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異文化の中のニッポン

都城支局 森 竜太郎

 ブラジル・サンパウロ市「リベルダージ」、米国・ロサンゼルス市「リトル・トーキョー」。この2カ所が世界最大の日本人街だ。日本人の「移民」は、1868年(明治元年)のハワイが皮切り。北米大陸への移民は1884年から、ブラジルへは1908年から始まり、九州からも多くの人が未知の異郷に足跡を刻んだ。先人たちの心の故郷となった日本人街。「異文化の中のニッポン」の空気に触れたくて、足を運んだ。
 リベルダージには数軒の日系書店がある。週末はブラジルの若者たちが多く足を運び、数カ月遅れの日本の漫画週刊誌や単行本を、貴重品を扱うように手に取る。価格は定価の3~4倍、週刊ジャンプなら日本円で千円弱だ。1961年に8歳でブラジルに渡ったという店員の松田由紀子さん(56)は「彼らはたぶん読めない。コレクションよ」
 松田さんは佐賀県武雄市出身。戦後の移住者で、初期移住者のようなコーヒー農場での重労働は経験していないという。それでも「日系人というだけで差別された。父には『何でこんなところに』と何度も泣きついた」と振り返る。
 一方、ロス市庁舎近くにあり、再開発が進むリトル・トーキョー。延伸されたばかりのメトロ・ゴールドラインの駅近くに、日本人移民の体験を伝える全米日系人博物館がある。米国、特に北米への移住者は、ブラジル移住者とは違う苦難も強いられた。第2次世界大戦期の資産放棄強要と強制収容。それは米国で生まれ、米国籍を持つ日系2世も対象とされた。「敵性外国人」のレッテルを不満として、志願兵として従軍した日系2世の若者も多かった。同博物館には中高生をはじめ、多くの米国人が見学に訪れるという。日系2世を夫に持つ同博物館員の折葉仁子さん(77)は「『自由の国』を掲げる米国が、第2次世界大戦中に人権侵害をしていた事実を、まだ多くの米国民は知らない」と話す。
 リベルダージ、リトルトーキョーは今や、両市を代表する観光地。週末のすし店やラーメン店には行列もできている。だが、両日本人街とも近年、日系人の居住者が少なくなり、韓国系や中国系の住人の割合が増えている。
 「日本語を話せる日系人は少なくなる一方だ」と松田さん。折葉さんも「昔ながらの『日本人街』の雰囲気は消えつつある」と少し寂しそうだ。
 時の流れや世代交代とともに、当然のように変化する日本人街だが、私は日本語の看板を見るだけで、どこか「ほっとした」気持ちになった。先人たちの故郷への思いをかみしめつつ、日本人であることを再確認させてくれる街だった。

(2010年3月13日~4月2日)

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