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南米で日本人の生き方を探る

編集センター 角谷宏光

 今年は福岡・佐賀県民が移民としてブラジルに渡って百年を迎える記念の年だ。わが九州の先輩たちは、この間、どんな苦労にも負けず生活を営み、南米の人たちから「ハポネス・ガランチード(折り紙つきの日本人)」と呼ばれるまでになった。不景気で混沌とした今、そんな日系人と出会い、上を向いて歩くヒントを探した。
 筑後の旧藤山村(現在・久留米市)出身の中村勲さん(87)は12歳のとき、両親と兄弟とともにブラジルへ渡った。「当時は不景気で、日本での口減らし。移民には補助金も出たから」と中村さん。しかし、送り込まれたコーヒー農園では、不作で苦しみ、借金だけが膨れるばかり。伝染病がはやり仲間たちが死んでいくなど、壮絶な暮らしを続けた。
 12年間農業を続けた後、写真技師の見習いとして働く。その後、熊本県出身の女性と結婚し、最後は約1000店舗が入る市場を経営。現在は弟に任せ一線から身を引いている。「無我夢中で働き続けた。故郷に錦を飾ることなんて、次第に忘れてしまった」。
 佐賀県鍋島町出身の西原千代さん(96)は両親と兄妹7人の計9人で海を渡った。マラリアにかかったこともあり、生活環境以外にも、太平洋戦争が影を落とした。父親は日露戦争でもらった勲章を農場主に何気なく見せたことがきっかけで、政治犯として半年収容された。西原さんは27歳で結婚。人生を振り返って「苦労は忘れた。運がよかったおかげで、ここまでこれた」と笑う。
 サンパウロ州選出のブラジル連邦下院議員、飯星伸次・ワルテル氏(48)は、日本文化がいかにブラジルに浸透しているかを力説する。飯星議員は父親が熊本、祖母が佐賀出身で、伯日議員連盟(約110人)の会長を務める。「日本人は悲観的にものを考えがちだ。世界トップクラスの経済大国で、教育がいきわたっているじゃないか。上を向いて歩ける」と飯星議員。「今やっと、ブラジルの時代がやってきた」と胸を張る。グローバル化時代に、日本人にも、視野を広げた新しい考え方を持ってほしいと期待する。
 日系移民がここまで成功を重ねてこられたのは、受け入れてくれたブラジルの懐の深さも関係する。「日系人は、苦労のどん底を味わい、そこからはい上がってきたことを一般のブラジルたちは知っている。だから好感を持たれている」と飯星議員は説明する。私たちの先輩たちは、勤勉さ、まじめさという、日本の一般家庭で教えられてきた、当たり前の教えを守り実行してきた。この良き伝統を、わたしたちや新しい日本人も尊重、実行していくべきではないだろうか。
 南米ではどこでも知られ、語られる「ハポネス・ガランチード」という言葉。「折り紙つきの日本人」と、世界中で言われ続けるような国際人でありたいと思う。

(2010年2月5日~同26日)

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