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陶磁器
三川内焼 にぎわう陶器市
にぎわう1960(昭和35)年10月当時の長崎県三川内焼市三川内焼 はまぜん祭り
千種類の豆皿が並ぶ「豆皿1000枚展」などの催しが開かれた三川内焼窯元はまぜん祭り=佐世保市三川内町三川内焼 伝統産業会館アウトレットコーナー
三川内焼伝統産業会館アウトレットコーナーで売られている三川内焼=2011(平成23)年8月頃三川内焼 火入れ
復活させた登り窯に火入れする三川内焼の若手陶芸家たち=2011(平成23)年4月頃三川内焼 皿山風景
三川内皿山には大正末期から1965(昭和40)年代まで使われた窯跡や煙突が残る=2011(平成23)年4月頃三川内焼 窯出し
登り窯から出された三川内焼。オークションで販売する=2013(平成25)年3月頃三川内焼 絵付け
唐人の子供たちが蝶や花と遊ぶ図柄は陶工たちが遠く郷里を偲んで描いたものという長崎県の三川内焼上野焼 上野の里ふれあい交流会館
10月6日の上野焼400年祭記念式典の会場ともなる「上野の里ふれあい交流会館」=平成14年10月頃上野焼 上野峡への入り口
上野峡への入り口には、上野焼の窯元が並ぶ=1963(昭和38)年5月頃、福岡県田川郡赤池町上野焼 上野陶芸館
上野陶芸館と館長の熊谷紅陽氏(上野第十五代窯元)=1961(昭和36)年9月頃、福岡県田川郡赤池町上野焼 日韓友好記念碑
上野焼400年祭記念式典で除幕された日韓友好記念碑=2002(平成14)年10月6日上野焼 渡久兵衛窯
まき窯で作品を焼く準備をする赤池町の上野焼渡久兵衛窯=1998(平成10)年4月8日上野焼 熊谷窯
熊谷窯元(窯焼き)=1963(昭和38)年5月頃、福岡県田川郡赤池町上野焼 窯開き
窯開きでにぎわう上野焼き窯元=1970(昭和45)年4月頃、福岡県田川郡赤池町上野焼 陶板で作られたオブジェと歌碑
上野焼の陶板で作られたオブジェと作曲家河村光陽の歌碑=2011(平成23)年9月頃、福岡県福智町上野上野焼 高鶴元
高鶴窯の高鶴元=1961(昭和36)年10月頃、福岡・田川上野焼 高鶴夏山窯
北九州の耶馬溪といわれる上野峡の窯元=1985(昭和60)年9月頃上野焼 高鶴窯
窯入れに準備に忙しい高鶴窯=1969(昭和44)年3月頃伊万里焼 ドレスデンの古伊万里001
ドレスデン市の美術館。有田古陶磁、柿右衛門、古伊万里の最大コレクションがある=1970(昭和45)年10月頃伊万里焼 ドレスデンの古伊万里002
古伊万里焼がぎっしり並んだドレスデン博物館の倉庫=1974(昭和49)年9月頃、東ドイツ伊万里焼 伊万里駅前の人形損壊
頭部が壊された松浦鉄道伊万里駅前の唐子人形(右)=2015(平成27)年7月13日、佐賀県伊万里市伊万里焼 伊万里駅前の唐子人形
松浦鉄道伊万里駅前に設置された唐子人形が愛らしい伊万里焼モニュメント。どこかにハート形の模様が隠されている伊万里焼 古伊万里の水注
ヨーロッパ輸出古伊万里の典型的なスタイルの水注伊万里焼 窯業団地(大坪窯業)
伊万里市が窯業振興施策として開発した窯業団地には工場が立ち並び伝統の焼き物が大量生産されている伊万里焼 魯山製陶所
伊万里焼。魯山製陶所=1970(昭和45)年5月頃、伊万里焼会館閉館
焼き物ファンに惜しまれながら30年の歴史に幕を下ろした伊万里焼会館=平成20年5月30日、伊万里市新天町伊万里焼(古伊万里)
色絵亀甲花詰文角瓶(江戸前期)=1944(昭和19)年11月頃唐津焼 ?博の唐津焼展
?博(ほのおはく)唐津会場の「ふるさと会館アルピノ」で新作が展示された唐津焼展=平成8年7月19日、唐津市唐津焼 中里太郎右衛門窯
唐津焼、中里太郎右衛門窯=1974(昭和49)年、唐津市唐津焼 中里無庵氏(12代中里太郎右衛門)001
唐津焼のタタキ技法を復活した12代・中里太郎右衛門さん=1967(昭和42)年2月22日、唐津市唐人町唐津焼 中里無庵氏(12代中里太郎右衛門)002
唐津焼のタタキ技法を復活した12代・中里太郎右衛門さん=1967(昭和42)年2月22日、唐津市唐人町唐津焼 中里無庵氏(12代中里太郎右衛門)003
中里家の初の内弟子となり12代中里太郎右衛門さんから唐津焼きの説明をきく徳沢守俊氏=昭和42年3月頃唐津焼 中里無庵氏(12代中里太郎右衛門)004
唐津焼の人間国宝、中里無庵氏=1974(昭和49)年12月17日、唐津市唐津焼 中里無庵氏(12代中里太郎右衛門)005
唐津焼の人間国宝、中里無庵氏=1974(昭和49)年12月17日、唐津市唐津焼 制作風景
唐津焼の制作=1948(昭和23)年8月頃、佐賀・唐津唐津焼 大陶器市
唐津焼をはじめ有田、三川内、信楽焼など一堂に集めた即売会の「大陶器市」=唐津市のふるさと会館唐津焼 登り窯と中野陶痴氏
唐津焼では最大の割竹式四段のぼり窯と中野陶痴氏=1972(昭和47)年4月頃、唐津市の中野窯唐津焼 窯祭り
唐津焼の窯祭り=1964(昭和39)年4月10日、佐賀県唐津市唐津焼 13代中里太郎右衛門氏
陶芸家(唐津焼)・中里太郎右衛門氏=1992(平成4)年4月15日、唐津市唐津焼 14代中里太郎右衛門さん 窯出し
新しい登り窯と、十四代中里太郎右衛門さん=平成17年8月頃、唐津市町田の唐津焼窯元「中里太郎右衛門陶房」多々良焼 火をたいて大物作り
多々良焼の大物はカメの内と外で火をたいて重みで曲がらないように乾燥しながら作る=佐賀・武雄市多々良焼 石瓶の石垣
石ガメを伏せて生け垣にした多々良焼松尾窯=1981(昭和56)年7月頃天草諸島 陶石会社の採掘場
熊本県天草市の陶石会社の採掘場。中央に見える白い地層上部が良質の陶石層だが、年々採掘しにくくなっている天草陶磁器 天草西海岸窯元めぐり
天草西海岸で始まった「春の窯元めぐり」で、テント内に並んだ焼き物を品定めする人たち=平成26年4月天草陶磁器 天草陶石001
天草陶石=1960(昭和35)年5月頃、熊本県・牛深天草陶磁器 天草陶石002
天草陶石=1967(昭和42)年頃天草陶磁器 水平焼
天草の水平焼=1969(昭和44)年4月8日、熊本県小代焼(小岱焼) 割り竹式登り窯
県内で初めて完成した割り竹式登り窯=熊本県玉名郡南関町、陶芸家・坂井岱平さん方小代焼(小岱焼) 小代焼展示資料館
井上泰秋さんが建設した小代焼展示資料館=1991(平成3)年4月6日、熊本県荒尾市府本小代焼(小岱焼) 展示即売
小岱焼(しょうだい)(小代焼)展示即売=1960(昭和35)年10月頃、熊本県荒尾市小代焼(小岱焼) 平地窯
明るい簡易鉄骨内の平地窯。燃料もまた灯油になった=1969(昭和44)年10月頃、熊本県荒尾市・南関町小代焼(小岱焼) 瀬上窯跡
小代焼瀬上窯跡=1991(平成3)年11月頃、熊本県玉名郡南関町小代焼(小岱焼) 窯元(初代しろ平)
小岱焼(小代焼)窯元(初代しろ平)=熊本県荒尾市小石原焼 ろくろ成形後の日干し
ろくろ成形後の日干し風景=1980(昭和55)年10月頃、福岡県小石原村皿山小石原焼 作品を天日干しする窯元
窯入れ前に作品を天日干しする窯元=1984(昭和59)年7月頃、福岡県小石原村皿山小石原焼 共同展示場
小石原焼の共同展示場=1984(昭和59)年7月頃、福岡県小石原村小石原焼 小石原皿山地区
小石原皿山地区=2007(平成19)年5月頃、福岡県東峰村小石原焼 感謝祭に150人
約150人が参加した感謝祭=2007(平成19)年10月頃小石原焼 日本工芸館小石原分館
九州各地の民芸を展示する日本工芸館小石原分館=1968(昭和43)年9月頃、福岡県小石原村皿山小石原焼 民陶の里・小石原
英国の陶芸家バーナード・リーチも訪れた民陶の里・小石原村皿山。右上に見えるのが登り窯=福岡県、昭和30年代小石原焼 火が入った登り窯
火が入った小石原焼の登り窯=1980(昭和55)年10月、福岡県小石原村皿山小石原焼 火口谷1号窯跡
朝倉郡小石原村皿山で発掘された火口谷1号窯跡=1993(平成5)年11月18日小石原焼 焼き具合を確かめる窯元
小石原焼の窯出しで焼き具合を確かめる窯元=福岡県小石原村皿山、昭和30年代小石原焼 焼き物の里・小石原
静かな焼き物の里・小石原皿山=1968(昭和43)年9月頃小石原焼 登り窯の火入れ
小石原焼の登り窯の火入れ=1980(昭和55)年10月、福岡県小石原村皿山小石原焼 登り窯予定地
小石原焼伝統産業会館(奥)近くに整備が決まり、工事が進む登り窯予定地=2008(平成20)年6月頃小石原焼 登り窯完成
三つの焼成室を備えた小石原焼の登り窯=2008(平成20)年10月小石原焼 窯元が並ぶ皿山地区
小石原焼の窯元が並ぶ皿山地区=1974(昭和49)年4月頃、福岡県小石原村小石原焼 窯出しされた小石原焼
窯出しされた小石原焼=福岡県小石原村皿山、昭和30年代小石原焼 窯出しした作品を運ぶ主婦
窯出しした作品を運ぶ主婦=福岡県小石原村皿山、昭和30年代小石原焼 蹴ろくろを回すシャピロさん
蹴ろくろを回す米国人のシャピロさん=1976(昭和51)年7月頃、福岡県小石原村皿山の窯元小石原焼 道の駅「小石原」
登り窯をイメージした屋根が特徴の道の駅「小石原」=2004(平成16)年8月頃、福岡県小石原村小石原焼 陶器の里・小石原村
陶器の里・小石原村=1970(昭和45)年11月頃、福岡県朝倉郡小石原焼 陶土をつく唐臼
水を利用して陶土をつく唐臼=1965(昭和40)年1月頃、福岡県小石原村皿山小石原焼 雪化粧の小石原
小石原焼の窯元の湯飲みもうっすら雪化粧=2011(平成23)年12月16日夕、福岡県東峰村小石原焼 1300度の窯の火
1300度の窯の火を30時間燃やし続ける小石原焼の火=昭和42年4月12日、福岡県小石原村皿山の高取窯小鹿田焼
空から見た焼き物の里、小鹿田焼きの日田市皿山=1962(昭和37)年10月頃小鹿田焼 リーチ作の絵皿
1954(昭和29)年、英国の陶芸家バーナード・リーチがつくって皿山部落に残していった小鹿田焼の絵皿小鹿田焼 リーチ氏訪問の窯跡
英国人陶芸家のバーナード・リーチが現地を訪れた際に見学した窯跡=2008(平成20)年10月頃小鹿田焼 並べられた作品
小鹿田焼=1954(昭和29)年11月頃、大分・日田市小鹿田焼 唐臼001
渓流を利用した小鹿田焼の唐臼と後方は登り窯=1965(昭和40)年5月頃小鹿田焼 唐臼002
川の水の力を使って動かす唐臼=2014(平成26)年4月頃小鹿田焼 小鹿田が重要文化的景観
10軒の小鹿田焼の窯元が軒を連ねる皿山集落=2007(平成19)年11月頃、日田市小鹿田焼 柳宗悦
柳宗悦・民芸運動創始者(昭和36年5月3日没)日田市の小鹿田焼を視察=1951(昭和26)年6月頃小鹿田焼 窯元
小鹿田焼の窯元=1955(昭和30)年12月、大分県日田市小鹿田焼 重要文化的景観指定
重要文化的景観に選定された小鹿田焼の里周辺の山林。手前は皿山集落=平成21年12月頃、日田市源栄町小鹿田焼 雪化粧の日田皿山
小鹿田焼の里で知られる日田市源栄町皿山もすっかり雪化粧をしていた=2014(平成26)年12月17日尾崎焼 復興へ尽力
尾崎焼の火鉢や湯飲みを紹介しながら制作活動について語る勝田文博さん=2013(平成25)年11月頃星野焼 古陶星野焼展示館
施設内には、天井の通風口から雨や雪が振り込む池がある=2008(平成20)年5月星野焼 源太窯
星野焼の源太窯=1976(昭和51)年7月頃、八女郡星野村星野焼 700年前の作品展示
一堂に展示された700年前の星野焼=1960(昭和35)年12月頃、八女郡星野村有田焼 GHQが窯元視察
有田焼の窯元を視察するGHQのインボーデン少佐=1947(昭和22)年7月16日、佐賀県有田焼 「有田七人の侍」ヨーロッパへ
有田焼をヨーロッパに紹介するために日本を出発する森正洋ら=東京国際空港、1970(昭和45)年8月有田焼 サンタも凍える有田町
有田町では、有田焼窯元の煙突や敷地内に飾られたサンタクロースにも雪が降り積もった有田焼 トンバイ塀001
解体した登り窯のレンガを使った有田のとんばい塀=1984(昭和59)年3月、佐賀県有田町有田焼 トンバイ塀002
有田のとんばい塀(トンバイ塀)=1986(昭和61)年9月19日、佐賀県有田町有田焼 世界炎の博覧会(炎博)
親子連れなどでにぎわう?博(ほのお博)会場=1996(平成8)年10月6日、佐賀県有田町有田焼 両陛下が染め絵付けご見学
佐賀県有田町で、有田焼の染め絵付けをご覧になる昭和天皇と皇后両陛下=1961(昭和36)年4月頃有田焼 並べられた作品
並べられた有田焼=1954(昭和29)年2月頃、佐賀県有田町有田焼 九州陶磁文化館
佐賀県立九州陶磁文化館=1985(昭和60)年4月頃、佐賀県有田町有田焼 今右衛門邸
有田焼。赤絵町の今右衛門氏の家=1953(昭和28)年1月頃有田焼 今泉今右衛門窯
有田焼の今泉今右衛門窯=1975(昭和50)年1月、佐賀県有田町有田焼 出土した古九谷様式の磁器片
1号窯跡から出土した古九谷様式の磁器片=2007(平成19)年10月有田焼 原明古窯跡001
原明古窯跡=1974(昭和49)年10月頃、佐賀県西有田町有田焼 原明古窯跡002
原明古窯跡。小中学生も混じっての発掘調査=1974(昭和49)年10月頃、佐賀県西松浦郡西有田町有田焼 夜のツヴィンガー(有田ポーセリンパーク)
ドイツ・ドレスデン市のツヴィンガー宮殿(要塞宮殿)を本物そっくりに再現した有田ポーセリンパーク。有田焼 大公孫樹
黄色く色づき、見物客も絶えない大公孫樹(大いちょう)=2012(平成24)年11月有田焼 天狗谷古窯跡001
発掘された天狗谷古窯跡=1972(昭和47)年10月頃、佐賀県西松浦郡有田町白川有田焼 天狗谷古窯跡002
日本最初の磁器創始窯とされる天狗谷古窯跡=1983(昭和58)年3月頃、佐賀県有田町有田焼 天皇陛下が窯業大ご見学
有田窯業大学校生の作品作りを熱心にご見学される天皇陛下=1987(昭和62)年5月24日、佐賀県有田町有田焼 天神森古窯跡
天神森古窯跡=1974(昭和49)年5月頃、佐賀県西松浦郡有田町有田焼 小規模製陶所
有田焼の小企模製陶所=1959(昭和34)年9月頃、佐賀県有田町有田焼 山下清画伯
有田焼の陶板と取り組む山下清画伯=1962(昭和37)年1月頃有田焼 山辺田窯跡盗掘
有田町黒牟田の国史跡「山辺田窯跡」。掘られた穴(中央)の周辺には陶片が散らばる=2014(平成26)年9月有田焼 広瀬向窯跡群
古九谷様式の磁器片が出土した発掘中の広瀬向窯跡群・1号窯跡=2007(平成19)年10月有田焼 昭和天皇が香蘭社ご視察
有田町香蘭社をご視察の昭和天皇=1949(昭和24)年5月23日、佐賀県有田焼 昭和20年代の有田陶器市001
和服に下駄ばき、有田焼の品定めをする買物客=1952(昭和27)年5月1日有田焼 昭和20年代の有田陶器市002
掘り出し物に集中する人たち=1952(昭和27)年5月頃有田焼 昭和30年代の有田陶器市001
昭和30年代の有田陶器市のにぎわい有田焼 昭和30年代の有田陶器市002
大勢の買物客でにぎわう有田陶器市=1961(昭和36)年5月頃、佐賀県有田町有田焼 有田の町並み001
焼き物の町有田の町並み=1986(昭和61)年9月19日、佐賀県有田町有田焼 有田の町並み002
都市景観条例が提案された有田の町並み=1989(平成元)年10月頃、佐賀県有田町有田焼 有田タイル
有田タイル内部=1965(昭和40)年3月頃、佐賀県有田町の本社工場有田焼 有田ポーセリンパーク001
炎博会場となる建設中の有田ポーセリンパーク=平成8年1月31日、佐賀県有田町古小場(本社ヘリから)有田焼 有田ポーセリンパーク002
炎博会場となる建設中の有田ポーセリンパーク=平成8年1月31日、佐賀県有田町古小場(本社ヘリから)有田焼 有田町営貸窯
有田町営第一貸窯=1940(昭和15)年頃、佐賀県西松浦郡有田焼 有田町東庁舎本館
6月末に閉鎖された有田町東庁舎(旧有田町役場)の本館=2008(平成20)年12月有田焼 有田窯業大学校
伝統技術の継承と人材育成を担う県立有田窯業大学校=2012(平成24)年7月頃有田焼 李参平の墓
改修なった陶祖李参平の墓=1937(昭和12)年11月頃、佐賀県有田町の報恩寺有田焼 李参平碑除幕
古川知事(左端)らの手で除幕された新しい陶祖李参平碑=2005(平成17)年7月25日、佐賀県有田町有田焼 柿右衛門工房
柿右衛門の工房=1994(平成6)年9月12日、佐賀県有田町有田焼 歳末を稼ぐ
歳末をかせぐ有田焼の生産=1959(昭和34)年12月頃有田焼 泉山採石場(磁石場)
李参平が発見した有田町泉山の磁石場=佐賀県西松浦郡、1935(昭和10)年7月7日有田焼 泉山磁石場001
白磁ケ丘公園となった泉山磁石場一帯=1959(昭和34)年10月頃、佐賀県有田町有田焼 泉山磁石場002
有田焼の「原点」の泉山磁石場。泉山精土は40年にわたり、ここの陶石から陶土を生産してきた=平成16年頃有田焼 海を駆けた人たち・有田の陶祖 李参平
大正時代に建立された李参平の碑。裏面には「有田ノ陶祖タルノミナラス本邦窯業界ノ大恩人ナリ」の文言が読みとれる有田焼 深川製磁の絵付け作業
有田焼の絵付作業=1956(昭和31)年1月、佐賀県有田町の深川製磁有田焼 深川製磁本店
深川製磁本店=1974(昭和49)年1月頃、佐賀県有田町有田焼 清六の辻発掘
全容をあらわした清六の辻二号窯跡=佐賀県西松浦郡有田町有田焼 白磁のひな人形七段飾り
有田陶磁の里プラザにある白磁のひな人形七段飾り。大きさは世界最大。周囲の生け花が一層美しさを引き立てる有田焼 絵付け作業
有田焼の絵付け作業=1970(昭和45)年11月、佐賀県有田町有田焼 絵付け作業に励む女性
黙々と絵付け作業に励む女性たち=佐賀県有田町、1956(昭和31)年6月有田焼 絵付け職人
有田焼工場で絵付けする職人さんたち=1935(昭和10)年頃、佐賀県有田町有田焼 義宮さまの結婚杯
義宮さまの結婚杯の出来具合を調べる深川剛常務(右)ら=1964(昭和39)年9月11日有田焼 色鍋島の絵付け
色鍋島の絵付け=1967(昭和42)年11月22日、佐賀県有田町の今右衛門窯有田焼 色鍋島への挑戦(13代今右衛門)001
色鍋島を生産する今右衛門窯。今右衛門さんは技術の保存、伝承の重さをかみしめ、先代に思いをはせる有田焼 色鍋島への挑戦(13代今右衛門)002
色鍋島を生産する今右衛門窯。今右衛門さんは技術の保存、伝承の重さをかみしめ、先代に思いをはせる有田焼 色鍋島への挑戦(13代今右衛門)003
色鍋島を生産する今右衛門窯。今右衛門さんは技術の保存、伝承の重さをかみしめ、先代に思いをはせる有田焼 色鍋島への挑戦(13代今右衛門)004
自らの作陶人生を振り返り「若い人は新しいものに挑戦してほしい」と語る今右衛門さん=平成6年8月、佐賀県有田町有田焼 色鍋島への挑戦(13代今右衛門)005
自宅に隣接する今右衛門古陶磁参考館。ショーケースに並べられた古陶磁片は今右衛門さんの原点だ有田焼 賞美堂本店
有田焼卸問屋・賞美堂本店の其泉工房=1985(昭和60)年4月頃、佐賀県有田町有田焼 赤絵町
伝統的町並みの拠点になっている有田町赤絵町=1988(昭和63)年5月15日、佐賀県有田焼 赤絵町の窯跡
赤絵町の調査現場から初めて確認された窯跡=1988(昭和63)年5月24日、佐賀県有田町有田焼 赤絵発掘品001
有田郵便局跡地から出土した赤絵の磁器片=1988(昭和63)年、佐賀県有田町有田焼 赤絵発掘品002
有田郵便局跡地から出土した赤絵の磁器片=1988(昭和63)年、佐賀県有田町有田焼 陶山神社
明治21年10月に奉納された陶山神社の日本一の白磁製鳥居=1951(昭和26)年1月頃、佐賀県有田町有田焼 陶山神社の大鳥居
復元された陶山神社の有田焼大鳥居=1961(昭和36)年8月頃、佐賀県有田町有田焼 陶山神社鳥居001
陶器の町、有田の神社『陶山神社』の大鳥居はみごとな陶器製だ=1986(昭和61)年11月頃有田焼 陶山神社鳥居002
1888年、焼き物の町を象徴する磁器鳥居。こま犬も同時期のもので、頂点を極めた有田焼の技術が光る有田焼 陶山神社鳥居003
陶山神社=2005(平成17)年2月頃、佐賀県西松浦郡有田町有田焼 青手古九谷出土
青手古九谷が出土した赤絵町遺跡の発掘調査=1988(昭和63)年7月8日、佐賀県有田町有田焼 香蘭社の女子勤労隊
有田焼の製陶に励む香蘭社の女子勤労隊=1943(昭和18)年7月頃、佐賀県有田町有田焼 香蘭社の自動碍子成型機
香蘭社自慢の自動碍子(がいし)成型機=1962(昭和37)年2月頃、佐賀県有田町有田焼 12代酒井田柿右衛門
有田(佐賀)の陶芸家 絵付けをする第十二代酒井田柿右衛門氏(昭和38年没)=1962(昭和37)年2月頃有田焼 13代今泉今右衛門氏
陶芸家、13代今泉今右衛門さん=1976(昭和51)年、佐賀県有田町有田焼 13代酒井田柿右衛門氏
佐賀・有田の陶芸家、十三代酒井田柿右衛門氏(昭和57年7月3日没、75歳)=1981(昭和56)年7月頃有田焼 14代柿右衛門
窯の前に立つ14代柿右衛門氏=1994(平成6)年9月、佐賀県有田町有田焼 5代佐藤走波
佐藤走波、陶芸家・5代目=1974(昭和49)年11月頃、佐賀県有田町有田町遠景
焼物の町・有田=1956(昭和31)年1月、佐賀県有田町有田陶器市を訪れる外国人
外国人客も訪れる有田陶器市=1955(昭和30)年頃、佐賀県有田町有田陶器市001
有田陶器市=1989(平成元)年4月29日、佐賀県西松浦郡有田町(本社機から)有田陶器市002
有田陶器市=1989(平成元)年4月29日、佐賀県西松浦郡有田町(本社機から)有田駅前広場
国鉄有田駅前広場と15メートル道路=1962(昭和37)年4月頃、佐賀県有田町波佐見焼 「コンプラ瓶」を再現
「コンプラ瓶」を再現した波佐見焼の灯籠が並ぶはさみ夏まつり=2011(平成23)年波佐見焼 中尾郷
20以上の窯元が密集する波佐見焼の里「中尾郷」。陶器まつりでは各窯元がやきもの公園に集う=平成24年4月頃波佐見焼 制作風景001
波佐見焼の制作=1945(昭和20)年頃波佐見焼 制作風景002
波佐見焼の制作=1955(昭和30)年頃波佐見焼 工房の制作風景
波佐見焼の工房=1951(昭和26)年9月26日、長崎県波佐見町波佐見焼 波佐見の街並み
波佐見焼の窯元が立ち並ぶ波佐見町の街並み=2008(平成20)年7月頃波佐見焼 波佐見焼職人が寺院に絵付け
天井画の完成を喜ぶ地元住民たち=2014(平成26)年2月頃、波佐見町中尾郷の慈雲寺観音堂波佐見焼 福重家住宅主屋
波佐見焼窯元の福重家住宅主屋=2011(平成23)年12月頃波佐見焼 窯場作業
波佐見焼。窯場作業現場=1945(昭和20)年頃白石焼陶器まつり
多彩な食器や酒器が楽しめる白石焼「百十窯」の陶器まつり=2012(平成24)年9月10日肥前吉田焼 ランドマーク落成式
佐賀県嬉野町吉田に完成した「肥前吉田焼やきものの里ランドマーク」=2003(平成15)年4月頃肥前吉田焼 吉田焼窯元会館
落成した肥前吉田焼窯元会館=1995(平成7)年11月頃、佐賀県嬉野町吉田肥前吉田焼 嬉野で風鈴夜市
肥前吉田焼の風鈴が揺れる嬉野温泉の本通り商店街=2008(平成20)年7月26日蒲池焼 窯元
制作に忙しい蒲池焼窯元=1973(昭和48)年7月頃、山門郡瀬高町薩摩焼 堂平窯跡001
鹿児島県日置郡東市来町美山で出土した薩摩焼初期の堂平窯跡=1998(平成10)年12月頃薩摩焼 堂平窯跡002
移転保存されることになった薩摩焼初期の堂平窯跡=鹿児島県日置郡東市来町美山=1998(平成10)年12月頃薩摩焼 堂平窯跡003
鹿児島県東市来町美山で出土した薩摩焼初期の堂平窯跡=1998(平成10)年12月頃薩摩焼 大迫一輝氏
薩摩焼沈寿官の後継者・大迫一輝。韓国人陶工らに交じって、オンギと呼ばれる焼き物づくりに励む大迫一輝氏(左)薩摩焼 沈壽官(沈寿官)氏
「陶磁器帰郷展シンポ」で、故郷への深い思いを語る薩摩焼第14代、沈壽官(沈寿官)氏=福岡国際ホール薩摩焼 絵付け作業
薩摩焼の絵付け作業=1968(昭和43)年11月頃、鹿児島市原良町薩陶社薩摩焼 色絵手桶形花生
1878年に日本政府からフランス政府に贈られ、これまで未公開だった「色絵手桶形花生」=平成17年10月頃薩摩焼 黒じょか
黒ヂョカとぐい飲み=2012年12月7日、薩摩焼フェスタ高取焼 「物原」跡001
高取焼の破片が大量に見つかった「物原」跡=2005(平成17)年4月頃、福岡市早良区高取高取焼 「物原」跡002
高取焼の破片が大量に見つかった「物原」跡とみられるマンション建設予定地。山を削りながら調査が進む高取焼 つくし高取窯
初窯開きを前にした、つくし高取焼きの窯場=1966(昭和41)年3月頃、福岡県筑紫野町高取焼 亀井味楽さん(14代)と弘さん兄弟
高取焼。窯から出して焼き上がりを話し合う亀井味楽(右)と弘さん(弟)兄弟=1969(昭和44)年8月頃高取焼 亀井味楽氏(13代)工房
高取焼の工房。第13代高取焼窯元・亀井味楽氏=1950(昭和25)年3月頃高取焼 亀井味楽氏(14代)
陶芸家(高取焼)・亀井味楽氏=1981(昭和56)年3月5日、福岡市高取焼 亀井味楽氏(15代)
「茶陶として発展した高取焼の現在を示すことができる」と寄贈を喜ぶ十五代亀井味楽さん=平成26年11月頃高取焼 八仙窯
高取焼八仙窯=1971(昭和46)年4月頃、福岡県朝倉郡小石原村高取焼 内ケ磯窯跡の登り窯
古高取焼内ケ磯窯跡。発掘された階段式漣房登り窯=1979(昭和54)年12月頃、福岡県直方市高取焼 内ケ磯窯跡の陶片
窯跡から出土した陶片=1979(昭和54)年12月頃、福岡県直方市高取焼 内ケ磯窯跡001
手前が窯尻、正面斜面の下が火口=1979(昭和54)年11月頃、福岡県直方市高取焼 内ケ磯窯跡002
発掘された内ケ磯窯跡=1981(昭和56)年1月頃、福岡県直方市高取焼 永満寺窯
高取焼。永満寺窯=1979(昭和54)年9月5日、直方市高取焼 福智山ろく工芸の村
福岡県直方市が「福智山ろく工芸の村」として分譲する敷地=2006(平成18)年頃高取焼 高取焼400年祭始まる
高取焼展の会場前でテープカットして「高取焼開窯400年祭」の開幕を祝う向野市長(中央)ら高取焼 高取静山氏
高取焼の高取静山さん(小石原村)。7年に1回しか出されないという水差しと高取静山さん(11代目)高取焼 黒田家宝物の経筒
黒田家の宝物、高取焼の経筒=1956(昭和31)年4月13日高取焼 13代亀井味楽氏(陶芸家)
孫と共に陶芸の研究を続ける13代・亀井味楽さん(右)。高取焼13代(本名:弥太郎)昭和31年12月28日死去高田焼(八代焼) 並べられた作品
新高田焼=1963(昭和38)年12月、熊本県八代市高田焼(八代焼) 制作風景
高田焼(こうだやき)(八代焼)の制作=1962(昭和37)年10月頃、熊本県八代市高田焼(八代焼) 新式の重油窯
新高田焼(伝統工芸)。窯は新式の重油窯で温度調整が自由にできる=1964(昭和39)年2月頃、熊本県八代市高田焼(八代焼) 酒井政枝氏
酒井政枝、八代市新高田焼き八代窯女流窯元=1967(昭和42)年8月頃、熊本県八代市黒牟田焼 丸田正美窯
肥前黒牟田焼、丸田正美窯=1975(昭和50)年2月頃、武雄市武内町黒牟田黒牟田焼 窯開き
黒牟田焼の窯開き=1955(昭和30)年5月頃、佐賀県武雄黒牟田焼 肥前民陶
肥前民陶・黒牟田焼=1964(昭和39)年10月頃、武雄市武内町100回目を迎えた有田陶器市
100回目を迎えた有田陶器市。多くの買い物客で終日、にぎわった=2003(平成15)年4月29日