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ボリビアの日本人移住地を訪ねて

東京支社報道部 池田郷

 「ふるさとニッポン」の港町が津波にのみ込まれていく。食い入るように、その映像を見つめる人たちがいた─。
 南米ボリビアの現地時間、3月11日未明。海外向けのNHK衛生放送は、東日本大震災の映像をリアルタイムで流していた。当時私は、ボリビアの日系移民の村サンフアン地区に住む北海道出身の伴井辰雄さん宅に1週間、お世話になっていた。
 同地区の人口約700人のほとんどが日系人。戦後、現地へ渡った移民は、長崎県出身が最も多く、福岡、北海道と続く。1世は高齢化しているが、まだ健在。留学や就労で日本で暮らした経験を持つ2世、3世も多い。
 「日本の親戚や知人は大丈夫だろうか」。被災地に寄せる思いは、〝日本の反対側〟に暮らすからこそ、募るのだろう。現地での暮らしに触れ、そう思った。 滞在中は、ニワトリの鳴き声とご飯の炊けるにおいで目を覚ます日々だった。朝の食卓には、みそ汁、焼き魚、豆腐などが並んだ。日本を離れて半世紀たった今でも、朝は和食という日系人家庭が珍しくない。
 サンフアンは、ボリビア有数のコメの産地だ。伴井さん家族はコメ、鶏卵など生産している。米やみそ、豆腐などはほとんどが自家製。高度成長期前の「昭和」の暮らしが残っている。食卓では「民主党政権って、実際のところどうなんだい? 自民党より頼りないような」と、最新の日本の政治経済の話題がしばしば上った。
 現地のサンフアン日本ボリビア協会は、幼稚園や小学校、診療所などを運営。2世、3世の時代になり、日本語の読み書きが苦手な子どもが増えている。課題もあるが、住民同士の結束は強い。住民総出の運動会、歌や踊りでお年寄りを楽しませる敬老会、振り袖姿の女性で華やぐ成人式などの伝統行事が続いている。「泥水をすするような苦労を共にしてきた」(伴井さん)からこそだろう。東日本大震災で見直された人と人の絆、地域自治の原点が、遠い南米の大地に息づいていた。

(2011年3月5日~25日)

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