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神社、仏閣、教会
【熊本地震】愛宕神社
4月の熊本地震で被災し、楼門と鳥居のがれきが残る愛宕神社=2016(平成28)年12月1日、佐賀市呉服元町【熊本地震】正教寺楼門倒壊
崩れ落ちた正教寺の楼門。「あぜんとした」と山村匡亮住職(右)=2016(平成28)年7月29日【熊本地震】阿蘇神社 復旧工事安全祈願
倒壊した拝殿の前で、復旧工事の安全を祈願する阿蘇神社の神職=2016(平成28)年10月31日、熊本県阿蘇市【熊本地震】阿蘇神社 楼門と拝殿
地震で無残に壊れた阿蘇神社の楼門(手前)と拝殿=2016年4月22日午前、熊本県阿蘇市(本社ヘリから)【熊本地震】阿蘇神社 楼門倒壊
地震で倒壊した、阿蘇神社を象徴する楼門=2016年4月16日朝、熊本県阿蘇市【熊本地震】阿蘇神社 楼門解体
工事用の覆い屋根の中で解体が進む阿蘇神社の楼門=2017(平成29)年3月2日【熊本地震】阿蘇神社で歌う八神純子さん
阿蘇神社境内で熱唱する八神純子さん。後方は倒壊した拝殿=2016(平成28)年8月29日【熊本地震】阿蘇神社のおんだ祭り001
おんだ祭りに備え、みこしを仮拝殿に移す氏子たち。右は倒壊した楼門、左は同じく拝殿=2016年7月20日【熊本地震】阿蘇神社のおんだ祭り002
カメラの放列の中、阿蘇神社を出発する「おんだ祭り」の神幸行列。後方の倒壊した楼門にはブルーシートが掛けてある【熊本地震】隈研吾氏が人吉視察
青井阿蘇神社の福川義文宮司(左)から神社の歴史などの解説を受ける隈研吾氏(左から3人目)【熊本地震】青井阿蘇神社 秋季大祭
青井阿蘇神社に浮かび上がった「常」の火文字=2016(平成28)年10月3日午後7時ごろ、熊本県人吉市イネ 春日地区の棚田
海岸線から150メートルを超える山腹まで棚田が続く春日集落カトリック三浦町教会
駅前の国道沿いにそびえる築77年のカトリック三浦町教会=2008(平成20)年6月頃サビエル記念聖堂001
サビエル記念聖堂(中央上)と西日本新聞社山口支局(同下)=1962(昭和37)年12月、山口市(本社機から)サビエル記念聖堂002
サビエル記念聖堂(中央右)と西日本新聞社山口支局(左下)=1962(昭和37)年12月、山口市(本社機から)ライオンズ稲尾 筥崎宮で結婚式001
結婚式場で高倉(左)、豊田(左から3人目)らの祝福を受ける西鉄ライオンズの稲尾投手=福岡市・筥崎宮ライオンズ稲尾 筥崎宮で結婚式002
筥崎宮で神前結婚式を挙げた西鉄ライオンズの稲尾投手=1960(昭和35)年1月11日、福岡市・箱崎一心寺・八重桜
境内を彩る満開の八重桜に見入る来訪者=2010(平成22)年4月16日、大分県大分市廻栖野・一心寺上五島 キリシタン洞窟
キリシタン洞窟の入り口にあるキリスト像と十字架=2009(平成21)年7月頃、新上五島町上五島 中ノ浦教会
中ノ浦教会=1978(昭和53)年5月、長崎県上五島町上五島 仲知教会
仲知教会=1977(昭和52)年10月6日、長崎県上五島町津和崎郷上五島 土井ノ浦教会
土井ノ浦教会=1977(昭和52)年10月6日、長崎県上五島町若松郷上五島 大曽カトリック教会001
大曽教会=2000(平成12)年7月、長崎県上五島町上五島 大曽カトリック教会002
大曽教会=2000(平成12)年7月、長崎県上五島町上五島 江袋カトリック教会
全焼した新上五島町の江袋カトリック教会=2007(平成19)年2月13日上五島 福見教会
福見教会=1977(昭和52)年10月6日、長崎県上五島町福見両子寺
両子寺=1970(昭和45)年12月、大分県安岐町両子寺 石造仁王像001
仁王像が訪れる人々を迎える両子寺=大分県国東市両子寺 石造仁王像002
石造仁王像が立つ大分、安岐町の両子寺=1964(昭和39)年12月頃両子寺 石造仁王像003
山門入口の仁王像=1961(昭和36)年9月頃、大分県安岐町両子寺奥の院 深山絶壁に組み上げ001
深山絶壁に組み上げられた両子寺奥の院=1977(昭和52)年2月頃、大分県東国東郡安岐町両子寺奥の院 深山絶壁に組み上げ002
深山絶壁上に組み上げられた両子寺奥の院。紅葉の季節はとくに美しい=1977(昭和52)年1月、大分県安岐町中江ノ島
沈黙の聖地。中江ノ島は生月(手前)と平戸島の間にある殉教の島。久賀島 牢屋の窄
久賀島の殉教地遺構「牢屋の窄」=1976(昭和51)年10月、長崎県福江市久賀島久賀島 牢屋の窄・殉教130年祭
久賀島の牢屋の窄殉教130年祭=1998(平成10)年10月5日、長崎県福江市五島列島 嵯峨島教会
嵯峨島教会=1977(昭和52)年8月、長崎県五島市三井楽町五島列島 椛島神社例大祭001
船頭の合図に合わせ宝来丸を引く人たち=2009(平成21)年10月17日五島列島 椛島神社例大祭002
船頭の合図に合わせて宝来丸を引く担ぎ手たち=2013(平成25)年10月19日五島列島・奈留町 葛島から集団移住001
全島民の集団移住で廃校となる奈留町立船廻小学校葛島分校=1973(昭和48)年3月、長崎県・五島奈留町五島列島・奈留町 葛島から集団移住002
全住民が葛島から本島へ集団移住。昔から使った背負いカゴや鉢植えの草花もお供だ=長崎県南松浦郡奈留町五島列島・奈留町 葛島のキリシタン墓地
葛島のキリシタン墓地=1973(昭和48)年3月、長崎県・五島奈留町五島列島・奈留町 葛島の天主堂
キリシタンの集落・葛島の天主堂=1973(昭和48)年3月、長崎県・五島奈留町今村カトリック教会(今村天主堂)001
1913年12月の完成で、100年以上の歴史を誇る今村天主堂=大刀洗町今、2013(平成25)年今村カトリック教会(今村天主堂)002
今村カトリック教会周辺=2007(平成19)年5月頃、福岡県大刀洗町今村カトリック教会(今村天主堂)003
今村カトリック教会=1954(昭和29)年11月頃、三井郡大刀洗村(大刀洗町)今今村カトリック教会(今村天主堂)004
3層構造の高い天井が特徴の今村天主堂=2015(平成27)年5月13日、福岡県大刀洗町住吉神社(壱岐)壱岐大大神楽
長崎県芦辺町の住吉神社であった「壱岐大大神楽」=1998(平成10)年12月25日住吉神社(福岡市) ご遷座大祭
住吉神社のご遷座大祭=1960(昭和35)年1月11日住吉神社(福岡市) やぶさめ
福岡市の住吉神社。やぶさめ=1960(昭和35)年10月頃住吉神社(福岡市) 戦前
1939(昭和14)年頃の住吉神社=福岡市住吉神社(福岡市) 白鵬土俵入り
年に1度の「式年遷宮」を終えた住吉神社で土俵入りを奉納する横綱白鵬関。太刀持ちは安美錦、露払いは猛虎浪住吉神社(福岡市) 50年ぶり神幸行列
50年ぶりに行われた神幸行列で福博の町を練り歩く神職や氏子たち=福岡市博多区住吉神社(福岡市)001
住吉神社=福岡市、1939(昭和14)年頃佐嘉神社001
松原神社の隣に造営された佐嘉神社=1933(昭和8)年頃、佐賀市松原町佐嘉神社002
佐嘉神社=1939(昭和14)年12月頃、佐賀市松原町佐嘉神社003
佐嘉神社=1978(昭和53)年12月、佐賀市(本社機から)光善寺のしだれ桜
見頃を迎えた光善寺のしだれ桜=2014(平成26)年3月20日、八女市黒木町木屋光明禅寺 紅葉ににぎわう
見ごろを迎えた紅葉を楽しむ人でにぎわう光明禅寺=福岡県太宰府市出水神社の流鏑馬
狙いを定めて矢を射抜く「武田流騎射流鏑馬保存会」の会員=平成21年4月19日、熊本市水前寺公園の出水神社出津教会 祈りを捧げる子どもたち
学校をひけたその足で教会に向かい祈りを行う信者の子供たち=昭和32年10月、長崎県西彼杵郡外海村出津教会出津教会堂
強風を避けるため、屋根を低く設計した出津教会堂=2013(平成25)年7月頃、長崎市功山寺 国宝仏殿
功山寺の国宝仏殿=昭和26年4月、山口県下関市長府功山寺が大改修へ
訪れる観光客も多い功山寺の山門。改修が近く始まる=山口県下関市長府川端功山寺山門
功山寺山門=山口県下関市功山寺山門改修
改修工事を終えた功山寺山門=山口県下関市加藤神社
加藤清正公をまつる錦山の加藤神社=1949(昭和24)年7月頃、熊本市北野天満宮(福岡県)太鼓風流
北野天満宮神前で奉納される太鼓風流(カッパ風流)=1957(昭和32)年1月頃、三井郡北野町北野天満宮(福岡県)001
受験で忙しい人たちのために祈願をしてくれる神社もある=2002(平成14)年2月頃、福岡県北野町の北野天満宮北野天満宮(福岡県)002
菅原道真を祭る北野天満宮=1982(昭和57)年3月頃、三井郡北野町千栗八幡宮 名越祭
千栗八幡宮で毎年8月1日に実施される無病息災を願う神事「名越祭」=2012(平成24)年、佐賀県千栗八幡宮 行列浮立
秋風に毛槍が舞う千栗八幡宮の行列浮立=1976(昭和51)年9月16日、佐賀県北茂安町南蔵院 千僧供養
釈迦涅槃像の前で僧侶1200人が平和を祈念した南蔵院の「千僧供養」=平成7年10月7日、福岡県篠栗町南蔵院 篠栗新四国八十八カ所
篠栗新四国八十八カ所を巡るお遍路さん=1954(昭和29)年、南蔵院(福岡県篠栗町)南蔵院 釈迦涅槃像すす払い
すす払いされる釈迦涅槃像=2012(平成24)年12月26日、福岡県篠栗町南蔵院 釈迦涅槃像前土俵入り
白鵬関の奉納土俵入りが行われる南蔵院の釈迦涅槃像=2011(平成23)年10月3日、福岡県篠栗町南蔵院が完成
完成した南蔵院=1957(昭和32)年10月頃、福岡県篠栗町博多千年門完成
承天寺通りに建設された「博多千年門」。完成を祝い博多松囃子の稚児舞が披露された=福岡市博多区原城跡001
三方を海が囲む天然の要害だった原城の本丸跡=2013(平成25)年7月頃、南島原市原城跡002
原城本丸跡に立つ北村西望作の天草四郎像=2013(平成25)年7月頃、南島原市和多都美神社
和多都美神社=1975(昭和50)年、長崎県対馬和多都美神社 声の奉納
和多都美神社の鳥居に立って声を奉納する朗唱家の天童さん=2015(平成27)年5月、長崎県対馬市和多都美神社 海に映える鳥居
海に映える鳥居が美しい和多都美神社=1975(昭和50)年12月頃、長崎県下県郡豊玉町(対馬)和布刈神社 和布刈神事
たいまつの明かりを頼りに岩場でワカメを刈る和布刈神社の神職=北九州市門司区和布刈神社001
門司の和布刈神社=1952(昭和27)年8月、福岡県和布刈神社002
新しい年の豊漁を祈願する和布刈神事が有名=1963(昭和38)年10月頃、北九州市門司区在郷軍人会 筥崎宮に参拝
筥崎宮に参拝する在郷軍人会の列=1941(昭和16)年10月、福岡市堂崎天主堂001
福江市でももっとも古い教会の堂崎天主堂=1977(昭和52)年5月頃堂崎天主堂002
堂崎天主堂=2000(平成12)年4月13日、福江市堂崎天主堂003
ライトアップされた福江市の堂崎天主堂=2003(平成15)年12月多久頭魂神社001
天道様(天神多久頭魂神社の石積みの塔)=1975(昭和50)年、長崎県対馬多久頭魂神社002
多久頭魂神社=1975(昭和50)年、長崎県対馬大元神社
不動真言の呪文を唱えながら、白煙が立ち上る護摩壇に護摩木を投げ入れる僧=大分県宇佐市・大元神社大江教会
聖体行列のメーン会場となる大江教会=天草町、2002(平成14)年12月大浦天主堂 献堂150年ミサ
献堂150周年を迎え大浦天主堂で行われた記念ミサ=平成27年2月19日午後7時28分、長崎市南山手町大浦天主堂001
大浦天主堂=1977(昭和52)年、長崎市南山手町大浦天主堂002
国宝・大浦天主堂。国内に現存する教会で最も古い=2013(平成25)年7月、長崎市大野教会堂001
独特の「ド・ロ壁」が印象的な大野教会堂=2013(平成25)年7月頃、長崎市大野教会堂002
大野教会堂の内部。アーチ形の窓から光が降り注ぐ=2013(平成25)年7月頃、長崎市天岩戸神社
宮崎県高千穂町にある天岩戸神社=2012(平成24)年4月頃天岩戸神社 天安河原001
天岩戸神社の天安河原=2004(平成16)年1月頃、宮崎県高千穂町天岩戸神社 天安河原002
天岩戸神社の天安河原=2004(平成16)年1月頃、宮崎県高千穂町天岩戸神社 天安河原003
天岩戸神社の「天安河原」=1979(昭和54)年8月頃、西臼杵郡高千穂町天岩戸神社 神楽殿
天岩戸神社の神楽殿=1948(昭和23)年12月23日、宮崎県高千穂町天草崎津集落 崎津天主堂001
漁師町にたたずむ崎津天主堂=2013(平成25)年8月頃、天草市天草崎津集落 崎津天主堂002
港町に面した崎津天主堂=1961(昭和36)年6月頃、熊本県天草郡河浦町崎津天草崎津集落 崎津教会
世界文化遺産の国内候補が確実となった天草市河浦町の崎津集落。中央は崎津教会=2014(平成26)年7月頃天草崎津集落 崎津教会畳張り替え
職人たちが奉仕した畳張り替えの「完成奉納式」=2015(平成27)年2月28日、天草市河浦町・崎津教会天草崎津集落 教会跡地の修道院
禁教令解除後、崎津諏訪神社そばに建てられた教会の跡地にある修道院。今は空き屋になっている=天草市天草諸島 殉教祭
天草の殉教祭=1956(昭和31)年9月18日、熊本県太宰府天満宮 九州国立博物館の開館祝う
横断幕やのぼりを掲げて九州国立博物館の開館を祝う太宰府天満宮の参道=福岡県太宰府市太宰府天満宮 初もうで
初もうで客でにぎわう太宰府天満宮参道=1994(平成6)年1月2日、福岡県太宰府市(本社ヘリから)太宰府天満宮 博多梅あげたい
太宰府天満宮参道を練り歩いた「博多梅あげたい」。奉納された紅白の梅の苗木も本物の牛車に運ばれた太宰府天満宮 嶋田繁太郎が参拝
太宰府天満宮に参拝の嶋田繁太郎海軍大臣=1943(昭和18)年3月頃太宰府天満宮 曲水の宴001
梅の花びらが舞う中、優雅に繰り広げられた「曲水の宴」=福岡県太宰府市・太宰府天満宮太宰府天満宮 曲水の宴002
平安時代の貴族文化を再現した曲水の宴=2015(平成27)年3月1日午後、福岡県太宰府市・太宰府天満宮太宰府天満宮 梅ケ枝餅の店
梅ケ枝餅の店が並ぶ太宰府天満宮の参道太宰府天満宮 神幸祭の行列001
参道を進む太宰府天満宮神幸祭の行列太宰府天満宮 神幸祭の行列002
太宰府天満宮の参道を進む神幸祭の行列太宰府天満宮 観梅マラソン大会001
西日本新聞社主催の観梅マラソン大会。大勢の観客が詰めかけた太宰府天満宮の参道ゴール付近=福岡県・太宰府太宰府天満宮 観梅マラソン大会002
観梅マラソンのゴール=1959(昭和34)年3月3日、太宰府天満宮参道太宰府天満宮 開花した飛び梅
かれんな花を咲かせた太宰府天満宮の「飛梅」=2013(平成25)年1月22日午前10時半頃、福岡県太宰府市太宰府天満宮 飛梅の実ちぎり
太宰府天満宮の神木・飛梅の実を竹で落とす神職と落ちた実を拾い集めるみこたち=2015(平成27)年6月1日太宰府天満宮 鬼すべ
「鬼じゃ鬼じゃ」と言いながら太宰府天満宮参道を進む燻手(すべて)たち=1月7日(昭和26年頃)太宰府天満宮 1075年大祭
太宰府天満宮1075年大祭の献梅パレード=1977(昭和52)年2月11日、太宰府天満宮参道太宰府天満宮でフォークダンス
太宰府天満宮境内で開かれた枝光青年団のフォークダンス太宰府天満宮初詣で001
大勢の初もうで客が訪れた太宰府天満宮=1994(平成6)年1月2日、福岡県太宰府市(本社ヘリから)太宰府天満宮初詣で002
大勢の初もうで客が訪れた太宰府天満宮=1994(平成6)年1月2日、福岡県太宰府市(本社ヘリから)太宰府天満宮初詣で003
大勢の初もうで客が訪れた太宰府天満宮=1994(平成6)年1月2日、福岡県太宰府市(本社ヘリから)太宰府天満宮初詣で004
初もうで客でにぎわう太宰府天満宮参道=1994(平成6)年1月2日、福岡県太宰府市(本社ヘリから)太宰府天満宮初詣で005
初もうで客でにぎわう太宰府天満宮参道=1994(平成6)年1月2日、福岡県太宰府市(本社ヘリから)太宰府天満宮初詣で006
初詣で客で混雑する太宰府天満宮の参道=1998(平成10)年1月2日、福岡県太宰府市(本社ヘリから)太宰府天満宮初詣で007
初詣で客で混雑する太宰府天満宮の参道=1998(平成10)年1月2日、福岡県太宰府市(本社ヘリから)太宰府天満宮初詣で008
大勢の初詣で客でにぎわう太宰府天満宮=1998(平成10)年1月2日、福岡県太宰府市(本社ヘリから)太宰府天満宮初詣で009
大勢の初詣で客でにぎわう太宰府天満宮=1998(平成10)年1月2日、福岡県太宰府市(本社ヘリから)太宰府天満宮初詣で010
大勢の初詣で客でにぎわう太宰府天満宮=1998(平成10)年1月2日、福岡県太宰府市(本社ヘリから)太宰府天満宮初詣で011
初もうででにぎわう太宰府天満宮=2000(平成12)年1月1日、福岡県太宰府市(本社ヘリから)太宰府天満宮初詣で012
初もうででにぎわう太宰府天満宮=2000(平成12)年1月1日、福岡県太宰府市(本社ヘリから)太宰府天満宮初詣で013
初詣客でにぎわう太宰府天満宮=2000(平成12)年1月1日、太宰府市(本社ヘリから)太宰府天満宮初詣で014
初詣客でにぎわう太宰府天満宮=2000(平成12)年1月1日、太宰府市(本社ヘリから)太宰府天満宮初詣で015
初詣客でにぎわう太宰府天満宮=2000(平成12)年1月1日、太宰府市(本社ヘリから)太宰府天満宮初詣で016
初詣客でにぎわう太宰府天満宮=2000(平成12)年1月1日、太宰府市(本社ヘリから)太宰府天満宮初詣で017
多くの初詣で客でにぎわう太宰府天満宮=2007(平成19)年1月2日午後3時すぎ、福岡県太宰府市太宰府天満宮初詣で018
うっすら雪化粧した太宰府天満宮の参道を埋める初詣での参拝客=2009(平成21)年1月2日、福岡県太宰府市太宰府天満宮周辺001
太宰府天満宮周辺の団地=1967(昭和42)年10月5日、福岡県筑紫郡(本社機から)太宰府天満宮周辺002
太宰府天満宮(中央山すそ)近辺。手前は西鉄電車の太宰府駅=撮影日不明、福岡県(本社機から)太宰府天満宮001
太宰府天満宮=1969(昭和44)年5月3日、福岡県筑紫郡太宰府町(本社機から)太宰府天満宮002
太宰府天満宮=1976(昭和51)年、福岡県筑紫郡太宰府町(本社機から)太宰府天満宮003
太宰府天満宮=1976(昭和51)年、福岡県筑紫郡太宰府町(本社機から)太宰府天満宮004
学問の神・菅原道真公を祭り、年間を通して多くの参拝者が訪れる太宰府天満宮太宰府天満宮005
「学問の神様」で知られる菅原道真を祭る太宰府天満宮。天神信仰は今も脈々と受け継がれている太宰府天満宮006
雪が降り積もった太宰府天満宮。神職たちが雪かきに追われていた=2014年1月22日午前如意輪寺(かえる寺)かえる部屋
無数のグッズで埋め尽くされた「かえる部屋」=2015(平成27)年6月、福岡県小郡市如意輪寺(かえる寺)カエル像
如意輪寺境内のあちこちに置かれたカエル像=2015(平成27)年6月、福岡県小郡市如意輪寺(かえる寺)柴燈大護摩の火渡り
多くの参拝者が訪れた1月の「柴燈(さいとう)大護摩の火渡り」=2015(平成27)年1月17日、福岡県小郡市宇久島 東光寺
家盛など7代が眠るとされる東光寺=2012(平成24)年3月頃、宇久島宇佐神宮 勅使門
多くの参拝客でにぎわう宇佐神宮の勅使門=2007(平成19)年5月頃、大分県宇佐市宇佐神宮 大的式
「蟇目の儀」で魔物退散のかぶら矢を射る小笠原さん=2002(平成14)年12月8日、大分県・宇佐神宮宇佐神宮 本殿遷座祭
「本殿遷座祭」で、ご神体を乗せて本殿に向かうみこし=平成27年5月27日午後8時16分、大分県宇佐市宇美八幡宮
宇美八幡宮周辺=2007(平成19)年12月、福岡県宇美町宗像大社 「第二宮」と「第三宮」
宗像大社の本殿裏にある「第二宮」と「第三宮」(左奥)。1973年の式年遷宮後に出た古材を使って建てられた宗像大社 みあれ祭001
大漁旗などで飾られた漁船団が、勇壮なパレードを披露した宗像大社の秋季大祭「みあれ祭」=福岡県宗像市沖宗像大社 みあれ祭002
宗像大社。ご神体を奉迎する人たち=1962(昭和37)年9月頃、宗像郡玄海町神湊宗像大社 みあれ祭003
宗像郡(宗像大社みあれ祭)海上神幸の漁船パレード=1965(昭和40)年10月頃宗像大社 みあれ祭004
沖ノ島から大島へ神移しの神事=1979(昭和54)年9月頃宗像大社 みあれ祭005
勇壮な海上パレードを繰り広げた宗像大社のみあれ祭=1985(昭和60)年10月、宗像市沖宗像大社 やぶさめ
宗像大社のやぶさめ=1954(昭和29)年10月頃宗像大社 中津宮
宗像大社中津宮=1985(昭和60)年7月、福岡県大島村宗像大社 中津宮「天の真名井」
森の中を流れる小川「天の川」のほとりにある「天の真名井(まない)」。沖ノ島(大島村)の宗像大社中津宮宗像大社 中津宮が鎮座する大島
宗像大社中津宮が鎮座する大島=1973(昭和48)年8月頃、宗像郡大島村宗像大社 中津宮の「天の川」001
中津宮境内を流れる「天の川」。その奥に織女社が見える=2014(平成26)年頃宗像大社 中津宮の「天の川」002
宗像市大島の宗像大社中津宮境内を流れる「天の川」=2005(平成17)年頃宗像大社 中津宮の恋みくじ
水に浮かべると文字が浮かびでる恋みくじ=2014(平成26)年頃宗像大社 中津宮拝殿
大島村にある県指定文化財の中津宮拝殿=2002(平成14)年8月頃宗像大社 中津宮本殿
大島東部にある宗像大社中津宮の本殿。県指定文化財になっている=2010(平成22)年7月頃宗像大社 修理される本殿
修理される本殿(国重文)=1953(昭和28)年2月頃、宗像大社宗像大社 奉納舞楽
宗像大社。奉納舞楽=1943(昭和18)年4月頃宗像大社 完成した第ニ宮、第三宮
完成した宗像大社の第ニ、第三宮(右)=1975(昭和50)年5月頃宗像大社 御所車
御所車=1956(昭和31)年9月頃、宗像大社宗像大社 拝殿と本殿
宗像大社。拝殿(手前)と本殿=1941(昭和16)年3月頃宗像大社 放生会でおはらい
放生会(秋季大祭)でおはらいを受ける「やぶさめ」の参加者たち=1951年(昭和26)年10月頃、宗像大社宗像大社 昭和初期
宗像大社の神勅扁額=昭和初期宗像大社 昭和初期の辺津宮
宗像大社辺津宮の正門=昭和初期宗像大社 沖ノ島でみそぎ
沖ノ島で裸になって身を清める男衆=2002(平成14)年、大島村宗像大社 沖ノ島十七号遺跡
沖ノ島十七号遺跡=1986(昭和61)年3月頃、福岡県宗像郡大島村沖ノ島宗像大社 沖ノ島参道
沖津宮へ続く道は、林の中を縫うように続いている=2013(平成25)年9月宗像大社 沖ノ島祭祀場跡
沖津宮の社殿の背後に眠る古代の祭祀場跡。覆いかぶさるように折り重なる巨岩群がただならぬ気配を伝えてくる宗像大社 沖ノ島祭祀遺跡
古代祭祀遺跡4号洞穴から見た宗像神社沖津宮社殿=1979(昭和54)年8月頃、福岡県宗像郡大島村沖ノ島宗像大社 沖ノ島調査団
沖津宮本殿横の遺跡を発掘する沖ノ島調査団一行=1954(昭和29)年5月頃、福岡県宗像郡大島村沖ノ島宗像大社 沖ノ島001
宗像大社の沖津宮が鎮座する沖ノ島=1963(昭和38)年7月30日、宗像郡大島村宗像大社 沖ノ島002
宗像大社の沖津宮が鎮座する「海の正倉院」沖ノ島=1977(昭和52)年8月頃、宗像郡大島村宗像大社 沖ノ島003
宗像大社の沖津宮が鎮座する沖ノ島(左手前は小屋島)=1988(昭和63)年6月頃、宗像郡大島村宗像大社 沖ノ島004
宗像大社沖津宮へ向かう石坂=宗像郡大島村沖島、昭和初期宗像大社 沖島漁港
昭和初期の沖島漁港=宗像郡大島村(沖ノ島)宗像大社 沖島灯台
沖ノ島一ノ岳頂上の沖島灯台=1954(昭和29)年6月頃、宗像郡大島村宗像大社 沖津宮
宗像大社沖津宮=1979(昭和54)年7月、福岡県大島村沖島宗像大社 沖津宮の大祭001
宗像大社沖津宮に参拝する現地大祭の参列者=2012(平成24)年5月27日宗像大社 沖津宮の大祭002
宗像大社沖津宮の大祭=1964(昭和39)年5月27日、福岡県大島村の沖ノ島宗像大社 沖津宮の大祭003
宗像大社沖津宮の大祭=1964(昭和39)年5月27日、福岡県大島村の沖ノ島宗像大社 沖津宮の風俗舞
宗像大社沖津宮の社殿で初めて披露された「主基地方風俗舞」=昭和56年9月頃、宗像郡大島村沖島(沖ノ島)宗像大社 沖津宮遥拝所001
宗像大社沖津宮遥拝所=1985(昭和60)年7月、福岡県大島村宗像大社 沖津宮遥拝所002
沖ノ島に鎮座する沖津宮を拝む遥拝所=宗像郡大島村宗像大社 浜宮001
浜宮貝塚が付近にある宗像大社浜宮=1986(昭和61)年6月頃宗像大社 浜宮002
浜宮貝塚が付近にある宗像大社浜宮=1986(昭和61)年6月頃宗像大社 皇太子、皇太子妃殿下ご参拝
宗像大社ご参拝の両殿下=1983(昭和58)年5月15日、福岡県宗像郡玄海町宗像大社 礼宮さま来訪
宗像大社にお着きになった礼宮さま=1986(昭和61)年7月20日、福岡県宗像大社 第一宮
宗像大社・第一宮=1974(昭和49)年9月頃宗像大社 第二、第三宮の遷座式
おごそかに行われた第二宮、第三宮の遷座式=宗像大社宗像大社 第2次学術調査001
沖ノ島の第2次学術調査=1957(昭和32)年8月18日、福岡県宗像郡大島村宗像大社 第2次学術調査002
沖ノ島の第2次学術調査=1957(昭和32)年8月18日、福岡県宗像郡大島村宗像大社 航海安全の神
航海安全、交通安全の神として信仰される宗像大社=1971(昭和46)年3月頃宗像大社 辺津宮の拝殿と本殿
いずれも国重文に指定されている宗像大社辺津宮の拝殿と本殿=1941(昭和16)年3月頃宗像大社 遥拝所から沖津宮参拝
大祭が中止となり、宗像市の大島にある沖津宮遥拝所から沖ノ島に向かって参拝する参加者たち宗像大社 遺跡と巨岩
沖ノ島(大島村)の宗像大社沖津宮の横にある遺跡と高さ10メートルの巨岩=2004(平成16)年6月頃宗像大社 高宮神奈備祭
森の中の古代祭場で行われた宗像大社の「高宮神奈備祭」=2013(平成25)年10月3日宗像大社みあれ祭001
宗像神社のみあれ祭。漁船パレードの後方は神湊=1965(昭和40)年10月1日、福岡県宗像郡玄海町宗像大社みあれ祭002
宗像神社のみあれ祭で海上神幸の漁船パレード=1966(昭和41)年10月1日、福岡県宗像郡玄海町宗像大社みあれ祭003
大島から神湊へ向かう宗像神社みあれ祭の漁船パレード=1968(昭和43)年10月1日、福岡県宗像郡宗像大社みあれ祭004
大島を出航して神湊に向かう漁船パレードの宗像神社みあれ祭=1970年10月1日、福岡県宗像郡玄海町宗像大社みあれ祭005
大島から神湊へ向かう漁船の海上パレード=1970(昭和45)年10月1日、福岡県宗像郡・大島沖(本社機から)宗像大社みあれ祭006
宗像大社秋季大祭の海上神幸・みあれ祭の漁船パレード=1981年10月1日、福岡県宗像郡玄海町の玄界灘宗像大社みあれ祭007
宗像大社秋季大祭の海上神幸・みあれ祭の漁船パレード=1981年10月1日、福岡県宗像郡玄海町の玄界灘宗像大社みあれ祭008
玄界灘に繰り広げられたみあれ祭の海上パレード=1983(昭和58)年10月1日、福岡県玄海町沖(本社機から)宗像大社みあれ祭009
玄界灘をパレードするみあれ祭の漁船団=1984(昭和59)年10月1日、福岡県(本社機から)宗像大社みあれ祭010
みあれ祭の漁船パレード=1992(平成4)年10月1日、福岡県玄海町沖(本社ヘリから)宗像大社みあれ祭011
みあれ祭の漁船パレード=1992(平成4)年10月1日、福岡県玄海町沖(本社ヘリから)宗像大社みあれ祭012
みあれ祭の漁船パレード=1992(平成4)年10月1日、福岡県玄海町沖(本社ヘリから)宗像大社みあれ祭013
漁船団が勇壮なパレードを繰り広げた宗像大社の海上神幸「みあれ祭」=1993(平成5)年10月1日、宗像市沖宗像大社みあれ祭014
漁船団が勇壮なパレードを繰り広げた宗像大社の海上神幸「みあれ祭」=1993(平成5)年10月1日、宗像市沖宗像大社みあれ祭015
宗像大社のみあれ祭=1995(平成7)年10月1日、福岡県玄海町沖(本社機から)宗像大社みあれ祭016
宗像大社のみあれ祭=1995(平成7)年10月1日、福岡県玄海町沖(本社機から)宗像大社みあれ祭017
大漁旗を掲げた漁船団が玄界灘を駆けた「みあれ祭」=1996(平成8)年10月1日、福岡県宗像郡玄海町沖宗像大社みあれ祭018
大漁旗を掲げた漁船団が玄界灘を駆けた「みあれ祭」=1996(平成8)年10月1日、福岡県宗像郡玄海町沖宗像大社みあれ祭019
大漁旗を掲げた漁船団が玄界灘を駆けた「みあれ祭」=1996(平成8)年10月1日、福岡県宗像郡玄海町沖宗像大社みあれ祭020
勇壮なみあれ祭の漁船パレード=1997(平成9)年10月1日、福岡県玄海町沖(本社ヘリから)宗像大社みあれ祭021
勇壮なみあれ祭の漁船パレード=1997(平成9)年10月1日、福岡県玄海町沖(本社ヘリから)宗像大社みあれ祭022
勇壮なみあれ祭の漁船パレード=1997(平成9)年10月1日、福岡県玄海町沖(本社ヘリから)宗像大社みあれ祭023
勇壮なみあれ祭の漁船パレード=1997(平成9)年10月1日、福岡県玄海町沖(本社ヘリから)宗像大社みあれ祭024
漁船団が大漁旗を掲げ、勇壮なパレードを繰り広げた海上神幸「みあれ祭」=1999年10月1日、福岡県宗像市沖宗像大社みあれ祭025
漁船団が大漁旗を掲げ、勇壮なパレードを繰り広げた海上神幸「みあれ祭」=1999年10月1日、福岡県宗像市沖宗像大社みあれ祭026
大漁旗を掲げた漁船が勇壮に玄界灘を駆ける宗像大社の「みあれ祭」=2000年10月1日、福岡県玄海町沖宗像大社みあれ祭027
大漁旗を掲げた漁船が勇壮に玄界灘を駆ける宗像大社の「みあれ祭」=2000年10月1日、福岡県玄海町沖宗像大社みあれ祭028
大漁旗を掲げた漁船が勇壮に玄界灘を駆ける宗像大社の「みあれ祭」=2000年10月1日、福岡県玄海町沖宗像大社みあれ祭029
宗像大社「みあれ祭」の漁船パレード=2002(平成14)年10月1日、宗像市沖(本社ヘリから)宗像大社みあれ祭030
宗像大社「みあれ祭」の漁船パレード=2002(平成14)年10月1日、宗像市沖(本社ヘリから)宗像大社みあれ祭031
大漁旗などで飾られた漁船団が、波しぶきをあげながら海上をパレードする宗像大社の秋季大祭「みあれ祭」宗像大社みあれ祭032
大漁旗などで飾られた漁船団が、波しぶきをあげながら海上をパレードする宗像大社の秋季大祭「みあれ祭」宗像大社みあれ祭033
大漁旗をなびかせ、勇壮に海上をパレードする漁船団=2005(平成17)年10月1日、福岡県宗像市沖宗像大社みあれ祭034
大漁旗をはためかせ、海上をパレードする漁船団。後方は大島=2007(平成19)年10月1日、福岡県宗像市沖宗像大社みあれ祭035
大漁旗を掲げた漁船団が勇壮なパレードを繰り広げた海上神幸「みあれ祭」=2008(平成20)年10月1日宗像大社みあれ祭036
みこしを載せた「御座船」を囲むように船団を組み、白波を立てて海上をパレードする漁船。奥は地島宗像大社みあれ祭037
大漁旗をはためかせ、勇壮なパレードを披露した漁船団。奥は地島=2011年10月1日、福岡県宗像市沖宗像大社みあれ祭038
漁船団が大漁旗をはためかせながら海上をパレードした「みあれ祭」=2014(平成26)年10月1日宗像大社神宝館
沖ノ島出土品と歴史資料を収蔵展示する宗像大社神宝館=1980(昭和55)年11月頃宗像大社001
宗像大社周辺=2007(平成19)年7月、福岡県宗像市宗像大社001
宗像大社=1971(昭和46)年10月、福岡県宗像郡玄海町宗像大社002
初もうで客でにぎわう宗像大社=1994(平成6)年1月2日、福岡県宗像郡玄海町(本社ヘリから)宗像大社002
宗像大社=1976(昭和51)年11月頃宗像大社003
初もうで客でにぎわう宗像大社=1994(平成6)年1月2日、福岡県宗像郡玄海町(本社ヘリから)宗像大社003
宗像大社=1977(昭和52)年6月頃宗像大社004
1981(昭和56)年頃の福岡県玄海町の宗像大社宗像大社005
福岡県玄海町。手前宗像大社、上は神湊=1981(昭和56)年頃宝当神社001
唐津市高島の宝当神社=2006(平成18)年12月14日午後宝当神社002
宝当神社のある高島への渡船に乗り込む団体の観光客ら。後方は唐津城=唐津市=2004(平成16)年5月頃宝当神社003
高島の宝当神社=1995(平成7)年2月19日、唐津市宝当神社004
宝当神社に参拝した野副市長(右)=1994(平成6)年1月17日、唐津市・高島宝珠寺のしだれ桜001
闇の中に浮かぶ姿は現世を忘れさせる美しさ=2007(平成19)年3月26日、佐賀県神埼市・宝珠寺宝珠寺のしだれ桜002
夕闇にたたずむ姿は、心に温かな明かりをともす=2007(平成19)年3月26日、佐賀県神埼市・宝珠寺宝珠寺のしだれ桜003
見ごろを迎えた宝珠寺のヒメシダレザクラ=2008(平成20)年4月1日、佐賀県神埼市宝珠寺のしだれ桜004
満開を迎えた宝珠寺のシダレザクラ=2009(平成21)年3月19日、佐賀県神埼市宝珠寺のしだれ桜005
ライトアップされたヒメシダレザクラ=2010(平成22)年3月18日午後7時半頃、佐賀県神埼市・宝珠寺宝珠寺のしだれ桜006
ライトアップされ、鮮やかに浮かび上がった宝珠寺のヒメシダレザクラ=2011年3月30日、佐賀県神埼市宝珠寺のしだれ桜007
ライトアップされたヒメシダレザクラ=2012(平成24)年4月2日、佐賀県神埼市・宝珠寺宮地嶽神社 ショウブ神事
薄紫や白のハナショウブが咲く中であった宮地嶽神社の初刈り神事=2014(平成26)年5月31日、福岡県福津市宮地嶽神社 大きさ日本一の大しめ縄
宮地嶽神社の大しめ縄。現在のものは、昨年12月に掛け替えられたばかりだ=平成21年1月5日、福岡県福津市宮地嶽神社 宮地嶽神社
初詣での参拝客でにぎわった宮地嶽神社=2005(平成17)年1月2日午後、福岡県津屋崎町(本社ヘリから)宮地嶽神社 寒緋桜001
七分咲きとなり、見ごろを迎えた宮地嶽神社の寒緋桜=2003(平成15)年2月6日、福岡県津屋崎町宮地嶽神社 寒緋桜002
お点前の披露のほか、巫女による優雅な舞の奉納もあった宮地嶽神社の「緋桜野点(のだて)」=2006年3月19日宮地嶽神社 寒緋桜003
冷え込みの中、ピンク色の花が満開となった寒緋桜=2008(平成20)年2月14日、福岡県福津市・宮地嶽神社宮地嶽神社 寒緋桜004
福津市の宮地嶽神社で見ごろを迎えている寒緋桜=2010(平成22)年3月8日、福岡県宮地嶽神社 本殿屋根が黄金色に
屋根が黄金色に生まれ変わった宮地嶽神社の本殿=2010(平成22)年10月21日、福岡県福津市宮地嶽神社 江戸菖蒲初刈り
巫女が優雅に舞う中、神前に供える江戸ショウブを刈る神職=福岡県福津市の宮地嶽神社宮地嶽神社 節分神事
舞台の上から豆をまく年男、年女たち=福津市宮司元町・宮地嶽神社、2012年1月28日宮地嶽神社 開運の神
開運の神として信仰される宮地嶽神社=1960(昭和35)年3月頃、宗像郡津屋崎町宮地嶽神社 開運桜001
「開運桜」の蜜を求め、枝先を飛び回るメジロ=2014(平成26)年2月19日、福岡県福津市・宮地嶽神社宮地嶽神社 開運桜002
満開の「開運桜」の蜜を求めるメジロ=2014(平成26)年2月19日午前11時頃、福岡県福津市・宮地嶽神社宮地嶽神社 開運桜003
見ごろを迎えた宮地嶽神社の「開運桜」=2016(平成28)年2月10日午前、福岡県福津市宮地嶽神社 開運桜004
満開の「開運桜」の蜜を吸うメジロ=2017(平成29)年2月4日午前11時すぎ、福岡県福津市・宮地嶽神社宮地嶽神社の桜見ごろ
桜が見ごろを迎えた宮地嶽神社境内=2011(平成23)年4月2日、福岡県宮地嶽神社の門前町
宮地嶽神社の門前町=1954(昭和29)年1月頃、宗像郡津屋崎町宮地嶽神社付近を走る津屋崎軌道
津屋崎町の宮地嶽神社付近を走る津屋崎馬車軌道=宗像郡津屋崎、大正初期宮地嶽神社初詣で
初詣での参拝客でにぎわった宮地嶽神社=2005(平成17)年1月2日午後、津屋崎町(本社へりから)宮地獄神社
福岡県福津市の宮地獄神社周辺=2006(平成18)年7月宮崎神宮 両陛下がご訪問
宮崎神宮にお成りの両陛下=1959(昭和34)年1月頃宮崎神宮 建国祭
宮崎神宮建国祭式場=1940(昭和15)年2月宮崎神宮 流鏑馬
疾走する馬から矢を放ち、的に的中させる射手=2014(平成26)年4月3日、宮崎市・宮崎神宮宮崎神宮 鳥居奉献001
福岡日日新聞(西日本新聞社)が宮崎神宮に奉献した鳥居=1939(昭和14)年、宮崎市宮崎神宮 鳥居奉献002
福岡日日新聞(西日本新聞社)が宮崎神宮に奉献した鳥居=1939(昭和14)年、宮崎市宮崎神宮の境内
静かなたたずまいの宮崎神宮の境内=2011(平成23)年12月頃、宮崎市富貴寺大堂001
1953(昭和28)年10月当時の国宝富貴寺大堂=大分県富貴寺大堂002
観光客に人気のある国宝・富貴寺大堂=2010(平成22)年2月頃、大分県豊後高田市田染蕗富貴寺大堂003
国史跡に答申された富貴寺境内。建物は国宝の大堂=2013(平成25)年6月頃、大分県豊後高田市対馬 万松院「百雁木」
桃山様式の万松院山門と墓所へと続く「百雁木」と呼ばれる石段(右)=2011(平成23)年4月頃対馬 万松院まつり
万松院まつりの日に限り、明かりがともる百雁木の灯籠=2013(平成25)年9月頃対馬 表八丁角
天道信仰の開祖、天道法師の墓といわれ昔の信者からは近寄ってはならぬ恐ろしい所とされた=長崎県対馬対馬の亀卜神事
神殿の前に岩佐さんが正座して祝詞を上げ、呪文を唱える=1983(昭和58)年頃、厳原町豆酘山口大神宮
山口大神宮=昭和54年1月31日崇福寺(福岡市)
大燈が第五世住持を務めた崇福寺=2004(平成16)年11月頃、福岡市博多区崇福寺(長崎市)大雄宝殿の屋根
崇福寺大雄宝殿の屋根=1973(昭和48)年、長崎市崇福寺(長崎市)大雄宝殿001
崇福寺の大雄宝殿=1983(昭和58)年1月、長崎市崇福寺(長崎市)大雄宝殿002
崇福寺の大雄宝殿=1994(平成6)年2月27日、長崎市嵯峨島 三井楽町のオーモンデー踊り
長崎県南松浦郡三井楽町の嵯峨島に古くから伝承されている念仏踊りのオーモンデー踊り=昭和51年7月頃川上音二郎の墓(承天寺)
川上音二郎の墓=1951(昭和26)年2月頃、福岡市の承天寺平戸ザビエル記念教会
クリスマスミサが執り行われる平戸ザビエル記念教会=2014(平成26)年12月、長崎県平戸市平戸島の聖地と集落 中江ノ島001
かくれキリシタンの聖地・中江ノ島=2013(平成25)年7月頃、平戸市平戸島の聖地と集落 中江ノ島002
中江ノ島(中央)に昇る朝日。元和・寛永の殉教の舞台となり、多くのキリシタンが処刑された=平戸市平戸島の聖地と集落 安満岳
禁教下、キリシタンの聖地となった長崎県平戸市の安満岳(奥中央)=2015(平成27)年1月頃恋木神社
ハートが10個デザインされている鳥居がある恋木神社=2015(平成27)年4月、福岡県筑後市愛宕神社拝殿と福岡市
愛宕神社拝殿と福岡市=1959(昭和34)年7月頃、福岡市西区愛宕神社(福岡市)
愛宕神社=1974(昭和49)年10月、福岡市・愛宕成田山久留米分院 大観音像
大観音像がそびえ立つ成田山久留米分院ですす払いをする僧侶たち=平成25年12月17日朝、福岡県久留米市成田山久留米分院の慈母観音
成田山久留米分院の慈母観音像=2000(平成12)年11月6日、久留米市上津町(本社ヘリから)承天寺 うどん、そば発祥の地001
承天寺にある「饂飩蕎麦発祥之地」の石碑=2010(平成22)年6月、福岡市博多区承天寺 うどん、そば発祥の地002
承天寺にあるうどん、そば発祥の地を記念する石碑(左)。右隣はまんじゅうの石碑=福岡市博多区承天寺 消失した天興庵
消失した承天寺天興庵=福岡市・上辻堂町、1935(昭和10)年頃承天寺 聖一国師像
承天寺の聖一国師像=1999(平成11)年12月、福岡市博多区博多駅前承天寺 謝国明木像
承天寺開山堂に収められている謝国明木像=2005(平成17)年7月頃承天寺通り 整備前
整備前の承天寺通り=2010(平成22)年7月、福岡市博多区承天寺通り 整備後
博多千年門や植栽などが施された現在の承天寺通り=2014(平成26)年5月頃、福岡市博多区承天寺001
聖一国師弁円が謝国明の寄進によって建てた承天寺=1966(昭和41)年6月頃、福岡市・上辻堂町承天寺002
承天寺=1966(昭和41)年10月頃、福岡市・上辻堂町承天寺005
街づくりフォーラムの会場となる承天寺=2011(平成23)年10月6日、福岡市新原・奴山古墳群001
奴山・新原古墳群の円墳上に散乱する安山岩の自然石(新原の百塔板碑)=昭和53年6月頃、宗像郡津屋崎町奴山新原・奴山古墳群002
新原・奴山古墳群=1997(平成9)年1月頃、福岡県宗像郡津屋崎町勝浦新原・奴山古墳群003
田畑の中に円墳や前方後円墳などが点在する福津市の新原・奴山古墳群=2009(平成21)年4月、福岡県福津市新原・奴山古墳群004
新原・奴山古墳群と花畑の景色を楽しみながら散策する参加者たち=2015(平成27)年3月、福岡県福津市日子神社 叶池
左上にある「口」の部分と手前に見える「十」の部分で「叶」の文字をかたどっている日子神社の叶池=佐賀県みやき町日野江城跡001
かつては約11万6000平方メートルの敷地に本丸、二の丸、三の丸があったとされる日野江城跡=南島原市日野江城跡002
日野江城本丸跡にある日野江神社に祭られている石仏「八天様」旧五輪教会堂
旧五輪教会堂。外観は和風だが、内部はリブ・ヴォールト天井があるゴシック様式の教会建築=長崎県五島市久賀島旧出津救助院
ド・ロ神父が設立した旧出津救助院。マカロニ工場などが立ち並ぶ=2013(平成25)年7月頃、長崎市旧野首教会堂001
貧しい暮らしの中で17世帯が資金を出し合って建設した旧野首教会堂。一時は荒廃が進んだが小値賀町が改修した旧野首教会堂002
ステンドグラスから美しい光が漏れる旧野首教会堂=長崎県野崎島、2013(平成25)年8月頃曲川神社の八重桜
見頃になった曲川神社参道の八重桜=2015(平成27)年4月9日、佐賀県西松浦郡有田町月読神社(壱岐)001
壱岐の月読神社=1995(平成7)年9月4日、長崎県月読神社(壱岐)002
パワースポットとしても人気を集めている月読神社=2012(平成24)年2月頃、壱岐市芦辺町東郷神社(福津市)
ハニワ式の東郷神社=1972(昭和47)年6月頃、宗像郡津屋崎町東郷神社(福津市)日本海海戦紀念碑
東郷平八郎自身の書が刻まれた「日本海海戦紀念碑」は玄界灘を見下ろす丘に立つ=平成26年頃、福岡県福津市東長寺
東長寺=2014(平成26)年2月12日、福岡市博多区東長寺 イベントでライトアップ
博多ライトアップウォークが始まり、神社仏閣が幻想的な照明で演出された=福岡市博多区の東長寺東長寺 五重塔、新名所になるか
博多の新名所になりそうな東長寺の五重塔=2010(平成22)年11月頃、福岡市博多区東長寺 五重塔建設計画
五重塔建設を計画している東長寺=2007(平成19)年12月頃、福岡市博多区東長寺 和太鼓フェスティバル
東長寺の本堂を舞台に力強い太鼓の演奏が響いた=2013(平成25)年10月13日午後6時東長寺 新本堂が完成
新本堂が完成=福岡市博多区御供所町・東長寺東長寺 空海帰朝記念の石碑
福岡市博多区御供所町の東長寺。門の横に空海の帰朝1200年を記念する石碑が立つ=福岡市博多区の東長寺東長寺 節分祭
節分祭=1974(昭和49)年2月3日、福岡市博多区・東長寺東長寺 節分祭の鬼
中洲に出没した東長寺の鬼=1979(昭和54)年2月2日、福岡市東長寺の福岡大仏
一般公開された東長寺の福岡大仏=平成4年5月22日、福岡市博多区東長寺本堂001
シンポジウムの会場となる東長寺本堂。境内では五重塔の建設が進む=2010(平成22)年9月頃東長寺本堂002
「博多みらいフォーラム」のシンポジウムが開かれる東長寺本堂=2007(平成19)年9月頃松陰神社 両陛下がご見学
萩の松陰神社をご見学の両陛下=平成6年11月19日、山口県萩市松陰神社神殿と大鳥居
修理を終えた松陰神社神殿と大鳥居=萩市松陰神社至誠館
愛称が「至誠館」に決まった建設中の松陰神社宝物殿櫛田神社 ぎなん落とし001
櫛田神社のぎなん落とし=1994(平成6)年9月29日、福岡市博多区櫛田神社 ぎなん落とし002
櫛田神社のぎなん落とし=1996(平成8)年10月3日、福岡市博多区櫛田神社 すす払い
ササ竹を使って本殿などのほこりを掃き清める櫛田神社の巫女や神職たち=平成24年12月21日午前、福岡市博多区櫛田神社 倒れたエノキ
台風22号の強風で根元から倒れた櫛田神社境内のエノキ=1955(昭和30)年9月30日、福岡市櫛田神社 博多おくんち
博多おくんちの櫛田神社1200年行列=1957(昭和32)年10月20日、福岡市櫛田神社 博多おくんちの稚児行列
博多おくんちの稚児行列=1961(昭和36)年10月22日、福岡市・櫛田神社近く櫛田神社 博多どんたく
福博の街に繰り出す松ばやし=1959(昭和34)年5月3日、福岡市・櫛田神社櫛田神社の大イチョウ
櫛田神社の大イチョウ=1954(昭和29)年4月19日、福岡市櫛田神社節分祭 ジャンボおたふく面くぐり
幸運を招く櫛田神社のジャンボお多福面をくぐる人たち=福岡市博多区櫛田神社001
櫛田神社=戦前、福岡市櫛田神社002
櫛田神社=福岡市、1961(昭和36)年10月頃武雄神社 おくんち
武雄おくんちでにぎわう武雄神社=1954(昭和29)年10月頃、佐賀県武雄市武雄神社 お火たき
御神火が夜空を焦がした「お火たき」=2008(平成20)年12月、佐賀県武雄市武雄神社 流鏑馬(やぶさめ)
武雄神社の流鏑馬で疾走する馬上から矢を放つ射手=2014(平成26)年10月23日、佐賀県武雄市水田天満宮
水田天満宮周辺(福岡県筑後市)=2007(平成19)年10月水田天満宮 「未」の巨大絵馬
「未」をモチーフに制作された絵馬=2015(平成27)年1月、福岡県筑後市水田天満宮 千灯明祭
水田天満宮の灯明祭で、いくつもの灯明で浮かび上がった帆掛け舟=2006(平成18)年8月、筑後市水田天満宮 本殿
水田天満宮神殿(本殿)=1952(昭和27)年4月頃、八女郡水田村(筑後市水田)水田天満宮 石造鳥居
水田天満宮の石造鳥居=1961(昭和36)年10月頃、筑後市水車橋
「水車橋」(博多川)。福岡市博多区中洲と川端に架かる橋=中洲から川端・櫛田神社(右側)水鏡天満宮001
水鏡天満宮=2007(平成19)年11月頃、福岡市中央区水鏡天満宮002
水鏡天満宮=1934(昭和9)年12月頃、福岡市江上天主堂001
江上天主堂=長崎県五島市奈留島、2013(平成25)年頃江上天主堂002
柱の手描きの木目模様が特徴的な江上天主堂=長崎県五島市奈留島、2013(平成25)年7月頃沖ノ島
福岡県宗像市の沖ノ島=2015(平成27)年12月8日(本社ヘリから)沖之島教会 天主堂
島のシンボルでもある沖之島教会(聖ミカエル天主堂)=2007(平成19)年4月頃、長崎県伊王島町法光寺 秀吉の八重桜001
ライトアップされた「太閤秀吉お手植えの桜」=2014(平成26)年4月5日、唐津市鎮西町名護屋・法光寺法光寺 秀吉の八重桜002
見頃を迎えている法光寺の八重桜=2016(平成28)年4月6日、佐賀県唐津市鎮西町波上宮の鳥居
沖縄戦で破損した戦後の波上宮の鳥居と米兵浄専寺の枝垂(しだれ)桜001
宮崎県指定天然記念物の五ケ瀬町浄専寺の垂れ桜=1985(昭和60)年4月、宮崎県西臼杵郡浄専寺の枝垂(しだれ)桜002
見ごろを迎えた五ケ瀬町の浄専寺の枝垂れ桜=2004(平成16)年4月4日、宮崎県西臼杵郡浄専寺の枝垂(しだれ)桜003
しだれ桜が満開を迎え、見物客でにぎわう浄専寺=2011(平成23)年4月12日、宮崎県西臼杵郡五ケ瀬町浄専寺の枝垂(しだれ)桜004
浄専寺の枝垂(しだれ)桜=2014(平成26)年3月31日午後0時半頃、宮崎県西臼杵郡五ケ瀬町浄専寺の枝垂(しだれ)桜005
見頃を迎え、花見客でにぎわう浄専寺のしだれ桜=2014(平成26)年4月2日、宮崎県西臼杵郡五ケ瀬町浦上天主堂 たいまつ行列
浦上天主堂から、平和祈念式典があった平和公園(同市松山町)まで歩く「たいまつ行列」があった浦上天主堂 ザビエル400年祭001
ザビエル400年祭の浦上天主堂跡における荘厳ミサ。参列する15000の信徒達=1949(昭和24)年5月浦上天主堂 ザビエル400年祭002
浦上天主堂跡における荘厳ミサ。ザビエルを祀る祭壇=1949(昭和24)年5月浦上天主堂 原爆被爆前
原爆に被災する前=1938(昭和13)年12月、長崎・浦上天主堂浦上天主堂 原爆被爆001
長崎。一瞬にして廃墟と化した浦上天主堂=撮影日不明浦上天主堂 原爆被爆002
被爆直後の浦上天主堂の惨状(長崎原爆)=1945(昭和20)年頃浦上天主堂 原爆被爆003
焼け野原となった浦上天主堂付近=1945(昭和20)年8月頃浦上天主堂 吹き飛ばされたドーム
原爆(長崎)(爆心地)爆風で吹き飛ばされた浦上天主堂のドーム(右下)=1946(昭和21)年頃浦上天主堂 永井博士市葬001
永井隆博士の市葬会場、浦上天主堂に向かう葬列=1951(昭和26)年5月14日、長崎市浦上天主堂 永井博士市葬002
永井隆博士の市葬=1951(昭和26)年5月14日、長崎市・浦上天主堂浦上天主堂 被爆したままの姿001
被爆したままの浦上天主堂=1951(昭和26)年9月25日、長崎市浦上天主堂 被爆したままの姿002
被爆したままの浦上天主堂=1955(昭和30)年頃、長崎市浦上天主堂 被爆したままの姿003
被爆して廃虚となった長崎・浦上天主堂=1958(昭和33)年3月頃浦上天主堂 被爆した聖母像
焼けただれた顔に慈愛の表情をたたえる無原理の聖母像=浦上天主堂、1981(昭和56)年2月頃浦上天主堂に掲げられた国連旗
長崎で開かれた国連協力会で浦上天主堂に掲げられた国連旗=1950(昭和25)年8月頃浦上天主堂周辺
空から見た浦上天主堂付近=1954(昭和29)年8月浦上天主堂001
被爆し、破壊されたままの浦上天主堂(中央)=1954(昭和29)年8月6日、長崎市(本社機から)浦上天主堂002
被爆し、破壊されたままの浦上天主堂(中央)=1954(昭和29)年8月6日、長崎市(本社機から)浦上天主堂003
被爆し、破壊されたままの浦上天主堂(中央)=1954(昭和29)年8月6日、長崎市(本社機から)海神神社
かつての対馬一の宮、海神神社=1975(昭和50)年、長崎県対馬瀬高の大人形(うう人形)001
無病息災を祈願する八坂神社祇園祭の大人形さんの股くぐり=昭和35年7月、福岡県山門郡瀬高町(現みやま市)瀬高の大人形(うう人形)002
八坂神社の夏祭りに飾られる大人形と提灯=1956(昭和31)年3月頃、福岡県山門郡瀬高町(現みやま市)瀬高の大人形(うう人形)003
無病息災を祈る八坂神社祇園祭の大人形の股くぐり=福岡県山門郡瀬高町(現みやま市)照国神社 ドイツ・ユーゲントが参拝
鹿児島・照国神社を参拝のユーゲント一行=1938(昭和13)年10月頃、鹿児島市照国神社 六月灯001
六月灯が始まった宵の口=1951(昭和26)年、鹿児島市・照国神社照国神社 六月灯002
灯籠の幻想的な光が境内に揺らめく照国神社の六月灯=2014(平成26)年7月15日、鹿児島市照国神社 六月灯003
灯籠の淡い光が辺りを照らし、大勢の人でにぎわう照国神社の六月灯=平成27年7月15日午後8時すぎ、鹿児島市照国神社 山本五十六国葬
山本五十六元帥の国葬の日、黙祷を捧げる接客業組合員たち=1943(昭和18)年6月頃、鹿児島市・照国神社照国神社 本殿
照国神社の本殿=1959(昭和34)年12月頃、鹿児島市照国神社 雪の鹿児島市
雪の鹿児島市全景。手前は照国神社=1934(昭和9)年熊野磨崖仏
わが国屈指の大きさの熊野磨崖仏=大分県高田市、1950(昭和25)年9月頃熊野磨崖仏 護摩焚き法要
荒行の始まりを告げる護摩焚(た)き法要生月島 「アントウ様」を守る
殉教遺跡「アントウ様」を守る、生月島の隠れキリシタン=昭和49年11月、長崎県生月島 「オナワリ」の日
静かな儀式。「オナワリ」の日、その宗団の幹部たちは仕事を休み正装して「お宿」に集まった。生月島 ごぜんサマの素顔
ごぜんサマの素顔。納戸神のご神体は聖像のほか、ロザリオ、大和絵ふうの聖画などいろいろある。生月島 キリシタン墓地
生月島のキリシタン墓地=昭和49年11月、長崎県生月島 朝のお礼
朝のお礼(長崎県北松浦郡生月町)=特集「隠れキリシタンの里」、1975(昭和50)年1月4日夕刊掲載生月島 祈りを捧げる信者
生月島の隠れキリシタン=昭和49年11月、長崎県生月島 納戸神の行事
仏事に見せかけて。座敷で儀式が行われる間、勝手の仏壇の前で古老の一人が手を十字に組み祈りをささげる。生月島 裏方の女性たち
裏方さん。婦人たちは手分けして会食用の料理をつくる。材料はサカナ、トリなど盛りだくさん。生月島 隠れキリシタン殉教遺跡
生月島の隠れキリシタン殉教遺跡=昭和49年11月、長崎県田平天主堂001
荘厳な赤れんが造りの田平天主堂は、平戸島を望む丘の上に立つ=2007(平成19)年11月、長崎県田平町田平天主堂002
重要文化財に指定するよう答申された田平天主堂=2003(平成15)年10月頃、長崎県田平町男岳神社の石猿群001
長崎県壱岐・芦辺町箱崎針ノ屋、黒嶽山男岳神社境内の石猿=1968(昭和43)年7月頃男岳神社の石猿群002
男岳神社の石猿群=1976(昭和51)年3月、長崎県壱岐祐徳稲荷神社 すす払い
祐徳稲荷神社楼門のすすを払うみこ=2014(平成26)年12月28日、佐賀県鹿島市祐徳稲荷神社 参拝客でにぎわう
参拝客でにぎわう祐徳稲荷神社=現・佐賀県鹿島市祐徳稲荷神社 境内と渡り廊下
祐徳稲荷神社境内と本殿への渡り廊下(左上)=佐賀県藤津郡古枝村(現・鹿島市古枝)祐徳稲荷神社 本殿と瑞垣
祐徳稲荷神社の本殿と瑞垣=佐賀県藤津郡古枝村祐徳稲荷神社 320年式典
鎮座320年の式年大祭が行われる祐徳稲荷神社=2007(平成19)年9月頃、佐賀県鹿島市祐徳稲荷神社の初詣で001
初詣で客でにぎわう祐徳稲荷神社=1998(平成10)年1月2日、佐賀県鹿島市(本社ヘリから)祐徳稲荷神社の初詣で002
初詣で客でにぎわう祐徳稲荷神社=1998(平成10)年1月2日、佐賀県鹿島市(本社ヘリから)祐徳稲荷神社の初詣で003
初詣で客でにぎわう祐徳稲荷神社=1998(平成10)年1月2日、佐賀県鹿島市(本社ヘリから)祐徳稲荷神社の初詣で004
初詣で客でにぎわう祐徳稲荷神社=1998(平成10)年1月2日、佐賀県鹿島市(本社ヘリから)祐徳稲荷神社の初詣で005
初詣で客でにぎわう祐徳稲荷神社=1998(平成10)年1月2日、佐賀県鹿島市(本社ヘリから)祐徳稲荷神社の初詣で006
初詣で客でにぎわう祐徳稲荷神社=1998(平成10)年1月2日、佐賀県鹿島市(本社ヘリから)祐徳稲荷神社の初詣で007
初詣で客で混雑する祐徳稲荷神社の参道=1998(平成10)年1月2日、佐賀県鹿島市(本社ヘリから)祐徳稲荷神社の初詣で008
初詣で客で混雑する祐徳稲荷神社の参道=1998(平成10)年1月2日、佐賀県鹿島市(本社ヘリから)祐徳稲荷神社001
祐徳神社=1952(昭和27)年、佐賀県藤津郡(本社機から)祐徳稲荷神社002
祐徳稲荷神社=1965(昭和40)年頃、佐賀県鹿島市祐徳稲荷神社003
鹿島市の祐徳稲荷神社=1957(昭和32)年3月15日、佐賀県(本社機から)竈門神社 昭和28年頃
竈門神社=1953(昭和28)年4月頃、現太宰府市内山竈門神社 昭和38年
竈門神社=1963(昭和38)年5月、福岡県竈門神社上宮
宝満山頂の竈門神社上宮=1932(昭和7)年10月頃、福岡県竈門神社授与所001
新築された竈門神社のお札・お守り授与所竈門神社授与所002
柔らかな間接照明が印象的な竈門神社のお守り授与所竈門神社001
国史跡に指定された宝満山の麓にある竈門神社=2013(平成25)年頃、福岡県竈門神社002
宝満山のふもとにある竈門神社=1996(平成8)年3月、福岡県太宰府市筥崎宮 「敵国降伏」の額復活
7年ぶり楼門に揚げられた「敵国降伏」の額=1952(昭和27)年6月21日、福岡市・筥崎宮筥崎宮 三笠宮殿下ご参拝
軍服姿で福岡市の筥崎宮にご参拝の三笠宮殿下=1942(昭和17)年頃筥崎宮 初詣で
筥崎宮の初もうで=1957(昭和32)年1月1日、福岡市筥崎宮 初詣ででにぎわう
初もうで客でにぎわう筥崎宮参道=1994(平成6)年1月2日、福岡市東区箱崎(本社ヘリから)筥崎宮 加藤隆義大将が参拝
筥崎宮に参拝する加藤隆義・海軍大将=1942(昭和17)年5月5日、福岡市・箱崎筥崎宮 奉納少年柔道大会
筥崎宮境内で行われた奉納少年柔道大会=1955(昭和30)年5月5日、福岡市箱崎筥崎宮 広田弘毅元首相が参拝
筥崎宮を参拝する福岡出身の元首相・広田弘毅=1942(昭和17)年7月頃、福岡市筥崎宮 戦前の放生会
筥崎宮の放生会=1942(昭和17)年9月13日、福岡市・箱崎筥崎宮 戦前の本殿
筥崎宮本殿=1935(昭和10)年頃、福岡県・箱崎筥崎宮 放生会の提灯とぼし
筥崎宮放生会の提灯とぼし=福岡市・箱崎、1960(昭和35)年頃筥崎宮 放生会の準備
露店も並び筥崎宮放生会の準備進む=福岡市箱崎、1952(昭和27)年9月11日筥崎宮 放生会の稚児行列
筥崎宮放生会の稚児行列=1941(昭和16)年9月、福岡市・箱崎筥崎宮 放生池
筥崎宮の放生池=福岡市・箱崎、1940(昭和15)年頃筥崎宮 李垠殿下が参拝
李王垠殿下、筥崎宮参拝=1942(昭和17)年頃、福岡市筥崎宮 玉せせり
筥崎宮の玉せせり=1954(昭和29)年1月3日、福岡市箱崎筥崎宮 社日祭のお潮井とり001
筥崎宮社日祭のお潮井とり=1956(昭和31)年9月18日、福岡市筥崎宮 社日祭のお潮井とり002
箱崎浜でお潮井とりをする人たち=1962(昭和37)年3月21日、福岡市筥崎宮 米内光政大将が参拝
筥崎宮に参拝した米内光政・海軍大将(1948年4月20日没)=1943(昭和18)年頃、福岡市筥崎宮 絵付けされるチャンポン
巫女たちによって次々と絵付けされるチャンポン=平成24年8月2日午前10時40分頃、筥崎宮(福岡市東区)筥崎宮 香淳皇后陛下ご参拝
筥崎宮参拝のため手を清めてもらう若き日の香淳皇后陛下=1923(大正12)年、福岡県・箱崎筥崎宮と鳥居
筥崎宮と鳥居=1964(昭和39)年11月頃筥崎宮に僧侶が参拝 承天寺報賽式001
聖一国師報賽(ほうさい)式。承天寺一山の僧侶が筥崎宮に参拝読経する「坊さんのお礼参り」=福岡市筥崎宮に僧侶が参拝 承天寺報賽式002
筥崎宮の拝殿で回りながらお経を唱える承天寺の僧侶ら=2012(平成24)年1月11日午前、福岡市東区筥崎宮に僧侶が参拝 承天寺報賽式003
お清めのおはらいを受ける僧侶たち=2008(平成20)年1月11日午前10時すぎ、筥崎宮(福岡市東区)筥崎宮に僧侶が参拝 承天寺報賽式004
神職に導かれ、参道を練り歩く承天寺の僧侶たち=2015(平成27)年1月11日午前9時51分、福岡市東区箱崎浜でお汐井取り 博多祇園山笠
夕焼けに染まる箱崎浜で、身を清める海砂を取る男たち=2015(平成27)年7月9日午後7時前、福岡市東区篠栗町・南蔵院付近
福岡県篠栗町の南蔵院・釈迦涅槃像周辺=2007(平成19)年7月紐差教会001
紐差教会の夜景=1976(昭和51)年10月、平戸市紐差教会002
2000年(大聖年)の巡礼指定紐差カトリック教会=2000(平成12)年9月13日、長崎県平戸市紐差町羅漢寺 五百羅漢像
国の重要文化財に指定するよう答申された羅漢寺石仏=2014(平成26)年3月頃、大分県中津市羅漢寺本堂001
再建された耶馬溪町羅漢寺本堂=1969(昭和44)年1月頃、大分県羅漢寺本堂002
荘厳なたたずまいの羅漢寺本堂=2014(平成26)年3月頃、大分県中津市聖福寺(長崎市)大雄宝殿
国指定重要文化財(建造物)となる聖福寺の大雄宝殿=2014(平成26)年5月頃聖福寺(長崎市)大雄宝殿の屋根
雨漏りがひどく、昨年3月にトタンで応急処置した聖福寺大雄宝殿の屋根=2012(平成24)年1月頃聖福寺001
聖福寺山門=1962(昭和37)年11月10日、福岡市御供所町聖福寺002
聖福寺山門=1980(昭和55)年3月頃、福岡市博多区御供所町聖福寺003
聖福寺=1983(昭和58)年5月20日、福岡市博多区聖福寺004
博多ZEN塾が開かれる福岡市博多区御供所町の聖福寺臼杵磨崖仏001
臼杵磨崖仏=1956(昭和31)年頃、大分県臼杵市の前田、深田、中尾臼杵磨崖仏002
臼杵石仏火まつり。かがり火に照らされ、幻想的に浮かぶ磨崖仏=平成24年8月25日午後9時前、大分県臼杵市與止日女神社001
與止日女神社の社殿では、嘉瀬川の心地よいせせらぎの音が聞こえる=2014(平成26)年10月頃、佐賀市大和町與止日女神社002
自然と一体化した景観をつくりだしている佐賀市大和町川上の「與止日女神社」=2008(平成20)年頃興福寺(長崎市)
本堂の大雄宝殿(国重文)は明治時代の再建だ=1996(平成8)年11月頃、長崎市寺町英彦山神宮 石の参道
英彦山神宮の境内まで1キロ近く石畳と石段が続く参道。かつては山伏たちの宿所がたくさん並んでいたという英彦山神宮 社務所
神職と氏子の対立で伝統の神幸祭が中止に追い込まれた英彦山神宮=2005(平成17)年3月英彦山神宮 銅の鳥居
国の重要文化財に指定されている銅の鳥居は、英彦山神宮奉幣殿に通じる参道に堂々とそびえる=平成20年4月英彦山神宮 雪景色の参道
積雪した英彦山神宮の参道=2007(平成19)年12月31日午前10時半頃、福岡県添田町英彦山神宮上宮 82年ぶり改修
山頂の厳しい風雨で屋根が壊れている英彦山神宮の上宮。左が拝殿、右が宝殿=平成25年5月26日、福岡県添田町蓮華院誕生寺奥之院 大梵鐘
大梵鐘(ぼんしょう)「飛龍の鐘」のすす払いをする僧りょたち=熊本県玉名市の蓮華院誕生寺奥之院蓮華院誕生寺本院 南大門落慶法要へ準備
落慶法要に向けて準備が進む蓮華院誕生寺本院の南大門=2011(平成23)年4月21日、熊本県玉名市蓮華院誕生寺001
蓮華院誕生寺奥之院=1997(平成9)年2月12日、玉名市築地(本社ヘリから)蓮華院誕生寺002
蓮華院誕生寺奥之院=1997(平成9)年2月12日、玉名市築地(本社ヘリから)藤崎八旛宮
藤崎八旛宮=1939(昭和14)年4月頃、熊本市井川淵町藤崎八旛宮 楼門
藤崎八旛宮楼門=1938(昭和13)年11月頃、熊本市藤崎八旛宮 神幸行列
早朝に藤崎八旛宮を出発する神幸行列=2014(昭和26)年9月21日、熊本市藤崎八旛宮 馬追い
藤崎八旛宮の秋季例大祭で、勢子たちに追い立てられ豪快な動きを見せる飾り馬=熊本市中央区西鉄太宰府駅前 太宰府天満宮参道
太宰府天満宮の参道=1985(昭和60)年頃、西鉄太宰府駅前観世音寺
観世音寺=1982(昭和57)年3月8日、福岡県・太宰府観世音寺のライトアップ
ライトアップされ幻想的に浮かび上がる観世音寺=平成16年12月30日午後5時45分、福岡県太宰府市観世音寺の参道
観世音寺の参道=1957(昭和32)年8月27日、福岡県・太宰府諏訪神社 一の鳥居改修完了
改修が終わり「鎮西大社」の額が披露された諏訪神社の一の鳥居の竣工式=平成26年9月、長崎市・諏訪神社諏訪神社 長崎くんち
踊り馬場で豪快に引き回される長崎くんち踊町、東浜町の「竜宮船」=平成元年10月7日、長崎市・諏訪神社警固神社 倒されたキツネ像
土台ごと倒されていたキツネの石像=2015(平成27)年4月25日、福岡市中央区警固神社 戦前の写真
警固神社=福岡市警固神社 破損したキツネ像
首の部分が壊された警固神社境内のキツネの石像=2015(平成27)年4月25日午前9時45分、福岡市中央区赤間神宮 しめなわ祭
新しいしめ縄が巻かれた烏帽子岩の上で神事を行う赤間神宮の神職赤間神宮 天皇陛下ご参拝
赤間神宮をご参拝の皇太子(明仁親王)殿下=昭和38年9月16日、山口県下関市都農神社001
都農神社正門=1941(昭和16)年11月頃、宮崎県児湯郡都農町都農神社002
都農神社の鳥居と表参道=1941(昭和16)年11月頃、宮崎県児湯郡都農町野崎島から集団移住 シスターらが見送り
シスターや野崎地区の人たちに送られ島を離れる野首地区の人たち=昭和46年3月31日、長崎県小値賀町野崎島から集団移住 十字架の墓にお別れ
野崎島を去る前に、十字架の墓に一人花を持ってお別れする老女=1971(昭和46)年3月、長崎県小値賀町野崎島から集団移住 家財道具背負い
家財道具を背負い島を離れる野首地区の人たち=1971(昭和46)年3月31日、長崎県小値賀町野崎島から集団移住 最後の礼拝
野崎島を去る人たちの最後の礼拝。熱心なカトリック教徒の島の人たちは敬虔な祈りをささげた=長崎県小値賀町野首天主堂 小値賀町
どの家からも見える野首の天主堂。だがどの家も野草が多い。朽ち倒れる日は近い=昭和51年10月、長崎県野崎島関門人道トンネル 和布刈神社近くの入り口
和布刈神社の近くにある関門トンネル人道の門司側入り口。ここからエレベーターで地下に降りる=北九州市防府天満宮で裸坊祭
体をぶつけ合いながら御網代輿に群がる裸坊たち防府天満宮に花文字
防府天満宮の大石段に描かれた「幸せます」の花文字防府天満宮の拝殿
完工した防府天満宮の拝殿=防府市防府天満宮の火災
炎上する防府天満宮=防府市防府天満宮の腰掛け岩
防府天満宮の腰掛け岩。菅原道真が腰を下ろして「魂はこの地に帰ってくる」と語ったと伝えられる防府天満宮001
防府天満宮=防府市防府天満宮002
緑の天神山(酒垂山)を背後に立つ防府天満宮。全国の天満宮で最も古い創建の記録をもつ阿蘇山上神社 例祭で中岳の平穏祈願
もうもうと噴煙を上げる中岳火口へ御幣(ごへい)を投げ、平穏を祈願する阿蘇山上神社の神職阿蘇山上神社 例祭で中岳活動終息祈願
噴煙を上げる中岳火口(上方)を望む阿蘇山上神社の例祭で、火山活動の静穏化を祈願する神職阿蘇山上神社 昭和10年頃
阿蘇山上神社=1935(昭和10)年頃、熊本県阿蘇神社 山門式の楼門
楼門建設に難題。参道の中央に立つ山門式の楼門。阿蘇神社のシンボル=2009(平成21)年頃阿蘇神社 火振り神事
阿蘇神社の参道で大勢の観光客が見守る中、火をつけたカヤ束を振り回し、神の婚儀を祝福する氏子阿蘇神社 肥後一宮
阿蘇神社(肥後の一の宮)=熊本県阿蘇郡一の宮町宮地、撮影日不明隈八坂神社
隈八坂神社に集結する隈・竹田地区の山鉾=2007(平成19)年7月21日午後3時半すぎ雷山千如寺
落ち着いたたたずまいの雷山千如寺=2014(平成26)年3月頃、福岡県糸島市雷山千如寺 五百羅漢
涼しい風が抜ける杉木立で、さまざまな表情を見せる雷山千如寺の五百羅漢=平成23年8月頃、福岡県糸島市雷山千如寺 樹齢約400年の大カエデ
雷山千如寺大悲王院で、色づき始めた樹齢約400年の大カエデ=2010(平成22)年11月10日、福岡県糸島市霊巌洞
宮本武蔵が「五輪書」を書いたと伝えられる霊巌洞=2003(平成15)年1月頃、熊本市霧島神宮
神話の里にふさわしい厳かな雰囲気の霧島神宮=2007(平成19)年2月頃、鹿児島県霧島市霧島神宮 戦前
霧島神宮の早春=鹿児島県姶良郡霧島村、戦前霧島神宮 本殿
霧島神宮本殿=1961(昭和36)年5月頃、鹿児島県姶良郡霧島町霧島神宮 照宮成子内親王がご参拝
照宮様は霧島神宮をご参拝=1940(昭和15)年10月霧島神宮 玉串奉奠
霧島神宮大鳥居の通り初めで玉串を奉奠(ほうてん)する福岡日日新聞(のちの西日本新聞社)永江真郷社長霧島神宮 鳥居通り初め
福岡日日新聞社(西日本新聞社)が霧島神宮に奉献した鳥居の通り初め=1940(昭和15)年10月19日霧島神宮古宮跡
霧島の山々を背景に立つ霧島神宮古宮跡=2007(平成19)年2月頃、鹿児島県霧島市青井阿蘇神社
「人吉温泉癒やしの旅」で回る青井阿蘇神社=2008(平成20)年4月18日、熊本県人吉市青井阿蘇神社の火文字
青井阿蘇神社の楼門前に浮かび上がった「記」の火文字=2012(平成24)年10月3日、熊本県人吉市青島神社 海を渡る祭礼
青島神社の海を渡る祭礼=1959(昭和34)年7月頃、宮崎市青砂ケ浦教会001
アーチ形の天井が特徴的な青砂ケ浦(あおさがうら)教会。丸みを帯びた柱やステンドグラスのデザインが心を和ませる青砂ケ浦教会002
国の重要文化財に指定されている青砂ケ浦天主堂。同県内では明治期、多くの教会がつくられた=長崎県上五島町頭ケ島天主堂001
西日本で唯一の石造りの教会堂。重厚なロマネスク調が特徴=2007(平成19)年2月頃、長崎県・上五島頭ケ島天主堂002
630個の石を積み上げ、9年がかりで造られた頭ケ島天主堂=2013(平成25)年8月頃、長崎県・上五島頭ケ島天主堂003
天井や梁にピンクや白の花模様が飾られている=2013(平成25)年8月頃、長崎県香椎宮 勅使奉幣祭001
10年に1度行われる香椎宮の「勅使奉幣祭」=1965(昭和40)年10月9日、福岡市・香椎香椎宮 勅使奉幣祭002
柳筥を先頭に、昔ながらの装束で参道を歩く神職と勅使ら。天皇の勅使を迎える10年に1度の香椎宮臨時奉幣祭香椎宮 閑院若宮妃直子殿下
九州お成りの閑院若宮妃直子殿下=1931(昭和6)年8月頃、福岡市・香椎宮香椎宮(戦前)
香椎宮=粕屋郡香椎町、戦前香椎宮001
香椎宮・楼門=1941(昭和16)年頃、福岡市香椎宮002
香椎宮=1973(昭和48)年10月1日、福岡市・香椎香椎宮003
国の重要文化財に指定されている香椎宮=2007(平成19)年8月頃高千穂夜神楽 活性化センターで奉納
高千穂町押方の五ケ村東活性化センターで奉納された国指定重要無形民俗文化財の「高千穂の夜神楽」高千穂夜神楽001
高千穂神社の神楽殿で開かれる観光神楽。高千穂町内の15グループが輪番で毎晩舞う=宮崎県高千穂町高千穂夜神楽002
高千穂の夜神楽=1956(昭和31)年10月6日、宮崎県・高千穂神社高千穂神社 浜くだり
高千穂神社御神体の浜くだり=1960(昭和35)年5月頃、宮崎県西臼杵郡高千穂神社001
高千穂町の高千穂神社=1997(平成9)年10月12日、宮崎県高千穂神社002
重要文化財に指定される高千穂神社本殿=2004(平成16)年4月頃、宮崎県高千穂町高塚地蔵尊 一千年祭
高塚地蔵尊一千年祭のにぎわい=1952(昭和27)年4月頃、大分県天瀬高塚地蔵尊 愛宕地蔵尊
大勢の参拝者でにぎわう高塚愛宕地蔵尊=2003(平成15)年3月頃、大分県天瀬町高良大社(久留米)へこかき祭り
高良大社の川渡祭(へこかき祭り)で、無病息災を祈願して茅の輪をくぐる参拝客=久留米市御井町高良大社(久留米)御神幸行列
高良大社の大鳥居前をにぎやかに出発する御神幸行列=1992(平成4)年4月11日、福岡県久留米市御井町高良大社(久留米)001
万治3年(1660)3代藩主有馬頼利の寄進になる高良大社=(国幣大社の頃)1935(昭和10)年頃、福岡県高良大社(久留米)002
高良大社=1963(昭和38)年9月頃、久留米市御井町高良大社(久留米)003
文化財や史跡に恵まれた高良大社=2005(平成17)年4月頃、福岡県久留米市鵜戸神宮001
鵜戸神宮=1934(昭和9)年10月頃、鵜戸村(のち日南市)鵜戸神宮002
日南市の鵜戸神宮。後方に続くのは日南海岸=1963(昭和38)年、宮崎県(本社機から)鵜戸神宮003
穏やかな天気の下、多くの初詣で客が訪れた日南市の鵜戸神宮=2006(平成18)年1月1日鹿児島神宮 初午祭
鹿児島神宮の参道に軽やかな鈴の音を響かせた「鈴かけ馬おどり」=平成22年3月7日午前11時頃、鹿児島県霧島市鹿児島神宮 本殿
鹿児島神宮本殿=1940(昭和15)年1月頃、鹿児島県姶良郡隼人町鹿児島神宮 照宮さまご参拝
鹿児島神宮ご参拝の照宮さま=1940(昭和15)年10月頃、鹿児島県姶良郡隼人町鹿児島神宮 皇太子ご夫妻が馬踊り見学
珍しい馬踊りには皇太子(明仁親王)ご夫妻の興味はひとしおつきないようだった=鹿児島神宮、昭和47年9月頃黒島天主堂001
アーチ状の天井が美しい黒島天主堂内部。「小さな島にこれほどの天主堂を建て得たことは奇跡」といわれる黒島天主堂002
佐世保市の離島、黒島に明治時代に建てられた国指定重要文化財の黒島天主堂=2007(平成19)年1月頃龍宮神社
浦島太郎伝説がある長崎鼻の龍宮神社は、浦島太郎と乙姫様が出会ったことから縁結びの神様として知られている