(昭和42)年、大牟田市(本社機から)三井三池炭鉱野添社宅001
三井三池炭鉱野添社宅=1997(平成9)年2月12日、大牟田市野添町(本社ヘリから)三井三池炭鉱野添社宅002
三井三池炭鉱野添社宅=1997(平成9)年2月12日、大牟田市野添町(本社ヘリから)三井三池炭鉱野添社宅003
三井三池炭鉱野添社宅=1997(平成9)年2月12日、大牟田市野添町(本社ヘリから)三井三池炭鉱野添社宅004
三井三池炭鉱野添社宅=1997(平成9)年2月12日、大牟田市野添町(本社ヘリから)三井三池炭鉱野添社宅005
三井三池炭鉱野添社宅=1997(平成9)年2月12日、大牟田市野添町(本社ヘリから)三井三池炭鉱野添社宅006
三井三池炭鉱野添社宅=1997(平成9)年2月12日、大牟田市野添町(本社ヘリから)三井三池鉱専用鉄道
石炭貨車もからっぽのまま止まった三池鉱専用鉄道=福岡県大牟田市三井三池鉱有明鉱跡地001
売却された三井三池鉱有明鉱跡地=2006(平成18)年10月、福岡県みやま市高田町(本社ヘリから)三井三池鉱有明鉱跡地002
閉山丸10年となった三井三池鉱有明鉱の跡地=2007(平成19)年3月、福岡県みやま市高田町(本社ヘリから)三井三池鉱閉山
最後の仕事を終え、有明第一立て坑から上がってくる三番方の炭鉱マンたち三井山野鉱
三井山野鉱=1963(昭和38)年、福岡県嘉穂郡稲築町(本社機から)三井田川鉱
三井田川鉱=1963(昭和38)年、福岡県田川市(本社機から)三井田川鉱のぼた山
三井田川鉱二坑のぼた山=福岡県三井田川鉱の採炭現場
地底に敢闘する鉱員(採炭現場)=三井田川鉱業所三井田川鉱伊加利坑001
東洋一を誇る三井田川鉱の伊加利立て坑=1955(昭和30)年10月22日、田川市(本社機から)三井田川鉱伊加利坑002
東洋一を誇る三井田川鉱の伊加利立て坑=1955(昭和30)年10月22日、田川市(本社機から)三井田川鉱業所伊田竪坑
旧三井田川鉱業所伊田竪坑第一・第二煙突=2008(平成20)年2月、福岡県田川市三川坑【三井三池鉱】
三井三池炭鉱三川坑=1960(昭和35)年6月2日、大牟田市(本社機から)三池争議
三井三池炭鉱労組員らの不当ロックアウト反対総決起集会=1960(昭和35)年1月、大牟田市笹林公園三池争議・にらみ合い
三川鉱のホッパー前でにらみ合う警官隊と三池炭鉱労組ピケ隊=昭和35年4月9日、大牟田市三川町三池争議・坑底座り込み
坑底座り込みへ、くだる三池労組宮川組合長=三川鉱で、16日午後6時三池争議・28日ぶりに入構
28日ぶりに入構する三池鉱労組員=三川鉱三池刑務所(三池集治監)
初めて開放された三池刑務所の鉄門=大牟田市上宮町、1931(昭和6)年頃三池島【三井三池鉱】001
三井三池炭鉱が大牟田市沖の有明海に建設中の第三人工島「三池島」=1969(昭和44)年12月14日三池島【三井三池鉱】002
有明海に浮かぶ人工島、三池島=2007(平成19)年3月28日(本社ヘリから)三池港での救援炭荷降ろし
三池港での救援炭の荷降ろし=昭和35年4月13日、大牟田市三池港のクレーン・大金剛丸
三池港で現役として働き続ける大金剛丸=2008(平成20)年8月22日三池港の蒸気機関クレーン船「大金剛丸」【三井三池鉱】
石炭積み出し港だった三池港で100年間活躍し続けている蒸気機関クレーン船「大金剛丸」=福岡県大牟田市三池港の閘門【三井三池鉱】
水位を一定に保つ三池港の「閘門(こうもん)」。橋のように見える水門の中央部分が開閉する=福岡県大牟田市三池港貯炭場001
三池港の貯炭場=1986(昭和61)年10月23日、大牟田市三池港閘門
三池港の大ゲート(閘門)を通過する貨物船=大牟田市、1951(昭和26)年2月2日三池港駅付近を走る炭鉱電車(三池鉄道)
三井三池鉄道三池港駅付近を走る炭鉱電車=1989(平成元)年2月2日、大牟田市三池炭鉱の機関車
三池炭鉱で活躍していた機関車第1号=1969(昭和44)年頃三池炭鉱宮原坑【三井三池鉱】
ユネスコ諮問機関が世界文化遺産登録を勧告した宮原坑=福岡県大牟田市、2015(平成27)年4月26日三池炭鉱専用鉄道敷
三池炭鉱専用鉄道敷跡=2014(平成26)年3月9日三池鉄道001
炭鉱電車(下)と浅牟田の工場群=1997(平成9)年2月12日、大牟田市(本社ヘリから)三池鉄道002
炭鉱電車(下)と浅牟田の工場群=1997(平成9)年2月12日、大牟田市(本社ヘリから)三池集治監の外壁
三池工業高校の敷地内に残る「旧三池集治監」の外壁=2002(平成14)年、大牟田市上官町三菱飯塚炭鉱跡
廃虚となった三菱飯塚鉱の人車坑口=嘉穂郡穂波町、1962(昭和37)年12月頃三菱飯塚炭鉱跡 斜坑巻き上げ機台座
旧三菱飯塚炭鉱斜坑巻き上げ機台座=1995(平成7)年11月28日、福岡県穂波町九州三井アルミ003
三井三池四山鉱(手前)と三井アルミニウム工場=1971(昭和46)年3月26日、大牟田市(本社機から)二本煙突
炭鉱遺跡の通称「二本煙突」=福岡県田川市伊田の石炭記念公園。旧三井田川鉱業所伊田竪坑の排煙用二瀬炭鉱
日鉄二瀬炭鉱の中央竪坑=1951(昭和26)年11月15日人工島「初島」001
三井三池炭鉱が大牟田市沖の有明海に建設中の人工島「初島」=1950(昭和25)年12月20日(本社機から)人工島「初島」002
三井三池炭鉱が大牟田市沖の有明海に建設中の人工島「初島」=1950(昭和25)年12月20日(本社機から)人工島「初島」003
三井三池炭鉱の人工島「初島」=1961(昭和36)年、大牟田市沖の有明海(本社機から)人工島「初島」004
三井三池炭鉱の人工島「初島」=1961(昭和36)年、大牟田市沖の有明海(本社機から)人工島「初島」005
人工島「初島」=1997(平成9)年2月12日、大牟田市沖の有明海(本社ヘリから)人工島「初島」006
人工島「初島」=1997(平成9)年2月12日、大牟田市沖の有明海(本社ヘリから)人工島「初島」007
人工島「初島」=1997(平成9)年2月12日、大牟田市沖の有明海(本社ヘリから)人工島「初島」008
人工島「初島」=1997(平成9)年2月12日、大牟田市沖の有明海(本社ヘリから)人工島「初島」009
人工島「初島」=1997(平成9)年2月12日、大牟田市沖の有明海(本社ヘリから)伊加利竪坑の開削やぐら
三井田川鉱の伊加利竪坑の開削やぐら=福岡県田川市伊田坑の二本煙突と竪坑櫓
世界遺産の国内候補に登載された旧三井田川鉱業所伊田坑二本煙突と竪坑櫓=福岡県田川市伊藤伝之祐(伊藤伝右衛門の孫)
幸袋製作所社長(伊藤伝右衛門の孫)・伊藤伝之祐氏=1953(昭和28)年4月頃伊藤伝右衛門と柳原白蓮(結婚当時)
結婚当時の伊藤伝右衛門と柳原白蓮=1911(明治44)年3月住友忠隈炭鉱のボタ山001
1954(昭和29)年に空撮された穂波町忠隈のぼた山住友忠隈炭鉱のボタ山002
住友忠隈炭鉱のボタ山=昭和30(1955)年、福岡県穂波町(本社機から)住友忠隈炭鉱のボタ山003
旧住友忠隈炭鉱のボタ山=平成10年3月2日、福岡県嘉穂郡穂波町(本社ヘリから)住友忠隈炭鉱採掘場
先山、後山でにぎわう住友忠隈炭鉱採掘場=福岡県(飯塚市と嘉穂郡穂波町にまたがる)、明治30年住友忠隈炭鉱001
住友忠隈炭鉱のボタ山=1955(昭和30)年、福岡県穂波町(本社機から)住友忠隈炭鉱002
住友忠隈炭鉱のボタ山=1955(昭和30)年、福岡県穂波町(本社機から)住友忠隈炭鉱003
住友忠隈鉱(手前)とボタ山=1955(昭和30)年頃、福岡県穂波町(本社機から)住友忠隈炭鉱004
住友忠隈炭鉱のボタ山=1955(昭和30)年頃、福岡県穂波町(本社機から)住友忠隈炭鉱005
閉山する住友忠隈炭鉱住友忠隈炭鉱006
住友忠隈炭鉱とボタ山=1961(昭和36)年12月17日、福岡県穂波町(本社機から)住友忠隈炭鉱007
忠隈のボタ山=1980(昭和55)年12月、福岡県嘉穂郡穂波町(本社機から)住友忠隈炭鉱008
忠隈のボタ山=1980(昭和55)年12月、福岡県嘉穂郡穂波町(本社機から)住友忠隈炭鉱009
住友忠隈炭鉱のボタ山=1992(平成4)年12月4日、福岡県嘉穂郡穂波町(本社機から)住友忠隈炭鉱010
住友忠隈炭鉱のボタ山=1992(平成4)年12月4日、福岡県嘉穂郡穂波町(本社機から)住友忠隈炭鉱011
住友忠隈炭鉱のボタ山=1992(平成4)年12月4日、福岡県嘉穂郡穂波町(本社機から)住友忠隈炭鉱012
忠隈のボタ山=1994(平成6)年5月4日、福岡県嘉穂郡穂波町(本社ヘリから)住友忠隈炭鉱013
忠隈のボタ山=1994(平成6)年5月4日、福岡県嘉穂郡穂波町(本社ヘリから)住友忠隈炭鉱014
旧住友忠隈炭鉱のボタ山=1998(平成10)年3月2日、福岡県嘉穂郡穂波町(本社ヘリから)住友忠隈炭鉱015
旧住友忠隈炭鉱のボタ山=1998(平成10)年3月2日、福岡県嘉穂郡穂波町(本社ヘリから)住友忠隈炭鉱016
忠隈のボタ山周辺=2006(平成18)年7月、福岡県飯塚市住友潜竜炭鉱
住友潜竜炭鉱=長崎県江迎町初島【三井三池鉱】001
三池炭鉱の人工島「初島」の地底50メートルの深さから見上げる坑口=大牟田市沖の有明海初島【三井三池鉱】002
有明海の人工島、初島=昭和36年10月23日初島【三井三池鉱】003
大牟田商議所が近代化遺産としての活用を市に要望した初島初島と有明海のノリヒビ
人工島・初島とノリヒビ=1965(昭和40)年12月、大牟田市沖の有明海(本社機から)北渓井坑跡【高島炭鉱】
高島炭鉱・北渓井坑跡=2014(平成26)年3月19日古河目尾鉱
古河目尾(しゃかのお)鉱=福岡県鞍手郡小竹町古河目尾鉱の遺構
古河目尾炭鉱跡地から出土した2本の土管など排水施設四山坑【三井三池鉱】
三井三池炭鉱四山坑=1956(昭和31)年3月、大牟田市四山坑と炭住【三井三池鉱】
三井三池炭鉱四山坑と炭住=1956(昭和31)年3月、大牟田市四山鉱と炭住【三井三池鉱】
三井三池炭鉱四山鉱と炭住=昭和31年3月、大牟田市四山鉱跡
三井三池四山鉱の跡地=1997(平成9)年12月3日、荒尾市(本社ヘリから)四山鉱跡、三池港001
旧四山鉱(手前)と三池港=1997(平成9)年2月12日、荒尾市(本社ヘリから)四山鉱跡、三池港002
旧四山鉱(手前)と三池港=1997(平成9)年2月12日、荒尾市(本社ヘリから)四山鉱跡、三池港003
旧四山鉱(手前)と三池港=1997(平成9)年2月12日、荒尾市(本社ヘリから)四山鉱跡、三池港004
旧四山鉱(中央左)と三池港=1997(平成9)年2月12日、荒尾市(本社ヘリから)国鉄志免炭鉱001
海軍炭鉱時代=福岡県粕屋郡国鉄志免炭鉱002
国鉄志免炭鉱=昭和34年4月26日、福岡県粕屋郡国鉄志免鉱業所
閉山を迎える国鉄志免鉱業所=福岡県須恵町旅石坑夫像【高島炭鉱】
閉山を前にした三菱高島炭鉱のシンボル「坑夫像」=昭和61年11月18日、長崎県西彼杵郡高島町大浦坑跡記念碑【三井三池鉱】
三池炭鉱大浦斜坑跡の記念碑=大牟田市大牟田川と工場群001
大牟田川(中央)と横須の工場群(左下)浅牟田の工場群(中央上)=1953(昭和28)年3月22日、大牟田市大牟田市街から第2人工島
大牟田市上空から第二人工島方面を望む=1966(昭和41)年3月宮原坑跡【三井三池鉱】
福岡県大牟田市が世界遺産登録を目指す旧三井三池炭鉱の「宮原坑跡」宮浦坑【三井三池鉱】
宮浦坑=1956(昭和31)年3月宮浦坑と周辺工場【三井三池鉱】
三井三池炭鉱宮浦坑と周辺の工場群=1960(昭和35)年6月2日、大牟田市(本社機から)宮浦坑跡【三井三池鉱】
三井三池炭鉱宮浦坑跡=1993(平成5)年9月21日、大牟田市宮浦鉱と周辺の工場群【三井三池鉱】
三井三池炭鉱宮浦鉱と周辺の工場群=昭和35年6月2日、大牟田市(本社機から)山本作兵衛001
ヤマの絵師。筑豊の炭鉱を描く。「明治大正炭鉱絵巻」を手にする山本さん。昭和59年12月没=昭和38年9月頃山本作兵衛002
炭鉱画家の山本作兵衛さん(筑豊)山本作兵衛003
山本作兵衛氏=1966(昭和41)年1月頃山本作兵衛004
ヤマの絵師・山本作兵衛(福岡・筑豊)(昭和59年12月没)山本作兵衛005
田川のヤマ男。画文集を出版した田川市弓削田の山本作兵衛さん(80)山本作兵衛006
ヤマの絵師。昭和59年12月没=1977(昭和52)年10月頃山本作兵衛007
ヤマの絵師・山本作兵衛さん。自宅の仕事部屋(昭和59年12月没)=昭和56年頃山本作兵衛008
ヤマの絵師。昭和59年12月没=撮影日不明志免炭鉱のぼた山001
旧国鉄志免炭鉱のボタ山=1984(昭和59)年、福岡県粕屋郡志免町(本社機から)志免炭鉱のぼた山002
国鉄志免炭鉱のボタ山=1986(昭和61)年、福岡県粕屋郡志免町(本社機から)志免炭鉱のぼた山003
国鉄志免炭鉱のボタ山=1986(昭和61)年、福岡県粕屋郡志免町(本社機から)志免炭鉱のぼた山004
国鉄志免炭鉱のボタ山=1992(平成4)年12月4日、福岡県粕屋郡志免町(本社機から)志免炭鉱のぼた山005
旧国鉄志免炭鉱のボタ山=1998(平成10)年11月6日、福岡県粕屋郡(本社ヘリから)志免炭鉱のぼた山006
旧国鉄志免炭鉱のボタ山=1998(平成10)年11月6日、福岡県粕屋郡(本社ヘリから)志免炭鉱のぼた山007
旧国鉄志免炭鉱のボタ山。中央は竪坑櫓=1998(平成10)年11月6日、福岡県粕屋郡(本社ヘリから)志免炭鉱のぼた山008
旧国鉄志免炭鉱のボタ山。右下は竪坑櫓=1998(平成10)年11月6日、福岡県粕屋郡(本社ヘリから)志免炭鉱の竪坑櫓001
旧国鉄志免炭鉱のボタ山と立て坑櫓=2000(平成12)年3月30日、福岡県志免町(本社ヘリから)志免炭鉱の竪坑櫓002
旧国鉄志免炭鉱のボタ山と立て坑櫓=2000(平成12)年3月30日、福岡県志免町(本社ヘリから)志免炭鉱の竪坑櫓003
旧国鉄志免炭鉱のボタ山と立て坑櫓=2000(平成12)年3月30日、福岡県志免町(本社ヘリから)志免炭鉱の竪坑櫓004
旧国鉄志免炭鉱のボタ山と立て坑櫓(中央左)=2001(平成13)年1月28日、福岡県志免町(本社ヘリから)志免炭鉱の竪坑櫓005
旧国鉄志免炭鉱のボタ山と立て坑櫓(中央)=2001(平成13)年1月28日、福岡県志免町(本社ヘリから)志免炭鉱の竪坑櫓006
旧志免炭鉱の立て坑櫓の周囲に完成した遊歩道=2006(平成18)年9月、福岡県志免町(本社ヘリから)志免炭鉱竪坑櫓
志免町(中央は志免炭鉱)=1957(昭和32)年、福岡県粕屋郡(本社機から)志免炭鉱001
閉山した国鉄志免炭鉱=1964(昭和39)年6月12日、福岡県粕屋郡(本社機から)志免炭鉱002
閉山した国鉄志免炭鉱=1964(昭和39)年6月12日、福岡県粕屋郡(本社機から)志免炭鉱003
閉山した国鉄志免炭鉱=1964(昭和39)年6月12日、福岡県粕屋郡(本社機から)志免炭鉱004
閉山した国鉄志免炭鉱=1964(昭和39)年6月12日、福岡県粕屋郡(本社機から)志免炭鉱005
志免炭鉱=1970(昭和45)年5月16日、福岡県粕屋郡志免町(本社機から)志免炭鉱006
志免炭鉱=1970(昭和45)年5月16日、福岡県粕屋郡志免町(本社機から)新川石炭積出場
上空から見た新川石炭積出場=1954(昭和29)年8月、福岡県戸畑市方城炭鉱
70年の歴史を閉じる方城炭鉱=福岡県田川郡方城町日本一長いという海底水道【高島炭鉱】
日本一長いという海底水道=長崎県西彼杵郡高島町日炭高松炭鉱
先山切羽に向かって実地指導をうける養成工員たち=福岡県水巻町日鉄二瀬鉱
本部前に積み上げられた貯炭=福岡県飯塚市二瀬町日鉄人工島001
日鉄鉱業の人工島=1960(昭和35)年11月11日、福岡県高田町沖の有明海(本社機から)日鉄人工島002
日鉄鉱業の人工島=1960(昭和35)年11月11日、福岡県高田町沖の有明海(本社機から)日鉄人工島003
干拓事業で陸続きとなる日鉄鉱業有明鉱の人工島=1962(昭和37)年、福岡県高田町沖の有明海(本社機から)日鉄人工島004
干拓事業で陸続きとなる日鉄鉱業有明鉱の人工島=1962(昭和37)年、福岡県高田町沖の有明海(本社機から)日鉄人工島005
日鉄鉱業有明鉱(右)=1964(昭和39)年12月12日、福岡県高田町(本社機から)旧三川電鉄変電所
サンデン本社に生まれ変わった旧三川電鉄変電所=2006(平成18)年5月25日旧宮原坑の第二竪坑櫓【三井三池鉱】
三井三池炭鉱旧宮原坑の第二竪坑櫓(中央)=1997(平成9)年2月12日、大牟田市(本社ヘリから)早良炭鉱ボタ山
早良炭鉱ボタ山。手前は社宅。福岡市西区姪浜町で=1959(昭和34)年8月26日早良炭鉱跡
早良炭鉱跡の埋め立て地=福岡市西区姪浜町明治鉱業高田鉱
会社が廃山を通告した明治鉱業高田鉱昭和天皇 九州路ご視察【三井三池鉱】
九州路の昭和天皇。三池炭鉱三川坑で=1949(昭和24)年5月29日昭和天皇 採炭状況を視察される【三井三池鉱】
三池炭鉱三川鉱切羽で採炭状況を視察される昭和天皇昭和20年代の端島炭鉱【軍艦島】
軍艦島とよばれた端島炭鉱=昭和20年代昭和20年代の軍艦島
端島全景(軍艦島)=1954(昭和29)年8月昭和20年代の高層アパート【軍艦島】
三菱端島炭鉱の高層アパート=1947(昭和22)年5月21日、長崎県高島町昭和30年代のアパート群【軍艦島】001
三菱端島炭鉱の炭鉱労働者が住むアパート群=1956(昭和31)年4月5日、長崎県高島町昭和30年代のアパート群【軍艦島】002
三菱端島炭鉱の炭鉱労働者が住むアパート群=1956(昭和31)年4月5日、長崎県高島町昭和30年代のアパート群【軍艦島】003
三菱端島炭鉱の炭鉱労働者が住むアパート群=1956(昭和31)年4月5日、長崎県高島町昭和30年代のアパート群【軍艦島】004
三菱端島炭鉱の炭鉱労働者が住むアパート群=1956(昭和31)年4月5日、長崎県高島町昭和30年代のアパート群【軍艦島】005
三菱端島炭鉱の炭鉱労働者が住むアパート群=1956(昭和31)年4月5日、長崎県高島町昭和30年代のアパート群【軍艦島】006
三菱端島炭鉱の炭鉱労働者が住むアパート群=1956(昭和31)年4月5日、長崎県高島町昭和30年代のアパート群【軍艦島】007
三菱端島炭鉱の炭鉱労働者が住むアパート群=1956(昭和31)年4月5日、長崎県高島町昭和30年代の端島炭鉱【軍艦島】001
海底880メートルに通ずる第二竪坑坑道=1956(昭和31)年4月5日、長崎県高島町昭和30年代の端島炭鉱【軍艦島】002
三菱端島炭鉱(やぐら)=1956(昭和31)年4月5日、長崎県高島町昭和30年代の端島炭鉱【軍艦島】003
三菱端島炭鉱(端島の外周)=1956(昭和31)年4月5日、長崎県高島町昭和30年代の端島炭鉱【軍艦島】004
三菱端島炭鉱=1956(昭和31)年4月5日、長崎県高島町昭和30年代の端島炭鉱【軍艦島】005
三菱端島炭鉱(煙突)=1956(昭和31)年4月5日、長崎県高島町昭和30年代の端島炭鉱【軍艦島】006
三菱端島炭鉱=1956(昭和31)年4月5日、長崎県高島町(本社機から)昭和30年代の端島炭鉱【軍艦島】007
三菱端島炭鉱(やぐらと神社)=1956(昭和31)年4月5日、長崎県高島町昭和30年代の端島炭鉱【軍艦島】008
端島(軍艦島)。小中学校か=1957(昭和32)年11月15日(本社機から)昭和30年代の端島炭鉱【軍艦島】009
三菱端島炭鉱=1963(昭和38)年9月25日(本社機から)昭和30年代・広場で開かれる市場【軍艦島】
端島の広場で開かれる市場=1956(昭和31)年4月5日、長崎県高島町昭和30年代・端島の子どもたち【軍艦島】001
端島の子供たち=1956(昭和31)年4月5日、長崎県高島町昭和30年代・端島の子どもたち【軍艦島】002
端島の子供たち=1956(昭和31)年4月5日、長崎県高島町有明海のノリ漁場001
有明海のノリ漁場=1997(平成9)年2月12日、福岡県高田町(本社ヘリから)東洋一を誇る竪坑やぐらと石炭積み込み【軍艦島】
東洋一を誇る竪坑やぐらと石炭積み込み=1950(昭和25)年5月、長崎県高島町端島江迎炭鉱のボタ山崩れ
大雨で江迎炭鉱のボタ山が崩れ、押しつぶされた道路や炭鉱住宅=1962(昭和37)年7月9日池島の玉屋ストア
長崎県西彼杵郡外海町の池島にあった唯一のストア、玉屋ストア=昭和35年6月頃池島炭鉱のアパート001
松島炭鉱池島鉱の従業員アパート=昭和48年11月13日、長崎県外海町池島炭鉱のアパート002
池島の炭鉱アパート=1997(平成9)年10月10日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱閉山
最後の採炭を終え、昇坑する鉱員たち=2001(平成13)年11月29日午前6時すぎ、長崎県外海町の池島炭鉱池島炭鉱001
(松島炭鉱)池島炭鉱=長崎県西彼杵郡外海町、1960(昭和35)年5月12日池島炭鉱002
(松島炭鉱)池島炭鉱=1962(昭和37)年12月29日池島炭鉱003
空から見た池島鉱の全景=1972(昭和47)年8月、長崎県西彼杵郡外海町池島炭鉱004
ドラムカッターがうなりをあげる池島坑内=1974年1月撮影池島炭鉱005
炭坑の島・池島=1980(昭和55)年12月22日、長崎県西彼杵郡外海町(本社機から)池島炭鉱006
炭坑の島・池島=1980(昭和55)年12月22日、長崎県西彼杵郡外海町(本社機から)池島炭鉱007
炭坑の島・池島=1980(昭和55)年12月22日、長崎県西彼杵郡外海町(本社機から)池島炭鉱008
炭坑の島・池島=1980(昭和55)年12月22日、長崎県西彼杵郡外海町(本社機から)池島炭鉱009
池島=1982(昭和57)年5月20日、長崎県西彼杵郡外海町(本社機から)池島炭鉱010
松島鉱業所池島炭鉱=1991(平成3)年3月30日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱011
松島鉱業所池島炭鉱=1991(平成3)年3月30日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱012
松島鉱業所池島炭鉱=1991(平成3)年3月30日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱013
松島鉱業所池島炭鉱=1991(平成3)年3月30日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱014
池島=1997(平成9)年10月10日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱015
池島=1997(平成9)年10月10日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱016
池島=1997(平成9)年10月10日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱017
池島=1997(平成9)年10月10日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱018
池島=1997(平成9)年10月10日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱019
池島=1997(平成9)年10月10日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱020
池島=1997(平成9)年10月10日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱021
池島=1997(平成9)年10月10日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱022
池島炭鉱=1997(平成9)年10月10日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱023
池島炭鉱=1997(平成9)年10月10日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱024
池島の炭鉱アパート=1997(平成9)年10月10日、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱025
九州で唯一採炭を続ける池島炭鉱=1997(平成9)年10月、長崎県外海町池島(本社ヘリから)池島炭鉱026
池島炭鉱のある長崎県外海町の池島=1997(平成9)年10月(本社ヘリから)池島炭鉱027
池島炭鉱=1997(平成9)年10月、長崎県外海町(本社ヘリから)池島炭鉱028
池島炭鉱のある長崎県外海町の池島=1997(平成9)年10月(本社ヘリから)池島炭鉱029
池島炭鉱=2013(平成25)年12月15日、長崎市沖炭住アパート【高島炭鉱】
来春までに解体される三菱高島炭鉱の炭住アパート=1996(平成8)年11月26日、長崎県高島町炭鉱の女子鉱員
太平洋戦争で男は戦場へ。銃後の守りは女にゆだねられた。炭鉱王 高取伊好
炭鉱王といわれた高取伊好=撮影日不明炭鉱社宅の共同水道【三井三池鉱】
三池炭鉱社宅の共同水道=四山社宅炭鉱鉄道の電気機関車
1937年製で三池炭鉱の石炭運搬にも活躍した電気機関車が現役で稼働している=大牟田市旭町3丁目の踏切炭鉱電車と浅牟田の工場群
炭鉱電車(下)と浅牟田の工場群=1997(平成9)年2月12日、大牟田市(本社ヘリから)炭鉱電車(三池鉄道)
三井三池鉄道旭町支線宮浦停車場付近=1989(平成元)年2月4日、大牟田市烏帽子坑跡(天草炭田)
天草炭田烏帽子坑跡。天草炭田の無煙炭は明治期に、海軍が軍艦の燃料として注目田川の炭鉱住宅街
松原の炭住街=1980(昭和55)年12月、福岡県田川市(本社機から)田川坑の二本煙突
田川坑の二本煙突=1980(昭和55)年12月8日田川坑の伊加利竪坑
田川坑の伊加利竪坑=1955(昭和30)年1月5日田川坑第三坑
炭坑節で知られた煙突がある第三坑。手前は炭住街=1959(昭和34)年8月12日田川市石炭・歴史博物館001
田川市石炭・歴史博物館=1998(平成10)年3月2日、福岡県田川市(本社ヘリから)田川市石炭・歴史博物館002
田川市石炭・歴史博物館=1998(平成10)年3月2日、福岡県田川市(本社ヘリから)田川市石炭・歴史博物館003
田川市石炭・歴史博物館=1998(平成10)年3月2日、福岡県田川市(本社ヘリから)田川市石炭記念公園
田川市の竪坑櫓と二本煙突。煙突には改修工事の足場が組んであり、さながらツインタワーのようだ=2007年11月端島(軍艦島)の取材をする韓国KBSスタッフ
端島(軍艦島)の取材をする韓国KBSスタッフ=1989(平成元)年6月28日、長崎県竹之迫炭鉱
竹之迫炭鉱の坑口=熊本県天草郡苓北町都呂々、1961(昭和36)年7月27日第三人工島【三井三池鉱】001
三井三池炭鉱が大牟田市沖の有明海に建設中の第三人工島「三池島」=1969(昭和44)年12月14日第三人工島【三井三池鉱】002
三井三池炭鉱が大牟田市沖の有明海に建設中の第三人工島「三池島」=1969(昭和44)年12月14日第三人工島【三井三池鉱】003
第3の人工島「三池島」=1997(平成9)年2月12日、大牟田市沖の有明海(本社ヘリから)第三人工島【三井三池鉱】004
第3の人工島「三池島」=1997(平成9)年2月12日、大牟田市沖の有明海(本社ヘリから)第二人工島【三井三池鉱】001
三井三池炭鉱の第二人工島=1960(昭和35)年6月2日、大牟田市(本社機から)第二人工島【三井三池鉱】002
三井三池炭鉱の第二人工島=1960(昭和35)年6月2日、大牟田市(本社機から)第二人工島【三井三池鉱】003
三井三池炭鉱の第二人工島=1960(昭和35)年6月2日、大牟田市(本社機から)第二人工島【三井三池鉱】004
三井三池炭鉱の第二人工島=1961(昭和36)年頃、大牟田市の三池港南側の埋立地(本社機から)第二人工島【三井三池鉱】005
三井三池炭鉱の第2人工島=昭和36年頃、大牟田市の三池港南側の埋立地(本社機から)第二人工島【三井三池鉱】006
三井三池炭鉱の第2人工島=昭和36年頃、大牟田市の三池港南側の埋立地(本社機から)第二人工島【三井三池鉱】007
三池港横の第二人工島=1964(昭和39)年12月12日、大牟田市沖(本社機から)第二人工島【三井三池鉱】008
三井三池炭鉱の第2人工島と三池港=1964(昭和39)年12月12日、大牟田市(本社機から)第二人工島【三井三池鉱】009
三井三池炭鉱の第2人工島と三池港=1964(昭和39)年12月12日、大牟田市(本社機から)蛎瀬坑【高島炭鉱】001
三菱・高島炭鉱の蛎瀬(かきせ)立て坑=昭和61年4月22日、長崎県高島町蛎瀬坑【高島炭鉱】002
閉山が濃厚になった三菱高島鉱の蛎瀬坑=長崎県西彼杵郡高島町貝島炭鉱の露天掘り跡001
貝島炭鉱の露天掘り跡=1993(平成5)年11月19日、福岡県鞍手郡宮田町(本社機から)貝島炭鉱の露天掘り跡002
貝島炭鉱の露天掘り跡=1993(平成5)年11月19日、福岡県鞍手郡宮田町(本社機から)貝島炭鉱の露天掘り001
貝島炭鉱の露天掘り=1967(昭和42)年10月25日、福岡県鞍手郡宮田町(本社機から)貝島炭鉱の露天掘り002
貝島炭鉱の露天掘り=1967(昭和42)年10月25日、福岡県鞍手郡宮田町(本社機から)貝島炭鉱跡001
宮田町の貝島大之浦炭鉱跡=1981(昭和56)年8月20日、福岡県鞍手郡(本社機から)貝島炭鉱跡002
宮田町の貝島大之浦炭鉱跡=1981(昭和56)年8月20日、福岡県鞍手郡(本社機から)貯炭場
若松の貯炭場と石炭船=1959(昭和34)年8月21日、北九州・若松(本社機から)軍艦島の金比羅神社
高層建築の炭鉱には珍しい金比羅神社が=1950(昭和25)年7月、長崎県高島町端島閉山、別れの光景が続く高島港
閉山した三菱高島炭鉱を去る人と送る人たちの別れの光景が続く高島港=1987(昭和62)年3月7日閉山する端島炭鉱【軍艦島】
「軍艦島」端島炭鉱の閉山式=1974(昭和49)年1月15日閉山後の端島炭鉱(平成11年)【軍艦島】001
端島(軍艦島)のアパート=1999(平成11)年7月17日、長崎県閉山後の端島炭鉱(平成11年)【軍艦島】002
端島(軍艦島)のアパート=1999(平成11)年7月17日、長崎県閉山後の端島炭鉱(平成11年)【軍艦島】003
端島(軍艦島)のアパート=1999(平成11)年7月17日、長崎県閉山後の端島炭鉱(平成11年)【軍艦島】004
端島(軍艦島)のアパート=1999(平成11)年7月17日、長崎県閉山後の端島炭鉱(平成12年)【軍艦島】
軍艦島=2000(平成12)年12月9日、長崎県高島町(本社ヘリから)閉山後の端島炭鉱(平成17年)【軍艦島】001
1916年に建設された日本で一番古いとされる鉄筋コンクリートの建物(右)。社宅として使われていた閉山後の端島炭鉱(平成17年)【軍艦島】002
鉱員社宅跡。材木やコンクリート片が散らばる建物の間には雑草や木が茂っていた=2005(平成17)年8月頃閉山後の端島炭鉱(平成17年)【軍艦島】003
積み出し前の石炭が置かれていた貯炭場跡=2005(平成17)年8月頃閉山後の端島炭鉱(平成18年)【軍艦島】
かつて炭鉱労働者が住んでいたアパートが立ち並ぶ端島(通称・軍艦島)=2006(平成18)年10月25日閉山後の端島炭鉱(平成20年頃)【軍艦島】
「観光資源」としてよみがえる長崎市沖合の端島(通称・軍艦島)閉山後の端島炭鉱(平成21年)【軍艦島】
整備された「ドルフィン桟橋」(手前)から端島(通称・軍艦島)に上陸する一般観光客閉山後の端島炭鉱(平成25年)【軍艦島】001
風化が進む端島。コンクリートの建物は崩れ、がれきが地面を覆っていた=2013(平成25)年頃閉山後の端島炭鉱(平成25年)【軍艦島】002
人が去った端島には、静かな時間だけが流れていた=2013(平成25)年12月4日閉山後の端島炭鉱(平成25年)【軍艦島】003
世界文化遺産推薦が決まった「明治日本の産業革命 遺産 九州・山口と関連地域」の構成施設の端島(通称・軍艦島)閉山後の端島炭鉱(平成4年)【軍艦島】001
荒れ果てた軍艦島(アパート)=1992(平成4)年6月18日、長崎県高島町閉山後の端島炭鉱(平成4年)【軍艦島】002
荒れ果てた軍艦島=1992(平成4)年6月18日、長崎県高島町閉山後の端島炭鉱(平成4年)【軍艦島】003
荒れ果てた軍艦島(アパート)=1992(平成4)年6月18日、長崎県高島町閉山後の端島炭鉱(昭和61年)【軍艦島】001
島内の風景(出炭速報)=1986(昭和61)年10月26日、長崎県西彼杵郡高島町閉山後の端島炭鉱(昭和61年)【軍艦島】002
島内の風景(学校か)=1986(昭和61)年10月26日、長崎県西彼杵郡高島町閉山後の端島炭鉱(昭和61年)【軍艦島】003
島内の風景(アパート)=1986(昭和61)年10月26日、長崎県西彼杵郡高島町閉山後の端島炭鉱(昭和61年)【軍艦島】004
島内の風景(賃金支払窓口)=1986(昭和61)年10月26日、長崎県西彼杵郡高島町閉山後の端島炭鉱(昭和61年)【軍艦島】005
島内の風景(クレーン)=1986(昭和61)年10月26日、長崎県西彼杵郡高島町閉山後の端島炭鉱(昭和61年)【軍艦島】006
島内の風景=1986(昭和61)年10月26日、長崎県西彼杵郡高島町閉山後の端島炭鉱(昭和61年)【軍艦島】007
島内の風景(アパート)=1986(昭和61)年10月26日、長崎県西彼杵郡高島町閉山後の端島炭鉱(昭和61年)【軍艦島】008
島内の風景(アパート)=1986(昭和61)年10月26日、長崎県西彼杵郡高島町閉山後の端島炭鉱(昭和61年)【軍艦島】009
島内の風景(アパート)=1986(昭和61)年10月26日、長崎県西彼杵郡高島町飯塚市街地006
空から見た飯塚市街地。遠賀川の流れの向こうにぼた山「筑豊富士」が見える=2014(平成26)年3月高島南部の二子地区【高島炭鉱】
三菱高島鉱の立坑や石炭積み出し港があった高島南部の二子地区=平成8年11月26日、長崎県高島町高島炭鉱の坑内火災
坑内火災が発生した三菱高島炭鉱=1985(昭和60)年4月24日、長崎県高島町(本社ヘリ)高島炭鉱の発電所付近
高島鉱・発電所付近高島炭鉱の立て坑
高島炭鉱・東洋一の立て坑=1962(昭和37)年3月7日高島炭鉱旧炭住 白煙を上げ倒壊
昭和61年に高島炭鉱が閉山。白煙を上げ倒壊する6階建ての旧炭住=1988(昭和63)年10月頃高島炭鉱空撮
三菱高島炭鉱=長崎県西彼杵郡高島町高島炭鉱(全景)
三菱高島炭鉱=1963(昭和38)年9月25日、長崎県西彼杵郡高島町(本社機から)魚貫炭鉱
閉山が決まった魚貫鉱業所丸山坑=熊本県牛深市魚貫町、1970(昭和45)年4月15日黒菓子 炭都で競演
ズラリと並ぶ大牟田市の真っ黒お菓子。見た目はインパクトたっぷりでも、味は優しく繊細