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「絶対」を壊したベルリンの壁前で

久留米総局 坂田恵紀

 20年前の1989年11月9日、東西冷戦の象徴だったドイツ・ベルリンの壁が崩壊した。市民が壁を壊し、東西両市民が抱き合う姿をテレビで見たのは高校生の時。自分の心の中で「絶対」という言葉が崩れた瞬間でもあった。
 歴史に興味があった私の中では、ベルリンの壁が崩壊することは「絶対」にないと信じていた。だが、その壁は崩れた。この時から、世の中に「絶対」はない、と思っている。「絶対」がない世の中はおもしろい、と興味を持った。知りたいと思った。このことが、新聞記者を目指し、今も記者を続けている大きな動機の一つでもある。
 今回の研修では真っ先にベルリンの壁に向かった。高校生の時に見た、壁が壊される光景は目に焼きついている。その後、東西の経済格差が問題になっているとの報道もされている。壁は今、何を語っているのだろうか。
 シュプレー河畔に約1・3キロの壁が残る。世界各国の芸術家が、冷戦時の世相を皮肉ったり、平和の大切さを訴えたりする壁画を描いている。2㍍を超える壁はコンクリート製で、最上部は手や金具をひっかけにくい丸形。近くに立って感じたのは「この壁は越えられず、壊すこともできない」といった絶望感だった。この絶望感を乗り越え、東側から西側へ入ろうと、多くの人が車のトランクに隠れたり、水中や空、地中を通ったりして壁の向こう側を目指した。
 ベルリンの壁博物館に、壁にまつわる出来事が凝縮している。地中トンネルを使って西側に入ってくる映像や、人が入るように改造したスーツケース、壁の図解などが展示されている。初めに驚いたのは次から次に、地元の子どもたちが教師に引率されて入ってくることだった。その数は外国人観光客と同じぐらい多い。ナチスドイツの秘密警察・ゲシュタポの本拠が置かれていた建物は改装中で、屋外でのパネル展示だったが、ここでも学生が目についた。小学生から高校生ぐらいまで、みな、メモをとりながらパネルに見入っている。公園の並木に5㍍おきに吊された写真、ナタでの公開処刑の写真は、思わず目を背けたくなる。冷たい雨が横殴りに降ってきたが、学生たちはみな、見学後、木陰でリポートらしきものを必死に書いていた。初めは騒いでいた学生たちの口数が次第に少なくなり、展示物の前にくぎ付けになっていたのが印象的だった。
 目に見える東西格差は少ない。ただ、ホテルマンに聞いた「夜、歩かない方がよい地区」は旧東ベルリン側が多かった。にぎわっているのは圧倒的に西側。あるタクシー運転手の一言が印象的だった。「まだベルリンの壁はある」。経済格差のことを示していた。ただ、「好んで壁を壊したのは市民だ。だから、みんな頑張っている」と笑顔を見せた。
 市民は壁を壊したというこの上ない喜びとともに、経済格差という問題にも直面した。政治問題化し、国内でも重要課題となっているが、不動産が安めの東側のアパート群を改装して小さな店がいくつも入り、〝おしゃれな街〟として売り出す地区が出てくるなど、再び経済格差という「壁」に挑んでいる。パワーをもらった。

(09年11月23日~12月13日)

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