西日本新聞社RECRUITMENT2019 西日本新聞社RECRUITMENT2019

九州の視点で
国の政策に向き合う

東京報道部 永松 英一郎

2003年入社

※所属部署は取材当時のものです。

01現在どんな仕事をしていますか?

経済産業省や原子力規制委員会、電力・ガス業界を取材しながら、主にエネルギー政策や原発関連のニュースを追っています。原発の再稼働に向けた動きや、「核のごみ」の最終処分問題、電力・ガス業界のシステム改革など、取材テーマが尽きることはありません。普段から勉強しなければならないことも多く、目が回りそうになることもありますが、どうにかこうにかやっています。西日本新聞では、東京で全国的なテーマに向き合うときも、九州からの視点を常に求められます。地方紙でありながら東京でしっかりと取材できることは、西日本新聞で働く醍醐味の一つだと感じています。

02一番面白かった仕事、経験は?

正直、終わった後に「しんどかったなあ」と思うことはあれど、「面白かったなあ」と振り返れるような仕事はなかなか思いつきません。ただ、「めったにできない経験」という意味では、2016年5月に開かれた主要国首脳会議「伊勢志摩サミット」の取材班に加わったことは、貴重な経験となりました。サミットの最大のテーマとなったのは「世界経済」。会期中は会場近くのメディアセンターで深夜まで原稿執筆が続き、睡眠不足にも陥りましたが、各国間の合意形成に至るまでの討議過程の取材は大変興味深かったです。世界中から集まったメディアの熱気、警備の厳戒態勢など、サミットならではの雰囲気も実感でき、思い出深い取材となりました。

03入社してからの最大の試練や失敗は?
それをどう乗り越えましたか?

入社直後に配属された大分総局。全国高校ラグビー大会で県勢が決勝に進出し、大阪・花園の試合会場への出張を急きょ命じられました。県勢は惜しくも準優勝に終わりましたが、社会面の記事を担当することになりました。応援に駆け付けた選手の親にも話を聞くなどして、ドラマ仕立ての原稿を書こうとパソコンに向かいました。しかし、思うように執筆は進みません。日は落ち、大分に戻る深夜フェリーの時刻が近づいてきました。焦れば焦るほど、何をどう書けばいいのかが分からなくなりました。気付けば、締め切りの10分前。目の前のパソコン画面はほぼ真っ白。頭の中も真っ白。先輩記者から矢のような催促の電話があり「もういいから、とにかく見たこと、聞いたことを全部話せ!」。先輩に言われるままに全てを電話で話し、茫然自失のままフェリーに乗り込みました。そこから先のことは余り記憶がありません。船窓から見える漆黒の闇がとにかく深かったことだけは覚えています。

翌朝、大分に帰り着くと、朝刊には先輩が代筆してくれた原稿がちゃんと載っていました。ほっとした半面、自分の力不足に忸怩たる思いがしました。紙面に穴をあけそうになった恐怖は、今も忘れられません。

ある日のスケジュール

7:00
起床。朝食をとりながら、他紙の記事やテレビニュースをチェックします。
8:00
満員電車に揺られながら出勤。霞ケ関の経済産業省内にある記者クラブへ向かいます。
9:30
経済産業大臣の閣議後記者会見を取材。九州に関連する発言があったので、夕刊向けに記事を執筆。
13:00
いきつけの食堂でランチ。
14:30
原子力規制庁幹部による定例記者説明会。原発の再稼働の前提となる審査状況などを確認します。
19:00
取材先と会食。仕事と関係ない会話を楽しみつつも、情報収集に努めます。
22:30
深夜も混んでいる電車で帰宅。入浴などを済ませ就寝。

休日の過ごし方

家族と過ごしています。子どもたちと自宅や近所の公園で遊ぶことが多いです。公園ではサッカーやジョギングなどで体を動かすことでリフレッシュしています。

西日本新聞社って
こんなところ

はっきり言って、それなりに厳しい会社です。社内には、鋭い問題意識を持ち、手間や時間を惜しまずに地を這うような取材をして、世の中をあっと驚かせるような記事を書く先輩や後輩がごろごろいます。全ての部署の全ての記者が努力と結果を求められます。入社して十数年たちますが、仕事が楽になることはありません。家族を持っても、数年に一度の転勤は避けられません。正直、転職の可能性も考えたことがあります。

それでも、相応のやりがいがあるのは確かです。この仕事をしていると、ありとあらゆる世界を自分の目でのぞくことができます。幅広い分野のいろんな人に会うこともできます。自分が書いた一本の記事が人の心を動かしたり、世の中を動かしたりすることもあります。筆力の上達には終わりがありません。もっといい記事を書きたい―。記者たちのそんな愚直な思いが、西日本新聞をつくっています。

「 筆力の上達には終わりがない。もっといい記事を書きたいという思いが新聞をつくる 」

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