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鹿児島県
タンカー・出光丸001
出光丸=1967(昭和42)年1月23日、鹿児島県佐多岬沖(本社機から)タンカー・出光丸002
出光丸=1967(昭和42)年1月23日、鹿児島県佐多岬沖(本社機から)ナポリ通り
ナポリ通り。上方は西鹿児島駅=1963(昭和38)年6月(航空写真)七ツ島メガソーラー発電所
国内最大級の規模を持つ鹿児島七ツ島メガソーラー発電所。奥は桜島=2013(平成25)年11月4日、鹿児島市与論島
与論島(手前)上空から沖縄本島を望む=1962(昭和37)年1月与論空港
与論空港=1976(昭和51)年3月、大島郡与論町(航空写真)串木野市001
串木野漁港と串木野市=1954(昭和29)年1月(本社機から)串木野市002
串木野市=1956(昭和31)年11月、鹿児島県(本社機から)串木野市003
串木野市=1956(昭和31)年11月、鹿児島県(本社機から)九州新幹線 川内市内を試運転
試運転で川内市内を走る九州新幹線=平成15年9月22日午前10時半すぎ、鹿児島県川内市(本社ヘリから)九州新幹線「つばめ」004
連なるトンネルを抜けて疾走する九州新幹線「つばめ」(手前)=2004(平成16)年3月13日午前8時50分九州新幹線「つばめ」005
桜島をバックに鹿児島中央駅を出る九州新幹線つばめ=2004(平成16)年3月13日午前8時18分九州新幹線試運転001
九州新幹線の走行試験で川内市内を走る「つばめ」=2003(平成15)年9月22日、鹿児島県川内市九州新幹線試運転002
試運転で鹿児島県川内市内を走る九州新幹線=2003(平成15)年9月22日午前10時すぎ(本社ヘリから)九州新幹線試運転003
試運転で川内市内を走る九州新幹線=2003(平成15)年12月22日、鹿児島県川内市(本社ヘリから)佐多岬、開聞岳
佐多岬(中央)と開聞岳(中央上)=1956(昭和31)年12月25日、鹿児島県(本社機から)佐多岬灯台
海から見た佐多岬灯台=1968(昭和43)年4月、肝属郡佐多町(航空写真)佐多岬001
佐多岬=1956(昭和31)年12月25日、鹿児島県肝属郡佐多町(本社機から)佐多岬002
佐多岬=1957(昭和32)年3月、肝属郡佐多町(航空写真)佐多岬003
佐多岬=1970(昭和45)年12月15日、鹿児島県(本社機から)佐多岬004
佐多岬=1970(昭和45)年12月15日、鹿児島県(本社機から)内之浦宇宙空間観測所001
ロケット発射基地予定地の鹿児島県内之浦=1961(昭和36)年11月、鹿児島県(本社機から)内之浦宇宙空間観測所002
東大宇宙空間観測所の着工を祝う「ロケット」の人文字=1962年2月2日、鹿児島県内之浦町(本社機から)内之浦宇宙空間観測所003
東大宇宙空間観測所の着工を祝う「ロケット」の人文字=1962年2月2日、鹿児島県内之浦町(本社機から)内之浦宇宙空間観測所004
東大宇宙空間観測所の着工を祝う「ロケット」の人文字=1962年2月2日、鹿児島県内之浦町(本社機から)内之浦宇宙空間観測所005
工事が進む内之浦の東大宇宙空間観測所=1962(昭和37)年2月2日、鹿児島県(本社機から)内之浦宇宙空間観測所006
工事が進む内之浦の東大宇宙空間観測所=1962(昭和37)年2月2日、鹿児島県(本社機から)内之浦宇宙空間観測所007
工事が進む内之浦の東大宇宙空間観測所=1962(昭和37)年2月2日、鹿児島県(本社機から)内之浦宇宙空間観測所008
工事が進む内之浦の東大宇宙空間観測所=1962(昭和37)年2月2日、鹿児島県(本社機から)内之浦宇宙空間観測所009
内之浦ロケット基地=1968(昭和43)年9月9日、鹿児島県内之浦町(本社機から)内之浦宇宙空間観測所010
内之浦のロケット基地=1968(昭和43)年11月、鹿児島県肝属郡内之浦町(本社機から)内之浦宇宙空間観測所011
内之浦のロケット基地=1968(昭和43)年11月、鹿児島県肝属郡内之浦町(本社機から)内之浦宇宙空間観測所012
内之浦のロケット基地=1968(昭和43)年11月、鹿児島県肝属郡内之浦町(本社機から)内之浦町
内之浦町=1967(昭和42)年1月23日、鹿児島県肝属郡(本社機から)出水市市役所付近
出水市市役所付近(本社機から)=1954(昭和29)年4月出水市001
出水地区全景=1957(昭和32)年1月(航空写真)出水市002
出水市街地全景=1964(昭和39)年1月(航空写真)加世田市001
加世田市=1956(昭和31)年11月、鹿児島県(本社機から)加世田市002
加世田市=1956(昭和31)年11月、鹿児島県(本社機から)原良団地
造成が終わった原良団地。手前向こうは錦江湾と桜島=1971(昭和46)年1月(航空写真)名瀬市
名瀬市街地。まだ板ぶき屋根が多い=撮影日不明(航空写真)名瀬市の大火001
焦土と化した名瀬市街地=1955(昭和30)年12月3日、鹿児島県・奄美(本社機から)名瀬市の大火002
焦土と化した名瀬市街地=1955(昭和30)年12月3日、鹿児島県・奄美(本社機から)名瀬市の大火003
名瀬市の大火で焼失した家屋など=1955(昭和30)年12月3日、鹿児島県・奄美大島(本社機から)名瀬市の大火004
名瀬市の大火で焼失した家屋など=1955(昭和30)年12月3日、鹿児島県・奄美大島(本社機から)名瀬市の大火005
名瀬市の大火で焦土と化した市街地=1955(昭和30)年12月3日、鹿児島県奄美大島(本社機から)名瀬市の大火006
名瀬大火(昭和30年12月3日)直後の焦土と化した市街地と港=1955(昭和30)年(航空写真)名瀬港 奄美大島本土復帰001
本土復帰した奄美大島の名瀬港=1953(昭和28)年12月25日、鹿児島県名瀬市(本社機から)名瀬港 奄美大島本土復帰002
本土復帰した奄美大島の名瀬港=1953(昭和28)年12月25日、鹿児島県名瀬市(本社機から)名瀬港 奄美大島本土復帰003
本土復帰を祝う名瀬市民ら=1953(昭和28)年12月25日、鹿児島県・奄美大島(本社機から)喜入石油基地
喜入石油基地。左上は桜島=1970(昭和45)年12月15日、鹿児島県揖宿郡喜入町(本社機から)国分市001
国分市(手前)と桜島=1956(昭和31)年11月(本社機から)国分市002
国分市街地。手前は京セラ国分工場=1982(昭和57)年7月(航空写真)国分市003
国分市市街全景=1991(平成3)年12月(航空写真)大口市
大口市=1956(昭和31)年11月、鹿児島県(本社機から)大正溶岩道路と桜島
西桜島村の大正溶岩道路と桜島=1964(昭和39)年1月(航空写真)奄美大島001
奄美大島=1954(昭和29)年3月、鹿児島県(本社機から)奄美大島002
奄美大島=1954(昭和29)年3月、鹿児島県(本社機から)奄美大島003
奄美大島=1954(昭和29)年3月、鹿児島県(本社機から)宇治群島
空から見た宇治群島。手前が家島、後方が向島=1960(昭和35)年6月、川辺郡笠沙町安房港001
安房港と安房の町=1975(昭和50)年10月、熊毛郡屋久町(航空写真)安房港002
安房港と町、屋久の山なみ=1975(昭和50)年10月、熊毛郡屋久町(航空写真)宝島
空から見た宝島=1957(昭和32)年7月、十島村宮之浦港
宮之浦港と市街地=1975(昭和50)年10月、熊毛郡上屋久町(航空写真)屋久島空港
屋久島空港全景=1975(昭和50)年10月、熊毛郡上屋久町(航空写真)屋久島001
屋久島=1956(昭和31)年12月25日、鹿児島県熊毛郡(本社機から)屋久島002
屋久島=1956(昭和31)年12月25日、鹿児島県熊毛郡(本社機から)屋久島003
佐多岬上空から屋久島を望む=1970(昭和45)年12月15日、鹿児島県(本社機から)屋久島004
屋久島全景=1973(昭和48)年9月(航空写真)川内原発001
空から見た川内原発。中央左が1号機。右隣りが2号機の建設が進んでいる=1983(昭和58)年8月川内原発002
1年間停止したままだった川内原発。再稼働をめぐる論議は尽きない=2012(平成24)年2月27日川内原発003
再稼働の前提となる安全審査の「合格」に最も近づいた九州電力の川内原発1、2号機=2012年2月27日川内原発004
川内原発=2012(平成24)年2月27日午前10時41分、鹿児島県薩摩川内市(本社ヘリから)川内市市制施行
市制施行の川内市・市街地=1940(昭和15)年3月(航空写真)川内市街地001
川内市街地と中央は川内川=1954(昭和29)年1月7日(本社機から)川内市街地002
川内市街地と中央は川内川=1954(昭和29)年1月7日(本社機から)川内市001
川内川(中央)と川内市=1956(昭和31)年11月、鹿児島県(本社機から)川内市002
川内川(中央)と川内市=1956(昭和31)年11月、鹿児島県(本社機から)川内市003
川内川(中央)と川内市=1956(昭和31)年11月、鹿児島県(本社機から)川内市004
川内川を中心とする市街地=1958(昭和33)年1月(航空写真)川内市005
川内市=1959(昭和34)年11月、鹿児島県(本社機から)志布志港
志布志港=1978(昭和53)年1月、志布志湾上空のヘリから志布志湾、東串良
志布志湾(上方)。手前は東串良の漁船の船だまり=1978(昭和53)年1月、高山町波見の上空から撮影志布志湾に注ぐ安楽川
志布志湾に注ぐ安楽川下流=1955(昭和30)年9月、曽於郡志布志町(航空写真)志布志湾002
志布志湾全景=1983(昭和58)年10月、鹿児島県(航空写真)志布志町001
鹿児島県曽於郡志布志町=1964(昭和39)年12月10日(本社機から)志布志町002
鹿児島県曽於郡志布志町=1964(昭和39)年12月10日(本社機から)志布志町003
志布志町=1968(昭和43)年11月、鹿児島県曽於郡(本社機から)志布志町004
志布志町=1981(昭和56)年10月2日、鹿児島県曾於郡(本社機から)志布志町005
志布志町=1981(昭和56)年10月2日、鹿児島県曾於郡(本社機から)指宿市
指宿市=1956(昭和31)年12月25日(本社機から)指宿枕崎線開通001
1963(昭和38)年10月31日に開通列車が走った国鉄指宿-枕崎線=鹿児島県指宿枕崎線開通002
開通した国鉄の指宿-枕崎線=1963(昭和38)年10月31日、鹿児島県(本社機から)指宿枕崎線開通003
開通した国鉄の指宿-枕崎線=1963(昭和38)年10月31日、鹿児島県(本社機から)指宿枕崎線開通004
開通した国鉄の指宿-枕崎線=1963(昭和38)年10月31日、鹿児島県(本社機から)指宿枕崎線開通005
開通した国鉄の指宿枕崎線=1963(昭和38)年10月31日、鹿児島県(本社機から)指宿観光ホテル
指宿観光ホテル=1956(昭和31)年12月25日、鹿児島県指宿市(本社機から)新燃岳
激しく噴火する鹿児島、宮崎県境の霧島山・新燃岳=2011(平成23)年1月27日午後3時すぎ(本社ヘリから)新鹿児島空港001
新鹿児島空港建設=1970(昭和45)年12月15日、鹿児島県姶良郡溝辺町(本社機から)新鹿児島空港002
新鹿児島空港建設=1970(昭和45)年12月15日、鹿児島県姶良郡溝辺町(本社機から)日石喜入備蓄基地001
日本石油喜入備蓄基地=2000(平成12)年2月、鹿児島県喜入町(本社ヘリから)日石喜入備蓄基地002
日本石油喜入備蓄基地=2000(平成12)年2月、鹿児島県喜入町(本社ヘリから)日豊線の衝突現場
日豊線の急行列車と転落ダンプの衝突現場=1970(昭和45)年11月24日、鹿児島市(本社機から)枇榔島
枇榔島=1968(昭和43)年11月、鹿児島県曽於郡志布志町(本社機から)枕崎市001
枕崎市=1956(昭和31)年11月、鹿児島県(本社機から)枕崎市002
枕崎市=1956(昭和31)年11月、鹿児島県(本社機から)枕崎市003
枕崎市(手前)と開聞岳(中央上)=1956(昭和31)年11月、鹿児島県(本社機から)枕崎市004
鹿児島県枕崎市=1963(昭和38)年10月3日(本社機から)枕崎市005
枕崎港と枕崎市=1966(昭和41)年12月(航空写真)桜島、錦江湾
空から見た噴煙を上げる桜島と錦江湾。手前は垂水市=1980(昭和55)年4月(航空写真)桜島、開聞岳001
桜島(手前)と開聞岳(中央右)=1956(昭和31)年12月24日、鹿児島県(本社機から)桜島、開聞岳002
桜島(手前)と開聞岳(左上方)=1956(昭和31)年12月24日、鹿児島県(本社機から)桜島、鹿児島市
桜島(中央)と鹿児島市(左)=1956(昭和31)年12月25日(本社機から)桜島の噴火001
噴煙をあげる桜島=1955(昭和30)年10月4日、鹿児島県(本社機から)桜島の噴火002
噴煙をあげる桜島=1955(昭和30)年10月4日、鹿児島県(本社機から)桜島の噴火003
噴煙をあげる桜島=1955(昭和30)年10月4日、鹿児島県(本社機から)桜島の噴火004
噴煙をあげる桜島=1955(昭和30)年10月4日、鹿児島県(本社機から)桜島の噴火005
噴煙をあげる桜島=1955(昭和30)年10月4日、鹿児島県(本社機から)桜島の噴火006
噴火する桜島=1960(昭和35)年2月9日、鹿児島県(本社機から)桜島の噴火007
黒煙を噴く桜島の火口=1961(昭和36)年3月(上空から)桜島の噴火008
噴火警戒レベルが4に引き上げられた桜島。手前は避難対象地域となった有村町と古里町=2015年8月15日桜島の火口001
桜島の火口=1956(昭和31)年6月20日(本社機から)桜島の火口002
桜島の火口=1956(昭和31)年12月25日(本社機から)桜島の火口003
桜島の火口=1956(昭和31)年12月25日(本社機から)桜島噴火(昭和30年)
噴煙をあげる桜島=昭和30年10月4日、鹿児島県(本社機から)桜島001
桜島=1956(昭和31)年12月24日(本社機から)桜島002
桜島=1967(昭和42)年1月23日、鹿児島県(本社機から)桜島003
桜島=1967(昭和42)年1月23日、鹿児島県(本社機から)桜島004
桜島=1967(昭和42)年12月10日、鹿児島県(本社機から)桜島005
桜島=1967(昭和42)年12月10日、鹿児島県(本社機から)桜島006
桜島=1967(昭和42)年12月10日、鹿児島県(本社機から)桜島007
桜島全景。左上は鹿児島市街=1970(昭和45)年8月(航空写真)桜島008
霧島・韓国岳上空から桜島を望む=昭和45(1970)年11月5日(本社機から)桜島009
桜島=1970(昭和45)年12月15日、鹿児島県(本社機から)桜島010
桜島=1970(昭和45)年12月15日、鹿児島県(本社機から)桜島011
噴煙を上げる桜島(手前は鹿児島市街地)=1981(昭和56)年10月2日(本社機から)桜島012
鹿児島湾に浮かぶ桜島。その雄大な姿は鹿児島のシンボルとなっている。手前は鹿児島市街地=2010年3月桜島013
桜島=1963(昭和38)年、鹿児島県(本社機から)桜島014
桜島=1963(昭和38)年、鹿児島県(本社機から)桜島015
鹿児島市内から桜島を望む=1965(昭和40)年頃(本社機から)池田湖
池田湖=1970(昭和45)年12月15日、鹿児島県指宿市(本社機から)沖永良部島
鹿児島県から約500キロメートルの太平洋上に浮かぶ沖永良部島=1971(昭和46)年3月(航空写真)沖永良部高校
県立沖永良部高校全景=1968(昭和43)年4月、大島郡知名町(航空写真)硫黄島、摺鉢山001
空から見た摺鉢山。山頂の左側が噴火口=1982(昭和57)年11月硫黄島、摺鉢山002
空から見た硫黄島、手前が摺鉢山=1990(平成2)年12月硫黄島(鬼界ケ島)
硫黄島と噴煙を上げる硫黄岳=1956(昭和31)年12月25日、鹿児島県三島村(本社機から)種子島空港
種子島空港=1971(昭和46)年2月3日、鹿児島県(本社機から)笠野原台地001
笠野原台地=1959(昭和34)年11月、鹿児島県大隈半島(本社機から)笠野原台地002
笠野原台地=1960(昭和35)年1月、鹿児島県(航空写真)笠野原台地003
笠野原台地=1964(昭和39)年12月10日、鹿児島県鹿屋市(本社機から)笠野原台地004
笠野原台地=1964(昭和39)年12月10日、鹿児島県鹿屋市(本社機から)薩摩半島南端
薩摩半島南端。手前右が山川港、向こうは開聞岳=1955(昭和30)年9月(航空写真)西之表市
空から見た西之表市中心街と港=1978(昭和53)年10月諏訪之瀬島
諏訪之瀬島=1967(昭和42)年12月、鹿児島県・十島村(本社機から)開聞岳001
開聞岳と長崎鼻(下)=1966(昭和41)年1月23日、鹿児島県(本社機から)開聞岳002
開聞岳=1970(昭和45)年12月15日、鹿児島県(本社機から)開聞岳003
開聞岳=1970(昭和45)年12月15日、鹿児島県(本社機から)開聞岳004
開聞岳=1970(昭和45)年12月15日、鹿児島県(本社機から)阿久根市001
阿久根町(のち阿久根市に)全景=撮影日不明(戦前の航空写真)阿久根市002
阿久根市街地=1956(昭和31)年11月、鹿児島県(本社機から)阿久根市003
阿久根市街地=1956(昭和31)年11月、鹿児島県(本社機から)阿久根市004
空から見た阿久根市=1969(昭和44)年5月霧島連山001
霧島連山=1957(昭和32)年11月17日、鹿児島県(本社機から)霧島連山002
霧島連山=1959(昭和34)年11月、鹿児島県(本社機から)霧島連山003
霧島連山。手前が韓国岳(左)と大浪池(右)、中央が新燃岳、向こうが雲のかかった高千穂峰=1960年12月霧島連山004
霧島連山全景。中央が韓国岳、上方が高千穂峰=1965(昭和40)年8月(航空写真)霧島連山005
韓国岳(手前)と高千穂峰=1967(昭和42)年12月1日、鹿児島県(本社機から)霧島連山006
大浪池(手前)と韓国岳=1967(昭和42)年12月1日、鹿児島県(本社機から)霧島連山007
霧島連山=1970(昭和45)年12月15日、鹿児島県(本社機から)霧島連山008
上空から見た霧島連山。中央が韓国岳、遠くに高千穂峰=1980(昭和55)年1月高山町
肝属郡高山町全景=1960(昭和35)年7月、鹿児島県(航空写真)鴨池空港(旧鹿児島空港)、鹿児島市街地
工事中の鴨池空港(右下)と鹿児島市街地=1954(昭和29)年1月8日(本社機から)鴨池空港(旧鹿児島空港)001
工事中の鴨池空港(鹿児島空港)=1954(昭和29)年1月8日、鹿児島市(本社機から)鴨池空港(旧鹿児島空港)002
鹿児島空港(鴨池空港)=1964(昭和39)年12月(航空写真)鴨池空港(旧鹿児島空港)003
鹿児島空港=1967(昭和42)年12月、鹿児島市(本社機から)鴨池飛行場(鹿児島空港)
鴨池飛行場(鹿児島空港)=1959(昭和34)年11月、鹿児島県(本社機から)鶴田ダム001
建設が進む鶴田ダム=1963(昭和38)年9月、鹿児島県鶴田町(航空写真)鶴田ダム002
建設を急ぐ鶴田ダム=1963(昭和38)年10月30日、鹿児島県鶴田町(本社機から)鹿児島国体開会式
鴨池陸上競技場で開催された鹿児島国体の開会式。後方は桜島=1972(昭和47)年10月22日鹿児島大学
鹿児島大学=1960(昭和35)年3月、鹿児島市(航空写真)鹿児島市、桜島001
鹿児島市(手前)と桜島=1954(昭和29)年1月8日(本社機から)鹿児島市、桜島002
鹿児島市(後方に桜島を望む)=1959(昭和34)年11月(本社機から)鹿児島市、鴨池飛行場
鹿児島市と甲突川(中央)下は鴨池飛行場=1956(昭和31)年12月27日(本社機から)鹿児島市中心部001
鹿児島市の中心部=1954(昭和29)年1月8日(本社機から)鹿児島市中心部002
鹿児島市役所(中央)鹿児島県庁(右)など市の中心部=1956(昭和31)年12月27日(本社機から)鹿児島市中心部003
鹿児島市の中心部=1956(昭和31)年12月27日(本社機から)鹿児島市郡元町の大火001
751棟を焼失した鹿児島市郡元町の大火=1961(昭和36)年10月2日(本社機から)鹿児島市郡元町の大火002
751棟を焼失した鹿児島市郡元町の大火=1961(昭和36)年10月2日(本社機から)鹿児島市郡元町の大火003
751棟を焼失した鹿児島市郡元町の大火=1961(昭和36)年10月2日(本社機から)鹿児島市郡元町の大火004
751棟を焼失した鹿児島市郡元町の大火=1961(昭和36)年10月2日(本社機から)鹿児島市001
鹿児島市=1959(昭和34)年11月(本社機から)鹿児島市002
鹿児島市=1967(昭和42)年12月(本社機から)鹿児島市003
鹿児島市=1967(昭和42)年12月(本社機から)鹿児島市004
鹿児島市=1967(昭和42)年12月(本社機から)鹿児島市005
鹿児島市=1967(昭和42)年12月(本社機から)鹿児島市006
鹿児島市=1967(昭和42)年12月(本社機から)鹿児島市007
鹿児島市街地全景=1981(昭和56)年1月(航空写真)鹿児島市008
鹿児島市中心街。中央上方がいづろ交差点=1983(昭和58)年1月(航空写真)鹿児島新港001
鹿児島新港=1981(昭和56)年10月2日、鹿児島市(本社機から)鹿児島新港002
鹿児島新港=1981(昭和56)年10月2日、鹿児島市(本社機から)鹿児島湾一帯
鹿児島湾一帯。桜島と鹿児島市=1972(昭和47)年4月、薩摩半島上空から望む鹿児島県
古仁屋大火直後=1958(昭和33)年12月27日、大島郡瀬戸内町古仁屋(航空写真)鹿児島県庁
鹿児島県庁全景=1977(昭和52)年1月(航空写真)鹿児島空港
鹿児島空港=1981(昭和56)年10月2日、鹿児島県姶良郡溝辺町(本社機から)鹿大医学部
鹿児島大学医学部=1956(昭和31)年9月27日、鹿児島市(本社機から)鹿屋市
鹿屋市=1968(昭和43)年11月、鹿児島県(本社機から)鹿屋航空基地001
鹿屋航空自衛隊の基地=1957(昭和32)年1月、鹿児島県(本社機から)鹿屋航空基地002
海上自衛隊鹿屋航空基地=1981(昭和56)年10月2日、鹿児島県鹿屋市(本社機から)鹿屋航空基地003
海上自衛隊鹿屋航空基地=1981(昭和56)年10月2日、鹿児島県鹿屋市(本社機から)