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太平洋戦争
「進め一億」の演奏 萩高等女学校
萩高等女学校音楽部による「進め一億」の演奏=萩市、1941(昭和16)年12月29日お潮井取り
筥崎宮社日のお潮井取りじゅうご地蔵供養祭
じゅうご地蔵の前で手を合わせ、犠牲者の冥福と平和を祈る出席者たち=福岡市の栄昌寺そろばんをはじくフィリピンの女性
日本のそろばんを愛用して計算を覚えた比島民の乙女ひめゆりの塔 沖縄返還を報告
1972年の沖縄返還を、ひめゆりの霊前に報告する沖縄の女子高校生たちひめゆりの塔 鎮魂碑
改修・再建される前のひめゆりの塔の壕入り口に建てられた鎮魂碑ひめゆりの塔001
沖縄の女学生ばかりで組織した篤志看護婦「白百合部隊」戦死者の墓「ひめゆりの塔」ひめゆりの塔002
昭和44年頃のひめゆりの塔インドネシア遺骨収集
インドネシア遺骨収集。厚生省高橋事務官から県内16柱の遺骨を引き取る福岡県援護課山浦課長補佐(左)オランダ領インド戦線
蘭印戦線。日本軍の渡河に協力するフロレス島の原住民ガスの節約ポスターと工夫する主婦
ガスの節約ポスターと工夫する主婦=1943(昭和18)年1月21日サイパン島のバンザイ岬
米軍に追い詰められた数千人の日本人が自殺したサイパン島のバンザイ岬シンガポールで遥拝
海南島(シンガポール)の元朝、はるかな皇居へ遥拝する陸戦隊シンガポール陥落 南の島から来た特配砂糖
お祝いに南の島から来た特配砂糖=福岡、1942(昭和17)年2月18日シンガポール陥落 戦勝気分に酔う市民
戦勝気分に酔う市民は口々に日本軍の快進撃をたたえシンガポール陷落を祝った=福岡日日新聞玄関前シンガポール陥落 戦勝祝賀する四六部隊
戦勝祝賀する四六部隊の将兵=筥崎宮、1942(昭和17)年2月19日ジャワ島
日の丸の旗を飾ったみこしにお米と銅貨を投げて祝うジャワの人々タイ進駐
首都バンコクに進駐する日本軍=昭和16年12月21日配信ドライスデール爆撃
豪州方面。北豪ドライスデール爆撃に向かう陸海荒鷲の大編隊ニューギニア戦線
ニューギニア戦線。日本軍ニューギニアに敵前上陸バンパーに腰かける米兵
米兵たちは手をあげて満員電車を止めた。バンパーに腰をかけるのは彼らの特権だった=天神・野村証券前ヒシの収穫 筑後地方
ヒシの収穫始まる。たらい船を操る女性郡の出動(筑後地方)=1944(昭和19)年9月2日ビルマの日本軍
インド人の人力車で買い物に出かける日本軍=ラングーン(ヤンゴン)でビルマルート001
ビルマルートの途中滑り込んだバスを引き揚げる苦力たち(中国人労働者)ビルマルート002
ビルマルート。アメリカ人が建設したという鉄橋。ラシオから重慶へ向かう援助物資は必ずこの橋を通ったビルマ戦線001
ビルマ戦線。ラングーンに入城、ペグーの釈迦寝像の前でビルマ人といっしょにバンザイする日本兵ビルマ戦線002
ビルマ戦線。皇軍ラングーン入城。ビルマ総督府前にて感激の万歳フィリピン・マニラの表情
戦時中の比島。マニラ市の表情フィリピン戦線
比島戦線。ミンダナオ島サンボアンガ。ヤシ林に潜む猛攻開始寸前のわが陸戦隊勇士フィリピン独立式典
フィリピン独立式典マヌス島の戦犯帰る
マヌス島の戦犯帰る=横浜港マレー戦線
マレー戦線(シンガポール攻略戦)。白旗を掲げて降伏申し込みに来た英軍代表。右端は英軍司令官パーシバル中将ミズーリ号で降伏文書調印
太平洋戦争に敗れ米艦ミズーリ号上で調印。梅津美治郎(最前列右)、重光葵(向左)はともに大分県出身だったミンダナオ島の日本橋
ミンダナオ島ダバオの日本橋モンテンルパ刑務所
日本人戦犯が収容されていたフィリピン・モンテンルパ刑務所万歳を叫ぶ朝鮮半島の子
海軍志願兵制に万歳を叫ぶ朝鮮半島の子ら=龍江校で三井田川鉱の採炭現場
地底に敢闘する鉱員(採炭現場)=三井田川鉱業所中洲大橋を進軍する攻撃軍 陸軍記念日
中洲大橋を進軍する攻撃軍=1943(昭和18)年3月11日中野正剛の遺書 「断十二時」
政治家(昭和18年10月自決)中野氏の遺書「断十二時」=1945(昭和20)年10月28日九州飛行機 特攻機生産に励む
特攻機生産にはげむ九州飛行機工場二又トンネル爆発
釈迦岳の二又トンネル内で旧日本軍の大量の火薬が爆発。山の中央が吹っ飛び、死者146人を出す大惨事となった仏印進駐001
日本軍、南仏印に進駐。河内へ向かう日向快速部隊仏印進駐002
日本軍、南仏印に進駐。仏印、タイ国境付近へ進駐する日本軍仏印進駐003
仏印進駐。サイゴンに進駐した海軍軍楽隊と陸戦隊佐世保海兵団 軍刀術訓練
佐世保海兵団軍刀術訓練=1943(昭和18)年5月28日佐世保海兵団の艦砲訓練
必殺の艦砲訓練の佐世保海兵団修学旅行生 八絋台の前で記念撮影
八絋台の前で記念撮影する修学旅行生ら=1942(昭和17)年、宮崎市修学旅行生 木炭バスで観光地巡り
木炭バスで観光地巡りをする修学旅行生ら=1942(昭和17)年、宮崎市八幡大空襲 焼け野原となった市街
8月の空襲で焼け野原となった八幡市街。後方は八幡製鉄所=1945(昭和20)年10月八幡大空襲で焼けた尾倉町付近
1944(昭和19)年8月8日の空襲で焼けた八幡市尾倉町付近。うしろは製鉄のえんとつ出征家族慰安会
出征家族慰安会の会場から帰る子供たち=福岡市の春吉国民学校で、太平洋戦争中出水飛行場跡001
沖縄戦で特攻基地となった出水飛行場の跡=昭和31年11月、出水市(本社機から)出水飛行場跡002
沖縄戦で特攻基地となった出水飛行場の跡=昭和31年11月、出水市(本社機から)列車に乗る買い出しの人々
列車に乗る買い出しの人の群れ=福岡市の博多駅半地下式住宅(壕生活)
戦う壕生活。福岡市・住吉にできた半地下式住宅=1945(昭和20)年7月9日博多港引き揚げ001
引き揚げ。博多港に入港した朝鮮引き揚げ船博多港引き揚げ002
引き揚げ。上陸を待つ中共抑留船員=博多港博多臨港線竣工式
歓呼に迎えられ、ふ頭に入る臨港線の列車=1942(昭和17)年7月1日博多駅前の復員兵001
復員兵でごったがえす国鉄博多駅前=1945(昭和20)年博多駅前の復員兵002
引き揚げ・復員。1945(昭和20)年秋、博多駅前の復員兵=1945(昭和20)年厚生体操をする女子挺身隊
福岡県下の某基地で厚生体操をする女子挺身隊員たち=昭和19年2月8日付西日本新聞収容所のすべり台で遊ぶ沖縄の子供たち
収容所のすべり台で遊ぶ沖縄県民の子供たち=福岡市、1945(昭和20)年12月26日古賀政男002
昭和18年頃の作曲家・古賀政男=昭和18年10月頃国民学校の校庭教室
戦災国民学校の校庭教室=福岡某国民学校で土管づくり 食糧増産
食糧増産戦になくてはならぬ武器「土管」製作=福岡市外別府、1943(昭和18)年10月9日在郷軍人会 筥崎宮に参拝
筥崎宮に参拝する在郷軍人会の列=1941(昭和16)年10月、福岡市報道班の教練
報道班の教練=第1回朝鮮軍報道演習で(森川朝鮮軍報道班員撮影)塩田作業 大分・姫島村
1943(昭和18)年当時の大分県東国東郡姫島村の塩田作業風景=1943(昭和18)年12月頃大分第一高女の生徒
大分第一高女の女子生徒=終戦前に撮影大政翼賛会 寒みそぎ
英彦山神宮奉幣殿前で寒みそぎをする大政翼賛会の錬成会=福岡県大政翼賛会錬成会
久住山麓で体を鍛える大政翼賛会大分県支部の「翼賛指導者錬成講習会」の参加者たち=大分県大浦天主堂001
大浦天主堂=1977(昭和52)年、長崎市南山手町大牟田の大蛇山
町中を練り歩く大蛇山=大牟田市、1942(昭和17)年7月14日大豊作の冬瓜 鍋島村
大豊作の冬瓜に笑顔の農民たち=佐賀郡鍋島村、1944(昭和19)年8月20日天神風景(岩田屋屋上から)
天神の岩田屋屋上から東を望む。中央は木村屋パン=昭和17年、福岡市太平洋戦争終戦
終戦。玉音放送を聞いたあと、皇居前で泣き伏す人々=1945(昭和20)年太平洋戦争開戦 市中行進
福岡日日新聞社(現・西日本新聞社)寄贈の横断幕を掲げ市中行進=筑後、1941(昭和16)年12月12日太平洋戦争開戦 福岡日日新聞・阿部副社長の告辞
真珠湾攻撃後、編集局に張り出された福岡日日新聞・阿部副社長の告辞=1941(昭和16)年12月8日太平洋戦争開戦の掲示
開戦。町の表情太平洋戦争開戦の掲示をみる人たち
日米英開戦。宣戦布告、町の表情=福岡日日新聞本社前、1941(昭和16)年12月8日太平洋戦争開戦の掲示をみる広東の人たち
開戦。町の表情。日英米開戦の掲示をみる広東の人たち=1941(昭和16)年12月8日奮い立つ工員 戦時工場
奮い立つ工員=某飛行場、1944(昭和19)年5月6日女子挺身隊 西南女学院
西南女学院の炊き出し訓練=1942(昭和17)年12月15日女子挺身隊 砲弾の補修
砲弾の補修(下関要塞司令部検閲済)=1944(昭和19)年7月3日女子挺身隊 福岡女専
工場生産に挺身した福岡女専通年部隊女子挺身隊 諫早女子
日本ゴム工場で敢闘中の諫早女子挺身隊女子挺身隊 飛行機増産にはげむ
飛行機増産にはげむ女子学徒=1944(昭和19)年10月22日学徒出陣 福岡高校壮行式
学徒出陣。出陣汁に気勢をあげた福高の壮行式学徒動員 整地作業に敢闘する工業生
戦災跡の整地作業に敢闘する工業生=1945(昭和20)年7月29日学徒動員 糸島高女
終戦直前に三菱電機今宿工場に学徒動員されモンペ姿で働く旧糸島高女の生徒たち学校・学徒日本一周
学鷲出発前の宮城遥拝=福岡空港、1943(昭和18)年7月31日宣戦布告の張り紙
米英に宣戦布告の日、映画館前にはり紙=佐賀宮崎市街 戦後の風景
宮崎市(旧市街)県庁屋上から市街を望む=1945(昭和20)年10月15日寿通り商店街
寿通商店街(表戸を閉めている)=1942(昭和17)年1月21日少年たちの勤労奉仕
少年たちの勤労=1944(昭和19)年9月29日少年飛行兵 熊本の基地
戦友に送られ、基地を飛び立つ郷土訪問機=熊本、1942(昭和17)年9月22日山下奉文将軍 降伏を迫った建物
太平洋戦争中、シンガポール(沼南島)攻略に際して、山下奉文将軍とイギリス軍のパーシバル将軍が会談山本五十六国葬 気勢を上げる炭鉱マン
山本五十六元帥国葬。ヤマの集会に集まり、気勢を上げる炭鉱マンたち=1943(昭和18)年6月6日、福岡県山本五十六国葬 福岡市・東公園
山本五十六元帥国葬の日、福岡市の東公園での千代少年団暁天常会。山王神社の片足鳥居【長崎原爆】
爆風で片方だけが吹き飛んだ山王神社の片足鳥居=長崎市、1945(昭和20)年8月廃虚と化した浦上天主堂 【長崎原爆】
浦上天主堂周辺=1945(昭和20年)9月頃御親拝の時刻 商店街の黙とう
商店街の黙とう=福岡市川端町、御親拝の時刻、1942(昭和17)年4月27日復員 竜部隊
引き揚げ・復員。竜部隊帰る=博多駅で慰問から帰った大辻司郎と娘 博多駅
満州国境の皇軍慰問から帰った大辻司郎と娘のナナ=博多駅、1943(昭和18)年8月13日慰問袋の発送作業 松屋百貨店
福岡・松屋百貨店で慰問袋の発送作業をする学生たち=1943(昭和18)年頃戦前の別大電車
大分、別府間を走っていた別大電車=1942(昭和17)年7月13日戦前の大村市
1942(昭和17)年2月当時の長崎県大村市戦前の熊本県庁
熊本県庁=1942(昭和17)年頃戦勝祈願の女性デモ
米英に宣戦布告、戦勝祈願の女性デモ戦後のヤミ市 福岡市・石堂川沿い
終戦。福岡市の石堂川沿いには、ヤミ市が並んだ。どこに、こんな物資があったのかと驚くほどの品があった戦時下の防空展 松屋百貨店
松屋百貨店で開催された防空展=福岡市・天神、1943(昭和18)年頃戦時供出で集められた鉄製ポスト
宮崎市内から集められた鉄製ポスト=1943(昭和18)年3月16日接収を待つ重戦車
福岡市香椎埋立地に並んだ接収を待つ重戦車=1945(昭和20)年10月4日摩文仁の丘
司令官牛島満中将自決の壕放生会の稚児行列
筥崎宮放生会の稚児行列=昭和16年9月、福岡市箱崎文化台所
銃後の文化台所。貯水槽、排水管にモーターポンプあり=山口、1942(昭和17)年7月16日新案国民服 中山キイ氏
中山キイ氏の新案国民服=1944(昭和19)年1月29日新考案の作業服
八代高女で新考案の作業服日婦熊本市支部結成式 婦人会
日婦熊本市支部結成式=1942(昭和17)年5月9日日満支三国親善観音像(唐津市)
近松寺に安置される日本、満州、中国、三国親善の唐津焼観音像=唐津市、1941(昭和16)年12月23日日炭高松炭鉱
先山切羽に向かって実地指導をうける養成工員たち=福岡県水巻町日赤宮崎支部の救護班
壮途にたった日赤宮崎支部の救護班一行日赤山口救護看護婦養成所
日赤山口救護看護婦養成所の勉強日赤看護婦
日赤看護婦の活躍東方国民学校 新築の奉安殿
宮崎県小林町・東方国民学校の新築の奉安殿=1942(昭和17)年5月29日東条英機首相の貯金箱
東条英機首相の貯金箱登場=久留米市、1943(昭和18)年4月9日東洋陶器の訓練隊
東洋陶器の訓練隊=小倉、1942(昭和17)年8月20日東郷平八郎 孫を抱く
孫を抱く東郷平八郎=昭和19年4月頃松やに採取
燃料用の松脂の増産をと松脂の採取=佐賀市の佐賀県庁前で松屋ビルの復旧工事
福岡大空襲で被害を受けた松屋ビルの復旧工事=昭和22年頃、福岡市橋口(福岡市中央区天神4丁目)松平晃
歌手・松平晃桜花を差し合う特攻隊員
「敵艦必中」を胸に桜花を飛行服にさし合う特攻隊員=九州某基地で、昭和20年5月梵鐘の献納式 小倉市
梵鐘の献納式=小倉市、1942(昭和17)年4月7日槙峰鉱山
槙峰鉱山の坑道で銅鉱石を大型ドリルで掘る鉱員=東臼杵郡北方村・太平洋戦争中の写真沖縄の軽便鉄道
戦争前、沖縄の与那原と那覇間に使われていた軽便鉄道沖縄上陸作戦
昭和20年4月6日、米軍の沖縄上陸開始の直後は多数の沖縄市民が収容所に入れられた(米軍の上陸開始は4月1日)沖縄戦線 進攻する米機械化部隊
沖縄戦線。沖縄本島に上陸、進攻する米機械化部隊沖縄戦線 避難しているところを見つかった少女
沖縄戦線。沖縄独特の大きな墓に避難しているところを見つかった少女(米政府から)沖縄戦線の米兵
沖縄戦線の米兵沖縄戦跡 摩文仁の丘
日本軍司令官牛島満中将自刃の地摩文仁の丘に建てられた黎明の塔と背後は南端の喜屋武岬浦上天主堂 たいまつ行列
浦上天主堂から、平和祈念式典があった平和公園(同市松山町)まで歩く「たいまつ行列」があった浦上天主堂 原爆被爆前
原爆に被災する前=1938(昭和13)年12月、長崎・浦上天主堂浦上天主堂 原爆被爆001
長崎。一瞬にして廃墟と化した浦上天主堂=撮影日不明浦上天主堂 原爆被爆002
被爆直後の浦上天主堂の惨状(長崎原爆)=1945(昭和20)年頃浦上天主堂 原爆被爆003
焼け野原となった浦上天主堂付近=1945(昭和20)年8月頃浦上天主堂 吹き飛ばされたドーム
原爆(長崎)(爆心地)爆風で吹き飛ばされた浦上天主堂のドーム(右下)=1946(昭和21)年頃浦上天主堂 永井博士市葬001
永井隆博士の市葬会場、浦上天主堂に向かう葬列=1951(昭和26)年5月14日、長崎市浦上天主堂 永井博士市葬002
永井隆博士の市葬=1951(昭和26)年5月14日、長崎市・浦上天主堂浦上天主堂 被爆したままの姿001
被爆したままの浦上天主堂=1951(昭和26)年9月25日、長崎市浦上天主堂 被爆したままの姿002
被爆したままの浦上天主堂=1955(昭和30)年頃、長崎市浦上天主堂 被爆したままの姿003
被爆して廃虚となった長崎・浦上天主堂=1958(昭和33)年3月頃浦上天主堂 被爆した聖母像
焼けただれた顔に慈愛の表情をたたえる無原理の聖母像=浦上天主堂、1981(昭和56)年2月頃海洋少年団 炊事作業をする学童
志賀島における直方の海洋少年団の炊事作業をする学童(軍当局検閲済)=1943(昭和18)年8月2日海軍体操
大島商船学校生たちの海軍体操=山口県小松町海軍記念日記念式典
筥崎海浜における日本海海戦記念式典海軍防府通信学校
連日の特訓を受ける海軍防府通信学校の練習生たち=1944(昭和19)年、防府市漁師さんたちの柔剣術大会
箱崎地区の漁師さんたちの柔剣術大会=1942(昭和17)年夏、福岡市炭鉱の女子鉱員
太平洋戦争で男は戦場へ。銃後の守りは女にゆだねられた。焦土と化した福博
福岡大空襲で焦土と化した福岡市(松屋ビルから博多湾を見る。手前は現ダイエービル、中央は焼け落ちた極楽寺焼け野原の下関市
終戦直後の下関市。一面の焼け野原になっている。矢印は日銀下関支店牛島満中将
沖縄・摩文仁で自決した牛島満中将 ※背景処理して使用してください特報隊(西日本新聞社)
終戦となったが情報が乱れているので新聞社が特報隊を組織して情報を伝達した特攻に出撃するパイロット
白鉢巻を締め出撃の陸軍パイロット特攻の体当たりで炎上する米艦
フィリピン沖海戦で特攻の体当たりで炎上する米艦(艦名など不詳)特攻隊 お守りを受ける
軍参謀長からのお守りを受ける勇士たち。右より佃谷、寺田特攻隊のニュースに涙
特攻「護国隊」散華のニュースに涙する女子挺身隊員=昭和19年12月17日、福岡市・九州飛行機工場寮で献納報国号 鹿児島県木炭組合連合会
報国1623・木炭号。鹿児島県木炭組合連合会の献納報国号=1944(昭和19)年2月15日甘藷からアルコール造り
甘藷からアルコール造りの甘藷(かんしょ)原料投入=熊本県下軍需省直営酒精工場田植え
長崎市西浦上滑郷の田植え疎開児童
級友達に送られて校門を出る疎開児童たち=小倉市天神島校(下関要塞司令部検閲済)皇民教育
朝鮮出身女性の皇民教育講習会風景=宮崎県高鍋、1942(昭和17)年6月18日看護班の担架訓練
日赤山口救護看護婦養成所のタンカ訓練=1943(昭和18)年5月3日県界大杉
鹿児島・宮崎の県境にある「県界大杉」=熊本県人吉市碩台校のラッパ士
碩台校のラッパ士=熊本市祖国振興隊
祖国振興隊=宮崎で福岡大空襲 ガレキの山となった洲崎町
ガレキの山となった洲崎町一帯。右の建物は玉屋。博多川をはさんで福岡銀行ビル=1945(昭和20)年6月頃福岡大空襲 奈良屋校区の戦災跡整理
福岡大空襲。奈良屋校区の戦災跡整理を視察する畑山福岡市長=1945(昭和20)年6月25日福岡大空襲 終戦直後
左から県庁、市役所、消防署望楼、西日本新聞社などが残った=松尾ビル屋上から南方、終戦直後(米軍撮影)福岡大空襲 防火用水で目を洗う市民
「助かった」。下小山町から店屋町方面を望む防火用水で目を洗う校区民たち=1945(昭和20)年6月頃福岡大空襲 降りそそぐ焼夷弾001
昭和20年6月19日夜、B29来襲。九大医学部西南方向に降りそそぐ焼夷弾。福岡市は、火の海となった。福岡大空襲 降りそそぐ焼夷弾002
福岡大空襲。九大医学部南西方向に降りそそぐ焼夷弾=1945(昭和20)年6月19日福岡日日新聞・雁ノ巣出張所
福岡日日新聞社(現西日本新聞社)の雁ノ巣出張所(雁ノ巣飛行場)空挺部隊出撃
いざ出撃。空挺部隊の悠然たるこの姿を見よ立山防空壕
太平洋戦争時に長崎県防空本部が置かれた立山防空壕=平成10年6月24日、長崎市立山一丁目箱崎浜の大砲
箱崎浜の大砲=福岡市、1941(昭和16)年10月3日米国の対日資金凍結 絹靴下の買いだめに殺到
米政府の対日資金凍結発表により全米の婦人たちは絹靴下の買いだめに殺到、連日店頭は大騒ぎだった終戦後の福岡市内(川端付近)
終戦1年後の福岡市博多区の川端付近=昭和21年頃義烈空挺隊 強行着陸001
義烈空挺隊。決死の斬り込み隊として九七重爆撃機12機に分乗。沖縄の米軍飛行場に強行着陸した義烈空挺隊 強行着陸002
熊本健軍基地から隊長以下136人が陸軍重爆撃機に分乗。米軍占領下の沖縄の飛行場に強行着陸作戦義烈空挺隊 沖縄へ特攻
沖縄米軍基地へ特攻前、愛刀に見入る空挺隊員義烈空挺隊 特攻出撃前
敵と近接したらこれでやるぞ、特攻出撃前の空挺隊員=1945(昭和20)年5月27日義烈空艇隊 沖縄へ
沖縄へ直進する義烈空艇隊(陸軍)船舶兵の上陸訓練
船舶兵の敵前上陸訓練落下傘部隊
活躍する海軍落下傘部隊西日本新聞社誕生001
玄関に掲げられる「西日本新聞社」の看板=昭和17年8月9日、福岡市・天神西日本新聞社誕生002
警固神社で西日本新聞社の誕生を宣誓する永江真郷社長=昭和17年8月9日訓練を終えた少年飛行兵 熊本地方航空機乗員養成所
訓練終えて、教官の講評をうける生徒=熊本地方航空機乗員養成所(熊本憲兵分隊検済)訪支経済使節団の小倉正恒氏
中国に出発する訪支経済使節団の小倉正恒氏(住友財閥の最高経営者・右から3人目の白服)=福岡市雁の巣飛行場豊肥線転落事故
豊肥線中判田-竹中間の増水した川原川に客車が転落(死者60人)=大分象部隊
旧日本軍の象部隊踊るビルマの少女
おどりで日本軍人を慰めるビルマの少女軍用機生産
春日村(春日市)の渡辺鉄工所は九州飛行機と九州兵器に分離改称=昭和18年連合軍進駐 福岡市内を行進
福岡市内を行進する進駐軍=福岡市・天神、1945(昭和20)年9月頃連合軍進駐 秋晴れの街に繰り出した米兵
秋晴れの街に繰り出した米兵=福岡市内、1945(昭和20)年10月8日連合軍進駐 繁昌する理髪店
ひげ剃りも大繁昌=福岡市渡辺通4丁目の理髪館・藍原さんの店、1945(昭和20)年10月3日進駐軍の軍票
米進駐軍が使用する軍票選挙標語横断幕 昭和17年衆院選
熊本市の選挙標語横断幕=1942(昭和17)年4月14日那覇市場
琉球マゲの女性たちが集う沖縄・那覇市場の午後(昭和19年10月11日、福岡県検閲済み)金属供出
鉄、銅の特別回収で庶民は炊事道具まで差し出した=太平洋戦争中長井浜海水浴場
京都郡仲津村長井浜の健康修練所で海水浴前の準備体操=のち行橋市に長勇・陸軍中将001
旧陸軍中将(福岡県粕屋町出身)、第32軍(沖縄軍)参謀長となり摩文仁の丘で牛島満軍司令官とともに戦死長勇・陸軍中将002
旧陸軍中将(福岡県粕屋町出身)、第32軍(沖縄軍)参謀長となり摩文仁の丘で牛島満軍司令官とともに戦死長谷川町子001
西日本新聞社・絵画課に勤務していた漫画家・長谷川町子さん=昭和19年12月頃関門海底鉄道開通
関門海底鉄道試運転車に試乗して感激の鉄道戦士たち=1942(昭和17)年6月12日防空演習する市民
防空演習をする市民たち=1941(昭和16)年、福岡市荒戸防空演習を視察する福岡警察署長ら
1944(昭和19)年、福岡市の奈良屋校区の防空演習を視察する福岡警察署長ら=1944(昭和19)年頃陸軍少年飛行兵 大刀洗
福岡県大刀洗陸軍少年飛行兵、着陸後の指導=1944(昭和19)年6月11日陸軍記念日 壮烈な総合演習
壮烈な総合演習=福岡、1942(昭和17)年3月11日陸軍記念日・遥拝
西軍の遥拝隊歌を歌いながら寮を出る女子部隊
隊歌を歌いながら寮を出る田川炭田明治豊国鉱業所の女子部隊=1944(昭和19)年9月20日雁の巣飛行場 旅客機に乗り込む客
雁の巣飛行場。旅客機に乗り込む客=1943(昭和18)年9月28日雪風(軍艦)
太平洋戦争中大活躍した駆逐艦「雪風」震電 18試局地戦闘機
終戦直前に九州飛行機で完成した18試局地戦闘機「震電」=春日村(現・春日市)の九州飛行機(渡辺自動車工業)震電(戦闘機)
終戦直前に九州飛行機で完成した十八試局地戦闘機「震電」青年学校生徒錬成大会
東公園の亀山上皇銅像前での青年学校生徒錬成大会=福岡市、1942(昭和17)年7月8日頭山満
頭山満=昭和17年12月頃頭山満 最後の帰郷
筥崎宮に参拝する頭山満。これが最後の帰郷となった=昭和17年11月頭山満 青の洞門に遊ぶ
青の洞門に遊ぶ頭山満=昭和17年11月頃風船爆弾
風船爆弾は太平洋戦争末期の昭和19年11月から翌年3月にかけ、日本軍が米国本土に向けて飛ばした兵器香港入城式
香港攻略戦。香港入城式馬に偽装して農作業
馬に偽装して農作業にはげむ南九州の農村=1945(昭和20)年6月4日高千穂隊 出撃準備
いざ出撃、準備に慌ただしい高千穂隊勇士たち=比島基地高松宮殿下 長崎市内を視察【長崎原爆】
長崎市の高台から原爆被災で見る影もない長崎市内を視察する高松宮殿下=昭和21年4月頃鴻臚館発掘現場で焦土出土001
鴻臚館発掘現場で地表に現れた福岡大空襲の焦土=平成11年5月13日、福岡市・平和台球場跡鴻臚館発掘現場で焦土出土002
鴻臚館発掘現場で地表に現れた福岡大空襲の焦土=平成11年5月13日、福岡市・平和台球場跡鹿屋航空隊本部
鹿児島県鹿屋航空隊本部731部隊
中国の黒竜江省ハルビン郊外にある七三一部隊の建物跡