西日本新聞社RECRUITMENT2019 西日本新聞社RECRUITMENT2019

新入社員の声

2021年4月に入社した新入社員たちに西日本新聞社の記者・社員としての目標を宣言してもらいました。

竹添 そら

profile

竹添 そら

福岡県出身 筑波大学

01学生時代に力を入れたことはなんですか?そのことを、どう自己PRに生かしましたか?

 昔から、自分が見聞きした情報を文字に起こして発信することが好きでした。小学校での広報委員会に始まり、中学では放送部、高校・大学では新聞部に所属し、振り返れば何かにつけ記者の真似事をしていたように思います。これらの活動を続ける中で「読者の求める情報を届け、問題解決の一助となるような仕事がしたい」と感じ、記者を志すようになりました。

 とはいえ、自分が好きなことしかしてこなかったので、就活中は「他の子と比べて私って知識や経験の多様性に欠けるなぁ……」と悩むこともしばしば。それでも無理に背伸びをして偽りの自分を演じるのではなく、自身の経験とその中で学んできたことを、拙くても自分の言葉でしっかりと伝えることを心掛けました。

 就活でよく「ガクチカ」(学生時代に力を入れたこと)が問われるのは、「これまでの自分」の延長線上に「これからの自分」があるからだと思います。就活する上で武器となるものを探すことも大切ですが、行き詰まったときは一度立ち止まって「自分が好きだったこと」「これからも大切にしたいこと」が何かを考えることで、その先の道が見えてくるように思います。

02あなたと「西日本新聞」との出合いは?

 九州で生まれ育った私にとって、西日本新聞は最も身近な新聞でした。高校新聞部時代には、取材、執筆の技術指導を受ける機会があったり、会社見学、進路相談の機会をいただいたりしました。お手本とする記者像もそこで形作られていきました。

 一方で、大学3年になり「これまで続けてきた活動を生業にしたい」と就職活動を始めたものの、継続的な購読率低下にも関わらず、長い歴史のしがらみにとらわれて変化に乏しい新聞業界の将来に不安を感じてもいました。

 そんな中参加した東京での西日本新聞社のセミナー。「(紙の)新聞の発行は手段であって目的ではない」という言葉に強く共感しました。電子版の積極的な開発やSNSの双方向性を利用した課題解決報道の仕組み「あなたの特命取材班」など、現代人の生活様式に合わせた情報発信の在り方を常に模索し続ける姿に「ここであれば数十年先も新聞記者ができる」と確信し、出願を決めました。

03私の「with○○!!」
(コロナ禍の就職活動を乗り切ったメンバーが入社するにあたっての決意表明です。)

 私の名前は竹添そらといいます。「何人の上にも平等にある大空の様に、皆を平等に愛せる人間になってほしい」と、両親が名付けてくれました。

 「あな特」の記事を見ていると、これまで明るみに出ることのなかった問題や、人知れず悩みや不安を抱えている人の存在に気づかされます。そんな人たちからのヘルプサインを見逃すことなく、しっかり向き合い寄り添って、心を晴らす助けになりたい。

 雨の日も晴れの日も九州の人々と共にある、そんな記者に私はなります。

休日の過ごし方

 コロナ禍による長い自粛生活に耐え兼ね、感染の広がりが落ち着いていた頃に釣りを始めました。

 平日の夜明け前に出発して堤防の端から朝日を眺めたり、地元の人らしきおじいちゃん釣り師からレクチャーを受けたり。自粛前には知らなかった新しい発見や出会いが多くありました。

 たくさんの発見と少しの釣果を持って昼前には帰宅します。ただし、慣れない早起きで残りの半日使い物にならなくなってしまうのが玉にきず…。無限の体力を手に入れたい今日この頃です。

私の一枚

 長崎県平戸市に父と釣りに出かけた時の1枚です。海面を漂うウキがポコンと沈みこんだら試合開始のゴングが鳴ります。私と魚との真剣勝負です。5時間ほどのバトルを経て、この日の釣果は数匹のアジとメジナ。フライと煮付けで美味しくいただきました。

面接した社員から一言

 小さいころから新聞記者になりたいという夢を抱いていたそうです。 新聞部で活動していた高校時代にたまたま取材を受けたうちの記者に相談するなどしてつながりを持ち続けた貪欲さとバイタリティーには感心させられました。エントリーシートにもあった「西日本新聞なら数十年先も新聞記者ができると確信した」という言葉が印象的で、そうでなくてはならない、とこちらの背筋が伸びました。

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